私の歌舞伎遍歴  -ある劇評家の告白-

2013-09-27 15:21:33 | 日記

渡辺 保著   演劇出版社刊

著者の論評は雑誌の中で何篇か読んでいたので、その論旨はある程度分かっている心算だ。それにしても、演劇評論というのは大変な仕事だと改めて思った。
著者は「観劇者の参考になるように」執筆したと言っているが、私のような平凡な観客には残念ながら役立っていなかったような気がする。唯々、綺麗だな、面白いな、うん流石と思ってぼうーっと観るのが常だった。つまり、著者のアドバイスは頭から消えている(申し訳ない)。
勿論、時には「あの大根!」とか「そんなにリアルにするなョ、恥ずかしいじゃないか」と内心舌打ちすることもないではなかったけれど……。後で思うと著者の言わんとすることはこれだったのか思うのだけれど。歌舞伎の役者というのは大変だな、と思う。様式美という縛りの中で、己の個性を昇華させるのは並大抵の努力を必要とするだろうから。
それにも増して、劇評家である。そんなことにまで気を使って芝居を観ていて辛くはなかつたのだろうか(勿論、著者はそうした中で歌舞伎を堪能したと言っているけれど…)。私としては取り敢えずは、ぼーっと観て「良かった!」で充分なのだが……。


戦火のなかの子どもたち

2013-09-25 08:47:17 | 日記

岩崎ちひろ・作   岩崎書店刊

紀伊国屋に奔った甲斐があった。前回読んだ本の中のカットがとても気になって仕方がなかったのだ。この挿絵は本書の12~13頁に掲載されている。添えられた文章は「母さんといっしょに 燃えていった ちいさなぼうや」。普通ならばどういう文章を添えるだろうか? 「焼かれた」 「黒焦げになった」 「焼死した親子」とでも書くのではないだろうか? 「燃えていった」と書いたのは、その場で見たということである。それは、何年たっても彼女の記憶に彫刻されていたのだろう。彼女がこの挿絵を描いた時まで…、その印象の強さがよく分かる。
私は東京大空襲の時には、運良く居合わせなかった。しかし、その直後の東京の焼け野原と、黒焦げの死体を積み上げた大八車は見た。いわさきちひろは、その空襲の最中でこのシーンに立ち会っていたのだ。どんな気持ちだっただろう? とても想像できない。その悲しみは深い。深すぎる。
手に入れて良かった。しかし、とんでもない記憶も蘇ってしまった。今、現在もこのシーンが現実であることを想うと、居た堪れない気持になる。


いわさきちひろ -平和を願い、こどもを描きつづけた画家-

2013-09-20 15:22:39 | 日記

ちひろ美術館監修   KAWADE夢ムック

いわさきちひろの個人的プロフィールを初めて知った。彼女が大正初

期生まれであることや(私の亡くなった母に近い!)、共産党の松本善明の奥さんであり、自身もコミュニストであったことなど意外だった(ファンの人々には怒られそうだが…)。
だからと言って、全く無縁だったわけではない。娘が幼かった時には彼女の絵本や挿絵の本を見せたし、私自身も好きだった(今も書棚に何冊かの絵本がある)。多分、人の親となった時、幼かった頃の子供を抵抗なく思い浮かべることが出来るからではないだろうか? ちょっとした仕草や表情がそうさせるのだ。
ひとつ、感心したことがある。彼女は出版社に原画の返却を要求したことである。本書を読めば分かるが、当時の出版界では挿絵やカットは消耗品であって、画家に返却する義務があるなんて考えてもいなかった(つまり、著作権と掲載権の区別などなかった。今などはスタジオジブリなどのように返却を条件にしているのが゛当たり前のことになっている)。いわさきちひろの原画は9400点以上あるそうだ。彼女の奮闘の賜物である。ひょっとしたら、今でもカットやイラストを返却してもらう画家がいるのではないだろうか?
それはともかくとして、彼女の絵本のある一冊を探しに今から紀伊国屋に奔るつもり。


つきはぎプラネット

2013-09-18 14:51:32 | 日記

星 新一著   新潮文庫

星 新一関係で読んだのは最相葉月の『星 新一 1001話作った人』(新潮社 2007年)が最後だから、星 新一のSFそのものを読んだのはもっと前になる。
今、読んでも彼のSFショートショートは流石だと思う(中にはSFらしからぬものもあるけれど…)。解説によれば未発表・単行本・文庫に収録されていないものを残らず収録した、ということである。
巻末に『星新一ショートショート 全作品読破認定証』なるものがあるのが、いかにも星 新一の本らしくて笑える。


数式のない宇宙論  -ガリレオからヒッグスへと続く物語-

2013-09-16 15:28:28 | 日記

三田誠広著   朝日新書

著者が「まえがき」で述べているように、「文学者(ちょっと失礼な気もするが)、小説家、詩人および数式が苦手なすべての人々」向けに書かれた本。確かに最近の宇宙論を読むに当たっては、良く構成された本である。
しかし、もしかするとある程度専門書を読んで躓いた人にこそ最適かもしれない。最新の理論の拠って立つその基本理論が分かるという意味でである。例えばヒッグス粒子の存在が確認されたということの根本的な重要さは、その理論のスタート時点が分からないとその意味が理解できないからである。
それにしても、良くまとめたと思う(第五章以下は少々端折り過ぎるきらいがあるが)。しかし、最終的には超弦理論(ヒモ理論)、ホーキングの「ベビーユニバース論」そして前回紹介した佐藤勝彦の「マザーユニバース論」まで引っ張って来たのはなかなかだと思う。
私注 ・実は数式があっても私には困らない。実は読み飛ばしている(多くの本では著者自身がそれでもいいと言っているので。中には11元宇宙論のような例外もあるけれど。あれには参った)。それでも言わんとしている事は理解したつもりだが……。


