プロファイラー  -深層心理の闇を追ってー

2012-06-29 15:11:44 | 日記

原題のサブタイトルは「マイライフ ハンティング シリアルキラー エンド サイコパス」。女性のプロファイラーの話は初めて読んだ。FBIにも女性のプロファイラーはいるそうだが、私が読んだのは多くが男性、それもベテランの刑事か引退した刑事、心理学者といった人達だった(前回読んだ『未解決事件』もそうだった)。
著者は腰巻にもあるように、「平凡な専業主婦からFBI顔負けのカリスマ犯罪プロファイラー」になった人。独学でプロファインリングを学び、最終的にはボストン大学で刑事司法修士号を獲得した(この資格がおもしろい。心理学でも犯罪学に関する資格でもない。おそらく、素人の言うことなど聞かないという刑事世界に対抗するために、あるいは女性だからと馬鹿にされないために、法廷で自己防衛するために取った資格だと推察するのだが…)。
さて、彼女のプロファイリング記録を読んで気が付いたことがひとつある。それは男性より女性の方が人間の習性を良く知っていることだ。男性の刑事やプロファイラーは、多くの経験からの類推であるのに対して、女性は自分の経験から直感的に推理する。
例えば、ある強姦事件の現場で被害者の女性は「左足に靴を履き、その靴からレギンスが垂れている以外は全裸だった」。ここからどう推理するか? 「女である私は、どうして彼女が左足からレギンスを垂らしていたか正しく説明することができる。車の後部座席でセックスすると、女性はレギンスを片足から垂らすことになるのだ」。男性の刑事だったら気にもしなかったことかも知れない。
どうやら、男性の刑事やプロファイラーはまずストーリーを立てるらしい。大当たりの時もあるが、見当外れの捜査に走り、徒に迷宮入りさせることも多いらしい。


知りたがり屋たちの質問

2012-06-27 08:14:45 | 日記

シェリー・シーサラー著   飛鳥新社刊

「人類の発明品」「化学の不思議」「私たちの体について」「病気あれこれ」「生命の神秘」「健康が大事」。これらについて、知っているけれど正確には説明できないこと、あるいはメーカーの説明を鵜呑みにしていること、科学的根拠はないけれど習慣としてしている治療法があるが、これらについて詳しく答えてくれる構成になっている。
例えば、一馬力は本当に馬一頭分の力か? 丸い地球に対して水平ってどういうこと? といった問題は、言ってみれば物理学の定義の問題だから回答も正解である。しかし、読んでみれば分かることだが後半の人間の体、病気、生命、健康・薬に対する多くの疑問に対しては「……のようです」「……と言われていますが、多くの説があって決定的な結論はありません」と末尾が終わっていることに気がつく筈だ。
つまり、今現在分かっているのはここまでですよ、という本なのである。ここが大事である。「中途半端な知識を簡単に信じると危険ですよ」という警告の書なのである。「分かっているつもり」が、実は証明も解明もされていないことが如何に多いかを明言している本なのだ。
特に、医薬品や食品に関しては安易にメーカーの説明やコマーシャルを鵜呑みにしないことだと言っているのだ。
最近流行のサプリメントについても同じ。人間の身体に必要なものは多くの場合、人間の体内で作られる。対外から入ってきたものは不必要なモノとして、排泄されてしまって、実は何の効果もないのだ。本書は、そうした視点で読むべきだろう。


諜報の天才 杉原千畝

2012-06-25 08:20:51 | 日記

白石仁章著  新潮選書

最近、元NHKワシントン支局長の手嶋龍一氏や外務省出身で作家の佐藤優氏達が、外交上のインテリジェンスの本来の意味について見直しを強調しているが、本書もそうした流れに沿った本。
『六千人の命のビザ』で注目された杉原千畝氏だが、これまで理解されてきたユダヤ人の命を救った「人道主義者」という側面ではなく、「インテリジェンス・オフィサー」という側面に焦点を当てて書かれている。
そこで浮き彫りにされてくるのが、日本という国のインテリジェンスに対する理解力である。特に両次の大戦ではインテリジェンスは「スパイ」「陰謀・謀略家」という意味でしか理解されていなかった(現代でもインテリジェンスが軽視されていることに変わりはない)。どうやら、国境を接していない国の宿命なのかも知れない。何かが起こってから情報を収集するのではなく、何がおきそうなのかを事前に情報を収集し、分析、予測するのがインテリジェンス・オフィサーの本来の仕事の筈なのだが。
ともかく、これまでの杉原千畝像とは全く違う側面を理解できる本。
因みに、著者は外務省外交資料館勤務の人。豊富な資料を駆使し、さらに埋もれていた資料を発掘しての立証が見事だ。

 


