猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

結ばれる思い。【5月6日】結願<旧小机領三十三所観音霊場>三十三番、そして三十二番再び

2008年05月26日 19時05分21秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

長きに渡ってお送りしてきました、この『旧小机領三十三所観音霊場』巡礼記ですが。

5月6日は、いよいよ、朝から最後のお寺を目指します。

 

GW最終日、巡礼最終日は絵に描いたような快晴!
目指すは『こどもの国』の先~♪

 

前日は、ちょうど雨の降り出した頃、
その日の目標であった、三十二番さんまでたどり着き、
ご住職から、

「明日、三十三番さんではご住職がいらっしゃらないから、
 結願したらここへ戻って来なさい。
  最後のページに結願の印を書いてあげるからね」

と言っていただき.....

我々が巡るお寺は、三十三プラス一、となりましたが、
これも観音様が結んでくださったご縁。

 

前日70キロ走行した我々にはアッという間の到着。
三十三番【法昌寺】<開創年代不明>
旧小机領三十三所最後のお寺は、
小机城主笠原越前守室の寄進により開かれたとかで、
ご本尊は、春日局作と云われているそう。
そもそも、子年観音三十三所巡りも、こちらの和尚さんが、
一番泉谷寺の転誉上人を訪れ相談したのが始まりとか。
平成8年、区画整理のために移転。
なるほど、三十三所の位置が微妙に順序どおりでないのは、
移転のせいもあるんですなぁ。

 

そういえば、結願の『結』は、『むすぶ』という字を書きますが、
それはもしかすると、『願いを結ぶ』という意味合いと共に、
『旅をする間、様々な人やものとのご縁を結ぶ』という意味も持つのかもしれません。

ときに、願いを結ぶよりも大切な、『結ぶ』という意味を.....。

 

最初にも説明しましたが、この綱は、観音様の手と結ばれています。
つまり、巡礼者はこの綱を触ることにより、
観音様の手に触れたことになるわけですね。

 

思えば、毎度日帰りの旅ではありながら、色んなことがありました。
たくさんの出会いがありました。

笑いながら会話を交わす出会いだけでなく、
一言交わすだけの出会い。

視線を交わすだけの出会い。

 

おお、全部御朱印が揃った~♪
二人とも、よく走ったねぇ!

 

 

昔ながらの前掛けをかけた酒屋のおじさん。
道を教えて下さってありがとう。

一番最初のお寺で、三十三並んだ石の観音様の意味を教えてくれた、
帽子のおじさん。
ありがとう。

 

 

美味しいお茶と、心のこもったおやつを笑顔で出してくださった、
各お寺の檀家の奥さん方。

御朱印を押しながら、仏像についてや、そのお寺について、
色々教えて下さったおじさんたち。

本当にありがとうございました。

 

    

    

 

そして、この凸凹二人組みの旅を優しく見守って下さった観音様。

各お寺のご住職。

この長い巡礼記にお付き合いくださった皆様方。

本当に本当にありがとうございました。

 

    



 

願わくば、
こうして皆様と私たちが不思議なご縁で結ばれたように.....

 




 

どうか皆様の願いも結ばれますように。

 



                        

 

追記:長距離を頑張って走ってくれた、チャリンコちゃんたちもありがとね~♪
    .....あ、お留守番を頑張ってくれたちゃあこもありがとう!

 

長い巡礼記にお付き合い下さいましてありがとうございました!

 

三十三番 【法昌寺】 横浜市青葉区奈良町2035-1

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いつか来る道、帰る道。【5月5日後編】名もなき者こそ。<旧小机領三十三所観音霊場>三十~三十二番

2008年05月25日 19時00分01秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

三十三所観音霊場めぐりも、いよいよ終盤を迎え。

最後の山場ともいえる、長距離移動をこの日もしたわけですが.....

 

あれ?そこでシャコタンになって逃げる猫は....!?
珍しくふられたねぇ、ゴンザ(笑)
さては雨でも降るかな?

