右利きのヘビ仮説

2012-04-27 16:44:54 | 日記

細 将貴著  東海大学出版会

サブタイトルは「追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化」。これで本の内容が見当ついた人は、かなりの生物学通。私も相当なオタクだが、さっぱり見当がつかず本書を買ってしまったというわけ。
本書の基本的テーマは「右利き・左利きが何故存在するのか」ということ。人間はもとより、自然界には左右非対称な生き物が存在する。海辺でよく見かけるシオマネキの巨大なハサミ脚はどちらか一方だし、しかも左と右にある比率は半々ではない(進化論から言えば、どちらかが自然淘汰されていい筈。ヒトでも圧倒的に不利な環境にいる左利きはね相変わらず存在している)。どちらかに偏っているのだ。実は、これがすっきりと解明されてはいないらしい。ヒトの全ゲノムが解析された今では、とっくに解明されたと思っていた。
それにしてもだ、その研究材料にヘビとカタツムリ? もう少しポピュラーな生き物にしてほしかった。正確に言うと、ヘビはイワサキセダカヘビ、一方はクロイワヒダリマキマイマイ。ご存知でした? 専門家に言わせると、この着眼点はユニークだったようだ。かくして著者は、右利き・左利きの発生に「ヘビ仮説」を立てて研究を進めたようだ。このプロセスがとても面白い。
どうやら当初に立てた仮説を十分立証できなかったようだ。それでも、かなりな評価を得たそうである。それでいいのだと思う。著者はまだ若い(1980年生まれ)。失敗するチャンスは充分ある。失敗が許されない高齢の学者が歯噛みするくらい。
異次元を遊べる楽しい本です。

 

 

 


閉じこもるインターネット

2012-04-24 15:01:18 | 日記

イーライ・パリサー著  早川書房刊

サブタイトルは「グーグル・パーソナライズ・民主主義」。まず、メインタイトルについて。原題の「Тhe Filter Bubble  What the internet is hiding from you」の直訳の方が良かったのではないか? 邦題も「インターネットに閉じ込められて」の方が分かり易いと思うのだが…。
インターネットについては殆ど門外漢に等しいので、詳しいことについては書けない(なにしろ、カタカナ言葉が多すぎるので)。しかし、一言でいえばインターネットを多用している人達は、知らず知らずに「類は友を呼ぶ」現象に囲い込みされている、ということなのだろう。
フェイスブックのように自ら個人情報を公開して、同じような意見・嗜好を共有している人たちに囲まれる場合もあるし(これをアイデンティティーはひとつというそうだ)、ヤフー・グーグル・ユーチューブ・マイクロソフトライブなどのサイトが、どの情報をクリックしたかをカウントし、そこからあなたのプロファイルをイメージし、あなた好みの情報だけをを配信するようになる。便利だし、苦労して情報を探す手間は省ける。これをパーソナライされたフィルターという。
しかし、このデータは企業に売られているのだ。企業にとってどちらの場合も好都合な情報源である。効率のいいピンポイント広告を打てるからだ。しかも、園芸や料理といったホビーに関するものならば、同好の士と友達になれる。その代わり、嫌と言うほどそれらに関する広告も見させられる。
しかし、これが国際政治・宗教・自然保護活動といったジャンルになるとどうだろうか? 商品広告ならば買わなければいい(欲求不満は残るだろうが)。しかし、これが選挙や国際紛争になった場合はどうだろうか。類を同じくする友に囲まれていては、知らず知らずに一方的な主張に誘導される可能性が高いのではないか。
インターネットは広い視野を持てるツールであるが、ヤフーやグーグルといつたサイトは皆、パーソナライゼーションを事業の戦略の中心に据えているのだ。我々はインターネットで自由に振舞っているつもりだが、実は「インターネットという監獄の囚人」なのかかも知れない。インターネットを多用している人は、ぜひとも読んだ方がいい。その上で、あなたの「使い方」を考えるべきだろう。 


