猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

ない...いや、やっぱあるねぇ! <チャリで鎌倉> 【帰り・編】

2008年05月30日 23時06分59秒 | お出かけ

さて。

思いつきで「チャリンコでに決定!」となった鎌倉行き。

用事も済ませ、観光も済ませ、美味しいものもおなかに詰めた、となれば、
あとは帰りのことを考えるだけです。

 

「あ、でも帰る前に何か新鮮な地場野菜でも買ってく?」
「って、この時間だと、もうやっぱり何にもないねぇ.....」
(しかもよく考えれば、自分ちで作ってる野菜が一番新鮮なんじゃ?笑)

 

いえ。
もちろん、『帰り』とは言っても、我々のことですから、
「すんなり真っ直ぐに」といくわけがないのはしっかり予想済み(笑)

と、いうことで、少々余裕を持っての出発です。

帰り道として二人が選んだのは、海沿いを走り、途中市街地へ入って、
藤沢を抜けるコース。

 

おお、海だ~♪チャリンコだとまた新鮮~!
しかしやっぱりすごい人だねぇ~。
波間に点々と見えるのはぜ~んぶサーファーだし.....

こちら上空に見える点々はぜ~んぶトンビだ(笑)

 

そう。
『せっかく海沿いの街にきたのだから、行きとは違う道で、
 海を存分に眺めてから』と、そう考えたわけです。

この日は、昨日の【行き・編】でも書きましたように、
絵に描いたようなお天気。

と、なれば、当然のごとく、キラキラと反射眩しい海辺は人でいっぱいです。

 

うっ、そういえば忘れてた。
ここら辺って、山もあったんだよね.....
当然上り坂(笑)

でも気持ちいい~♪

 

「みんな楽しそうだねぇ」「しかしトンビがすごいねぇ!」
「あっ!あの人、トンビにおにぎりさらわれた!」

そんな景色と、なぜかここにきて遭遇率の高い黒いラブラドールちゃん。
我々は、それを横目で見ながら、ペダルを踏み続けます。

 

そういえば、片瀬海沿いをそれて街中へ入っていくと、こんなものがありました。
こちら家屋の中にすっぽり収められた江ノ電車両。
どうやら『江ノ電もなか』とやらを売る店舗らしい。
当然、目の前には江ノ電が通ってます。

 

一方、海と並走する道路では、予想通りの大渋滞。

中には何を張り切っているのか、
バイクで何度も行ったり来たりしている若者などもおり.....
二人は苦笑まじりに車の横をすり抜けます。

「これからの季節はこのあたりは大変だねぇ」
「ホント、迷惑だろうねぇ」
そんなことを言い合いながら、小さな山を越え、江ノ島を臨み.....

 

そして、『江ノ電もなか』のすぐ横に聳えるのは【龍口寺】さん。
この日は骨董市を開催の模様でした。
こちら山門。

 

一路、市街地へ入れば、途端に、
とあるお寺の境内で骨董市が開かれているのを目にし、
ここで当然のごとく寄り道です(笑)

「そういえば何年か前、二人で江ノ電に乗って鎌倉へ来た時、
 車窓から見たのがこのお寺だったねぇ」

 

こちら本堂もすごいです。

だってこんなところまで彫っちゃってるんだもの(笑)
「こーゆーのは初めて見たねぇ!」「ホントだねぇ!」

 

そんな、思い出話をしながら、キョロキョロうろうろ。
「あれはなんだ?」「おお、これは!」と、
見るもの触るもの面白くて仕方のない我々は、
相変わらずの残念っぷり全開で、境内を所狭しと駆け回ります(笑)

 

そういえばこちらのお寺では、フツーの人も鐘を撞いてもいいんですって!
(撞いていい時間は決まってますが)
そういえばこの鐘って「大仏様と同じ」と聞いたことがあります。
ぽつぽつしてるのが「螺髪(らほつ)」だっけ?(煩悩の数だけあるらしい=108)
.....で、龍頭と呼ばれるらしい部分(上)のお顔はなんだろう?

