猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

ルーツを辿る旅

2005年06月04日 05時16分29秒 | ルーツ
今日、19歳の女の子と話していて、ひょんなことから彼女がバラ好きであることを知った。
が、「バラが好き」にも色々あって、見るのが好き、飾るのが好き、はたまた男性から贈られるのが好き(笑)など、人によってそれぞれ、バラに対してのスタンスが違う。
もちろん美しい花を見るのが嫌いな人などいないだろうけれども、いざ自分が育てるとなると、
場所の問題、世話をする手間の問題、時間の問題などクリアしなければならない条件も山積み。
何より、若いうちは目もくらむような楽しいことがいっぱいあって、私などは植物を育てる心の余裕も、世話をするだけの忍耐もなかったように思う。
しかし、前出の彼女は「バラの世話が楽しい」と言った。夢中になってしまうのだ、と。
私は驚いて、その心のゆとりはどこからくるのだろう、あの若さにして、何かを育むことの楽しさを知る懐の深さはどこからくるのだろうと考えた。そして、彼女と話を続けるうちにその理由が見えてきたような気がして、はっとした。

聞けば、彼女のお母様は彼女が幼い頃から植物をたくさん育てていたそうで、植物に触れること
は彼女にとって自然なことであるらしい。今バラを世話しているのも、大学で学んでいることの一環で「他のどの植物よりバラが楽しい」のだと、彼女は話してくれた。

私はその話を聞きながら、自身にも思い当たる節があることに、ふと気が付いた。
それはまだ私が幼いころ、ほんの、ほんの僅かだけ私の家族に平穏な時期があったとき、母が育てていた、スズランや大きな大きな牡丹の花、トマトやナスの思い出だ。
スズランや牡丹のとっても良い香り。採りたての野菜の青臭さ。
小さな花壇の横には鳥小屋があり、私が買ってきたカラーひよこから成長した「人を襲うニワトリ」がいた。鳥を何より愛した父が飼育する、本来なら飼ってはいけないはずの野鳥、メジロやウグイスなどもいて、そのすり餌に混ぜるハコベを採ってきてはすり鉢ですり、彼らに与えるのは私の役目だった...。

その後、家族は運命の渦に巻き込まれ、みんなバラバラになってしまったけれど、私の原風景は今もそこにある。植物を育て、野山で食べられるものを探し、釣りを楽しみ、自然の怖さを知る。
それはみんなみんな、両親が教えてくれたものだった。残念ながら、それを教えてくれた両親は、その後、その楽しみを捨て、まったく逆方向の人生を歩むようになったけれど、それでも、私の中にその思い出が残っている限り、それはルーツと言え、それこそが私を、どんなときも支えてくれたのだ...。

そして19歳の彼女の未来も。
彼女のルーツが彼女を支え、彼女を楽しませ、彼女の道を創る道しるべになる。
結婚して、子に伝え、そうやって永遠に、続いていくのだろう。


私は誰かに...ルーツを伝えられるだろうか...?
コメント (9)
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