バイオパンク

2012-04-21 09:11:36 | 日記

マーカス・ウォールセン著  NHK出版

サブタイトルは「DIY科学者たちのDNAハック!」。若干の用語解説が必要かも知れない。「バイオパンク」とはバイオテクノロジーとパンクミュージックの合成語。「DIY」は、do it yourselfの略。「ハック」はコンピュータ分野でいうハッカーではなく、「土を起こす」つまり「掘り起こす」という意味に使われている。
痛快な本である。単純に言えば、今日のバイオテクノロジーは政・官・産が研究者や研究成果を囲い込みしている状況に叛旗を翻した人たち「DIY科学者達」のルポルタージュである。つまり、自然界に存在するものを研究するのに、特許だとか知的財産権で囲い込みしていいのか、という発想である。ニュートンは「万有引力の法則」を特許申請したか、アインシュタインは「特殊相対性理論」を特許申請したか、というわけだ。
バイオパンクとは、そのような垣根を無視して研究している人たちである。勿論、政官産のように莫大な金のかかる施設や装置はない。身近にある有り合わせの機材を組み合わせて、(原理的に同じ成果を挙げられる)実験装置を作り研究している。所謂、キッチンラボ・ガレージラボである。
彼等にはふたつの特長がある。ひとつは、研究成果を独占せず、公開してしまうこと。もうひとつは、特許も申請せず、金儲けも頭にないことである。彼等は、純粋に知りたいという情熱だけで研究しているのだ。誰でも素人でも研究は工夫次第で可能だし、成果も生み出せることを立証している。特に痛快なのが、第7章「遺伝子組み換え作物はだれのため? インド農民vs巨大バイオ企業」。
まっ、「こんなことも有り!」なんだと思うだけでも楽しい本。

 

 

 

 

 


ビルマからの手紙 1995~1996 ・新ビルマからの手紙1997~1998/2011

2012-04-18 09:05:08 | 日記

アウンサンスーチー著  毎日新聞社刊

前書は、増補復刻版。
出来れば避けておきたい本だった。というのも、彼女に関する本を読めば嫌でもこの国を占領した日本(1942)の蛮行を読まざるを得ないからだ。大昔、『ビルマの竪琴』という本があったが、読んだ後、暗澹たる気持になったことがある。そして、このことが彼女の人生に大きな影を落としているのだ。
アウンサンスーチーは素晴らしい女性だと思う。度重なる自宅軟禁にも屈せず、民主主義の実現のために頑張り通した不屈の精神力は驚異だ。ビルマの再生に命を賭ける姿には、凄まじいくらいの迫力がある。これ以上は書けない。とても私の拙い表現力では、本書の言わんとしていることを損ないかねない。
その彼女の日本に対するメッセージは、次の言説に尽きる。少々長いが引用してみる。
「自分たちの懐を豊かにしたいと思ってビルマにやってくるビジネスマンを観察していると、果樹園のなかであえかな美しさにひかれて蕾を乱暴にむしり取ってしまい、略奪された枝の醜さには目が行かず、その行為によって将来の実り多い収穫を危うくし、樹木の正当な持ち主に対して不正を働いているという事実に気づかない通りすがりの人を見るようなところがある。こうした略奪者の中に日本の大企業もいる」。
分かって貰えるだろうか。目先の利益に惑わされず、ビルマの人々の真の幸福を願っている彼女の想いを……。日本は同じ愚行を繰り返してはならない。

 