冥王星を殺したのは私です

2012-06-22 08:20:49 | 日記

マイク・ブラウン著  飛鳥新社刊

冥王星が太陽の惑星から外されて早や6年。著者は冥王星の外を廻る第10惑星を見つけたにも拘らず(これだけでも凄いことなのだ! なにしろ今現在生存している人間で新たな惑星を見つけたのは、彼と共同研究者ふたりだけなのだ)、なんと冥王星と自分が見つけた第10惑星は「惑星ではない」と否定した張本人なのだ。なぜ惑星ではないのか(日本ではこのふたつの惑星は「準惑星」と呼ぶのが一般的だが、本書では「矮惑星」という訳語が使われている)、その訳は本書を読めば分かる。本書のタイトルは『冥王星を殺したのは私です』だが、訳者はあとがきで『冥王星と刺しちがえた男』が相応しいと言っているが、私も同感。
専門知識は必要ない。著者は本書が初めての著作だというが、優れた学者は説明も上手だという見本みたいな本。内容についてはこれ以上書かない。というか、書くと買った人に怒られそう。
本書から得た豆知識をひとつ。
日本では太陽系惑星は「水金地火木土天海冥」と憶えている人が殆どだろう。では、アメリカでは? 「My Very Excellent Mother Just Served Us Nine Pizzas(私のとても素晴らしいお母さんがたった今私たちにピザを9枚出してくれた)」というそうである。因みに水星(Mrcury)、金星(Venus)、地球(Earth)、火星(Mars)、木星(jJupiter)、土星(Saturn)、天王星(Uranus)、海王星(Neptune)、冥王星(Pluto)です。
ところが、著者の生まれたアラバマ州では「Martha Visits Every Monday And Just Stays Until Noon Period(マーサは毎週月曜日に訪問し、そしてただ正午になるまで滞在する。おしまい)」。面白いでしょう?

 


東京「スリバチ」地形散歩 ー凹凸を楽しむー

2012-06-19 08:23:03 | 日記

皆川典久著  洋泉社刊

本書の白眉は3Dマップではないだろうか。等高線では素人に分かりにくいが、この地図は本書の意図にピッタリだと思う。
ところで、著者が言うところの「スリバチ」状態の地形は、東京育ちの私には良く分かる。つまり、イメージではなく確かな記憶として残っている。東京オリンピック以前の東京は丸の内や銀座、突然出現した団地を別とすれば、平屋か二階建ての家々が地面に張り付くように建っていたので、容易に地形は見て取れたからだ。
しかし、私は新宿を住いとしているが、他所から来た人には歌舞伎町が窪地(スリバチの底)だと分かる人はまずいないだろう。その最深部の広いこと。旧字名に砂利場なんて名称があるなんて、新宿という地名からは想像できないだろう。
唯、この3Dマップを改めて見ると、「首都圏下の震災」の結果が正に3Dで見えてくるのが怖い。生きている間は無事であることを祈りたい。


ほんとうの診断学 ー「死因不明社会」を許さないー

2012-06-16 08:32:59 | 日記

海堂 尊著  新潮選書

難しい本だ。とても素人が読み通せる本ではない。それでも読み通したのは、問題提起があまりにも深刻な問題だったからだ。
医師は患者を「診断」し、「治療」する。結果は完治したか、完治しないまでも延命効果ある場合もあるだろうし、治療の努力むなしく患者を死に至らしめることもある。おそらく、これは「治療」の持つ永遠の課題だろう。
しかし、治療の成果を検証する手段がないわけではない。病理学的治療効果判定=死亡時医学検索。勿論、これは医療の範疇ではない。投薬が効いたか、放射線治療が効いたか、手術が成功したか、これらは医師の仕事ではない。ないが、それを検証し、その成果を医療の現場にフィードバックしなければ、医療の現場は進歩しない。
当然のことながら、これは「医療」ではなく「医学」の問題である。そして、著者が指摘するのは、正にこの連携の問題なのである。著者はそのための手段としてAi(死亡時画像診断)を提唱し、その普及に努めている(Ai診断センター、現在全国で13施設ある)。
問題は一部の医学者がこの問題を無視していることである。どんな学問分野にでもあることなのだが、無視しているのは往々にして権威者なのである。これが「ヒトの命」に拘るだけにその影響は深刻である。
読了してどんな感想を持つか分からないが、決して無視できる問題ではない。
最後に著者は「はじめに」の部分で「本書は私の医師、医学者としての活動の集大成にもなるだろう。私は本書を以って医学の世界を卒業し、新しい世界へ旅立とうと思っている」と書いているが、小説家になるのかな? ちょっと残念な氣もするのだが……。

 


なぜ直感のほうが上手くいくのか -「無意識の知性」が決めているー

2012-06-12 15:35:21 | 日記

ゲルト・ギーゲレンツァー著  インターシフト刊 合同出版発売

直感を信じなかったばかりに悔しい思いをしたことが、なかっただろうか。博打にせよ、家や車を買うにせよ、「直感を信じれば良かった!」という経験は多い筈だ。
本書のポイントは、直感は単なるヤマ感ではなくて、人類が進化してきた過程で獲得した「無意識の知性」だと断言していることだ。つまり、意識しないで発揮している知能なのだと。それを実証するために、脳の何処で反応しているかを、詳しく説明している。
しかも、後半ではそうした「無意識の知性」の活かし方・鍛え方を伝授してくれている。直感は単なるヤマ感などではなく、人類が進化してきた過程で培われた知能なのだ。「ヤマ感」で後悔した人。それは自分に蓄積されていた知性を侮ったためなのだ。
ただし、直感が必ずしも上手くいくわけではない。「直感の価値は経験則を使用する状況によって変わる」からである。無知は専門家の知識に勝る。情報は少ないほうが上手くいく」ということ。
ただし、直感だけを頼りにしていれば良いということではない。人類が進化の過程で様々な経験と犠牲を払って得たものなのだ。今も我々は学習し続けなければならないのだ。その成果が子孫に「直感=無意識の知性」として伝わるのだ。
結論は、怠けるな! 学習せよ! しかし、直感が閃いた時はそれを信ぜよ! ということなのかも知れない。

