科学嫌いが日本を滅ぼす -「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶかー  

2012-01-15 14:56:54 | 日記
竹内 薫著  新潮選書

『ネイチャー』と『サイエンス』を切り口にしたのは、面白い。こういう比較が出来るとは思ってもいなかった。
しかし、タイトルの「科学嫌い」の根拠に「化高地低」「生高物低」を挙げているのには異議がある(勿論、著者が象徴的な例として挙げているのは承知の上だが)。この傾向は科学に限ったことではない。国語や数学・社会においても同じだろう。かつては、国語には古文・漢文・文法・現代文が必須であった。社会にしても世界史・日本史・地理・政治が必須であった。
彼等は物理や地学が「嫌い」なのではなく、「選択する自由」を狭められているのである。「好きな学科二つでいいですよ」「大学を合格したかったならば生物と化学が有利ですよ」と親切に? アドバイスされた結果なのである。子供達に選択の幅を狭めたのは、文部省であり、教育審議会であり、雨後の筍の如く設立された大学の経営者である。子供の頭は「詰め込み」には、ある程度柔軟性があるものなのだ。ほんの数十年前までそれが当たり前だった。頭の片隅に残っていれば、大きくなっても関心を持つことが出来る。何もないところからは、何も生まれない。こうした状況が解決しないと、著者が望んだような世の中にはならない。
話は替わる。化学論文の発表が、英文主流になったという話。著者は「日本の科学者であるならば、まず日本語で理路整然と論理を展開できること」が第一要件であって、英語が苦手であれば、優秀な翻訳者・通訳にその責を任せるべきだと言っているが、私は大賛成である。すでに日本には著者のような優秀な帰国子女がたくさんいるのだから。
著者は忘れたが『英語が話せてもバカはバカ(多分こんなタイトル)』という本があったことを記憶しているが、その通りだと思う。日本語をろくに話せない子供に英語教育しても意味はなかろう。
どうも著作とは、随分離れたことを書いてしまった。お許しを……。

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