江戸めしのスゝメ

2012-04-16 14:52:27 | 日記

永山久夫著  メディアファクトリー新書

滅多に読まないジャンルの本。
サブタイトルは「300年前の日本人が実践していた『史上最強の食生活』」。著者は江戸時代の人々が、如何にバランスのとれた食生活をしていたかを丁寧に説明してくれる。今日の食生活のアンバランスが、様々な病気の原因になっていることを考えると、とても参考になる。
とは言っても、現代では化学調味料を使った食材を避けて通ることは到底無理な話だが、著者は「せめて旬の食材を食べるように」と勧めている。しかし、野菜や果物について言えば、旬は今はない。ハウス栽培が当たり前だからだ。いや、肉も魚介類も養殖が殆どだ。そこでは化学肥料や合成飼料が使われている。これが食害の原因である。
そこで著者は「コンビニに並んでいる食品で江戸時代にはなかったもの、例えばおにぎりで言えばツナマヨネーズや焼肉のおにぎりは避けよう。江戸時代にマヨネーズや焼き肉のタレはなかったから。おかか、鮭、梅干を選べば立派な江戸めしだ」と言っている。
そして、野菜や果物で言えば「今は旬が分かりにくいが、せめて植物図鑑で調べるくらいの努力はしなさい。ハウス栽培ではなく、露地ものを食べるように」ともアドバイスしている。なかなか参考になる。いや、一部の主婦の方たちは実践していることなのかもしれない。
蛇足だが、「江戸めし」という言葉、あまり賛成できないなぁ。少々下品な感じがする。上手い言い廻しを考えて欲しかった。


望遠ニッポン見聞録

2012-04-13 10:04:02 | 日記

ヤマザキマリ著  幻冬舎

もうすぐロードショーされる『テルマエ・ロマエ』の著者。17歳でイタリアに油絵修業のために留学、超極貧生活を送り、一時帰国。再びイタリアに行き、イタリア人と結婚し、夫の実家で暮す。それからシリア、ポルトガルと移住し、現在はシカゴ在住。異国歴十数年。日本にはたまに帰るだけ。勿論、旅行好き。アマゾンもインドもラサにも足を運ぶ。怖いもの無し。職業は漫画家(肝心の油絵はどうなっているのか、書いていないので分からない)。そんな女性が異国から、望遠鏡で見るように見た(つまり、外国を見るように母国を見ている)日本と外国との文明比較エッセイ。
本書を要約すると、こんな風になるか。トラベラーズと、その国で生活するということは、当たり前だけれどかなり違う。つまり、本書で語られていることは、「感想」ではなく「実感」なのだ。詳しい内容は書きません。しかし、膝を叩いて納得できる話のオンパレードです。

 

 


驚きの介護民俗学

2012-04-13 09:14:15 | 日記

六車由美著  医学書院刊

「介護民俗学」というのは、著者の造語。
現職は介護職員だが、本職は民俗学の研究者。
民俗学のフィールドに、特別養護老人ホーム内デイサービスという場を選んだのは慧眼だと思う。従来の民俗学は「ムラ」をフィールドにしていた。つまり『遠野物語』の世界。一方、介護センターでケアを受けている人たちは、大正から現座を生きてきた人達だ。彼等が著者に語ることは、日本の近世史の個人の記憶だ(それも庶民の)。三世代同居というシステムが崩壊した今日では、彼等が経験したことは次の世代に伝わっていないだろう。ここが大切だ。
日本の近世を「民俗学」という視点で研究できる、ぎりぎりのタイミングかも知れないからだ。
ただし、著者がこれを出来たのは、研究者であったこと、博士号を持ち、大学の准教授だったというバックボーンが大きいのではないか。著者は、民俗学を学んだ学生がこのフィールドに進出することを望んでいるが、これは、かなり現実離れしている。低賃金、慢性的な人不足、ハードな環境の中で「聞き取り」などは到底無理というものだ。唯一の方法は著者のようにデイケアセンターに就職し、尚且つ研究者であり続けることだが、可能だろうか? ハードルが高すぎる。
もどかしいのは、著者がそれまでのキャリアを捨てて、介護の世界に飛び込んだ動機が本書には書かれていないことだ。後書きに「大きな存在を失い、絶望なかでさまよい歩いた末にたどり着いた先」と書いているが、飛び込んだ時にこうした成果が得られるという予想はなかった筈だ。その辺も書いて欲しかった。

 


