地上の飯

2012-03-03 15:12:23 | 日記

中村和恵著  平凡社刊

サブタイトルは「皿めぐり航海記」。不思議な文体というか、記述形式である。著者の執筆意図がよく分からない。食い物の味覚なのか、食い物の歴史的変遷なのか、食文化論なのか、何処に焦点を当てようとしているのかが判然としない。
しかも、文体も統一されていない、というか統一されているのだろうが、馴染めない。文章に味があるようで、リズムが乱されて落ち着かない。引用されている小説や文献も一般の人には馴染みがないものが多すぎる。但し、著者は比較文学・文化の研究者だそうだから無理もないが、読んでいる途中で「あなたが知っていれば、わかるでしょ!」、とはぐらかされる部分が多い。
プロの書評家はどう表現するのか分からないが、私には以上のことしか言えない。
そうしたことを勘案して読むのならば、興味ぶかい本ではある。「地上の飯」というタイトル、誰もが得心するタイトルではないと思う。

 


1 コメント

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おもしろいコメントありがとう (なかむら)
2012-05-17 17:24:08
 おもしろいコメントだった。いやほんとうに。なるほどなーとおもったです。 
 文体がなじめないというのは字で書かれたことば中心のことば世界に慣れているからかもしれませんよ。声を出して読んでみてはいかがでしょうか(そんなのいやだ! というんだったらごめんなさい)、いろんな人の物まねしてるみたいな乗りで読んでみると、ああこのあたりは「じじい」っぽいのね、とか、見えてくるものがあるかもですよ。しゃべりの文体と古い本の文体、外国の本の翻訳のかんじ、そういうのをまぜているわけです。文体でいろんな文化の併存を示唆したいというわけですね。
 そーです失礼しました著者ですよ。うふふ。
 あまり知られていない外国のことなど、みんなになじみがないことを書くのは、そういうことを書く人が一人もいないと、日本の方々はそんな国存在しないみたいに、そんな国に作家はいないみたいに、おもっちゃうかもしれない、それはまずいとおもうから。がんばってるわけです。みんなが知らないところにたまたま行って、せっかく知ったことがあるわけだから、無駄にしたくないなっておもうわけですね。
 知らないことを読まされると、なんだかいらいらしちゃう、みなさんが大事とおもうことから見て大事じゃないから、いらない、という人もいるとおもうんです。たぶんその人は勉強熱心で真面目だから、知らないといけない、とおもっちゃうんじゃないでしょうか。でも世の中、知らないことだらけというか、知ってることのほうが、すくないとおもうんですよ、わたしなんか。
 だから平気で、えーそれ知りません、といってあきれられます。でも、あたりまえだとおもうんです。世界にはいろんなことがあるもの。そしてたとえば、ヨーロッパのことは「大事」
でアフリカの小国のことは「不要」って考えるような考え方に、ずーっと異議をとなえていきたい、とおもってるんです。そういう人もいないとまずいとおもうから。
 これからもあまり知らない世界のこと、勉強して、みなさんにお伝えしていこうとおもっています。よろしくね。またみてね。
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