FBI美術捜査官 ー 奪われた名画を追えー

2011-09-29 14:46:31 | 日記
ロバート・K・ウィとマン ジョン・シフマン著  柏書房刊

「事実は小説より奇なり」を地で行く本。タイトルから予想が付くと思うので、内容については書かない。気がついたことが2点。
ひとつは、美術品泥棒は意外と頭が悪いというか、計画性がない。素人考えだと、先ず買い手の目星を付けて(と言うよりも、買い取りの内約を取って)犯行に及ぶものだと考える。買い手は何処にでも居るものではない。極端なことを言えばピカソの絵が欲しい人は万金を積んでも欲しい物だが、関心のない人にはどうでもいいものだ。
ところが、美術品泥棒は意外にも買い手の目論見を持たないまま犯行に及ぶ。結果として、自ら買値をダンピングするらしい。そして、その辺が逮捕に繋がるポイントらしい。
もうひとつは、盗難美術品の捜査・回収はFBIでは花形部署ではないらしく、彼が指導した部下たちも脚光を浴びる部署に移って行ってしまうそうだ(一部の国を除くと、他の国でも事情は同じらしい)。
著者が強調しているように、美術品や歴史的な遺物を盗まれると言うことは「その国の人々の歴史・文化が盗まれた」ということなのだ。

ご先祖様はどちら様

2011-09-24 15:11:24 | 日記
高橋秀実著  新潮社刊

私も家系図作りに挑戦したことがある(必要に迫られたからだが)。
祖父母・両親・私の世代・子・孫の五世代で手を挙げた。なにしろ時代が違うのである。祖父達の世代では妾は当たり前だった。この段階で母不明の大叔父・大叔母がいたし、父母の世代にも母不明の叔父・叔母が居ると言う状態で、この時点でルーツ探しは止めた。但し、苗字からくる歴史とルーツは文献で調べたが、その結果ルーツの先祖の母上は女性だったが、父上は蛇だった。あぁ~。
著者は自分のルーツを探るために、実にタフに行動する。戸籍を調べるだけで、かなりの時間と費用が必要なのだが、彼は敢えて挑戦している。とくに傑作なのはルーツを辿っているうちに、祖先が源氏と平氏のどちらの系譜も出てきてしまうところだ(私の場合は南朝方と北朝方の両方のデータが出てきてしまった)。
しかし、最後に祖父母の墓参りをし、「祖先が居た」ではなく「祖先は居る」という感想を持つ所が良い。結局、ルーツを探るということは、今、自分が存在しているのは、沢山の先祖が居た結果なのだ。多分、彼の感想は正しいと思う。
文章は、洒脱でユーモアがあり読みやすい。時間があるときに読んでみたらいかが。

マラケシュの贋化石  上・下

2011-09-20 14:59:50 | 日記
スティブン・ジェイ・グールド著  早川書房刊

もし、あなたが17世紀のヨーロッパに居て、化石を発見した時、これが生物の遺骸が石化したものだと主張できただろうか(但し、その頃は人間と動物、植物、鉱物という分類しかなかった。勿論、化石と言う概念も用語もなかった)。
グールドが一貫して主張しているのがここである。現代の知見から判断すると、先人の偉業は理解できないのだ。むしろ、バカバカしい説を唱えた愚か者、見れば分かるじゃないかと思うのが普通ではないだろうか。だから当時の人は、これは鉱物だと主張したのだ。キリスト教では地球もそこに存在する全ての物は神が六日の間に創った物なのだから、それよりも古い生き物の化石などある訳がない(当時、地球の年齢は6000年というのが常識だつた)というのがこの主張の根拠だった。
それが生物の遺骸の石化したものだと認知されるのに、それらしき物が発見されてから200年の歳月が必要だった。グールドは、当時の様々な制約(宗教、政治、学界の権威など)に抵抗して自分の考えを曲げなかった彼等を賞賛して止まない。
グールドの主要な著作で読み残した一冊。彼が死去したと知ってあわてて買った。改めて、彼の学問、研究に対する姿勢に対して感心した次第。このような科学史を書く科学者はまずいない。それが可能だったのは、彼が原典に当たるという姿勢を貫いたからだ。原典を隅々まで読み、さらに行間に隠れている背景を読み取ったからに他ならない(当然ながら、彼はラテン語を初め、独、伊、仏、イディシュ語、他にも何ヶ国語に堪能だったという素養がモノをいったのだが…。というわけで、まず日本にはこういう科学者はいない)。
しかも、こうした努力は裏に隠し、軽妙なエッセイに仕立て上げたところが素晴らしいではないか。

