『枇杷と蘇の前菜』
『酪』や『蘇』、そして『醍醐』という食品の存在を知ったのは、
どれぐらい前のことだったろうか?
確か、どこかの乳製品メーカーがスポンサーとなって制作された、
TVの再現・検証番組だったと思うのだが...。
古代日本の『チーズ』であったというそれらが、
薬として、または神への供物として用いられていたと知って、
さらに製法の失われた『醍醐』というのが、
『醍醐味』という語の元となったと知って、
かねてより、本物がもし存在するなら見てみたい、
味わってみたいと、強く思っていたのだ。
失われたものへの憧れは、長く人の心に残るもの。
歴史遺産に多くの人が魅了され、訪れるのも、きっとその証しだろう。
そして、突然の『蘇』との出会いは、まさにその、歴史遺産の真っ只中で訪れた。
だだっ広い、山に囲まれた、ロマンのど真ん中で。
紀伊半島一周旅の最終日。
飛鳥寺を見学した我々は、すぐ横にある、土産物屋に立ち寄った。
「こんなになんにもないところだから、お土産もまた...」と、
あまり期待しないで。
が、ふと目を留めた、店内隅の冷蔵庫には、なんと、
『蘇』の文字が控えめに輝いているではないか!
迷わずそれを手にとった私は、ゴンザに「凄いものを見つけた」と伝え、
代金を支払うと、大事に土産ものとして持ち帰ったのである。
なんでも、その販売されていた『蘇』は、
奈良県で、考古学の先生によって復元され、
その際に協力された業者さんのご苦労もあって、
今の形になったもののようだが、
初めて食べるそれは、想像したよりザラザラしていてでもミルキーで、
そう、ちょうど『オシドリのミルクケーキ』の甘さを取り払い、
柔らかくしたような、えもいわれないものだった。
それをゴンザは、同じく土産として和歌山から持ち帰った枇杷と合わせ、
前菜として、店で供したのだが、
これは思った以上に反響を呼び、
買って帰った『蘇』は、たった一日かそこらでなくなってしまった。
そして...
そこから、思いもかけないゴンザの挑戦が始まった。
なんと彼は、自分の手で、一から『蘇』を作り始めてしまったのである!
曰く、
「飛鳥時代の名も知らないオッサンに作れたなら、
現代のオッサンである俺にも作れるはずだ」と。
牛乳をひたすら煮詰め、
けれど決して沸騰させてはいけないらしい『蘇』の製造には、
何時間もの根気と体力が必要となるらしいが、
格闘のあげく、ついに立派にそれを作り上げてしまった当人曰く、
「今は調理器具の性能がよくて火力調整も簡単だから...
昔の人はもっともっと、本当に大変だったと思うよ」
こんな風に出来ました!
果たして。
再び店で出されるようになった『蘇』は、
まずは「『蘇』ってなんですか?」という、
お客様の疑問と共に、好評を頂いている。
舌と好奇心を満足させてくれる、ロマンの味で。
はて。
当時は貴族しか口に出来なかったという、『古代の味』を、
今、普通の人々が、ワインやフルーツに合わせて楽しんでいると知ったら...
さらにそれが、『ふざけた横浜のぽっちゃりしたオッサン』の手で、
提供されていると知ったら。
『飛鳥時代の名も知らないオッサン』は、どう思うだろうか。
私は、
「まずはオッサン言うのやめい!」と怒るだろうと思うのだが(笑)
『醍醐』の製法は失われても、
食べること、分かち合うこと、
探究心に好奇心。
生きることの『醍醐味』は、受け継がれてゆく。