 

巡礼路はここで再び、我が家へと近づいてゆき、
その旅は、見慣れた道からヒョイと路地に入って目的のお寺を探すスタイルへと
変わってまいりました。

 

三十番【長泉寺】<開創年代不明>
町の中央に山があったことから、この地は中山と名付けられたということで、
その山腹にかつて堂宇を建立したのがこのお寺の始まりとか。
開基者は信心深い武将だった斉藤平兵衛右近という人。
戦乱の世を厭い、弓矢を捨て、この地で農耕を始めた右近さんですが、
今もこのお寺は農耕崇拝の仏様として信仰されているそうです。

 

自分達の暮らす地域にお寺が多いのは知っていても、
それがなぜなのか。
この子年観音の三十三所めぐりをするまで知らなかった我々ですが、
人間というのは、往々にして、
近くにあるものほど、注意して見ない傾向にあるのかもしれません。

 

そんな、戦乱の世を厭うた右近さんのお寺にあるのは、
近在から出征した兵士達を慰霊するための砲身。
弓を捨てた右近さんと、出征し帰らなかった兵士たちは、
今、どんな思いでこの砲身を見ているのでしょうか。

 

けれど、遠くへ旅行へ行って、大きなお寺を見るまでもなく、
私たちの暮らしの中には、小さな小さな名もなきお寺が密着していて.....

それは、特に信心深いわけでもない人間が大多数を占めながらも、
それでも寺社がそこにあり続ける私たちの国の、
不思議と美しさをあらわしているのかもしれません。

 

御朱印をいただいたあとは、こんなオリジナルのお煎餅もいただき、
再び出発!

 

.....それは、魂の帰る場所。

静かな水を見つめ、深い緑に心安らぎ、陽だまりと日陰に美しさを見る。

 

やってきたのは

三十一番【寶塔院】<開創年代不明>(約500年前)
新興住宅地の中にあるこのお寺。
弘法大師ゆかりの縁起を持ち、
伝説では承和年間(840年頃)に寶塔が建立されたとも言われているとか。

 

先ほど私は『名もなきお寺』と言いましたが、
それはメジャーな観光地図上のことで、
全国にはまだまだそんな、立派な名前を持った、
小さなお寺が無数に存在するのでしょう。

 

観音堂の中で御朱印を押して下さるおじさんに勧められ食べた(笑)
この懐かしい味は、黄粉飴と薄荷糖、生姜糖。
観音堂を出て、正式にお茶を勧めていただいた際に(笑)うかがうと、
これらは檀家さんの奥さんが手作りされたものだそうで、
「写真を撮らせて下さい」とお願いすると、
「ちょっと待って!新しいのを入れるから」と、中身を足してくださいました♪

 

二十三番のお寺でお話をうかがったとき、その方は言いました。

「300年も前にスポンサー制度があって、そうしてお経を作ったのもすごいけれど、
 今では再現できない技術もすごいけれど......
 300年それを守り続けた信者、檀家の方々もすごい。
 だからなおさらこのお経はありがたいのだ」と。

 

「あっ、雨降ってきた~!」
「じゃあ三十二番さんの前に、ケンタッキーでちゃあこのお土産を買って急ごう!」

 

お経の巻末にあるのは、スポンサーの名前だけでも、
そんな名もなき人々が、力を合わせて築き上げたのが『今』ならば.....

『名もなき者こそ』

 

自転車のハンドルにケンタッキーの袋をくくりつけたまま(笑)やってきたのは
三十二番【東観寺】<天平年中>(729~748年)
幾たびかの戦乱で荒廃、再興を繰り返したこちらは、室町時代に中興されたとか。
焼失した部分も多いものの、観音堂に祀られている観音様は鎌倉時代の作。
そういえばいくつかのお寺でも、長い歴史の中での焼失のお話をうかがいましたが、
どちらでもそのときのご住職がご本尊様を抱いて逃げたので、仏様は無事だった、
ということが多いようです。

 

お経を守る人がいて、
それを信じる人がいて。

信じるか信じないかはわからなくとも、感じる者がいて。

だからこそ成り立つお遍路の旅。

 

すごいなぁ。

 

中には、名もなき花とか、名もなき川とかいう言い方を好まない人もいるけれど、
私は好きです。

あなたも私も今は名前を持っているけれど、生まれたときには何も持たず、
いつかは、『名もなき人々』に数えられるのだから。

 

前にも書きましたが、我々は翌日。
三十三番まで行ったあと、またこのお寺に戻ってくることになります。
ここは結願の印を下さった、思い出深いお寺。

 

あるがままであることは、ときに素敵だから。

それでも私は私、だから.....