あっ!さっそく撞かせていただいてる男がっ。
こちら『延寿の鐘』ということで、どうかご利益がありますように。

 

「まだまだ私たちの身近には、すごいもの、見るべきものがいっぱいあるねぇ」

何かに出会うたび、発見するたび思うのは、そんなこと。
そして、その遭遇が予定外であればあるほど、
その気持ちはどんどん強くなってゆくのです。

 

「しっかしまたこの屋根もすごいねぇ!」
「やっぱ、まだまだあるねぇ!」

「そういえば本堂のところにあるこれ、なにかなぁ?」
「う~ん.....あっ!もしかして提燈をかけるところじゃない?屋根ついてるし」
「おお!」
(って、真相はわからないままだけど・笑)

 

今回の旅は、ルート上、
ちょい排気ガスくさい、健康にはあまり良くなさそうなものだったけど(笑)

たくさんのものに出会えて、無事また帰ってこれて大満足。

今回のことでさらに味をしめた我々は、
「さて、次はチャリでどこへ行こうか?」と、
またしてもさらなる長距離移動への野望を膨らませたのでありました(笑)

 

ほんと、まだまだあるわぁ。


あるねぇ! <チャリで鎌倉> 【行き・編】

2008年05月29日 22時28分27秒 | お出かけ

さて。

先日の巡礼で、その長い走行距離から、チャリンコでのお出かけに
妙な自信をつけてしまった我々ですが.....(笑)

先日も携帯からお伝えしましたように、某日。
そのチャリで、鎌倉へと行ってまいりました。

 

向かうは、12世紀末から14世紀半ばまで幕府の置かれた鎌倉。
今も、古都保存法で守られる町。

 

所用のあったことから、
数日前から『鎌倉へ行く』ということだけは決まっていたものの、
その交通手段については、「車かなぁ、やっぱり」「いや、電車か?」
などと、前日まで迷いに迷い。
あげく、何の因果か、ふとした思いつきで、
「やっぱチャリンコかなぁ.....」などと、悪ノリ(笑)

 

横浜から鎌倉街道をひた走っていて、こんなものを見つけましたよ~。
「あっ、ウワサの『ほっ○もっと』だ!」

 

とはいえ、いつもノリだけで動いている我々のこと。
果たして、翌日はその言葉とおり、
愛車にまたがり、一路鎌倉を目指したのでした。

当日は絵に描いたような快晴!

出だしこそ、「あっ、日焼け止めを買わなきゃ!」
「う~ん、やっぱ長袖脱ごうかなぁ」などとのんびりしていたものの、
大きな街道へ出ると、あとはひたすら真っ直ぐ漕ぎまくります。

 

休憩にはやっぱりおやつでしょう!
そういえば朝ごはん食べてこなかったもんねぇ。

 

途中休憩のため、寄ったコンビニでは、
欲しい物が買ってもらえなかった小さな子が、
地団駄踏んで大泣きするのに大笑いし、
(笑ったりしてごめんね~、ボク~。あんまり可愛かったもんだからさぁ)
朝食代わりのおやつを食べ、水分補給。

 

さすが鎌倉!こちら【円覚寺】さんに入るには入山料300円が必要です(笑)
しかしでかいなぁ.....すごい、けど、私はもっとちっこいのが好きかも~。

 

....と。
なんだかんだ言ってる合間に、
すご~く遠いと思っていた鎌倉は、すぐ目の前です。

 

そうそう、こんな感じとか~。

こんな感じ。
円覚寺さんの観音堂前の山門には、こんな龍が。
なんだかちょっと西洋的で面白いけど、いつごろのものなんだろ?

 

で、せっかくだからと、北鎌倉駅前で、blogを更新し(笑)
おまけにすぐ横にあった円覚寺さんを見学し、
いつものようにあっちうろうろ、こっちうろうろ。

 

そういえば円覚寺さんの中には弓道場があって、
その様子を少しだけうかがうことが出来ました(隙間から・笑)
弓道をするところって初めて見たけど、様式美、なんだねぇ。
弓をひく足元や、各所にそっと置かれた一輪挿しが印象的でした。

 

そして、我々にはお約束。
用事を済ませた後も、またうろうろ、うろうろ、です。

 

