樅の木は残った  上・中/下 読み返した本  11

2011-04-30 15:32:20 | 日記
山本周五郎著  新潮文庫

「口外してはいけない」ということを守ることが、如何に難しいことかを実感させられる本。
テーマはいわゆる「伊達騒動」。歌舞伎の「先代萩」「伽羅(めいぼく)先代萩」で有名なので改めて紹介する必要はないと思う。
主人公・原田甲斐は非情な男である。同時に藩の存続に決死の思いを持つ、熱血漢でもある。彼は仲間との密約を決して口外しない。しかし、同盟を誓った仲間は、原田甲斐の余りの口の堅さに疑心暗鬼になる。「我々は仲間なのだから、もう少し腹を割ってもいいのではないか」というわけだ。
ここだ。一旦、「口外しない」と誓ったのだから、それを守るのが当然のことなのである。甲斐は、その約束に殉じて横死する。
考えてみて欲しい。最近の贈賄事件といい、特捜検事の証拠捏造事件といい、裁判になるとポロポロしゃべりまくる。白を切れと言っているのではない。そうしたことの裏には、それなりの信念があった筈なのだ。
根性がないと言いたいのだ。つまり、すこぶるつ付きの悪人が居なくなった。逆に言えば、すこぶる付きの、信念を持った人間も居なくなったのだ。
誰でも一生抱えていかなければならない荷物がある筈だ。それも人には決して言えないことが。それを、ペラペラ喋ってしまったら……。昔、『わたしは貝になりたい』という小説と映画があったのを思い出す。



ガセネッタ&シシモネッタ   読み返した本 10

2011-04-28 16:21:16 | 日記
米原万理著  文春文庫

『曲り角の日本語』を読んだ後、ふと思いついて同書を読み返した。ロシア語通訳者である著者が、異言語を日本語に通訳することが如何に難しいかを、ユーモラスにかつ辛辣に書いた本でなかなか面白い。
その中で文章を速読する時は、他の異言語で書かれたものに比べ日本語で書かれたものの方が6倍速い、という意見をみつけた。これは英語、フランス語、イタリア語、ロシア語などの通訳者も同じ意見だという。
「当たり前だろう!」と思うかもしれないが、そこには他言語と日本語の間に大きな違いがある。欧米語は表音文字で書かれている。しかるに、日本文は表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな、カタカナ)混じりで書かれている。つまり、文中の主な表音文字を拾い読みすればおおよその内容は分かるし、文末を読めば主題を肯定しているか否定しているか分かる(実はここが同時通訳者がいつも悩ましいことなのだという。日本人の話は終わるまで肯定か否定か分からないからだ)。つまり、欧米語ではまず最初に「アイ ドント ライク」という風に結論が頭に来ますからね。
ところで、日本文の読み易い基準は漢字が全文の三割位がよいと良いと言われている(40年くらい前は45%近かった)。思い当たることありませんか。『三国志』は読みにくいですよねぇ。漢字が七割あるんじゃないか。同時に、日本の現代文学、七割がひらがなとカタカナ(外国語、それの省略形、今風のスラング)で書かれている。一体何を言いたいのかさっぱり分からない。
つまり、こうした文体は速読には向かないというわけ。欧米語そうなのですね。表音文字だけの文章は、日本人には向かないということです。
何を言いたかったのかな?

新恐竜 -進化し続けた恐竜たちの世界ー

2011-04-26 09:03:58 | 日記
ドゥーガル・ディクソン著  ダイヤモンド社刊

これは「大人の絵本」である(いや、子供でも十分楽しめると思うが、誤解を招きやすい)。
というのも、本書は、「白亜紀末期の大量絶滅はなかつた。つまり、中生代の1億5000万年のあいだ勢力を伸ばしていた動物達は、少なくてもあと6500万年、そのまま進化し続けた」という前提で書かれているのだ。となると、頭に浮かぶのはコナン・ドイルの『失われた世界』だと思うが、本書は妄想で書かれた荒唐無稽なものではない。
生物学でいう進化の法則や、動物地理学(こういうジャンルがあるのを初めて知った。著者の専門分野でもある)に基づいた「この前提であれば、こう進化したはずだ」という推測に基づいている。
それだけに、あまりにリアルなので、つい前提を忘れて「もしかしたら、本当に出会えるかもしれない」と、錯覚してしまう所がたのしい。地球の各動物区ごとに進化した恐竜が説明されているのだが、そのイラストが素晴らしい。迫力満点だ。
できれば、家族が出払って留守番をしている時か、書斎を持っている人にお勧めしたい。私だったら、テーブルにはブランデーなぞを用意するな。文句なく楽しめる大人の・男の絵本である。もっとも、身近に恐竜めいた者がいたりして(いますよね、恐ーなんていうの)、「読まなければよかった」と感想をもたれたとしても、責任は取りかねますが……。

