そして、とうとうその日がやってきた。
その日の私は、何の根拠も知識もないのに、「そろそろだ」と感じていた。
そして午前4時頃、何かの予感を感じて外に出て、階段を下りてみた。
すると、ちびたがすっきりした姿で階段下に「ちょこん」と待っている。
やはり生まれたのだ。
そこで私は「赤ちゃん生まれたの?大丈夫だった?どこに生んだの?」と声をかけてみる。
もちろん、声をかけはしたが、それはちびたの頑張りに対してのねぎらいの言葉であり、本気で「どこに生んだの?」と聞いたわけではない。しかし...。
次の瞬間、ちびたはくるりと背中を向け、私から離れていった。そして何メートルか進んで振り返り、「こっちだ」と鳴いた。実際には振り向いて「にゃ~ん」と鳴いただけだが、明らかにその姿は、私をその方向へ誘っている。
私は恐る恐る、ちびたの後ろをついていった。彼女が嫌がるのなら、私は子猫の居場所を知りたいと思わなかったし、探そうなどとも思っていなかった。でも今は。彼女が「こっちへ来い」と誘っているのである。数メートル進んでは振り返って私がついてくるのを待ち、確認してからまた進む。そして、マンション裏手にある、小さな草むらに到着すると、ある場所に座って「にゃ~ん」と私の顔を見上げながら鳴き、すぐに「ヒョイ」と体をどけた。
こんなことが有り得るだろうか?半野良の、しかも出産したての、本来なら気がたって仕方がない母猫が、人間の私に赤ん坊を見せようとする...?
しかし、ちびたは教えてくれた。そうだ、きっと「ちゃんと上手に生めたよ。可愛いんだよ」
と自慢しているのに違いない。
そうか。よくやったね。可愛い赤ちゃんに違いないね。
私はちびたに「いいの?」ともう1度確認してから、小さく巣のようになった草の隙間に手を差し入れた。そっと、小さな命を傷つけてしまわないように、そっと、そうっと...。
すると。
そこには本当に生まれたての、小さな小さな、ねずみみたいな仔猫が4匹、うごめいていた。
そして、その仔猫たちをかわるがわる手にとり、「可愛いねぇ。ちびた偉かったねぇ。」と声をかける私の横で、ちびたはこちらを見上げている。
私は、命の素晴らしさに、そして種を越えて彼女が私に寄せてくれた信頼に、震えるほど感動しながら仔猫をそっともとの場所に戻し、ちびたを残して家に帰った。
数週間後。
変わらず毎日階段下にご飯を食べにくるちびたの子育ては順調に進んでいる様子だったが、ある夕方、突然の雷雨が周辺を襲った。その激しさは、みるみるうちに小さな道路を川へと変え、それでもまだ足りず降り続くように見えた。私はだんだんちびたが心配になり、母と共に階段を下りようとした。
すると、滝のような雨の降る中、1番に目に飛び込んできたのは、ちびたが仔猫をくわえ、必死に非難しようとしている姿だった。全身ずぶ濡れになりながら、どの方向へ進んでいいのかもわからなくなり、仔猫をくわえたままでウロウロしている。
私は一瞬ためらって、しかしすぐ決断した。
あの親子を連れてこよう。全員、うちの中に入れよう、と。
そして自分もずぶ濡れになりながら、ちびたと、彼女がくわえていた仔猫、そして残り3匹の仔猫を探し出し、家に連れ帰った。
そこからは毎日、慈愛に溢れるちびたの子育ての様子が、4匹の天使たちの愛くるしさが、私を、そして猫嫌いの母までをも夢中にさせた。
残念ながら、ちびたは家に閉じ込められたことによってストレス性の体調不良を起こしたため、10日ほどで仔猫の中の1匹を伴わせ(本当は全部の仔猫に飼い主をと思ったが、全員取り上げてしまうのは忍びなかった)外に返したが、他の仔猫については、1匹はすぐに里子に出し、1匹は私が育てることにし、そしてもう1匹は、数週間後に里子に出すことに決めて、仔猫たちの将来も一応は決着が着いた。
そして「数週間後に里子に出す」ことが決まっていたのが、実はちびくんなのである。
しかし、いざその日がやってきたときには、わたしはちびくんを手放せなくなっていた。「先方も楽しみにしているだろうから」と、首に可愛いリボンを巻いてあげながら、どうしても止まらない涙...。それを見て、ちびくんの里親を決めてきた母が、「もうそんなに情が移っていたら手放せないだろう」と、断りを入れてくれたのである。
今思えば、先方に対して酷い話だが、しかしやはり、今ちびくんとともに過ごす幸せを、誰にも手渡さなくって良かった。愛はエゴそのものかもしれず、私は愛を手放せなかったのだから.....
ちびくんと、ぶっちゃんと出会えて、本当に良かった。本当に本当に良かった。
ちびくん、そして天国のぶっちゃん、17歳のお誕生日おめでとう!
