猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

女心と秋の空♪   後編

2007年10月31日 03時26分27秒 | お出かけ

さて。

二人ででかけた『イリヤ・カバコフ展』。

遊歩道をそれた通路の先になにがあったかといいますと.....

 

音に誘われ浮かれた私。
どうやらスキップしていたらしい。
ゴンザにしっかり撮られてた(爆)

 

ほの暗い小道からいきなり視界は開けて.....

そこは見渡す限りの明るい海!でした~。

 

おおっ!浮世絵みたいだ~

 

きらきらと輝く、遠い波頭。

浜辺に近い波間には、ぷかぷかとサーファーが浮き、
波打ち際にはしゃぐ犬。

砂浜に点々と残るそれぞれの足跡。

それに.....

決死の覚悟でこんな写真を撮る男(笑)

 

これを撮った後、ゴンザはびしょ濡れ一歩手前の危機に陥る(笑)

 

砂浜に降り、景色を眺め、静かな秋の海でしばし穏やかなときを過ごした我々は
(いや、充分はしゃいでいたような気もするが・笑)
そこでようやく、今日出かけてきた本来の目的である『イリヤ・カバコフ展』の会場へと、歩みを進めたのでした。

 

美術館の中にはこんなに可愛いルールブックが。
これ、是非大人用も作って欲しい。
『美術館の中ではヒールの音をけたたましく鳴らしながら歩くな!』とか、
『そこのオヤジ、でかい声でしゃべるな!』とか(笑)

 

社会主義下のソ連で、長らく、絵本や図鑑の挿絵画家として活躍してきたイリヤ・カバコフ。

生まれがウクライナで、幼少時には戦火を逃れてウズベキスタンに逃げたこともあるというけれど、それぞれの土地でみたものが強く影響しているのか、独特の色彩で豊かに、多くのものを描き出しています。
(ロシアは広いもんね~。映画『ひまわり』の広大なひまわり畑のあるウクライナは東ヨーロッパ。ウズベクは中央アジア)

また逆に、タッチが、同じ人間が描いているものでありながら時に大きく異なることもあって、そのあたりも興味深い。
(中には色彩、ライン共に浮世絵に影響を受けたに違いないと思われる作品もいくつかあった)

きっと、国家の思惑がどうであれ、ソ連が当時力を入れていた宇宙開発や、天然資源の発掘を、こんな絵と共に学べた子供たちは楽しかったことでしょう。

私とゴンザは小声で様々な感想を述べ合いながら、美術館を後にしました。

 

 

美術館を出ると、そこにはさきほどより少し青が薄くなった空が.....

トンビは相変わらずくるくると輪を描き、ときに鋭く滑空します。

 

美味しいものを食べ。

綺麗な景色を眺め。

素敵な絵を見て過ごした我が家の週末。

日記の方はなんだか長くなってしまったけれど.....

楽しんでいただけましたか?

 

俗に、世間では変わりやすいものの喩えとして『女心と秋の空』なんてことを申しますが.....

この週末の私の女心は、大変に満足し、秋の空を見上げたのでした。

ツマ様~、本当にありがとうございました~♪

 

コメント (9)
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女心と秋の空♪   前編

2007年10月30日 06時04分38秒 | お出かけ

日曜日のこと。

アホみたいないいお天気の中、葉山へと出かけてまいりました。

 

葉山の空にはトンビがく~るくる~

 

と、言いますのも、とってもとってもお優しい『さかなのはなぢ』のツマ様より、「よろしかったら」と、こちらのチケットを頂いたからなのですが.....
(ツマ様、本当にありがとうございます~♪)

 

イリヤ・カバコフ展

 

まずは、美術鑑賞、と参りますその前に。

何事をするにも、『食べる』という行為から発想を切り離せない我々のこと(笑)

『せっかく来たんだから』と、葉山にある美味しいパスタ屋さんでの腹ごしらえ、から始めてみました。

 

まずは前菜
『地ダコのレッサート』

『いわしのマスタードソース』

 

ここは、カウンターだけの小さな小さなパスタ屋さん。

初めて訪れたとき。
麺がモチモチと美味しくって、それがあまりに素敵だったので、確か前回行ったときは『どこの麺を使ってるんだろう?』と、ゴンザと二人、挙動不審になりつつキッチンをジロジロ眺めまわしたものですが、やはり今回もその麺の美味しさは変わらず、『ああ、あれも食べたい、これも食べたい』と、再々訪を誓った次第。

 

