猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

料理の『醍醐味』

2016年06月30日 02時01分53秒 | 美味しいもの

 

 

『枇杷と蘇の前菜』

 

 

『酪』や『蘇』、そして『醍醐』という食品の存在を知ったのは、
どれぐらい前のことだったろうか?

確か、どこかの乳製品メーカーがスポンサーとなって制作された、
TVの再現・検証番組だったと思うのだが...。

古代日本の『チーズ』であったというそれらが、
薬として、または神への供物として用いられていたと知って、
さらに製法の失われた『醍醐』というのが、
『醍醐味』という語の元となったと知って、
かねてより、本物がもし存在するなら見てみたい、
味わってみたいと、強く思っていたのだ。

失われたものへの憧れは、長く人の心に残るもの。

歴史遺産に多くの人が魅了され、訪れるのも、きっとその証しだろう。

そして、突然の『蘇』との出会いは、まさにその、歴史遺産の真っ只中で訪れた。

だだっ広い、山に囲まれた、ロマンのど真ん中で。

紀伊半島一周旅の最終日。

飛鳥寺を見学した我々は、すぐ横にある、土産物屋に立ち寄った。

「こんなになんにもないところだから、お土産もまた...」と、
あまり期待しないで。

が、ふと目を留めた、店内隅の冷蔵庫には、なんと、
『蘇』の文字が控えめに輝いているではないか!

迷わずそれを手にとった私は、ゴンザに「凄いものを見つけた」と伝え、
代金を支払うと、大事に土産ものとして持ち帰ったのである。

なんでも、その販売されていた『蘇』は、
奈良県で、考古学の先生によって復元され、
その際に協力された業者さんのご苦労もあって、
今の形になったもののようだが、
初めて食べるそれは、想像したよりザラザラしていてでもミルキーで、
そう、ちょうど『オシドリのミルクケーキ』の甘さを取り払い、
柔らかくしたような、えもいわれないものだった。

それをゴンザは、同じく土産として和歌山から持ち帰った枇杷と合わせ、
前菜として、店で供したのだが、
これは思った以上に反響を呼び、
買って帰った『蘇』は、たった一日かそこらでなくなってしまった。

そして...

そこから、思いもかけないゴンザの挑戦が始まった。

なんと彼は、自分の手で、一から『蘇』を作り始めてしまったのである!

曰く、
「飛鳥時代の名も知らないオッサンに作れたなら、
現代のオッサンである俺にも作れるはずだ」と。

牛乳をひたすら煮詰め、
けれど決して沸騰させてはいけないらしい『蘇』の製造には、
何時間もの根気と体力が必要となるらしいが、
格闘のあげく、ついに立派にそれを作り上げてしまった当人曰く、
「今は調理器具の性能がよくて火力調整も簡単だから...
昔の人はもっともっと、本当に大変だったと思うよ」

 

こんな風に出来ました!

 


果たして。

再び店で出されるようになった『蘇』は、
まずは「『蘇』ってなんですか?」という、
お客様の疑問と共に、好評を頂いている。

舌と好奇心を満足させてくれる、ロマンの味で。

はて。

当時は貴族しか口に出来なかったという、『古代の味』を、
今、普通の人々が、ワインやフルーツに合わせて楽しんでいると知ったら...

さらにそれが、『ふざけた横浜のぽっちゃりしたオッサン』の手で、
提供されていると知ったら。

『飛鳥時代の名も知らないオッサン』は、どう思うだろうか。

私は、
「まずはオッサン言うのやめい!」と怒るだろうと思うのだが(笑)

『醍醐』の製法は失われても、
食べること、分かち合うこと、
探究心に好奇心。

生きることの『醍醐味』は、受け継がれてゆく。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな美の宇宙。

2016年06月28日 16時41分36秒 | お出かけ

 

『澤乃井櫛かんざし美術館』は、小さな美の宇宙が詰まった場所。

ちょっと、都心からは離れているかもしれないけれど...

競い合い、知恵を絞った、江戸の職人の凄まじさをぜひ!

 

多摩川の、澄んだ流れも美しい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私はいつでもどこでも飲みます(運転の方は豆乳で!)。

2016年06月27日 14時51分21秒 | お出かけ

 

梅雨の合間に昨日は青梅。

 

美しい、多摩川の流れを横目に見ながら。

 

何しに行ったかは、また明日!

圏央道が出来て、横浜からも便利になったのね♪

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一緒に笑う。

2016年06月23日 05時49分35秒 | つぶやき

赤ちゃんが大型犬に触ろうか迷っていると?大型犬から歩み寄って赤ちゃんの顔をペロペロ ★ "かわいい 犬"

 

赤ちゃんの笑い声って、みんなを幸せにするよね♪

優しいワンちゃんの眼差しも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きとし生けるもの。

2016年06月19日 06時51分28秒 | つぶやき

 

房総半島巡りをしていてふと、目を留めたのは。

 

 

『馬乗り馬頭観音』は、文字通り、馬に乗った馬頭観音像である。

先日、近頃のマイブームである『房総巡り』を、
またまたしていた際に、偶然見つけた。

その姿が、あまりに変わっていて、
これまでにはそんな石仏は、まるで見たことがなかったので、
帰ってからネットと首っ引きでいろいろ調べて、
ついにそれが、『馬乗り馬頭観音』という、
ほぼ房総半島特有の道祖神であることを突き止めたのである。

 

確認されている262基のうち、242基が千葉県にあるそうです。

 



『馬頭観音』は、頭上に馬頭をいただく観音で、
一般的には、
『頭上の馬頭が断ち切れない煩悩を、草を食むように食い尽くしてくれる』
と、信仰されていたものだそうだが、
同時に、街道などで、交通や輸送の安全を祈って、
道しるべも兼ねて、作られたらしい。

まあ、この辺は私などが下手に説明するより、
詳しい方がたくさん、HPやブログで解説されているので、
興味のある方はググって頂ければと思うのだが、
さて肝心の、「なぜ千葉の一部の馬頭観音が馬に乗っているのか?」については、
今のところ、あまりわかっていないようである。

 

愛馬や牛の供養のために建てられたものも多いとか。

 


さらに私はといえば、
この観音像のことを調べる過程で出てきた、
『馬捨て場』とか、『馬の血取り場』という、
何やらおそろしげな響きに、
調べ物の数をまた増やしては、てんやわんやの状態だったワケだが、
どうやら結論としては、『馬捨て場』も『血取り場』も、
想像したようなおそろしい理由でそう名付けられたのではないようで、
少しホッとしているところである。

 

その他『七里法華』とか、知らなかった言葉がいっぱいの千葉!

 


何より、馬頭観音や牛頭観音が、
自らを救って下さるのと同じように、
使役された馬や牛を救ってくれるようにと願う、
人々の気持ちがあったのだと知って。

「決まりだから」と、『馬捨て場』に、ただ、遺体を捨てに行くのは偲びないと、
もし、それらを建立したのなら...

それもまた、誰かの、道しるべとなるのではないかと。

 

それにしても!何度行っても奥が深い千葉県...すげえ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする