猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

実るほど...   

2005年08月31日 23時29分26秒 | ガーデニング
これ、なんて名前だっけ。
もう3年ほど、ベランダで美しい葉を見せてくれていたのだけど.....
買った時に付いていたような立派な実がなかなか生らなくて...。
でも。
今年は薔薇用の肥料、アルゴフラッシュを「ついでに」と、たびたびやっていたら、こんなに見事に色付いて、実もずっしりと重く、今にも転がって落ちそうに。

このオレンジが秋っぽくて、葉との対比もますます美しくいい感じ。
でも...この大きさといい、色といい、子供の頃に駄菓子屋さんでよく買った、オレンジ味のガムを思い出すんだよなぁ...4個入りですごく小さな箱のやつ。
そういえば、あれ、グレープ味もあったっけ。

次は何か、紫色の実が生る植物を買おうかな。
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心静かに.....

2005年08月30日 22時03分04秒 | 猫たち
8月30日は、私の大切なぶっちゃんの命日。
彼が大好きだった甘エビを供え、いつも通りの生活を送り、心静かに過ごす。
ちびくんと共に生まれたぶっちゃんは11歳でその生涯を終えてしまったけれど...。

私たちはいつも一緒。
ずっと.....一緒。
どこにいても、
どんなに時間が過ぎたとしても。
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戦う男は美しい   - PRIDE GRANDPRIX 2005 FINAL ROUND -

2005年08月29日 22時07分33秒 | お出かけ
PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝へ行ってきた。

毎度通いなれたさいたまスーパーアリーナへは、横浜の我が家から車で1時間ちょっと。駐車場事情を考えて、2時間ほど早い到着。
はやる気持ちを抑えながら、座席につくが、花道まん前の前回よりもまたさらに見やすい席にまずは大満足。スクリーンに流れる映像を見ながら、徐々にテンションを上げてゆく。
実は今回のPRIDE。
「決勝」とは銘うっているものの、観戦に来ているファンの本当の狙いは「決勝戦」そのものよりも、その前に行われるミルコ対ヒョードル戦。
かくいう我々もそうであった。
特にヴァンダレイ(シウバ)ファンの私など、彼が負けてしまってからはちょっとした抜け殻状態。絶叫しすぎて疲れてしまったというのもあるが、アローナやショーグンのファイトスタイルがあまり好きではないというのもひとつの原因であろう。
それに。世紀の対決ミルコ対ヒョードル戦までに体力を使い果たしてしまっては大変に困る。観ているだけとはいえ、格闘技観戦は非常に疲れるものだから。(まぁ、なんだかんだ言って、充分楽しんではいたんだけどね)

そして.....
いよいよ皆が待ちに待ったミルコ対ヒョードル戦。
RRS(ロイヤル・リングサイド)には、国旗を持ち、ミルコに熱い声援を送るクロアチア人らしき集団の姿も見受けられる。
ヒョードルもいつも通り、Tシャツの裾をきちんとジャージの中にしまい(本当に可愛い♪)、スーパーアリーナが揺れそうなほどの声援の中登場。
試合の内容は8月30日にフジTVで放送されるからここには書かないが、<人類最強>であるヒョードルのスピードとボディバランスはあらためて見ても本当に凄くて、観客の誰もが、何度もどよめき、叫び、息を呑んだ。
結果としては、大方の予想通りでヒョードルの勝ち。
でもミルコもよく戦ったと思う(私なんて、立ち技でならともかく、寝ちゃったら秒殺されるんじゃ...なんて思っていたのに)。
とにかく、ゴンザ友人ともあとで話したのだが、気持ち的にはミルコを勝たせてやりたい感じもするけど、実力的には順当ということだろう。
さいたまスーパーアリーナは、1度は続く決勝を待たずに燃え尽きた感に包まれたものの、ショーグンの快勝で再び熱狂し、PRIDE GRANDPURIX2005はその幕を閉じたのであった。(やっぱ強いや、ショーグン)

