琥珀の眼の兎

2012-01-29 16:05:29 | 日記

エドマンド・ドゥ・ヴァール著  早川書房刊

タイトルの「琥珀の眼の兎」とは、日本の根付のこと。しかし、本書の主題は著者のルーツを辿る物語であり、根付は言わば「狂言廻しでしかない。
著者の一族はウィーン」を根拠地にしたユダヤ人の銀行経営者。ロスチャイルド家が金の取引で巨大な金融業者になったのに対し、エフルッシ家はヨーロッパの穀物市場を牛耳って成り上がった銀行家一族である(紋章には小麦の穂と帆船があしらわれている)。そして、この一族はロスチャイルド家に比肩する金融業者だったのである。
ロスチャイルド家が今も繁栄しているに対し、エフルッシ家は消滅した。その差はロスチャイルドが多くの国に分散していたのに対し、エフルッシ家はウィーン、パリ、アテネを根拠地にしていて、ことにオーストリアという国に忠誠だったため、ナチスによって解体されてしまったのだ(ロスチャイルドは二つの大戦には、敵味方双方に融資していた)。
それにしても、長い物語である。1871ー2009年、6世代・138年間の物語である(といっても、ノンフィクションであるが)。不思議なことに、一族の誰もが金融業者になったわけではない。女性はロスチャイルドや他の銀行家に嫁いでいるが、男性は長男が原則として銀行経営に携わっていたが、なかには美術評論家、法律家にして詩人・しかも博士(四代目長女・エリザベト)、服飾デザイナー、陶芸家(著者である)といった一流の才能ある人間が生まれているのだ。
肝心の根付は日本からウィーン、大戦後東京に里帰りし、今は著者の住むロンドンにある。激動の20世紀を思うと、特にナチスの美術品漁りを考えると、因縁めいたものを感じる。
ロスチャイルドの陰に隠れているが、エフルッシ家の詳細を知ったのは、本書が初めてである。

 

 

 

 


美しい書物

2012-01-28 15:25:55 | 日記

栃折久美子著  みすず書房刊

著者は装丁家。国際製本工芸家協会認定のマイスターでもある。仏語でルリユールという。久しぶりで著者のエッセイを読んだ。といっても、本書は『製本工房から』(1978年)と『装丁ノート』(1987年)、「ルリユール二十年」を加えたアンソロジーのようなもので、前二書は所蔵しているので、読み返した本といってもいい。
おそらく装丁も御本人だと思うが(どこにも明記されていない)、手に馴染む、丸背の開き易い本である。中扉の「美しい書物」の細明朝のグリーン文字が綺麗だ。
それにしても、この二書が発表されたのはざっと三十年前、すでに製本の衰退が始まっていたことに驚く。その当時でさえ造本の退化は酷いものだった。今やそれに輪をかけて酷い。大抵の本は長期の蔵書に耐えられないし(膨れるし、取り出すとパカッと割れてしまう)、読むのにも苦労する。
それにしても、懐かしい単語に出会ったものだ。「半革装」「天金」などという単語を知っている人がどのくらいいるのか分からないが、モロッコ皮の継ぎ表紙の「総天金張り」の本を、ようやく手に入れたのは何十年前だっただろうか。

 

 

 