恩返し -不死鳥ひと語りー

2012-04-10 15:32:42 | 日記

桂 歌丸著  中央公論社刊

歌丸がもうこんな歳(1936年生)になっていたとは、思いもよらなかつた。「笑点」全盛時代はまだ二ツ目だったことも…。「笑点」が始まった頃は、ラヂオ局がどこも落語や浪曲番組を持っていた。銭湯に行けば、浪曲を唸っている年寄りが一人や二人いるのは当たり前だった。
「桂歌丸」が初代だったことも、初めて知った。てっきり「何代目桂歌丸」だと思っていた。一代でこれだけの大名跡にしたのは現代で言えば、歌舞伎ならば坂東玉三郎と中村勘三郎(先代)だが、まさか噺家でここまで名跡を挙げた人とは思わなかった(だって、噺家の名人というとアクの強い、風格・押し出しの際立った人が多いでしょ。歌丸はほど遠い)。
タイトル『恩返し』、いいタイトルですねぇ。もう死語かと思っていた。と、正直思ったのだが、もしやすると彼の風貌からくる『(鶴の)恩返し』の洒落かもしれない(相手は噺家、油断はできない)。
本書の中で感銘を受けたフレーズがある。「落語の観客を残すのだって噺家の責任です」。「噺のネタを私たちの代で減らしてはいけません」と並んで、落語芸術協会会長・桂歌丸の言として聞くと重みがある。

 

 

 


理系の子

2012-04-09 14:56:14 | 日記

ジュディ・ダットン著  文藝春秋刊

サブタイトルは「高校生科学オリンピックの青春」。今の若い世代に「期待が持てる」と実感させてくれる本。本書はサイエンス・フェアの国際版「インテル国際学生科学フェア」出場を目指す理系高校生のノンフィクションである。
この大会に出場できるのは、地方大会、州大会、あるいは国大会で入賞した者に限られる。そのプレッシャーたるや並大抵のものではないらしい。
本書を読んで気がついたことがふたつある。
ひとつは、天分があるだけではダメなのだ(なにしろ、ここに登場する高校生は天才としか言いようがないし、大人顔負けの強靭な意志と継続力を持っているのだ)。この天分に気がついてくれる大人が必要なのだ。それが親かも知れないし、教師、牧師、リタイアした学者かも知れない。高校生は天才かも知れないが、研究の仕方も世間の常識も知らない。なにしろ若いから、挫折から立ち直る術も当然知らない。それを見守り、リードし、励ましてあげる大人が絶対必要なのだ。
もうひとつ。それは入賞者に対する賞金の多額なことである(総額にして日本円で三億円。研究内容によっては政府機関や企業からも賞金が出る)。さらに大学四年間の授業料が免除されることもある。天分があれば、性別、人種、貧富、国籍を超えて大学で専門教育を受けられるのだ。このシステムがアメリカの科学者の層を厚くしている。
日本からの参加者もいるし、入賞者もいるそうだ。今年はピッツバーグで開催され、出場者も決定している。
翻って日本は? 考えたくもない。日本では間違いなく「出る杭は打たれる」。そうでなければ「鳶に攫われる」。日本のノーベル受賞者が日本を脱出して、海外で研究しているのはこのためではないか。


股間若衆

2012-04-05 14:53:39 | 日記

サブタイトルは「男の裸は芸術か」。メインタイトルとの格差に驚くのではないだろうか? 要は日本の近代彫刻、特に男性裸像の「股間」をどのように表現してきたか、その経緯を記述した美術の専門書。写真も豊富で解説も容易に理解できる。
それにしても、タイトルである。私などはサブタイトルをろくに見もしないで、股間若衆→色子→蔭間茶屋→新宿二丁目と妄想してしまったほどだ。
各章のタイトルもセンス抜群である。股間若衆(一章 古今和歌集のもじり 以下同じ)、新股間若衆(二章 新古今和歌集)、股間漏洩集(三章 和漢朗詠集)、股間巡礼(付録 古今巡礼 著者のオリジナル?)。この洒落具合なんとも言えない。
タイトルに呼応するように文章も洒脱だ。著者も「こんな話を『ぱンツの面目 ふんどしの沽券』を残してくれた米原万理さんと話してみたかったな。その十四章「イチジクの葉っぱはなぜ落ちなかったのか」は、本書と関心を完全に共有しているからだ」(104頁)と言っているが、その通りだと思う。シモネタを扱いながら、これだけの内容を書ききる技はなかなかのもの。もっとも、米原万理の方がもっと執拗だが……。
男性裸像の彫刻について一家言を持てること請け合いの本。