猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

一目惚れ

2005年06月08日 01時36分34秒 | ガーデニング
先週の土曜、夕立が訪れる少し前、私は園芸店にいた。
この季節、園芸店は色とりどりの花たちで埋め尽くされていて、その場にいるだけで楽しくなってしまう絶好のぶらぶらスポットである。
しかし、私のような自制心のない人間にとって、その美しさを見ればどれもこれも欲しくなってしまうような植物が置いてある園芸店は、それはもう大変な危険地帯で、近寄ったら最後、無傷では帰れない。
それでも私ときたら、「肥料がなくなった」とか、「ひと回り大きな鉢が欲しい」などと、半ば強引に理由をつけては園芸店に出かけ、結局また、<傷だらけになって帰ってくる&ますますベランダが狭くなる>という、学習能力のなさである。
そして今日、なんでこんな話をするかと言うと...。

ええ。そうですとも。
土曜日に園芸店に行ったということは、またやっちまいましたよ。
だってぇ~、一目惚れしちゃったんですもの~。
あまりに美しいバラ、アプリコーラに...。

黒いような深い緑の葉に、濃いオレンジから薄い杏色に変化する花を鈴なりにつけたそのバラは、
「中香」というにはあまりにも芳しすぎる香りを周囲に漂わせ、待っていた。
誰を?って...私を。

結局はアプリコーラさん、今は我が家の狭い狭いベランダで、近所中のハチたちを大いに養っていて、まだまだたくさんついている蕾たちが、もうしばらく私を楽しませてくれそう。
また、この花の存在は、今が稼ぎ時である、この近辺のハチ界でも大いなる噂を呼んでいるに違いなく、その蜜は、彼らの大切な子孫をコロコロ太らせ、命の源となるはずだ。

だって今日、アプリコーラの花に頭を突っ込み、せっせと働いているハチたちに
「儲かってまっか?」と訊ねたら、
「もう、ウハウハですわ~!」と、答えた(ような気がした)んですもの...。

いつか恩返しにきてね。

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ちびくんが生まれた日。   【後編】

2005年06月07日 01時37分34秒 | 猫たち
そして、とうとうその日がやってきた。
その日の私は、何の根拠も知識もないのに、「そろそろだ」と感じていた。
そして午前4時頃、何かの予感を感じて外に出て、階段を下りてみた。
すると、ちびたがすっきりした姿で階段下に「ちょこん」と待っている。
やはり生まれたのだ。
そこで私は「赤ちゃん生まれたの?大丈夫だった?どこに生んだの?」と声をかけてみる。
もちろん、声をかけはしたが、それはちびたの頑張りに対してのねぎらいの言葉であり、本気で「どこに生んだの?」と聞いたわけではない。しかし...。
次の瞬間、ちびたはくるりと背中を向け、私から離れていった。そして何メートルか進んで振り返り、「こっちだ」と鳴いた。実際には振り向いて「にゃ~ん」と鳴いただけだが、明らかにその姿は、私をその方向へ誘っている。
私は恐る恐る、ちびたの後ろをついていった。彼女が嫌がるのなら、私は子猫の居場所を知りたいと思わなかったし、探そうなどとも思っていなかった。でも今は。彼女が「こっちへ来い」と誘っているのである。数メートル進んでは振り返って私がついてくるのを待ち、確認してからまた進む。そして、マンション裏手にある、小さな草むらに到着すると、ある場所に座って「にゃ~ん」と私の顔を見上げながら鳴き、すぐに「ヒョイ」と体をどけた。

こんなことが有り得るだろうか?半野良の、しかも出産したての、本来なら気がたって仕方がない母猫が、人間の私に赤ん坊を見せようとする...?
しかし、ちびたは教えてくれた。そうだ、きっと「ちゃんと上手に生めたよ。可愛いんだよ」
と自慢しているのに違いない。

そうか。よくやったね。可愛い赤ちゃんに違いないね。

私はちびたに「いいの?」ともう1度確認してから、小さく巣のようになった草の隙間に手を差し入れた。そっと、小さな命を傷つけてしまわないように、そっと、そうっと...。
すると。
そこには本当に生まれたての、小さな小さな、ねずみみたいな仔猫が4匹、うごめいていた。
そして、その仔猫たちをかわるがわる手にとり、「可愛いねぇ。ちびた偉かったねぇ。」と声をかける私の横で、ちびたはこちらを見上げている。
私は、命の素晴らしさに、そして種を越えて彼女が私に寄せてくれた信頼に、震えるほど感動しながら仔猫をそっともとの場所に戻し、ちびたを残して家に帰った。