本当に本当におめでとう。
そしてちびた。天国にいるちびた。
本当にありがとう。
私はあなたに、人生で1番大切なものを教えてもらった。
人生で1番大切なものを与えてもらった。
私の心は今もあなたとともにあります。
ずっとずっと、あなたとともに。
これからもどうか、ぶっちゃんと一緒に、ちびくんを見守ってあげてね。
そして...
ついでに、継子ちゃあこも見守ってあげてね。
その日の私は、何の根拠も知識もないのに、「そろそろだ」と感じていた。
そして午前4時頃、何かの予感を感じて外に出て、階段を下りてみた。
すると、ちびたがすっきりした姿で階段下に「ちょこん」と待っている。
やはり生まれたのだ。
そこで私は「赤ちゃん生まれたの?大丈夫だった?どこに生んだの?」と声をかけてみる。
もちろん、声をかけはしたが、それはちびたの頑張りに対してのねぎらいの言葉であり、本気で「どこに生んだの?」と聞いたわけではない。しかし...。
次の瞬間、ちびたはくるりと背中を向け、私から離れていった。そして何メートルか進んで振り返り、「こっちだ」と鳴いた。実際には振り向いて「にゃ~ん」と鳴いただけだが、明らかにその姿は、私をその方向へ誘っている。
私は恐る恐る、ちびたの後ろをついていった。彼女が嫌がるのなら、私は子猫の居場所を知りたいと思わなかったし、探そうなどとも思っていなかった。でも今は。彼女が「こっちへ来い」と誘っているのである。数メートル進んでは振り返って私がついてくるのを待ち、確認してからまた進む。そして、マンション裏手にある、小さな草むらに到着すると、ある場所に座って「にゃ~ん」と私の顔を見上げながら鳴き、すぐに「ヒョイ」と体をどけた。
こんなことが有り得るだろうか?半野良の、しかも出産したての、本来なら気がたって仕方がない母猫が、人間の私に赤ん坊を見せようとする...?
しかし、ちびたは教えてくれた。そうだ、きっと「ちゃんと上手に生めたよ。可愛いんだよ」
と自慢しているのに違いない。
そうか。よくやったね。可愛い赤ちゃんに違いないね。
私はちびたに「いいの?」ともう1度確認してから、小さく巣のようになった草の隙間に手を差し入れた。そっと、小さな命を傷つけてしまわないように、そっと、そうっと...。
すると。
そこには本当に生まれたての、小さな小さな、ねずみみたいな仔猫が4匹、うごめいていた。
そして、その仔猫たちをかわるがわる手にとり、「可愛いねぇ。ちびた偉かったねぇ。」と声をかける私の横で、ちびたはこちらを見上げている。
私は、命の素晴らしさに、そして種を越えて彼女が私に寄せてくれた信頼に、震えるほど感動しながら仔猫をそっともとの場所に戻し、ちびたを残して家に帰った。
数週間後。
変わらず毎日階段下にご飯を食べにくるちびたの子育ては順調に進んでいる様子だったが、ある夕方、突然の雷雨が周辺を襲った。その激しさは、みるみるうちに小さな道路を川へと変え、それでもまだ足りず降り続くように見えた。私はだんだんちびたが心配になり、母と共に階段を下りようとした。
すると、滝のような雨の降る中、1番に目に飛び込んできたのは、ちびたが仔猫をくわえ、必死に非難しようとしている姿だった。全身ずぶ濡れになりながら、どの方向へ進んでいいのかもわからなくなり、仔猫をくわえたままでウロウロしている。
私は一瞬ためらって、しかしすぐ決断した。
あの親子を連れてこよう。全員、うちの中に入れよう、と。
そして自分もずぶ濡れになりながら、ちびたと、彼女がくわえていた仔猫、そして残り3匹の仔猫を探し出し、家に連れ帰った。
そこからは毎日、慈愛に溢れるちびたの子育ての様子が、4匹の天使たちの愛くるしさが、私を、そして猫嫌いの母までをも夢中にさせた。
残念ながら、ちびたは家に閉じ込められたことによってストレス性の体調不良を起こしたため、10日ほどで仔猫の中の1匹を伴わせ(本当は全部の仔猫に飼い主をと思ったが、全員取り上げてしまうのは忍びなかった)外に返したが、他の仔猫については、1匹はすぐに里子に出し、1匹は私が育てることにし、そしてもう1匹は、数週間後に里子に出すことに決めて、仔猫たちの将来も一応は決着が着いた。
そして「数週間後に里子に出す」ことが決まっていたのが、実はちびくんなのである。
しかし、いざその日がやってきたときには、わたしはちびくんを手放せなくなっていた。「先方も楽しみにしているだろうから」と、首に可愛いリボンを巻いてあげながら、どうしても止まらない涙...。それを見て、ちびくんの里親を決めてきた母が、「もうそんなに情が移っていたら手放せないだろう」と、断りを入れてくれたのである。
今思えば、先方に対して酷い話だが、しかしやはり、今ちびくんとともに過ごす幸せを、誰にも手渡さなくって良かった。愛はエゴそのものかもしれず、私は愛を手放せなかったのだから.....