こちらはゴンザ注文の
『パルメザンチーズと黒コショウのパスタ』(大盛り)
写真はありませんが私は『明太子とイカのパスタ』をチョイス♪

 

そしてそして、おなかいっぱいになりましたら、またもや寄り道(笑)

何せ、美術館のまん前は海です。

ふと波の音に誘われて、お散歩なんかもしてみました。

 

神奈川県立近代美術館はとっても綺麗な建物

遊歩道も素敵です♪

 

遊歩道をひょいっとはずれて、どこに行ってもそうであるように『こっちに行ってみようか?』『あれ?これなんだろ』。

我々の行動はいつも思いつくまま気の向くまま。

そしていつもその先には.....

 

と。
ホントはこの先を書きたいんですが。
長くなりそうなので明日に続きます(笑)

コメント (6)
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気持ちいいっす♪

2007年10月28日 13時50分51秒 | 携帯から
海~♪
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いいお天気♪

2007年10月28日 12時29分03秒 | 携帯から
今日は葉山に来ています♪
いや~、いいお天気!

雪をかぶった富士山がくっきり見えてきれい~♪
コメント (2)
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ピンチはチャンス。

2007年10月26日 23時38分06秒 | ぶ~すか言ってやる!
子供にとって、自分の親が『最低の人間』であることを認めるのは辛いものだ。
私自身の経験から言っても

また、その『最低の親』に育てられた子が、その事実に気づくのはとても難しい。

ある時期まで、子にとって親は自分の世界の大半をなしている存在であろうし、その子の価値観のベースを形作る上において、親の教え、親の姿が大きな影響を与えるのは明らかだ。

親のほうにどんな思惑があろうとも、親がどれだけ身勝手であっても。
子供は親に、ある時期まで全幅の信頼を寄せるものだ。

.....たとえその親に捨てられたとしても。
私にはそれがよくわかる。

しかし、ある時期から、子は親を『一人の人間としてどうであるのか』、判断せねばならない。

常識はあるか。
思いやりはあるか。
卑怯ではないか。
自己中心的な人物ではないか。

その判断が出来るようになったとき、それまで歩んできた道と、己がこれから歩むべき道がよく見えるようになってくる。

世間で騒がれている亀田一家の問題。
私はあの長男を見るたびに切なくなる。
最低の親に間違った価値観を植えつけられ、過剰な自己投影をされ、いい時だけ『俺の子』と言われる。
問題が起きればオヤジは素早く逃げて、後に残されたのは子供の純粋な親を思う気持ち。
兄弟を守りたいと思う気持ち。
それだけだ。

今まで味方になってくれていた大人達は「それとこれとは別」と、冷ややかな目で遠巻きにヒソヒソ声で何事かを囁き、真ん中に経たされた20歳の子供は全身をハリネズミのようにして震えるだけ。

汚い、ウソだ、誰も信じられない、と。

しかしそれでいいのだと思う。
大人になる過程はそこから始まる。

『こいつらいつか見ていろ』と、悔しがるのもまたよしだ。
世の中は矛盾で出来ている。
そしてその世間の矛盾こそが、己の生きている社会を支えているのだと、いつか気づけばいい。

敬語がなっていない?
では完璧に使いこなせるようになればいい。

身なりが悪い?
それなら皆さんのお気に召すよう、身なりをととのえて出かけてみればいい。

世の中なんてちょろいもんだ。
敬語が完璧に使えれば『しっかりしてる人』と言われ、
挨拶が出来れば途端に『いい人』と呼ばれる。
着るものがきちんとしていれば買い物へ出かけても店員の態度すら変わるし、もしかするとサービスのひとつも受けられるかもしれない。

腹の中で舌を出したとしても。
それらのことを実行し続けていれば.....いつかは。

なぜきちんとした敬語が必要なのか。
身なりをととのえねばならないのか。
その理由が見えてくる。

そして、それが見えたとき、自分の親がどんな人間であるのかも、自然に見えてくるはずだ。

世の中は汚いものでいっぱいだけど、そんなに捨てたものでもないということも。

ピンチはチャンスだ。
自分をピンチに追い込んだものの懐に飛び込んで、味方につけるチャンス。

それがわかったとき。
『この野郎、いつか見返してやる』が、『こうなっておいてよかった』になるだろう。

人は多くのものを吸収して初めて、いつかそこから優しさを滲ませることが出来るのだから。

<以前に書いたこの問題についてはコチラ>(←クリック)
コメント (4)
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