風を見に行く

2011-09-16 15:00:06 | 日記
椎名 誠著  光文社刊

椎名誠の旅のエッセイが爽やかなのは、「郷に入っては郷に従う」を地で行っていることにある。旅にあって、彼は先進国の都会人の我が儘を決して口にしない。「ここではこれが当たり前なのだろう」と納得し、抵抗なく実践する。
ここが良い。そのために酷い下痢に悩まされたり、身体中の湿疹に身悶えたりもする。そして、時には「勇気のいる撤退も厭わない」。だから、読者はその土地、そこに暮らす人たちの息づかいを著者同様に感じることができる。
それにしてもタフな人である。しかし、タフなだけではない。彼の『水惑星の旅』のように、今世界中が直面している水問題を地に足の付いたルポ等は、ちょっと他の人には真似が出来ない迫力があった。
読んでいて、書斎に居ることを忘れさせてくれるエッセイストだ。

アメリカ史の真実  -なぜ「情容赦のない国」が生まれたのかー

2011-09-13 15:37:57 | 日記
C・チェスタトン著  詳伝社刊

本書はコロンブスのアメリカ発見(1492)から、第一次大戦に参加した(1917)までのアメリカ建国の歴史書。見開き左ページ全て(と言っていい)に脚注付きの本。無理もない。この本は1919年に発表されたもので(今から約90年前)、アメリカの建国の歴史なんて我々には分からないから(もつとも、明治維新から第二次世界大戦までの日本の近代史を書くとしたら、やはり同じくらいの脚注が必要かも知れない。特に、若い世代には)、必要だったと言える。
ところで、本書の白眉は「アメリカには中世が欠如している」という指摘である(私は新聞の書籍広告でこの一行を見て買った。でも、監修者の渡部昇一氏もこの本でアメリカ史の見方が変わったと述べているので自慢にはならない)。
「中世の欠如」とは何だろう。象徴的なのは奴隷制度の復活である。他にもあるが。奴隷貿易を始めた英国では、中世に於いて宗教的・政治的・国際的な非難から、様々な論争と政争を経て廃止された。何故、アメリカ大陸に移住した人たちはそれを復活させたのだろうか。勿論、経済環境もあった(綿花とタバコだ)。
しかし、よく考えてみるとメイフラワー号で移民した人たちは当時のヨーロッパで異端とされたキリスト教の分派の人たちだった。言い換えると、聖書を独自に解釈し、信奉する人たちだった。奴隷の存在をいとも簡単に復活させたのも、聖書にある記述を独自に解釈した結果だった。イギリス国内で数十年以上経て、奴隷制度を廃止した努力は異端故、無視した。つまり、中世の洗礼を受けていなかった?
現在でも、アメリカ人の5割強は地球の歴史は6000年前後、進化論は間違いで聖書の記述が正しいという考えの遠因は、ここに萌芽している。
そして、渡部氏も指摘しているように騎士道(武士道)の欠如も同じ遠因による。ビンラディンを裁判もなしに射殺し、水葬してしまったアメリカにそれを見ることができる。