しかし、帰り道に韓国料理を食べるつもりで大久保に向かったのに途中で体調が悪くなったのには参った。
たぶん叫び過ぎ、興奮のし過ぎであろうが、せっかくゴンザが回り道してくれたのに、結局は食事もせずに帰宅する羽目になってしまった。
皆さんもTV観戦の際には興奮しすぎないよう、くれぐれもお気をつけて。
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切ない話   - ひまわり -

2005年08月27日 22時11分27秒 | 映画
東京MXTVで映画「ひまわり」をやっていた。

ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演で1970年に製作されたこの映画は、本編を見たことのない人でも、胸に迫るヘンリー・マンシーニの甘く切ない哀愁に満ちたメロディだけは耳にしたことがあるはずの名作。私自身は、いつだったか、子供の頃に1度見ているはずだが、幼心に、切なくて切なくて、けれどひとつひとつのシーンがとても鮮烈に心に残って、なんとも表現し難い気持ちになったことをはっきりと覚えている。それほど過激ではないが、ラブシーンもところどころにあるのに「いい映画だから」と見ることを私に勧めた母は、そういった意味では良い教育をしてくれたのかもしれないが、そういえば母は、このソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビが大好きで、「昨日・今日・明日」なども私に見せてくれたものだ。ただ、子供だった私にイタリア映画がどこまで理解出来たかは私自身にもよくわからない。
けれど、今日改めて「ひまわり」を見て、確かに人には歴史があって、私もそれを段々振り返る年齢となってきたのだと、だからこそ今はこの映画もより深く理解出来るのだと、子供の頃に見たときとはまったく違う切なさに支配されながら思った。

人は、時間を重ねてより多くの「思い」を理解出来るようになる。
人々の間に交錯する思いを、それぞれの立場を、自らが重ねてきた経験に照らし合わせて理解できるようになるのだ。
イタリアに残された妻と、ロシアの妻と、ただ生きなければならなかった男と、それぞれの立場で。
いい映画とは、ディティールを追求すればつじつまの合わないところもちらほらあるが、見ているうちにそんなことすら忘れさせてしまうものである。
そして、どのシーンを切り取っても、さながら一枚の絵画のように印象に残るものでもある。そして、この映画がそうであるように、いつまでも耳に残る音楽。そういった意味ではこの「ひまわり」はまさに<いい映画>の代表選手ともいえるだろう。

子供の頃にはそれほど理解できなかった二人の女が出会うシーンを、今では、両方の立場で考えては、狂おしいほど切なくなり、だからこそのラストが、今日になって初めて心から理解出来たような気がする、<切ない話>が大好きな私。
ちなみに私。楽器や音楽も(聴くのみだけど)、どこかしら切なく、官能的でないとダメなたちである。

そういえば昔、クラブ(踊るほうのね)のオープニングレセプションで演奏をするためにスタンバイしていた若い男の子(20代前半?)に
「ヴァイオリンって官能的だよね」って言ったらビックリしていたっけ。
そうだよなぁ.....。
「官能的」ってのも、大人にならないとあんまり理解出来ない言葉だよなぁ.....
コメント (6)
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食にまつわる思い出   - おセンチゴボウ -

2005年08月26日 23時16分47秒 | ルーツ
誰でも、食にまつわる何らかの思い出を持っているものだ。
例えば嫌いな食べ物であれば、「仕方なくたくさん食べさせられて、嫌になった」であるとか、また逆に、大好きな食べ物であるなら、「おふくろの味だから」とか、人間にとってとても大切な<食べる>という行為にはたくさんの感覚と感情が伴っているはずである。
それに、人間は7、8割方、頭で食べている生き物だそうだから、どこでどんなシチュエーションで、誰と食べるかということも大変重要になってくる。特に我々日本人にとって<食>は、自分達の知らない過去の時代から、とても大切にされていたものでもあり、それは毎日TVで流されるグルメ番組の多さからも伺える。以前にも引用させて貰ったヒュースケンの(米国全権使節ハリスの通訳。1861年斬殺される)日本日記では、江戸へ向かう途上の彼がこう書いている箇所が見受けられるから、諸外国を巡ってきた者から見ても、そのこだわりには驚くべきものがあったのだろう。以下は、その抜粋である。
「日本人には、どこへ行っても食べ物を恵んでくれる親切な魔物がついているらしい。どんな食物でも、またたく間にどこからともなくととのえてきて、家にいるのと同じように快適に三度の食事をするのである」