行為と妄想 -わたしの履歴書ー

2012-01-25 08:28:29 | 日記

梅棹忠夫著  中公文庫

これまで「梅棹忠夫」という人の、全体像を掴みきれない欲求不満があった。時に昆虫学者だったり、登山家、民俗学と比較文明論の泰斗であり、情報理論の先駆者であり、京都大学の名誉教授、国立民俗学博物館の創設者・館長であったりする。
本書を読んでやっと全体像を掴めたような気がする。
かくも多岐に亘って学問上の成果を収められたのは、学問上の枝分かれを無視しなかった、というか興味の趣くままに研究した。海外の高山に登った時に、同時に視線は麓に住む人々の生活、風習、宗教に及ぶ。そして、更に他の国々にも同様な疑問を持つ。一事が万事そうである。
フィールドワークで集めた膨大な資料の整理から、情報整理学に辿りつく。そんなジャンルの学問がなければ、自分で創設してしまう。彼にとってはそれは矛盾ではないし、自分の専攻に固執することでもなく、自然な道程であったのだろう。
もうひとつは、人との繋がり・縁を大切にしたことだ。その結果、たくさんの協力者を得ることが出来たのだし、また本人も積極的に協力・参加している。つまり、私が彼の全体像を掴み切れなかった背景は、こんな所にあったのではないか。
この点で、気がついたことがある。かれに協力賛同し、援助した人々(その逆の場合も)は、学者仲間はもとより、政治家・官僚・企業経営者・外国人と多才なのだ。時には、本業とはかけ離れたジャンルであるにも拘らず、私財を投げ打って賛助していたりする。これは、ほんの十数年前まで、彼等が教養豊かだったということである。それに比べて、最近の人間のスケールは小さくなった……。
最後にタイトル。「行為と妄想」。いかにも、この人らしい。しかし、妄想(下品な意味ではなく、自由な発想)を実現するには、とてつもない根性と意思、そして努力が絶対条件だということ。誰もが出来ることではない。

 


スパイス、爆薬、医薬品 -世界史を変えた17の化学物質ー

2012-01-21 15:15:21 | 日記

P・ルクーター、J・バーレサン著  中央公論新社刊

煩雑だけれども、17の化学物質を列挙してみよう。
胡椒・ナツメグ・クローブ(1章、以下同じ)、アスコルビン酸(2)、グルコース(3)、セルロース(4)、ニトロ化合物(5)、シルクとナイロン(6)、フェノール(7)、イソプレン(8)、染料(9)、アスピリン・サルファ剤・ペニシリン(10)、ピル(11)、魔術の分子(12)、モルヒネ・ニコチン・カフェイン(13)、オレイン酸(14)、塩(15)、有機塩素化合物(16)、キニーネ・DDT・変異ヘモグロビン(17)。
これらが「世界史を変えた」と言う意味に、見当つきかねると言う人、あなたは本書の読み手の資格十分あり、です。そう、本書は化学を(科学ではない)通して世界史を読み解こうというユニークな本です。
ただ、この本のいたるところに、例の亀の甲や四角にO・N・C・Hなどが繋がっている化学構造式が出ているので、手にとってパラパラとページを捲った人は、それだけで読む気が失せるかもしれない。でも、それは勿体ない(偉そうなことは言えない。私も危うくそうするところだった)。
読み進んでいくうちに、それが煩くなくなり、「ここにCがひとつ付いただけなのに? それで物質の性質が変わるってどういうこと?」といった疑問が湧いて来て苦にならなくなる。
ただ、「塩」が15章に登場するのが不思議だった。「なんで? 塩は人類が最初に手にした化学化合物じゃない?絶対第1章だ」と思ったのだが、読了して納得した。こういう視点から見た世界史には、また違う価値観をもたらす。退屈は絶対しません。 


江戸歌舞伎役者の<食乱>日記

2012-01-20 16:03:50 | 日記

赤坂治積著  新潮新書

三代目中村仲蔵(幕末~明治初期)の日記『手前味噌』から、食べ物の記述部分を抜粋したもの。<食乱>と言う言葉を初めて知った。ま、言ってみれば「食いしん坊」ぐらいの意味。決して「グルメ」という意味ではないらしい。
読んでみて分かったのは、今日名物と言われている地方の食材・料理は江戸時代にほぼ定着していたということ。本書を読んで、役得だと思ったことがある。著者が演劇評論家、特に歌舞伎に詳しいこともあって、歌舞伎における名台詞(せりふ)のうち食べ物に掛けた台詞の解説が付されている。知っていたことも多いが、初めて知ったことも結構あった。
 

 

 