こちら、つられて笑顔になってしまう(笑)
【上行寺】さんの七福神様。
ちなみにこちらのお寺では入山料は要りません(笑)

でも、こんなものがあるんだよ~!
こちら左甚五郎作の龍。
ま、この左甚五郎さんについては諸説あるみたいですが....
一応、かの日光東照宮の眠り猫も彼の作と言われています。

 

とはいえ、日曜日の鎌倉は、どこもかしこもすごい人で、
小町通りは走行不能。

 

こちら本堂左側。
いや~~、すごいねぇ!これ。

こちら右側。
「まだまだ見なきゃいけないもの、すごいものっていっぱいあるねぇ!」
ちなみにこちらの本堂、周囲に十二支の彫刻も施されている様子でしたが、
半分以上、プラスティックのトタンに覆われていて見られなかったです...(泣)
うう~ん、残念。

 

一部、自転車が役に立たない場所もありましたが、渋滞は関係ないし、
交通費も駐車場代も要らないし(笑)
やっぱりチャリンコ最高!

 

もちろん出かけるからには、美味しいお店も調べていきました(笑)
こちら小町通にある【リメッタ】の『ボッタルガと春キャベツのパスタ』

こちら『牛すじとわさびのリゾット』
う~~~~ん、美味い!
はじめから取り分けて持ってきてくれるのも嬉しい♪
このほか、『釜揚げシラスのフリット』(←ちょい期待はずれ)
『だるまイカのソテー』(←美味いっ!)も食べました♪
(でもなぜか写真が行方不明)

 

まあ、難点をひとつ言えば、その後動けなくなるほどは、
たらふくランチを食えないってことが、残念なんですけどねぇ.....(爆)
(誰?「じゅうぶんたらふく食ってるじゃんか!」とか呟いたのは!?)

 

と、いうことで、<チャリで鎌倉>、帰り編に続きます。

 

そういえば【円覚寺】さんには百観音というのがあって、
観音様が様々な変わったポーズで並んでおられます。
こちらなんて、なんだか聖母マリアみたいに見えませんか?
そういえば、今は多種ある宗教も、もとはみんな一緒だって説もあるし、
まあこういうこと言うと怒る人もいるのかもしれないけど、
人が祈ること、願うことにそんなに大きな違いはないよねぇ。
慈愛に満ちた存在も。
ケンカすんなよ。


おならとうなぎとエレキテル

2008年05月28日 00時24分29秒 | ゴンザも隣人!?

私がこのblogの『検索ワード解析』について書いて間もないが。

 

先日のアマガエルちゃんの写真が評判よかったので(笑)
もう一枚!手乗りカエル♪
この後、びよ~んと、ソラマメの葉の陰に跳んで行きました。

 

その際、

「『屁道』という言葉で検索をかけてくる人々がいるが、いったい何を求めているのか」

とか、

「今まではゴンザのその行為のみが『屁道』と呼ばれ、彼のみがそれを体現すると、
 そう思っていたことが、ここで一気に覆されそうな予感」

だとか、言っていたのを、ご記憶の方もいるかと思う。

 

巡礼記に集中している間にも、畑ではジャガイモの花が咲き。

にんにくの葉は黄変し始め、もうすぐ収穫です。

 

また、同時に、

「ゴンザが修行を怠けている間に、屁道がオリンピック公式種目になったら.....!?」

とか、

「いや、それを探し求める需要があるなら一刻も早く屁道がなんたるかを確立させ、
 広く弟子を募るべきではないのか!?」

とか、
そんなふざけたことをも言っていたのを覚えている方も......

 

あ、そうそう!切り取ったばかりのにんにくの芽(茎)は、
こんなに水分たっぷりで、切り口からぽたぽたと、流れ出ます。
もちろん匂いはにんにくの匂い~(笑)

 

そう。
ときに危険な技を組み合わせ、ときに私を家出させるゴンザのそのテクニックは、
もはやこのblogでも一部の熱狂的ファンを獲得し(←ホントか!?爆)
今やすっかりシリーズ化している感もあるのだが.....