 

 


ニギハヤヒ -『先代旧事本紀』から探る物部氏の祖神ー

2012-06-11 14:44:11 | 日記

戸矢 学著   河出書房新社刊

本書は日本の神話時代に興味を持っている人には、面白い本かも知れない。但し、このジャンルの本は、気をつけて読む必要がある。
というのも、自説を強調するために膨大な例証が挙げられているのが普通だが、大半は著者独自の解釈に基づいていて、万人が納得できるものではない事例が多すぎるのだ。一読すると納得できる話も、普遍化しようとすると齟齬を来たすことが多いのだ。そして、その釈明にはちょっとした間違いもしくは見解の相違で「基本的に私の主張を妨げるものではない」と片付けてしまう。間違っているとは言わないが、まだまだ多くの検証が必要なものがおおい。
ところで、タイトルのニギハヤヒとは神武と同じ「天神の子」で、神武がヤマトに入った時すでに統治者であった。両者ともアマテラスの御璽を持っていた。しかも、戦闘は互角でニギハヤヒが負けたとは記されていない(『古事記』『日本書紀』)。つまり、神武はその地位を禅譲されたことになる。ということは、神武は初代の天皇ではなく二代目? これが本書のメインテーマであるる。古代史のSFとして読むには面白いと思いませんか。


小説に書けなかった自伝

2012-06-05 15:08:52 | 日記

新田次郎著  新潮文庫

沢山の作家の自伝を読んだが、このような自伝は少ないように思われる。というのは、たいていの作家の自伝にも出版社と担当編集者の話は出てくるのだが、概ね出版社や編集者は好意的に書かれていることが多い。当然だろう。原稿料や印税を払ってくれるのは、そうした人々だからだ。売り手と買い手(正確に言えば読者なのだが、その前提として赤字覚悟で印刷・販売してくれる出版社が第一義的な買い手と言っていい)の関係から言えば、必需品を生産している人々に比べれば、小説家は弱い立場なのだから。
しかし、著者は自伝の中で編集者や出版社に対する不平不満を、あからさまに記述している。気象庁を退職した時点では、小説家として自立できるかどうか悩んでいる。当然、自分の小説を掲載してくれる出版社を渇望いたはずなのだ。しかし、それでも尚、不平不満を吐露している。
おそらく、これは役人勤めをしながら二足の草鞋を履いているが故に、素人扱いをされているという自己認識がそうさせていたのではないだろうか。だから「小説に書けなかった」自伝なのだろう。
作家と出版社・編集者との赤裸々な関係を書いてある自伝と言う意味で、異色である。勿論、出版社や編集者の言い分は充分わかっているつもりだが……。

 

 


饗宴外交 -ワインと料理で世界はまわるー

2012-06-01 15:37:55 | 日記

西川 恵著  世界文化社刊

庶民の我々には窺い知れない世界の話であるが、よく考えてみればお客をよべば食事を提供するのは当たり前の話。ただ、料理のメニューが書かれてもさっぱり分からないのは、私が庶民のせいだというだけのことか。
しかし、相手が国家元首だったり、政府首脳だったりすると話は違ってくる。国と国、つまり外交ということになり、対応次第ではたちまち大問題になる。「日本は貴方がたを尊敬しています、ようこそ来日してくれました」という気持を「料理でさり気なく表す」というのだが、これは気骨の折れることだろうと思う。宗教上禁忌の食材もあるだろうし、個人の嗜好もある。フランス料理ならばいいと言うわけではあるまい。だからといって、その国のお国料理だけ出すというわけにもいかない。
随分まえのことだが、大使館や公邸が接待のためのワインや酒類に金を使いすぎる、という批難の声が挙がったことがあったが、提供するワインが微妙な差をつける小道具だとすれば、自ずと豊富な種類の在庫を用意しておかなければならないわけで、批難するわけにもいかない。その事情は庶民の家庭でも変わらない筈だ。
本書で驚いたのは、各国の大使館で働く料理人の給料の低さである。国が支給するのは三分の一。仮に国が考えている全額(わずか24万円)を支給したとしても、それでウンという一流の料理人はいないだろう。差額は大使が自腹を切っているそうである。
料理という特殊技能の持ち主は、外交の上では縁の下の力持ちかも知れないが、立派な公務員なのだから、力量に応じて世間の相場に合った給料を払うべきだと思うのだが……。