戦国大名の「外交」

2013-09-14 15:39:24 | 日記

丸島和洋著   講談社選書メチエ

歴史小説や時代小説ファンにとっては魅力的なタイトルだが、その期待は外れると思う。だからと言って、面白くないということではない。戦国大名の駆け引きというのは時代小説の読み所だが、ともすると主人公の人物像に左右されることが多い。そして、戦国時代全体の俯瞰した大きな時代の流れを読み損なうことがある。
その意味では、戦国時代とその後の織豊・徳川時代への武士階級の変質を理解するには恰好の本である。ただし、余りに学問的すぎて面白くないと思う人が多いと思うが、一度は目を通しておいて良い本。
戦国時代以降の武士階級の変質が分かるとまた別の読み方、楽しみがあると思う。


宇宙はにぜこのような宇宙なのか -人間原理と宇宙論-

2013-09-10 08:55:54 | 日記

青木 薫著   講談社現代新書

「人間原理」という思想は、特に物理学や宇宙物理学を読む時には、どうしても胡散臭い臭いがつきまとって好きになれかった。という訳で買う時に一瞬迷った。しかし、本書を読むとどうやら物理学者や宇宙物理学者が行き詰った時の発想の転換点を得る切っ掛けにはなっているが(私の勝手な理解だが…)、それが論理の根幹をなしているのではないらしいと分かって、続きを読む気になった。
本書は、物理学や宇宙物理学に関しての古代から現在に至るプロセスをまとめた概論(現在話題になっているひも理論まで。これがなかなか分かり易く説明されている)である。つまり、単一銀河説(1930年代)からビッグバン+インフレーションモデル(1980年代)への変遷で、今や我々は「多宇宙ブィジョン」を受け入れるかどうかという時点に立たされているということなのだ。
本文中には、アインシュタインが一般相対性理論にλ(ラムダ)項を導入したことについて、後にそれについて「わが人生最大のヘマ」と言ったエピソードについての真偽についての検証が書いてあって、これがなかなか面白い。もうひとつ、インフレーション・モデルに関する記事には欧米の学者の名ばかりが挙げられがちだが、この多宇宙ブィジョンを世界に先駆けて提唱したのは日本の物理学者・佐藤勝彦であることを強調している点も読み落とせない。


世界が認めた ニッポンの居眠り

2013-09-07 14:55:30 | 日記

ブリギッテ・シテーガ著   阪急コミュニケーションズ刊

面白いテーマの本。「いねむり」が日本人特有の習慣だと認識したことはなかった。確かに車中や会議、観劇の最中にいねむりしている人は多く見かけるけれど、別にそれが特異なこととは思っていなかった。因みに、私自身はいねむりはしない。その代わりに午後に45~60分の午睡はするが…。
しかし、このいねむりが脳のリセッンションに役立ち、欧米で再評価されているそうだから、あながち悪しき習慣と思ってはいけないものらしい。
唯、著者の日本人の「いねむり」に対する分析は杓子定規すぎる(文献の解釈にしても、統計の評価にしても)。初めに結論在りきで、筆が走り過ぎている。もう少し、深い洞察があっても良かったのではないか?

 


安倍公房とわたし

2013-09-06 08:40:28 | 日記

山口果林著   講談社刊

安倍公房については『砂の器』を初めとして何冊か読んでいるし、当時は彼と並んで三島由紀夫や大江健三郎が一緒に読まれることが多かったので、その作風も分かっているつもりだ。しかし、彼の演劇関係についてはまったく知らない。著者の山口果林についても同様で、女優としてはテレビドラマで観たことはあるので多少は知っているけれど、舞台俳優としての彼女は知らない。つまり、演劇には全く無縁ということ。
それでも本書を手に取ったのは、安倍公房の晩年と最後を知りたかったためである。まして、彼と著者が愛人関係にあったなどということは、本書で初めて知った。読後感から言えば、こうした関係はよくあることで、ことさら驚くことではないのだけれど、男と女の出会いのミスマッチは二人の家族を含めて正に修羅場でしかない、ということを改めて思った。
仮に男女の仲がハッピーエンドだったとしても、その二人の内面では口には出さないまでも、このような表面に出ない葛藤があったに違いない。その意味では男と女の間に横たわる、永遠の問題なのだろう。


私の本棚

2013-09-03 15:18:57 | 日記

新潮社編

本棚については、ここに登場した人達と同様に欲しいと思っていたし、整然と本の並んだ書棚を幾度となく想像した。そして、今も何棹かの書棚を持っているが、ご他聞に洩れず目当ての本が見付けられなくなっている。しかし、この何棹かの書棚で納まっているのは、部屋が狭いという物理的な制約の他に、読んでつまらなくなった本や買って損した思う本は片っ端から処分したからである。
と言っても、無闇に処分した訳ではない。本というのは、人に読んで欲しい、読ませたいという人達(著者・編集者・書店員)の産物である。たまたまその人達の期待と私の期待がミスマッチしただけなのである。だから私は友人知人で、私の処分したい本に興味のある人達に渡している(あげている)。それが著者や編集者に対する心遣いだと思っている。
かつての古書店は良かった。こうした事情を弁えて引き取ってくれた(そうした古書店が今もあることはあるけれど)。今のブックオフではそうはいかない。渡した途端、惨めになる。
と書いたものの、私自身の好みというか考え方を具現化してくれる本棚は今も憧れですねぇ。もう遅すぎるかもしれないけれど……。
因みに本書には、椎名誠・井上ひさし・中野翠・内田樹・鹿島茂・福岡伸一氏等、23人の読書家の本棚に関する一家言が載っていて、あなたも同感する人が居るに違いない。