......いよいよ、最後のお寺に続きます。

 

王禅寺さんのワニさんが(←だからワニじゃなくって龍だって!)
「ま"~」だったとすると、この【東観寺】さんの鯉(?)さんは「ポェ~」(笑)
ホント、罰当たりですみません。

 

三十番 【長泉寺】 横浜市緑区中山町732
三十一番 【寶塔院】 横浜市緑区白山2-35-12
三十二番 【東観寺】 横浜市緑区東本郷1-21-1

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いつか来る道、帰る道。【5月5日中編】チャリの大三角形<旧小机領三十三所観音霊場>二十七~二十九番

2008年05月24日 18時29分16秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

いつも畑作業の合間に眺めるお寺である二十六番さんを後にし、
一路、次を目指した我々ですが。

 

そういえば子供の頃。
近所に『地蔵祭』というお祭りがあったのだけど.....
エスパー妹となぜか意味もなく、自転車に乗りながら、
「お地蔵さん!お地蔵さん!」とくり返し叫んで、
それがなぜかおかしくって仕方がなく.....
大笑いしながら延々と繰り返したことがあるのだが、
あれってなんだったんだろ?自分でも意味がわからない(笑)
お地蔵様、ごめんなさい。

 

この日は始めから、
「行くのは三十二番さんまでで、最後のひとつ三十三番さんは明日に残しておこう」
と、そう決めていましたので、適度なペース配分と、固い決意を持って(笑)
目標達成を目指すこととあいなりました。

 

二十七番【長源寺】<天平十一年>(739年)
雨乞いのお寺としても知られるこちらには、
祈願により事実雨を降らせたという記録も残されているとか。
今も残る『常香盤』(文化三年の記述あり)は時間を計る香炉で、
これにより時を知り、梵鐘を鳴らし、周辺に知らせていたのだそう。
また、こちらの子年観音様は非常にその曲線が美しく.....
いつまでも眺めていたい思いを振り切り出発するのが大変でした。
ところで、写真奥に見える一休狸さんですが。

近くで見ると、手に持った器のみならず、
口の中にまでお金を入れられてました。
寺社に行くと、どこにでもお金置きたがる人がいるけど.....
これってどうなんだろ!?(笑)

 

なんといっても、先日の地図の写真でもおわかりいただきましたように、
この巡礼路は行ったり来たり。

特にここから、二十七、二十八、二十九番さんまでは、
お寺とお寺間の距離が長く、かなりの気合が必要となります。

 

こちらにはこの子の他にも可愛いカラーをつけてもらった猫ちゃんが。
まだ幼さを残す顔。

 

また、逆にいえばそれは、
ここらがこの旅の正念場になるということにも繋がるわけで.....

ゴールがうっすら見えてきた我々は、いよいよここにきて昼食もとらず、
ひたすら自転車のペダルを踏むのです。

 

一生懸命ペダルを踏んで到着したのは

二十八番【三佛寺】<開創元和五年>(1619年)
当初『観音寺』といったこちらは、真言宗から、慶長の頃、浄土宗に改宗。
三佛寺の名は、創建当初にこの地にあった、
弥陀、観音、地蔵の三堂を合併したことによるとか。
関東大震災によりずべてが倒壊したが、再建、今に至る。

 

ええ。
ですから.....

御朱印をいただいたあとに勧めていただくお茶の、おやつの、
どれほど美味しかったことか!(笑)

 

この可愛らしい紋は、手水鉢や、
境内のいたるところに散りばめられていましたが.....
この鳥さんは何の鳥さんかな~。
境内にある刷毛塚には、仏教と深いかかわりのある経師さんたちが、
動物供養のために訪れるとか。
(刷毛の材料はヤギ・シカ・タヌキ等の毛、ですものね.....)

