猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

チラリズムがキモ。 〜旧東海道歩き〜

2021年03月31日 23時59分38秒 | 東海道五十三次

 

 

三島を出て、わずか10分程度で早くも鰻屋に引っかかる(笑)

あまりにもいい匂いだったもんだから@桜家

 

 

「人は富士山だけでは頑張れない」

 

そう思ったのは、初めてである。

旧東海道歩きも三島を越えて、

まずは美味い鰻に舌鼓を打ったはいいが、

その後の景色の単調さに...。

 

いや、富士山はよく見える。

 

なんなら丸ごと、大開放。

 

角度を変えつつ、陽も当たりつつ。

 

そりゃあもう美しい!

 

...のは間違いないのだが。

 

いかんせん、 歩く者の両サイド。

 

ひたすら住宅街が続くのだ。

 

かな~り長い、住宅街が。

 

 

旅人にはなぜか、少し心細い風と景色。

 

 

...そして側溝。

 

穴の空いた蓋がついた側溝が、

もう、ただただ、歩く者の足に、

地味~にダメージを与えてくる。

 

もはや箱根より難所?と思えるほどに(笑)

 

歩き続けて、

「精神を削られる」と感じたのは、

あれが初めてである。

 

地形から?

吹き抜ける風の強さも

関係したかもしれないが。

 

かつては賑わったであろう道も、時代と共にか、所々こんな光景も。

 

あ、いや。

 

誤解されると困るから言うが、

お住まいの方には、

とても素晴らしい環境だとは思う。

 

少し道を外れさえすれば、

もっと大きな、新しい街道が通り、

不便も何もなく生活出来るのだろうし、

何より美しく壮大な富士山が、

いつも目の前にあるのだ。

 

だが、旅人には...

 

その壮大さが恨めしい(笑)

 

あの、箱根を降りる際の、

 

「わあ~♪富士山が見える!!」

 

という『はしゃぎっぷり』はどこへやら。

 

やはりチラリズムというのは、

トキメキという点において、

いつも不可欠な要素らしい。

 

実際、その『難所』を通り抜け、

再び薩埵峠あたりでチラリ富士が見えた時は、

大喜びしたし(爆)

 

富士川を渡る橋上からの富士は最高だったし。

 

結局は見る人の心?見よ!富士川橋上からの富士の美しさを!

 

 

もはや、どんどん進んで、今や富士山など、

少しも見えなくなってしまった

旧東海道歩きの旅ではあるが。

 

これまでのところは、

実は『変わらぬ景色』が、

旅人には一番の『難所』なのではないか、

と思っている次第である。

 

 

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自慢じゃないけどな!

2021年03月28日 00時22分40秒 | ぶ~すか言ってやる!

 

コロナ禍で迎えた11周年。

「おかげさまで」と「ありがとう」の。

 

 

嫌がらせか自粛警察か。

 

はたまた、誰ぞにガセネタを掴まされたか。

 

「深夜2時まで営業しているって聞いたんですけど」

 

とかいう電話がかかってくる。

 

当然、時短要請に従っている我々は、

その旨伝えて電話を切るのだが...。

 

(現在21時閉店です)

 

はて。

 

相手の目論見は何だろう?

 

っつーかな、兄ちゃん。

 

そもそもうちはコロナ前でも1時閉店だったぜ?

なんなら元から、隙さえあれば早仕舞い、なぐらいだ。

午前2時だぁ?

残念ながら、オレたちがそんなに働きモノだったことはねぇ!(キリッ)

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天下の険がよく出来ている件。

2021年03月13日 02時49分08秒 | 東海道五十三次

 

旧東海道は、長い歴史と現代化の中を潜り抜け。

 

 

旧東海道歩きをしていて感心するのは、

歩く上でそれが、

本当によく出来ている道であるというコトである。

 

もちろん時代の変遷により、

多少、道や坂が付け替えられたり、

舗装がされたりの変化はあるだろうが、

高低差や、難所の抜けかた等、

本当にあらゆる意味で、

誰もが歩くことの出来る道であるのだなぁ、と、

感心せずにはいられない。

   

それは長い歴史の中で、

人々が積み上げた

『データ』に基づく改良の成果でもあるのだろうが、

それにしたって重機も何もない時代に、

あれだけの道筋をつけてゆくのは、

まあどれほどの苦労だったろうと、

驚嘆することしきりである。

 

『天下の険』の呼び声高い、箱根の山も、

登る前にはなかなかびびっていたはずが、

通り抜ければ「あれ?もうてっぺん!?」

といった風だったし、

往時の機能はとうに失ったとしても、

今尚、面影を残す宿場町は、

本当に絶妙なタイミングで目の前に現れ、

史跡や痕跡を眺めつつの、適度な休息をくれた。

 

すなわち、昔の旅人なら、

どれほどこの宿場の存在が有難かったか...

 

そういうことに尽きると思う。

 

...歩いてみれば。

 

箱根の杉並木は、旅人に木陰を与えようと、

徳川幕府が整備させたものだそうである。

 

なるほど、実際、晴れた日には、

(実際、我々が歩いた日も)

その必要性が嫌というほどわかる。

 

箱根の山は天下の険。

 

されど、天下の険は、

殊の外、よく出来ている件。

 

旧東海道歩きはまだまだ続く。

 

昼猶闇き杉の並木。

 

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