猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

10年。

2022年08月07日 16時36分55秒 | 猫たち

 

キノコ、仕事、キノコ、仕事、と繰り返しているうちに。

ちゃあこの旅立ちから10年が経ちました。

 

いつまでたっても可愛い我が子。

いつもいつも、心の真ん中に。

苦しくて辛すぎて、写真すら、飾れなかった10年。

最近は少しずつ、楽しかった日々を思い出すことが出来るけど。

 

ちゃあこ。

もう10年が経っちゃったよ。

可愛い頭の形も、ちっちゃなおてても、抱っこの感触も。

甘い香りもまばたきも。

今もそこにあるようなのに、触れることは叶わないんだね。

 

大切な、大切なちゃあこ。

 

 

 


小さな粒。

2021年07月11日 09時48分58秒 | 猫たち

 

『すんごいバカ』で賢くて、好奇心旺盛だったちゃあこ。

まっすぐに相手に向き合うちゃあこ。

メダカ、見せてあげたかったな。

 

 

『ちゃあこの砂を踏んだ』

と思った。

 

思った、というより、

瞬時に脳が判断した、というか。

 

小さな何かの『かけら』を素足で踏んだとき。

 

私の足の裏と脳は、

ちゃあこがいた時と寸分違わず、

彼女が溢した猫砂だと判断したのだ。

 

21年間。

 

抱っこして話しかけて、

一緒に寝て...

 

『もうずいぶん、共に暮らしていた時と、

 暮らしも習慣も変わってしまったな』

 

と思っていたけれど。

 

変わらない。

 

愛しさも可愛さも悲しさも。

 

小さなかけらの正体は、

拾い上げてみても、

なんだかよくはわからなかったが。

 

落ちていたのは、

ちゃあこの爪研ぎのそば、

だったので、

もしかしたらちゃあこが落としたもの、

だったのかな。

 

だったらいいな。

 

 

ちゃあこを見送った直後。

『今捨てなければ、一生捨てられないだろう』と、

介護に使った布団とトイレを捨てた。

プーさんの毛布やご飯茶碗は、

まだ苦しくて苦しくて、見ることが出来ないが、

大切に引き出しにしまってある。

爪研ぎは、使い方を間違えているのが面白くって、

見ると単純に笑ってしまう、苦しさの、唯一少ないもの。

だから、目につく場所に置いてある。

あの、愛らしい肉球が、確かにこれに触れていたのだと。

 


『偽らざる今』

2012年09月11日 08時38分43秒 | 猫たち

 

 

 

ここは、ちゃあこの名のついたblogだから、
大切に大切に維持してゆきたい。 

けれど、いまだに私は一歩も前に進むことが出来ず、
ただ毎日、

「ちゃあこはどこにいるのだろう?」

と、途方にくれるばかりです。 

「楽しい、嬉しい、面白い」

という感情は消え、
blogを更新しようにも、
なにを書けばいいのかわからないし、
何より今は、眠ることと食べることが困難で、
ゴンザに迷惑ばかりかけている状態です。 

ここは、一部のお客様も見ている場所だから、
こんなことを書けば、
商売にも影響してしまうのかもしれないけれど… 

それでも、およそ7年、
このblogにお付き合い頂いている皆さまには、
「ありのままの今」をお伝えするだけでも、更新し、
ここを続ける努力をするべきなのかもと。

 

ちゃあこ。 

いとしいちゃあこ。 

erimaちゃんはただ、ちゃあこを幸せにしてあげたかったのに… 

最後まで、そうさせてあげられずにごめんね。 

およそ、生物の旅立ちに、 

「眠るようにすっと」 

などという『理想の形』は、
あまり存在しないのかもしれないけれど… 

全身全霊をかけて愛しても、
片時も離れず看護しても、

「なにひとつしてあげられなかった」 

という気持ちばかりが残るのです。 

「私が苦しませたのではないか?」

とも。 

 

愛して愛して愛して、その腕の中で旅立ったら、
幸せなのだろうか? 

自分があまりに無力な人間だとわかっているからこそ、
ただただ、ちゃあこに申し訳なく、
情けない保護者であったことをお詫びしたい。 

それが、私の『偽らざる今』です。 

時間はもう戻らないけど。

 


願い。

2012年06月18日 12時39分59秒 | 猫たち

 

ちゃあこが歩けなくなったのは、
私の声が出なくなったのと、ほぼ同時だった。 

起きあがることすら、力の入らない手先足先のために困難で、
トイレには抱きかかえて連れてゆき、
水も、鼻先まで器をっていかなければ、
自由には飲めない状態だった。

先生によれば、なんでも、
腎不全がさらにすすんだことで、尿毒が筋肉にまでまわってしまい、
それが原因で四肢の麻痺や衰弱が起こっているということらしいが、
幸い、連日の輸液で、麻痺も多少は改善し、
トイレまで歩くことも、自力でお水を飲むことも、
可能といえば、可能にはなった。

が、各症状に伴う貧血もあり、
そのせいでだるいのか、トイレの帰りには

「疲れたから抱っこ~」

と鳴き、
下手をすれば面倒がって行かなかったりすることもあるので、
3時間ごとにトイレまで抱いてゆき、排泄を促してやらねばならない。

『声が出ない』あいだ、
よりによって、ちゃあこが一番心細いときに、
いつも通りの声をかけてやれない自分を、どれだけ情けなく、無力に思ったことか。

もしこのまま、ちゃんとした声がでないまま、
ちゃあこの聞き慣れた声で励まし、
安らがせてあげられないまま、旅立ってしまったら、と…

そう思うと、気も狂わんばかりだった。

仕事を休み、ただひたすらちゃあこを撫で、
共に眠り、起きて、世話を焼く日々。

それは、21年、共にいてくれた彼女に、
何がしてあげられるのか。

どうしたら、残された時間を、幸せに過ごさせてあげられるのか、

改めて見つめ直す時でもあった。

可愛いちゃあこ。

愛しいちゃあこ。

大切な大切な、
大切なちゃあこ…

この介護生活がいつまで続くかはわからないけれど、
この先、どんながことがあろうとも、
どうかちゃあこが、
苦しむようなことだけはないようにと願う。

この世が、楽しく、幸せなものであったと、
ちゃあこが最後まで思える猫生でありますようにと。

いつかは必ず来る、そのときが来るまでは。

どうか。

どうか。