数週間後。
変わらず毎日階段下にご飯を食べにくるちびたの子育ては順調に進んでいる様子だったが、ある夕方、突然の雷雨が周辺を襲った。その激しさは、みるみるうちに小さな道路を川へと変え、それでもまだ足りず降り続くように見えた。私はだんだんちびたが心配になり、母と共に階段を下りようとした。
すると、滝のような雨の降る中、1番に目に飛び込んできたのは、ちびたが仔猫をくわえ、必死に非難しようとしている姿だった。全身ずぶ濡れになりながら、どの方向へ進んでいいのかもわからなくなり、仔猫をくわえたままでウロウロしている。
私は一瞬ためらって、しかしすぐ決断した。
あの親子を連れてこよう。全員、うちの中に入れよう、と。
そして自分もずぶ濡れになりながら、ちびたと、彼女がくわえていた仔猫、そして残り3匹の仔猫を探し出し、家に連れ帰った。

そこからは毎日、慈愛に溢れるちびたの子育ての様子が、4匹の天使たちの愛くるしさが、私を、そして猫嫌いの母までをも夢中にさせた。
残念ながら、ちびたは家に閉じ込められたことによってストレス性の体調不良を起こしたため、10日ほどで仔猫の中の1匹を伴わせ(本当は全部の仔猫に飼い主をと思ったが、全員取り上げてしまうのは忍びなかった)外に返したが、他の仔猫については、1匹はすぐに里子に出し、1匹は私が育てることにし、そしてもう1匹は、数週間後に里子に出すことに決めて、仔猫たちの将来も一応は決着が着いた。
そして「数週間後に里子に出す」ことが決まっていたのが、実はちびくんなのである。
しかし、いざその日がやってきたときには、わたしはちびくんを手放せなくなっていた。「先方も楽しみにしているだろうから」と、首に可愛いリボンを巻いてあげながら、どうしても止まらない涙...。それを見て、ちびくんの里親を決めてきた母が、「もうそんなに情が移っていたら手放せないだろう」と、断りを入れてくれたのである。
今思えば、先方に対して酷い話だが、しかしやはり、今ちびくんとともに過ごす幸せを、誰にも手渡さなくって良かった。愛はエゴそのものかもしれず、私は愛を手放せなかったのだから.....


ちびくんと、ぶっちゃんと出会えて、本当に良かった。本当に本当に良かった。
ちびくん、そして天国のぶっちゃん、17歳のお誕生日おめでとう!
本当に本当におめでとう。

そしてちびた。天国にいるちびた。
本当にありがとう。
私はあなたに、人生で1番大切なものを教えてもらった。
人生で1番大切なものを与えてもらった。
私の心は今もあなたとともにあります。
ずっとずっと、あなたとともに。
これからもどうか、ぶっちゃんと一緒に、ちびくんを見守ってあげてね。
そして...

ついでに、継子ちゃあこも見守ってあげてね。

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ちびくんが生まれた日。   【前編】

2005年06月06日 23時57分36秒 | 猫たち
今日はちびくんの17回目のお誕生日だ。このブログを始めたときは、ちょうど体調を崩していた彼も、今は大変元気になって、毎日おやつのおねだりを続けている。しかし、困ったことに彼の大好物の「おやつ」とは、腎疾患を抱えた身には大敵である塩分たっぷりのハムで、しかも、もう寝ても覚めても、具合が悪くても欲しがるほどの、異常なまでのハム男っぷりである。体に悪いことはわかっていながら、我々も時に根負けしてしまうほどのその執着ぶりは、ゴンザと私、ちびくんを愛する者にとっては悩みの種である。

ちびくんが生まれたのは今からちょうど17年前、6月6日の朝方だった。
そして...それを遡ること8ヶ月前。
当時私が住んでいたマンションの隣に、輸出するためのトラックを一時保管するためのモータープールがあった。なぜかその片隅には、もう動くことのない、1台の小さなオンボロマイクロバスが置いてあったのだが、ある寒い日、私はそのオンボロバスの下から子猫の鳴き声がするのに気が付いた。
見れば、黒と白の毛を持った可愛い子猫が寒さに震えながら、お腹が減っているのか、その小さな体から目一杯の大声を張り上げて鳴いている。しかし、当時のマンションでは猫を飼うのは禁じられていたし、第一、子猫は警戒心丸出しで、触れることも出来なさそうだ。そこで私は、子猫のことを気にしながらも、とりあえず帰宅した。そして仕事から帰った母に早速その話をした。しかし母は、「1度ご飯をあげたら猫のほうも期待するし、かといって飼えないのだから、手を出してはいけない」という。...しかし、1度見てしまったものを忘れるわけにもいかないし、このままではあの子猫はどうなってしまうのか!?