ついにここに来て、私はすごいコトを知ってしまったのである。

 

そして、水分たっぷりといえばコチラ(笑)
眠いときのちゃあこのあんよは真っ赤赤~♪
17歳でもぷるぷるツヤツヤです。

 

そう。
あれは、二日ほど前、歴史blogを読んでいての事だった。

多くの興味深い記事に紛れて、紛れもない、『屁道』という字が、
この目に飛び込んできたのは。

 

ちなみにこの方。
今まで使用のカゴがあまりにボロっちくなったため、新しいカゴを貰いました。
今までのカゴと同型の、キッチンで使用していたものを、
中身を出して無理矢理お下がりにしてみました(笑)
ちゃあこよ、収まり心地はどうだい?

 

そこにあったのは、なんと、
エレキテルや土用丑の日で有名な、かの平賀源内の名前で、
彼が、安永3年(1774年)、江戸の町に突如として現れた、
屁を自由自在に操る男を見て、感銘を受けたこと、
その芸のレベルの高さに感動したあまり、『放屁論』なるものを著したこと。

さらに、実は遡れば、源内より17年も前の宝暦7(1757年)に、
平野山人なる人物が、『薫響集』なる『屁道』を説く小冊子を発行したと、
そんなことが書いてあって......

思わず私は息を呑んだのである。

 

話題がクサイ方向へまいりましたので、せめて画像のほうだけは美しく(笑)
こちら、ベランダで咲いた『ジュリア』の一番花。

 

いや.....
考えてみれば、この長きにわたる人類史の中で、
ごくごく普通の生理現象である「おなら」に、
何かを見出そうとした人物がいないほうが、逆に不自然なのかもしれない。

ましてや、何事にも『道』を見出し、
その中に精神性や、美しさを極めることを求める日本文化の中では特に。

 

こちら『アブラハムダービー』はそろそろ一段落。
一気に咲いたもんねぇ!

 

私はゴンザのその技の数々にあまりに痛い目を見すぎて、
肝心なことが見えていなかったけど.....
そうだ。

そう考えればゴンザは、正当な日本文化の継承者と言えるではないか!

嗚呼、私は今、堂々と、源内さんの魂に報告したい。

「屁道の継承者はここにいます!
 彼はまだまだ、あなたを感動させるほどの技は持っていないかもしれませんが、
 一部の人々を笑いの渦に巻き込み、私は今、昔のあなたのように、
 その技について、ここで著しています」
と(爆)

 

そうそう!そういえば畑の帰り、道沿いの公園の空から、
「にゃあ~~~!にゃああ~~!」と、猫の声が降ってきて驚きました。
「どこだ?」と鳴き声を頼りに姿を探せば、なんとこんな木の上!
何の理由か、こんな高い場所まで登ってしまったこの子は、
降りられなくなってしまったのか、右往左往。
そのうち子供たちは集まってきちゃうわ、カラスには威嚇されるわ。
でもすぐにそばにいた近所の人らしいおじさんが通報してくれたので、
カラーをつけたこの子はきっと今頃はおうちに戻っているでしょう。
大きな声で鳴けて偉かったね!でももう木には登っちゃダメだよ。

 

そして、『屁道』という検索ワードでここへたどり着いたあなたよ。

あなたにも言いたい。

今まで私はあなたに何の答えも出してあげられなかったけれど、
ようやくここでひとつの道しるべを作ってあげられる。

【いにしえよりの『屁道』について知りたくば、
  『平賀源内 屁道』で検索を試みなさい。さらに、『薫響集』を検索しなさい】

【そして、それが済んだら、ここへ戻り、
  このblogのカテゴリ『ゴンザも隣人!?』で、
 現代の屁コキスト、ゴンザの技の数々を御覧なさい】と(笑)

 

.....で。
クサイ話題に美味しいものの画像ってどうよ?(笑)
こちらアスパラ以外はすべて畑の野菜
(新玉ねぎ、にんじん、ソラマメ、にんにくの芽)で作ったスープ。
『スープDE初夏の野菜』
甘~~~い!