曲り角の日本語

2011-04-24 15:40:52 | 日記
水谷静夫著  岩波新書

著者は余程「慎み深い」方らしい。私は疾うに「日本語は、後戻りできない曲がり角を曲がってしまった」と、思っている。
おそらく、著者が強調しているように「国語審議会」とやらが、よろしくない。詳細は本書に任せるが、この頃の日本語はひどい。私が子供の頃使っていた日本語とは別物という感じがする。親父やばあさんが生きていたら、殴られるか口をつねられていたに違いない。
というわけで、著者の言わんとすることすら、分からないのではないかと危惧してしまう。これが徒労に終わらないことを祈りたい。
本書と一緒に、水村美苗著『日本語が亡びるとき』(筑摩書房刊)を読んで欲しい。こちらは「曲り角」どころではなく、「亡びるとき」である。
もう、誰がこの危機を実感し、正しい日本語を復活させようとしているのか。国語審議会の連中が牛耳っている限り、希望はない。我々は座してそれを見ているか、古典を読んで「そう、そう、この言葉はこう使うんだよなぁ」とノスタルジー浸るか、そのどちらかだろう。
私が、現代小説(直木賞や芥川賞その他の受賞作品を含めて)を読まない理由も、ここにあるのだが……。

高峰秀子との仕事  1・2

2011-04-23 09:51:50 | 日記
斎藤明美著  新潮社刊

1のサブタイトルは「初めての原稿依頼」、2は「忘れられないインタビュー」。
人はこれほどまでに解り合えるものなのだろうか。22年に及ぶ月日の流れが必要だったとしてもだ。
最初に著者の本を読んだ時「とおちやん、かあちやん」と高峰・松山夫妻を呼ぶことに違和感を憶えた。他の人は知らず、どれほど親しくなったとしても他人を「とおちやん,かあちゃん」と呼ぶ仲になることは、まず、ない。
しかも、著者と夫妻の関係は決してベタベタしたものではない。それは夫妻の人生が甘えることが許されないものだったことに由来するのだろうが、著者は砂に水が滲みこむように我が物にしていく。一介の取材記者とインタビューされる者の関係がここまで行き着くことなど想像もできない。
養女に迎えようと決心した夫妻、養女なれることを幸せに思う著者、多少意味は違うが「琴瑟相和す」とはこうしたことを言うのではないだろうか。夫妻を尊敬し、慕う著者、少しでも一人前の人間に育てよう根気よく導く夫妻。とても、今の時代には求めて得られるものではない。というか、稀有なことだ。「幸せな人たち」としか言いようがない。
蛇足だが、著者の文章がいい。インタビューや座談をまとめる力が凄い。相手をきっちりと把握しているからなのだろう。その場の雰囲気は勿論、話している人の人柄までわかる。
今回は著者について書いてしまったが、高峰秀子も松山善三氏も素晴らしい人たちで、こんな人たちはもういないのではないかと思い、もう少し早く生まれて来るのだった、臍をかんだ噛んだ次第。ぜひぜひ読んで欲しい。


徳川幕府対御三家・野望と陰謀の三百年

2011-04-21 15:22:12 | 日記
河合敦緒   講談社α文庫

タイトルを見て、時代小説とくに江戸時代に精通している読者には、およそ内容は見当がつくはずである。その意味で目新しいことは書かれていない。例えば、水戸藩祖の頼房は「御三家とは、徳川将軍家、尾張家、紀伊家のことをいうのだ」といったことは、読者の多くが承知している。なにより拍子抜けするのは「暗殺とか陰謀というものは、記録に残っていないから陰謀であり暗殺なのだ」と言い切られてしまつたら、読者はその先にはいけない。
そのあとは「ーーと思う」「ーーと確信する」といつた、著者の憶測が羅列される。せめて、各藩の藩史を詳細に調べて、推測を裏付ける根拠を綿密に追って欲しかった。

日本は世界第4位の海洋大国

2011-04-20 16:28:21 | 日記
山田吉彦著   講談社α文庫

日本が海に囲まれていたことが、どれほどのことだったかはユーラシア大陸の歴史を見れば一目瞭然だろう。海という国境があったからこそ、日本は外国に侵略されることはなかった。
しかし、その海を経済的に評価するのに「排他的経済水域」「領海」という国際条約があるのは知っていたが、「海水の体積」という要素も考慮しなければならないとは、本書を読んで初めて知った。排他的経済水域では世界第5位、海水の体積では世界第4位、つまり海を三次元で考えようというわけだ。
確かに海は資源の宝庫だ。漁業という意味だけではなくもっと多くの資源があるのだ。詳しくは本書にゆずるが、海水にはウラン、コバルト、メタン、チタン、モリブデンといった有用金属資源が含まれているし、海底には金、銀、銅、亜鉛といったものもゴロゴロある。
ただ、本書を読んで気になったことがひとつある。これらを実際に手にするまでには様々な研究と資金が必要だ。著者は採算性が取れると確信を持つまでは、企業は事業化に乗り出さないと思っていることである。そう悲観したものではないのではないか。「百年の計」とは言わないが、30年、50年の長期スパンで投資しようという企業もあるのではないか。国家が長期スパンの政策を持つのは当たり前だが、今の政界を見るとそれも覚束ない。ここは、民間が手を挙げるより仕方ないような気がする。
あと問題になるのが、韓国、中国、台湾、北朝鮮、ロシアといった国々との領土問題だが、もちろん政治的駆け引きも大事だが、著者も指摘するように経済力というソフトパワーもこれを打開する手段になるのではないか、という意見は一考の余地があるように思える。
いずれにせよ、これからの日本は、海洋資源立国というビジョンを持たなければならない、という主張には諸手を挙げて賛成したい。まずは、若者の目を海に向けさせることですかねぇ。