さて。
私の食にまつわる思い出であるが、まずは「きんぴらゴボウ」から話を始めたいと思う。と、言うのも、私にとってきんぴらは、良くも悪くも、色んな思いがついてまわる食べ物だからだ。

いつか、私の母が突然姿を消したことについては書いたと思うが、彼女が出て行ったことで、父や妹、当時住んでいた家の持ち主であった祖父の食事作りは、当時11歳だった私の仕事となった(弟は平日伯母の家に預けられていた)。が、作るといっても、しょせん小学生のにわか仕込み。レパートリーは本当に限られたもので、その中に辛うじてきんぴらゴボウが入っていたという具合である。他には、野菜炒めや煮込みうどん、麻婆豆腐の元を使った麻婆豆腐に煮魚、カレーなど、一日働いて帰ってきた父には、本当に物足りない、稚拙でわびしい食卓だったであろう。今考えても父や妹に申し訳なく、苦く切ない思い。それが、きんぴらゴボウにまつわる私の思い出その1、である。

時が流れ、私が中学校に上がろうかという時、父は再婚した。
今までも書いてきているが、相手は、当初はわからなかったものの、アル中で感情の抑えがきかない女だった。彼女は、夕方は酒に酔っていることが多く、夕食作りにも力は入れない人だったし、我が家では私が家のお手伝いをすることは当然だったから、よくきんぴら用のゴボウを刻まされたものだった。やがて高校へ上がった私は、中学校時代の3年を通じて、2枚ほどの服しか買ってもらえなかったことへ対する寂しさと、アルバイトが出来るようになったら当然働いて家計を助けるべきだという父の意向でバイトを始めたが、学校から帰ってバイトへ向かうまでの僅かな時間にも、よくゴボウを刻んだものである。当時、時給500円の弁当屋のバイトで、私は貰った給料の半分を家に入れ、残りで自分の小遣い、学校までの定期、毎日の昼食代を賄っていたのだが、私が家に入れたお金が、継母の酒代、もしくは滅多に着ない高価な着物に消えていったのはもはや、疑う余地もないであろう(父は結構稼いでいたから)。当時の私は、精神的にも体力的にも毎日ヘトヘトで、胃の痛みで動けなくなることもしばしばだったが、それこそが、私のきんぴらゴボウにまつわる思い出その2、なのである。

幸い、その後家を出て、長い長い紆余曲折を経て、私はゴンザと出会うことが出来た。きんぴらゴボウは彼の大好物であるから、私はしばしばそれを作るのだが、ゴボウを刻むたびに、色んなことを思い出し、おセンチになってしまう自分をどうすることも出来ないでいる。
しかしある時、ゴボウを刻みながら、それにまつわる思い出と、湧き上がってくる感情についてゴンザに打ち明けてみたら、実にあっけらかんとこんな答えが返ってきたので、それが私のきんぴらゴボウにまつわる思い出その3、となった。

「そっか。でもそのおかげでこんなに上手にゴボウが刻めるようになって良かったね!だからerimaちゃんのきんぴらはこんなに美味しいんだ♪」

もしかしたら、母が出て行った当時、私がもっとちゃんとした食事を作れていたら、父はあんな女と再婚することもなく、妹や弟もこんな思いをしなくて済んだかもしれない。
きんぴらゴボウにまつわる私の思いは、依然、苦いものには違いないけれど.....。
今の私には。
こんな風にその思いを救ってくれる人がいる。
そして、そんなおセンチを呼び起こすきんぴらゴボウが、私の得意料理であることは、紛れもない真実なのである。
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