 

また、大して若くない我々に皆さんがかけて下さる、

「若いのに偉いねぇ!」

「順番どおりに周ってる!?そりゃあすごいねぇ~!」

という言葉も、二人を勇気百倍にしてくれます。

 

巡礼後記にも登場したこの子は、ゴンザと大の仲良しになってしまい、
ず~っと彼の手をぺろぺろ、すりすり。
で、ついには、階段の下までついてきて車にひかれそうになり、
ゴンザに抱っこされて、境内まで連れ戻されました。
(抱っこされてる間もゴンザの手をぺろぺろ&甘噛み)
でも、聞けばこの子はこのお寺の子ではなく(笑)
階段下の民家の子、なんですって。
なんだ~、おうちに戻ろうとしてたんだね。

 

『人と、場所と、小さな動物たちと出会い、
        挨拶を交わし、会話し、別れる。』

そんな当たり前のことが、全身の喜びに変わる旅路。

 

大きな三角形を描くように移動して、再び畑近くに戻ってやってきたのは
二十九番【慈眼寺】<開創年代不明>
細長い坂道の上にあるこちらがあるのは、文字通り『寺山町』。
1633年の文献には記述が見られることから、それ以前の開創と推察されるそう。

裏山一面に植えられたヤマツツジも美しく、
静かで鳥の声の声のみが響くこちらからは、町を見渡すことも出来ます。

 

.....人は生まれながらに誰かを求め、集うもの。

小ぢんまりしたお寺の境内で皆が揃って笑い、
ご住職がそこにいらっしゃる様は、
きっといにしえよりの寺院の姿、役割そのものなのでしょう。

 

文化四年に奥地神の谷に祭祀された、
倶利伽羅不動尊は農作物の守護水神。
今は遷座され、山には滝の跡だけが。

 

信ずるものがなんであっても、人は寄り添い生きていくもの。

だからこそ、小さな美しいお寺は不思議な引力を持って、
そこにあり続け、誰かを待つのかもしれません。

ずっとずっと。

 

祈りは大きさではなく、『想い』ですね.....

 

.....と、いうことで、まだまだ続きます。

 

二十七番 【長源寺】 横浜市旭区上川井町214
二十八番 【三佛寺】 横浜市旭区本村町76
二十九番 【慈眼寺】 横浜市緑区寺山町229

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いつか来る道、帰る道。【5月5日前編】お世話になってます<旧小机領三十三所観音霊場>二十四~二十六番

2008年05月23日 17時07分01秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

思わぬ素敵な誤算から、目指す二十四番寺までたどり着けなかった、
5月4日ですが.....

 

ああ、そういえば前日5月4日、
二十三番さんへ向かう途上でこんな方をお見かけしました。
この方、スイスイとその優雅な泳ぎを見せた後、
一生懸命陸に上がろうとしていたのですが.....
ご覧のとおり、川岸はコンクリートで固められ、傾斜が急なため、
なかなか上がれず、苦労なさってました(しまいにゃ首だけ岸に乗っけて休んでた)。
「行政の方~、こんなにそこかしこを固められちゃあ困ります」(byヘビ)

 

翌日5月5日。

我々はその余韻も、
あらためて向かう遠い道のりも楽しむ余裕を持って、
家を出たのでありました。

 

5月5日はこどもの日~♪
この日、鴨居駅から『ららぽーと』方向にある鴨池橋では、
地元の子供たちによる手作り鯉のぼりがたくさんはためいてました。

 

前日の走行距離は60キロとあって、多少の疲労はあるものの、
楽しいことのためならば、そんなことは大して気にならないものです。

夜もぐっすり眠った二人は、この日も元気にチャリンコにまたがり、
一路、二十四番さんを目指します。

 

今日も目指すは赤い幟~♪
フィールドアスレチック前の長蛇の列を横目に、
途中親切そうなご夫婦に道を尋ね尋ねやってきたのは.....