オオカミの護符

2012-01-18 08:25:21 | 日記

小倉美恵子著  新潮社刊

不思議な読後感を持つ本だった。メインテーマはタイトル通り、細長い紙にの上部右側に「武蔵国」、中央に「大口真神(オオクチマガミ)」、左側に「御嶽山」、下部にイヌの絵が刷られている護符のルーツ、その意味、それを配布している神社をめぐる探訪記である。日本全国に同種のものがあるそうだが、著者が探訪したのは主に関東甲信である。
ところが、記述される地名は旧国名、武蔵国、相模、信濃国、以下甲斐、上野、下野とまるで江戸時代にタイムスリップしたようなのである。そして、それが少しも違和感がなく、というよりとても馴染んでいるのである。この護符のイヌは人々には「オイヌさま」と呼ばれているが、正体は約百年前に絶滅したニホンオオカミであることが分かる。それが護符に描かれるようになったのは、畑を荒らすクマやシカ、イノシシの天敵だったからである。世間一般には害獣であるオオカミが、お百姓にとっては畑の守り神・味方だったのである。険しい山々にしがみつくように寄り添う茅葺屋根の家と、お百姓の姿が目に浮かぶようではないか。
取材の結果、いろいろなことが明らかになる。護符を発行する神社の中には、ニホンオオカミの頭蓋骨や骨、毛皮が保存されていること。神社だけでなく、講中の人達の中にもそれを保存していることだってあるそうだ。
もっと驚いたことがある。それは、鹿の骨を焼いてその年の豊凶を占う太占(ふとまに)をする神事をしている神社があったことだ。一社はなんと武蔵御岳神社。もう一社は群馬県富岡市の貫前(ぬきさき)神社。太占には文献だけのことだと思っていた。
読了して思ったこと。それは人と生き物、そして神々が寄り添って生きていたのだなぁ、ということだった。                                                  ぜひぜひ読んでいただきたい。


科学嫌いが日本を滅ぼす -「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶかー  

2012-01-15 14:56:54 | 日記
竹内 薫著  新潮選書

『ネイチャー』と『サイエンス』を切り口にしたのは、面白い。こういう比較が出来るとは思ってもいなかった。
しかし、タイトルの「科学嫌い」の根拠に「化高地低」「生高物低」を挙げているのには異議がある(勿論、著者が象徴的な例として挙げているのは承知の上だが)。この傾向は科学に限ったことではない。国語や数学・社会においても同じだろう。かつては、国語には古文・漢文・文法・現代文が必須であった。社会にしても世界史・日本史・地理・政治が必須であった。
彼等は物理や地学が「嫌い」なのではなく、「選択する自由」を狭められているのである。「好きな学科二つでいいですよ」「大学を合格したかったならば生物と化学が有利ですよ」と親切に? アドバイスされた結果なのである。子供達に選択の幅を狭めたのは、文部省であり、教育審議会であり、雨後の筍の如く設立された大学の経営者である。子供の頭は「詰め込み」には、ある程度柔軟性があるものなのだ。ほんの数十年前までそれが当たり前だった。頭の片隅に残っていれば、大きくなっても関心を持つことが出来る。何もないところからは、何も生まれない。こうした状況が解決しないと、著者が望んだような世の中にはならない。
話は替わる。化学論文の発表が、英文主流になったという話。著者は「日本の科学者であるならば、まず日本語で理路整然と論理を展開できること」が第一要件であって、英語が苦手であれば、優秀な翻訳者・通訳にその責を任せるべきだと言っているが、私は大賛成である。すでに日本には著者のような優秀な帰国子女がたくさんいるのだから。
著者は忘れたが『英語が話せてもバカはバカ(多分こんなタイトル)』という本があったことを記憶しているが、その通りだと思う。日本語をろくに話せない子供に英語教育しても意味はなかろう。
どうも著作とは、随分離れたことを書いてしまった。お許しを……。