ちびくんと、ぶっちゃんと出会えて、本当に良かった。本当に本当に良かった。
ちびくん、そして天国のぶっちゃん、17歳のお誕生日おめでとう!
本当に本当におめでとう。
そしてちびた。天国にいるちびた。
本当にありがとう。
私はあなたに、人生で1番大切なものを教えてもらった。
人生で1番大切なものを与えてもらった。
私の心は今もあなたとともにあります。
ずっとずっと、あなたとともに。
これからもどうか、ぶっちゃんと一緒に、ちびくんを見守ってあげてね。
そして...
ついでに、継子ちゃあこも見守ってあげてね。
禁止しています。でもおいしいもんね、食べたいよね。
辛いところです・・・。
おかげさまでちびくんも、無事17歳のお誕生日を
迎えることが出来ました。
藤が丘の母様に、また、このblogを訪れてくださる
皆様に健康を祈って頂けて、ちびくんは大変な
幸せ者だと思っています。
そして、これからも頑張るちびくんを、見守って
頂ければ幸いです。
人も猫も、「美味しい」と感じるものには体に
良くないものがたくさんあるようで、こうして
物が溢れる時代、それを我慢するには相当の忍耐力
が必要になりますよね。
ちびくんの場合は自分でハムを買いに行くわけでは
ないので、最初に彼にハムを食べさせてしまった私に
責任があるのは間違いありませんが。
でも...いつか藤が丘の母様のご主人とちびくんが
手を組んで、
「ハムを食べさせろ同盟」を作ったら...
どうしよう!?
ぶっちゃんとちびくんが兄弟だったのですね
出会いって本当にすごい偶然
それは人でも、ものでも、動物でも・・・
erimaさんがちびたちゃんの鳴き声に
気がつかなかったら、ぶっちゃんともちびくんとも出会わなかったのですよね
そしてなにより『命の素晴らしさ』を
教わる事もなかったのですもの・・・
私も知恵蔵と出会ってたくさんの事を
教わりました
ちびくん、17歳だからいろんな心配事が
おありでしょうが、1日でも長く穏やかに
暮らしていかれますよう、お祈りしています
そして時には、ハムのご褒美を!
ありがとうございます。
彼らは言葉を話しませんが、人間よりずっと雄弁
ですよね。
実は私、以前、しも1様シモ2様の「三毛猫日記」で、
知恵蔵ちゃんのお母さんに宛てたお二人の言葉に
感動して泣いてしまったのですが...。
彼らの、あんなに小さな体にどれだけの愛が
つまっているのか、あんなに小さな可愛い頭で、
どれだけたくさんのことを考えているのか、
それを思うと、狂おしいほどの気持ちになります。
そして知恵蔵ちゃんの多彩な表情を見るにつけ、
しも1様とシモ2様の愛の深さを見たような気が
するのです。
「一日でも長く穏やかに」という、しも1様のお言葉に、私の胸のうちを代弁していただいたような感動を
覚えて思わず胸が熱くなりますが...。
ちびくんとの、そしてちゃあことの時間の大切さを
噛み締めて、日々を過ごして参ります。
もちろんハムも大切に!
膝の上に占拠されると私は動けない。
だけど、 何するでもなく、
ぼーっとすごす時間の豊かさ。
日々つつがなく過ぎていくひとときを
共に過ごせる相手がいる幸せ。
彼らは、ただ、のんびりできる膝が欲しかっただけ、
だったのかもしれない。
大げさかもしれませんが、
ジジイが旅立つ前日に、私は彼から教わりました。
これから失われようとするものの大きさと、
それに 気付いた遅さ、
取り返せない時間に情けなくなりました。
あ、いや、猫が一番ということではなくて、
何に幸せを求めるかということですね。
何が豊かかということですね。
自分が自分であるために
大切な根幹にあたるものは何なのか。 仕事なのか、
家族なのか、
友人なのか。
公の立場か、私的な生活か。
優先順位の1にくるものは何なのか。
そんなこと諸々を、
ちっちゃな存在は教えてくれたような気がするのです。
何が「豊か」なのか。
それは本当に大切なことですよね。
彼らとのふれあいで、
そしてそういった大切な存在を持たない人々を、
またはそういった存在に気付けない人を見て、
私たちはいかにして生きるべきなのか、
確かに教えられる気がします。
この、物質主義の日本の中で、
使い捨て文化に乗っ取られた列島で、
それを見つけられたことは幸せだと思います。
確かに時間は取り戻せませんが、
「ひとときを共に過ごせる相手」を
見つけることが出来たのは、t-cat様だけではなく、
トノ君も同じことではないでしょうか。
だから彼は幸せだったはずだと。
だって今でもこんなに愛されているのですもの...。