 

『こどもの日』にあたるこの日は、各地大変な人出が予想され、
大きな幹線道路沿いを行く我々にとっては、
この旅に自転車を選んだことが、後に「大正解~♪」となるわけですが、
(なんといっても自転車には渋滞がないからね)
えっちらおっちら坂道を行けば、そんなことを言ってるそばから、
目指すお寺手前にあるフィールドアスレチックには、
入場待ちの長蛇の列が出来ています。

 

二十四番【福寿院】<開創年代不明>(1671年?)
現在まで何度も荒廃しそうになりながらも、
そのたび村民総意で仏様を守り続けてきたというこのお寺。

優しそうな女性ご住職にぴったりの雰囲気の境内には、
たくさんの手入れの行き届いた花々がありました。

 

あいにく『五月晴れ!』とはいかないお天気ではあるけれど、
親に手を引かれ、これからそこで遊ぶ子供たちには、
きっとそれが、一生心に残る大切な思い出となるでしょう。

反抗期には気づかなくとも、ずっとずっと後になって、
それがどんなに大切なものか.....。

 

観音堂の脇には、こんなに可愛い父娘犬♪
しきりにほえるので怒っているのかと思い、
「ごめんね~、すぐに行くからね」と、いうと.....
「違うのよ、撫でて欲しくてほえるのよね~」と、ご住職。
なるほど、ナデナデするとほえるのをやめてくれました(笑)
「かわいい~♪」
ちなみにこちらの観音堂には、ワンちゃんや猫ちゃんの里親募集の張り紙もあり、
きっと心優しいご住職がそういった子たちを保護されている方と、
協力しあっているのでしょうね。
私は仏様の教えに詳しくはないけれど、きっと仏様も、
小さな動物たちが皆幸せに生きられる世界を望んでおられると信じています。

 

ゴンザが子供の頃に、そこで遊んだ思い出話を聞きながら、
私はペダルを踏み、旅路を急ぎます。

住宅街や畑の中を抜け......
かつての面影を残す風景に映るのは、各自の原風景。

「そういえばさ」
「昔さ~」

そう話せる思い出があるというのは、
人間にとって、やはり幸せなことなのだと.....

人はそれが遠い昔になって初めて、気づくのかもしれません。

 

二十五番【世尊院】<開創年代不明>
畑と丘に囲まれた、この小さな赤屋根が可愛らしいお寺は、
昭和23年子年のご開帳を控えた3月に火災に遭い、
残すところなく灰となってしまったそうですが、
その際檀家さんが木材を持ち寄り、一夜にして本堂を完成させたとか。
さらに戦後の混乱が続く中で、奈良の長谷寺まで出向き、
観音様をお迎えして、ご開帳に合わせたというお話まで。
地域の人々に愛されているって、寺社のもっとも「もとある形」な気がします。
ちなみに先日書いた『おばちゃんとの不思議な再会』の場はここでした!

 

大人になると色々あるけれど。
毎日色々あるけれど。
自転車を漕ぐときくらい、
懐かしい風景を見るときくらい、
子供に戻ってもいい。
(私は『365日、24時間子供』のダメ大人だけど・笑)

 

こちらの『力石』は、かつて力自慢の若者達が担いで力量比べをしたものとか。
大正の末ごろまで続いたその慣習は、毎年8月15日の午後に若者が集まり、
力比べの後は相撲、周囲には露店も出て夜遅くまで賑わったと記されています。
この力石の重さは、なんと米二俵分、113.5キロ。
気さくなご住職はゴンザに「体格いいし、持ち上げられるんじゃないの~?」と
そう言って下さいましたが......ええ、ピクリとも動きませんでした(爆)

 

巡礼路を行ったり来たりしながら、思いもまた行ったり来たり。

そして、いつしか見慣れた風景へ.....。

 

あっ、そうそう!二十五番さんから二十六番さんへ向かう途上で、
こんな建物、見つけました!
今は使われていないみたいだけど、これって牛舎だよね?
そういえば私がまだ子供の頃は、祖母の住む山形でも、
自宅の横に牛を飼ってるおうちがあったな~。
この建物にもそこはかとなく、牛糞の匂いが残ってました(笑)

 

そう。

この旅のはじめにも書きましたとおり、
我々がこの子年観音の三十三所ご開帳を知ったきっかけのひとつが、
畑の真横のお寺だったのですが、
いよいよそこに辿り着いたのです。