セックスと科学のイケない関係

2012-01-13 14:38:25 | 日記
メアリー・ローチ著  NHK出版

タイトルに魅かれて買ったわけではない。前回紹介した『わたしを宇宙に連れてって』の彼女の軽妙洒脱な文章、女性にはめずらしいセクシャル・ブラックユーモア(という言葉があるかどうか知らないが)をもう一度読みたいと思ったからだ。期待は裏切られなかった。テーマがテーマだけに当たり前か。
本書でわかったこと。そのひとつは「人類にとってセックスは永遠の悩み大きなテーマなのだ」ということ。しかも、洋の東西、時代を通して共通なのである。とても笑えない話もあるが、このブログを読んでいる方にも該当する話もあるので、詳細は省きます。つまり、そのくらい人類全般に普遍のテーマだと言うことです。
もうひとつは、著者が好奇心旺盛なこと。取材で得たことを確認するために、自ら試したり(時には夫君を引きずり込んで、オーガズムの際の肉体的変化のために実験台に上ってしまう)している。その勇気(というか蛮勇というか)には驚嘆する。
小難しいことは脇に置いておいて、面白く読める本です。ここに紹介されている治療法を試してみたい時があるかもしれませんが、その時は彼女のブラックユーモアを真剣に読むことをお勧めする。



摂関政治 シリーズ日本古代史⑥

2012-01-11 08:47:11 | 日記
古瀬奈津子著  岩波新書

第⑤巻を読んだのは昨年の6月29日だから、最終巻の本書が出るまで約半年待ったことになる。これほど間が開くと、本書を読む前に前5巻の目次を読み直さなければならなかった。ところで、本書にはこれまでの通説に反して、最新の研究成果に基ずく歴史展開が解説されているので、読んでみる価値は十分ある。
平安時代の後期の主役と言えば藤原道長であるが、これまでは王権の簒奪者という評価が一般的であった。しかし、本書ではまったく違う展開が解説されている。
まず、第一点。道長は太政官制を無視して摂関政治体制を創ったが、この意味は大きい。というのも太政官に属する人々は天皇家創立に協力した古代豪族の末裔だったということ。つまり、天皇家の「同志・お友だち」が専制する朝廷を、律令制に基ずく国家体制に舵を切ったということ。
第二点。この結果政治権力の枠組みから天皇家が徐々に排除され、その後の院政期を最後に政治権力は摂関家に移行した(院政時代も実質は摂関家が握っていた)ということ。
先取りすれば、この後は平氏を経て鎌倉・室町・江戸時代を通して征夷大将軍=武士階級が政治権力の中枢を担っていく端緒となった。
しかし、天皇制は消滅しなかった。何故なのだろう? それを説明する責は著者にはないのは分かっているのだけれど……。つまり、平安時代をもって、日本の古代は終焉したのである。
全六巻を通して言えることは、平安時代とは「日本」という国号を確立し、唐の律令制を日本風にアレンジしながら「天皇を中心」に国家体制を成立させた時代だった。もしくは、その後の日本の統治体制の骨格を創った時代だった、と言っていいのかもしれない。



パスタでたどるイタリア史

2012-01-09 15:16:28 | 日記
池上俊一著  岩波ジュニア新書

パスタが好きな人は多いと思う。パスタ(スパゲッティ・ラザーニャ・マカロニなどいろいろあるが)は、同時にこれらパスタはイタリア料理の代表でもある。
ところで、質問。「パスタ」と「イタリア(国・人・料理)」、どちらが古い言葉だと思いますか?
答えは、「パスタ」。4世紀末にはラザーニャに似たレシピが表れている。イタリアは1861年にビィットオ・エマヌエレ二世がイタリア王国の初代王になり、「イタリア」という言葉が認知されたそうである。
本書は、タイトルが示すようにパスタの歴史を辿ることで、イタリアの歴史(政治・経済・文化・もちろん料理)を描こうと言う意図のもと執筆されている。その目論見はある程度成功しているのではないか。
本文中に、イタリア各地方のパスタ料理がコラムで紹介されている。形状・材料・味付け様々でなかなか面白い。パスタが好きな人には必読のコラムだ。

追記 パスタのソースで言えば、日本で創作されたものもあるそうです。納豆、明太子、餡子スパゲッティもあるそうです。こうしたバリエーションは各国にあるのでしょうネ。……餡子はブラフです。でもありそうな気がして……。