移行化石の発見

2011-04-18 14:53:22 | 日記
ブライアン・スウィーテク著  文藝春秋刊

この本を手に取ったのは、著者略歴による。著者はラトガーズ大学在学中、教育実習で小学生にクジラの進化について教える準備をしていたところ、校長から面倒を起こすようなことはやめてほしいと横槍が入ったそうである。それをきっかけに進化生物学を志した、と言う記述による。その反骨精神にひかれた。
知る人は知っていることだが、アメリカで進化論を信じていない人が40%、州によっては60%を超す。進化論を教えた教師が有罪判決(罰金100ドル、金額はともかく教師にとってはその州での教職からスポイルされたに等しい)を受けたことさえある。「自由」を国是としているアメリカにしては、不思議なことではある。

話はかわる。ダーウィンが『進化論』を発表した時、彼を悩ましたのは進化の移行を示す証拠(化石)が十分でなかったことだ。当時を考えれば無理もなかったのだが。それが今や様々な証拠が発見されている。とくに21世紀に入ってからの成果は目を見張るものがある。これは学際を越えた遺伝学や分子生物学の協力が大きい。
著者はサイエンスライターとしての能力を十分発揮して、それらを紹介してくれる。進化論に興味がある人にとって、21世紀に入ってからの数々の発見を十分楽しめる。特に2009年に発表された「私達と進化の歴史をつなぐミッシングリング」だとされたイーダと呼ばれる化石が、アダピス類(キツネザルの仲間)でしかなかったことが判明した事情なかなか面白い。一読の価値あり。

上弦の月を喰べる獅子  上・下

2011-04-16 08:54:19 | 日記
夢枕 獏著   ハヤカワ文庫

夢枕獏である。螺旋である。ウロボロスの環である。色即是空である。須弥山(すみせん)である。兜率天(とそつてん)である。弥勒菩薩である。そして、南無妙法蓮華経である。お馴染みの夢枕獏ワールドである。
身構えせず、ただただ、物語の展開に酔うだけでいい。それにしても、よく勉強していると思う。仏教を。このジャンルを「仏教ミステリー」と言っていいのかよく分からないが、夢枕獏独特の世界というか、彼しか書けないジャンルではないか。

但し、彼の本を読む時にはコツがある。面白そうだと思ったならば、初刊は買わないこと。「完結」と広告されてから読み始めるといい。下手をすると、17年も待たされる。

知性誕生

2011-04-14 15:15:42 | 日記
ジョン・ダンカン著  早川書房刊

内容的には、非常に面白い本。
ところで、書名『知性誕生』は概ね正しいと思うのだが、少々違和感を憶える。原題は『how intelligence happens』である。オックスフォード英語中辞典によれば、intelligenceとは「the power ofseeing,learning,understanding,andknowing,mental ability」とある。そして、本書の構成もほぼこれに従って展開されている。だからこそ、脳の話が中心にもかかわらず「眼の誕生」(目とニューロン)についても記述されているのだろう。
つまり、人類の頭脳のなかで、これらの能力がどのような発達段階を経て獲得されてきたのか、しかも今なお欠陥を持っていて、完成には程遠い段階だあると言っている。
言いたいことは、タイトルは素直に『インテリジェンスは、如何に誕生したか』とした方が理解しやすかったのではないか、ということなのだ。
最高の知性(インテリジェンス)とは、「整然とした明瞭な思考の構造が見え、そこでは、関連するすべてのことが最適の位置に組み立てられている。それぞれが最適の行動選択と最適の結果をもたらす」ことだろう。ところが、例えば肺癌の治療法で、手術はより効果的であるが、放射線治療では誰も死亡しないが、手術では患者の10%が死亡する。あなたはどちらを選ぶ。実際の実験では約65%の人が手術を選んでいた。では、バージョンを変えて、手術はより効果的だ。治療行為自体に関しては、放射線療法後100%の患者が生存し、手術後90%が生存する。この時、手術を選んだ人は85%に跳ね上がった。
この問題が論理的に同じであることが問題なのではない。「死亡」という言葉に引きずられてしまうのだ。お分かりだろうか。自分の立場、主張、目先の欲によって、同じ確立の問題ですら違う答えを出してしまう。我々が、最高の「知性(インテリジェンス)」を持つには道遠しということらしい。