「いつもお世話になってます」

「あらためてよろしくお願いいたします」

 

二十六番【観護寺】<開創年代不明>(約500年前?)
我々がいつもその屋根を眺めながら畑仕事に励むお寺は、
その周囲をぐるっと、畑や田んぼに囲まれています。
かつては周囲の水田に映る逆さ富士が美しいことから
『富士見寺』とも呼ばれたとか。
このすぐそばにある川は昔、水量が多くてたびたび浸水に見舞われたそうですが、
今現在は氾濫もなし(すごく細くて水量の少ない川になってます)。
そういえばこのご開帳の合間にもこのお寺ではコンサートが開かれたらしく、
「様々な取り組みをなさっているのだ」と、他のお寺さんで小耳に挟みました(笑)

 

この2年というもの、我々は幾度となく、畑仕事をしながらこのお寺の屋根を眺め、
その風景に大きな安らぎを得てきたものですが、
よくやくこうして、正式にご挨拶をすることがかなって、
これからますます畑仕事にも精を出すことが出来そうです。

ただ、ちょうど、というかなんというか、
このときはどなたかの葬儀の真っ最中らしく、
写真を撮ったりとか、ゆっくりお茶をいただいたり、
というわけにはいかなかったのですが.....

これもまた、誰しもいつか来る道。

...というわけで、まだまだ続きます。

 

二十四番 【福寿院】 神奈川県町田市つくし野3-3-5
二十五番 【世尊院】 横浜市緑区北八朔町1010
二十六番 【観護寺】 横浜市緑区小山町677-9

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北北西に進路をとれ!【5/4後編】~西方寺より、西域の旅<旧小机領三十三所観音霊場>二十~二十三番

2008年05月19日 22時46分21秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

ここまで前編・中編とお送りしてきた5月4日の巡礼記ですが.....。

 

参拝者が手を拭えるよう、手水鉢の上に、
ベビー服のように仕立てた可愛いタオルがはためいているのは....

二十番【真福寺】<開創年代不明>
永らく荏田宿(鎌倉街道)の人々を守ってきたこちらの観音様は、
平安時代末期の作で神奈川県の重要文化財。
本堂内には貴重な絵馬が奉納されていて、古くは180年前のものも。
(近くにある歴史博物館にもその一部が展示されているとか)

 

なんだかんだと、登ったり下ったり、ヒイこら言ったり笑ったりしている間にも、
着々と距離を稼ぎ.....

その旅路はいよいよ本格的な山道に入り、
なおかつ、横浜市を出ることを目指すところまでやってまいりました。

 

なにやら動き出しそうな。
.....さて、我々も次へ急げ~!

 

このご開帳の間、各お寺が門を開いているのは、
朝9:00から夕方5:00までですから、
会期も残すところあと二日しかなかったこの時点では、
緻密な計画、計算、すみやかな行動こそがもっとも重要となったのです。

 

....と、一生懸命ペダルを漕いで、ゴンザの「あっ、次のお寺が見えてきた!」
の声に目をこらせば、そこにはこんな『ラーメン・ギョウザ』の幟が....
どうやら彼は遠目でこれを、三十三所の目印となっている幟と見間違えたらしい.....
二人で自転車を止め、しばし大爆笑!(笑)
はたからみたら怪しい男女(爆)

 

ましてや、その立地を無視して、あくまで順番どおりに周ろうとする我々には、
『順番どおりに周る為に何キロも戻ったり』とか、
『順番どおりに周るために、進路上に先の番号のお寺があっても素通り』
なんてことがあるわけで、そりゃあもう、あ~た。
楽しみながらも色々必死(笑)

 

ところで....
横浜にはとても竹林が多いの、知ってますか?
すっかりのびのびのタケノコを横目にやってきたのは.....