...結局、私は母の意見を無視し、その子猫にご飯をあげてしまった。
1度目は...安易に手を出して、こっぴどく引っ掻かれた。
2度目には何とか、引っかかれずに食事を与えられた。
そして数日後には、子猫は私が階段から降りてくるのを待つようになった。そして、私は彼女を
「ちびた」と呼ぶようになった。
名前の通り、ちびたはちっちゃな猫で、大変な器量良し。白い手袋と靴下を履いた、黒白の猫である。可愛らしい声で鳴き、また賢く、大人になる頃には、その辺の雄猫にモテモテだった。
ちびたは毎日時間になると、私が階段から降りてくるのをじっと待ち、甘えて膝に乗る。彼女を膝に乗せ、マンションの階段に腰かけて過ごす時間は、私にとってとても幸せな、素晴らしい時間だった。

しかし...ある日私はちびたの異変に気付く。
なんと、ちっちゃなちびたのお腹のあたりが膨らんでいるのである。当時、どれくらいで猫が大人になるのかなど知らなかった無知な私は、どう考えても1歳に満たないちびたが妊娠するなど、思ってもみなかったから、それがわかった時には、まさに晴天の霹靂だった。
しかし時すでに遅し。ちびたのお腹はみるみるうちに大きくなって、そのうち、膝に乗せてそこを触れば、お腹のなかで小さな赤ちゃんがムニムニ動くのがわかるほどである。胎児の小さな手足が、これまた小さなちびたのお腹をデコボコさせるほどに暴れているのに触れて、本来なら、困らなければならないはずの私だったが...目の前にある命が、いや、まだ見ぬ命が、なんともいえない満たされた気持ちで私の心一杯にしてしまったため、そこからはただひたすら、子猫が無事生まれることを祈るようになっていた。
                                                                 【続く】

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元気な大人

2005年06月05日 21時48分49秒 | ハ~プニング!
昨夜、ゴンザの職場近くでばったり知人と出会った。
いつもならスーツ姿の彼だが、なぜかその時はサッカー日本チームの青いユニフォームを着ている。
その人は、時折ゴンザのお店に訪れては、「erimaにやれ」と言って、海外(仕事?)のお土産である化粧品を持たせてくれたりする、とても良い人なのだが(笑)、昨日も私とゴンザの顔を見るなり、「おっ、お土産をやるよ。持ってけ。」と、ひとつの化粧品を差し出す。
そこで、私は満面の笑顔で「わぁ~、ありがとう!どこ行ってきたの?」と、何の気なしに聞いたのだが...返ってきた答えにびっくり。

「バーレーン」
?????.....普通に答えられても...ねぇ。

「えっ?バーレーンってあのバーレーン?何しに行ってきたの?」
「サッカーの応援」
「ええっ?だからそのユニフォーム?」
「うん」
って...。

お土産を貰っておきながら
「これってさ、お土産本体より値札のほうが貴重だよね」などと、本人を前にして失礼なことを言う私も私なら、そんな私たちに腹を立てるでもなく、「そうだろ?そうだろ?それにしても、あ~疲れた!」などと、フツーの顔をしているご本人もご本人。

その後、「メシ食いに行ってこようっと!」と、夜の街に消えたその方は、スーツの内側に「木村拓哉」などという刺繍を入れている、お茶目な大人です...(笑)

<補足・バーレーン戦があったのが、日本時間で土曜の午前0:15くらいから。
                そして...私が彼に会ったのは土曜の午後9:00頃です!>
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どしゃ降りの雨、ぴかぴかの笑顔

2005年06月05日 21時21分25秒 | 日記
昨夕、突然の雷雨に見舞われた。と、言っても、私とゴンザは車の中にいたから、ずぶ濡れになることは免れたのだが、ひどい渋滞に辟易していた矢先の暗い空に、少しばかり無口になっていた。
そこはちょうど、私鉄駅前の街道で人の往来が激しかったが、傘をさしていない人はおろか、さしている人まで一様に濡れ鼠、という、気の毒な情景が拡がっており、私は同情の抱きながら、それらの人々を見つめていた。
しかし...次の瞬間、私はそこにあるものを見つけ、途端に嬉しくなってしまった。この突然の雷雨が素晴らしい恵みであることを、一瞬のきらめきであることを思い出したのだ。

そこには、行きかう人々にまぎれて、弾けるような笑顔で走る少年がいた。野球帰りらしい、ぶかぶかのユニフォーム姿のその少年は、壊れた傘を片手に持ち、滝のような雨の中、嬉しそうに飛び跳ねている。
後ろには、同じユニフォーム姿の二人組。二人でひとつの傘さし、片方の少年の腕は友人の肩にまわされている。また、その数メートル後にいた二人組みも、盛んに先を行く少年を指差しては、互いに顔を見合わせ笑っている。

彼らにとっては。
この雨も、壊れた傘すらも、楽しい遊び道具で、かけがえのない仲間との時間なのだ。
忘れることのない、大切なきらめきの一瞬なのだ。

少年たちの純粋さに、雷雨に負けないぴかぴかの笑顔に、私とゴンザの心は晴れ渡った。
そして、その少年たちのように、互いに目を見合わせて笑いあった。


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