ピダハン ー「言語本能」を超える文化と世界観ー

2012-07-05 15:24:43 | 日記

ダニエル・L・エヴェレット著  みすず書房刊

本書は誰にでも勧められる本ではない。なにしろ言語学と言う極めて狭隘なジャンルの話で、もちろん私も門外漢である。そんな本をなぜ読んだかというと本の腰巻にあった「言語をつくるのはほんとうに本能なのか? 数がない、『右と左』の概念もない、神もいない……あらゆる西欧的な普遍幻想を揺さぶる、ピダハンの認知世界」というコピーに魅かれたからである。しかも著者は宣教師であり、ピダハン族の人々にキリスト教を布教すべく、30年かかってピダハン語の聖書をつくった人なのである。
腰巻の結論は、著者がキリスト教を棄教したことで解る。「文化」はあったのである。著者が棄教するほどのものが……。
これ以上解説するには、根気がない。400ページを読むのにせぇーいっぱいだったのだ。


『ナショナル ジオグラフィック 7月号 』「危機にある言語の未来」
偶然だが、こなん特集を見つけた。取り上げられている言語はトゥバ語、アカ語、セリ語、コーチー語、ウィントゥ語の五語。面白いことに、ここでも活躍している人の中に宣教師がいることである。そして、彼等はこうした現地での研究から「私の宗教観が変わったように思う」と言っていることである。
ところで、日本にも絶滅が心配される言語あるのだ。アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、予那国語の八つ。言語が絶滅するということは、文化の消失に繋がる。他人事ではない。言語学者や教育者に真剣に考えてもらいたいものだ。

付記 スペインとフランスに暮すバスク人というのをご存知だろうか。DNA配列から約7000年前からイベリア半島に存在していたことが分かったそうで、しかも特有の遺伝子を持っている。そして、バスク語は世界のどの言語にも属さず、4000年以上前のヨーロッパで話されていた言語に起源を持つと考えられている。絶滅していない言語もあるらしい。


河原ノ者・非人・秀吉

2012-07-04 15:16:49 | 日記

服部英雄著  山川出版社刊

タイトルの「河原ノ者・」までは、私の好きな隆慶一郎の世界の学問的考証編として読んだ。かなり専門的だが、それなりに歴史的実態を知るという意味では面白かった。本書に流れる通底音は、被差別民の活動と役割を見直すという視点である。
その第六章に「サンカ考」がある。私の子供の頃「サンカ」という言葉は現実にあった。東京・大森にある山王神社の下の窪地に「サンカ」と言っていた集落があった。親からは「絶対行ってはいけない」と言われていたけれど、当時の子供たちの遊び場と言えば原っぱしかなかったから、子供達は違和感なく遊んでいた。親達には差別感があったのだろうが、我々にはそういう意識はなかった。確か、母親は彼らから笊や籠を買っていて「あすこのは丈夫だから」と言っていた記憶がある。多分、サンカを知っていた最後の世代かも知れない。
タイトルの後半「秀吉」だが、本書の流れに沿って秀吉の出自がであったことを証明しようとしたものである。新資料はない。前半の流れに基づいて主に地名・秀吉を囲む人たちの出身地から論を進める。
しかし、読了した限りでは、充分に証明されたとは思えない。引用されている資料や文献についても、様々な解釈があり、著者の解釈が正しいと諒解できる根拠には決定打がないような気がする。まっ、戦国時代の武士で出自がハッキリしている者の方がそもそも少数派なのだが……。
但し、秀吉=と正面きって学問的に主張したのは、本書が初めてかもしれない。


けっこう笑えるイギリス人

2012-07-02 08:06:42 | 日記

山形優子フットマン著  講談社刊

三十年という歳月は無視できない(著者は在英三十年)。著者の言いたいことは良く分かるし、当を得ていると思う。
しかし、日本のこの三十年の変化を時系列的につぶさには見ていないと思う。そこに、微妙な英国贔屓が見え隠れしているように思えてならない。繰り返すが、著者の指摘に異論はない。しかし、指摘いる日本・日本人がステレオタイプすぎて新鮮味がないのだ。一方の英国に対する分析に比べ精緻さが薄い。
声高に言われていないだけで、日本人も十分にグローバル化している。なるほど、英国はコスモポリタンの国であるけれど、日本もそれなりにコスモポリタン化している。著者の指摘する日本人とグローバル化した日本人が、二極分化していて、しかもそれが並存している国が日本なのだ。
面白い本だけれど、違和感も残る本。