二十一番【薬王寺】<開創年代不明>
こちらのお寺は幾たびかの焼失、移転により、その縁起が不明なのだとか。
しかし、観音堂には今も、江戸幕府から賜った御朱印箱が残され...
我々もチラリとそれを見ることが出来ました♪ 

 

この日の理想としては、
我が家から一番遠い川崎市の二十二番さん、
そこから青葉区にある二十三番さん、
町田市に入って二十四番さんまで行って、翌日に備える、
というのが、進行上一番良いように思えましたので、
それを達成すべく、二人は山道を漕ぎまくりました。

 

山道を抜け、やってきたのは川崎市王禅寺。
でもその西門の前には、こんなに不法投棄の山が...。
まるで一世帯の生活用具を一式捨てたかのようなこの光景に、
怒りよりは哀しみを感じます。
こういうことするヤツって、どんな育ち方したんだろ?

 

今はアスファルトで舗装され、車がときに行き過ぎるその道は、
自転車も走りやすくはあるものの、人けもまばらで、
周辺の景色は、往時の巡礼者も見たであろう自然の姿を色濃く残しています。

 

二十二番【王禅寺】<開創延喜二十一年>(922年)
関東の高野山と呼ばれるこちらは、醍醐天皇より王禅寺の名を賜ったとか。
境内には、『禅寺丸柿』の原木もあり、北原白秋の句碑も。

こちらの山門に続くのは、こんな、木々のざわめきと鳥の声だけが響く道。
なんか、タイムスリップしたみたいだ~。

 

ただ、違うのは。
その景色の手前に、残土処理施設や廃棄物処理の会社が点在することで、

「人は自分達の目の届かないところへ見たくないものを運ぶのか.....」

そんなことを思いながら、我々は鬱蒼とした木々を眺め、
そのひんやりした山の空気を肌に受けながら、進み続けたのです。

 

きっと仁王様も苦々しく思ってらっしゃる。

 

 

そして、やがて山を抜け、再び平地へ。

そう。
このときまでは我々も、『当初の目標どおり、二十四番さんまで進める!』と、
そう思っていたのです。

 

こちらの台座には幕末の年号が。

「おおっ、この龍さんは、龍というより、なんだかワニみたいだねぇ」
(↑非常に罰当たりで失礼なerima発言)
と、そんなことを言いながら、王禅寺を後にして.....

 

しかし....
思いもかけず、二十三番さんで待っていたのは、
先代ご住職と思われるお方の、熱い熱いお話でした。

それは、とてもありがたく、感動的で、面白いお話。

様々なエピソードを交えながらの、
『いにしえよりの日本の文化・技術がいかにすぐれているか』。

実際に貴重な宝物にほんの少し触れさせて下さりながらの、
『日本人はいかに誇りを持つべきか』。

 

やってきたのは徳恩寺。
「今日はここから二十四番さんまで周れると明日が楽だねぇ」
でも、思わず面白いお話に引き込まれ....
気づけば4時45分!(笑)

 

ここでじっくりお話を聞かせていただいたために、
この日(5月4日)西方寺から始まった旅路は、
当初の目標だった二十四番まではたどり着けず、
翌日はまた、一番遠いお寺の中のひとつ(二十四番さん)から
そのスタートをきることにはなってしまいましたが.....

 

二十三番【徳恩寺】<開創建武二年>(1335年)
こちらはかの徳川家光から、寺領七国を賜ったお寺。
また、柳沢吉保の一族より寄進された大般若経六百巻が一巻も欠けずに
保管されていて、我々もちょこっとだけ、触れさせて頂きました。
この六百巻が出来上がるまでのエピソードはとても感動的で、
「それを作るのに四万の木版が必要だった」とか、
「今の印刷技術などは、当時の技術に遠く及ばない」という話、
また、一族使用の駕籠を実際に示して下さり、
今でいうドリンクホルダーや可動式テーブルがあったことなど見せて頂き、
ものすごく面白かったです!

 

この巡礼路西端のお寺で見たもの、聞かせていただいたお話は、
旅の思い出の中でも、もっとも貴重な、忘れられないもののひとつとなりました。

これぞ旅の醍醐味!

翌日。
5月5日へ続きます。

 

二十番 【真福寺】 横浜市青葉区荏田町432-8
二十一番 【薬王寺】 横浜市青葉区大場町259
二十二番 【王禅寺】 川崎市麻生区王禅寺940
二十三番 【徳恩寺】 横浜市青葉区恩田町1892

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