ぼくは上陸している 上・下 ー進化をめぐる旅の始まりの終わりー

2011-09-08 15:03:50 | 日記
スティーヴン・ジェイ・グードル  早川書房刊

スティーヴン・ジェイ・グードルが2002年に死去していたとは、迂闊にも知らなかった。だからと言ってはおかしいが、タイトルをてっきり「海から最初に上陸した生物」を擬人化したタイトルと早とちりをして買ってしまった(タイトルの由来は本文を読んでください。ちょっと感動します)。
科学者というのは多芸多才な人が多い。いや、欧米の学者に限らず、我が国の寺田寅彦だって地球物理学者にして、俳人、映画評論家、そしてバイオリニストだつたのだから不思議はないのだが……。
本書は彼の博覧強記振りが十分楽しめるエッセイ集(おそらく彼の最後の本)。おかしい、なぜということを科学者特有の執拗さで突き止めて行くプロセスが面白い。
ところで、彼が本書の中で再三再四言及していることがある。それは「過去の学者の学説や知見を、現在の知見から批判してはいけない」ということである。その時代特有の制約(宗教、政治、学問の水準等)のなかでどこまで真実に迫ったのかを考慮しないと、その学者の業績や偉大さを正しく評価できないということである。
例えば、遺伝の法則を明らかにしたメンデル。今から思えばいくつかの間違いを指摘することができる。しかし、彼の時代には遺伝子という概念はなかった。つまり、最新知識もいずれは過ちを指摘される運命にある。DNAの構造を明らかにしたワトソンだってIP細胞を創れるとは想像もしていなかったかもしれないではないか。
本書の一言一句を理解する必要はない。人類の知の発展にはこういう経過があったのだと知るだけで、十分謙虚になれる。

中東民衆革命の真実 -エジプト現地レポート

2011-09-05 15:18:37 | 日記
田原 牧著  集英社新書

チュニジアの「ジャスミン革命(2011年1月14日)」に次いで、エジプトのムバーラク追放という革命はわずか18日間で成功してしまった(1月25日~2月11日)。
ここで問題なのは主役が若者を中心とした民衆だったことであり(著者自身でさえエジプトで民衆革命なんて起きる筈がないと確信していた)、その手段がフェイスブック・ツィッター・ウィキリークスだったという日本の報道である。この報道から我々が想像するのは、携帯やノートパソコンを手に手にタハリール広場に集まった若者の姿だ(事実、日本のテレビ放送ではそういうシーンが多かった)。
エジプトのカイロ・アメリカン大学に留学し、東京新聞のカイロ特派員を5年、その前に湾岸戦争、ルワンダ内戦の現場を取材した視線は鋭い。
まず、若者達でパソコンや携帯を持っていた者は少なかった(これらを持てたのは富裕層の子女だけだった)。それでもフェイスブックが活躍できたのはネットカフェの存在だった。もうひとつ。15~24才の識字率は85%だが、国民全体の識字率は3割程度という事実だ。ジャスミン革命の情報を共有できたのは若者層だった理由はここにある。
もうひとつ。この革命には核となる指導者も政治的・宗教的イデオロギーもなかった。それどころか、誰も革命後の青写真すら持っていなかった!(これが不思議)
そして、第3点。さすが現場を踏んだ特派員だと思うのは、実は既存の反政府勢力がこの革命の実質的な下支えをしていたという指摘である。警察や軍隊にどう対処するのか、食事や怪我人は誰が世話をするのか。こういったことは彼等の上の世代がになったのだ。これは革命ごっこではないのだ。果たして、若者達だけで成功しただろうか?
この後の行方は分からない。おそらく利権を巡る鬩ぎあいが起きる。
「百聞は一見に如かず」という俚諺があるが、それを地で行ったレポート。ぜひ読んでください。

特集 米原万理  ユリイカ 第41巻 第1号

2011-09-02 15:54:14 | 日記
青土社刊

この本は探していた(これで、取り合えず米原万理の著作関係は揃うから)。というか、もう少し手間をかければもっと早く手に入っていたのだが。言い訳めくが、今から1年以上前の雑誌だから書店にはないものと思い込んでいた。版元に行くか、神保町で半日かけるか、どちらも億劫だと1日伸ばしにしていた。流石が紀伊国屋書店本店である。検索してもらったら、在庫があった。一昔前であれば、雑誌は発売月を越せば店頭には無かったのだから。
という訳で手に入れました。これまで消化不良気味だった彼女のバックボーンが分かったことが第一(大学院時代の彼女の研究テーマの詩論が掲載されていた)。それから、彼女の誇張した記述の裏も取れた(彼女の通訳の師匠・徳永晴美氏がユーモアたっぷりにばらしている)。
しかし、彼女の素晴らしさはそれでも少しも変わらない。多くのファンが「せめて、もう一冊小説を書いて欲しかった」と、言っているそうだが、私はそう思わない。彼女の長編小説『オリガ・モリソヴナの反語法』は多分「空前絶後」の小説だった。スケールといい、舞台といい、テーマといい、誰が書けただろうか。彼女だから、いや彼女以外には書けなかっただろう。
私は隆慶一郎に次いで、類まれなストーリーテラーを失くしたと思っている。