 

そして.....
ゴンザよ。

もはや、その修行には、一刻の猶予もならぬと、
新たな決意を持って、更なる超絶技に挑むのだ。

って。
私、何を真剣に語ってたんでしたっけ?(爆)


結ばれる思い。【5月6日】結願<旧小机領三十三所観音霊場>三十三番、そして三十二番再び

2008年05月26日 19時05分21秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

長きに渡ってお送りしてきました、この『旧小机領三十三所観音霊場』巡礼記ですが。

5月6日は、いよいよ、朝から最後のお寺を目指します。

 

GW最終日、巡礼最終日は絵に描いたような快晴!
目指すは『こどもの国』の先~♪

 

前日は、ちょうど雨の降り出した頃、
その日の目標であった、三十二番さんまでたどり着き、
ご住職から、

「明日、三十三番さんではご住職がいらっしゃらないから、
 結願したらここへ戻って来なさい。
  最後のページに結願の印を書いてあげるからね」

と言っていただき.....

我々が巡るお寺は、三十三プラス一、となりましたが、
これも観音様が結んでくださったご縁。

 

前日70キロ走行した我々にはアッという間の到着。
三十三番【法昌寺】<開創年代不明>
旧小机領三十三所最後のお寺は、
小机城主笠原越前守室の寄進により開かれたとかで、
ご本尊は、春日局作と云われているそう。
そもそも、子年観音三十三所巡りも、こちらの和尚さんが、
一番泉谷寺の転誉上人を訪れ相談したのが始まりとか。
平成8年、区画整理のために移転。
なるほど、三十三所の位置が微妙に順序どおりでないのは、
移転のせいもあるんですなぁ。

 

そういえば、結願の『結』は、『むすぶ』という字を書きますが、
それはもしかすると、『願いを結ぶ』という意味合いと共に、
『旅をする間、様々な人やものとのご縁を結ぶ』という意味も持つのかもしれません。

ときに、願いを結ぶよりも大切な、『結ぶ』という意味を.....。

 

最初にも説明しましたが、この綱は、観音様の手と結ばれています。
つまり、巡礼者はこの綱を触ることにより、
観音様の手に触れたことになるわけですね。

 

思えば、毎度日帰りの旅ではありながら、色んなことがありました。
たくさんの出会いがありました。

笑いながら会話を交わす出会いだけでなく、
一言交わすだけの出会い。

視線を交わすだけの出会い。

 

おお、全部御朱印が揃った~♪
二人とも、よく走ったねぇ!

 

 

昔ながらの前掛けをかけた酒屋のおじさん。
道を教えて下さってありがとう。

一番最初のお寺で、三十三並んだ石の観音様の意味を教えてくれた、
帽子のおじさん。
ありがとう。

 

 

美味しいお茶と、心のこもったおやつを笑顔で出してくださった、
各お寺の檀家の奥さん方。

御朱印を押しながら、仏像についてや、そのお寺について、
色々教えて下さったおじさんたち。

本当にありがとうございました。

 

    

    

 

そして、この凸凹二人組みの旅を優しく見守って下さった観音様。

各お寺のご住職。

この長い巡礼記にお付き合いくださった皆様方。

本当に本当にありがとうございました。

 

    



 

願わくば、
こうして皆様と私たちが不思議なご縁で結ばれたように.....

 




 

どうか皆様の願いも結ばれますように。

 



                        

 

追記:長距離を頑張って走ってくれた、チャリンコちゃんたちもありがとね~♪
    .....あ、お留守番を頑張ってくれたちゃあこもありがとう!

 

長い巡礼記にお付き合い下さいましてありがとうございました!

 

三十三番 【法昌寺】 横浜市青葉区奈良町2035-1


いつか来る道、帰る道。【5月5日後編】名もなき者こそ。<旧小机領三十三所観音霊場>三十~三十二番

2008年05月25日 19時00分01秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

三十三所観音霊場めぐりも、いよいよ終盤を迎え。

最後の山場ともいえる、長距離移動をこの日もしたわけですが.....

 

あれ?そこでシャコタンになって逃げる猫は....!?
珍しくふられたねぇ、ゴンザ(笑)
さては雨でも降るかな?

 

巡礼路はここで再び、我が家へと近づいてゆき、
その旅は、見慣れた道からヒョイと路地に入って目的のお寺を探すスタイルへと
変わってまいりました。

 

三十番【長泉寺】<開創年代不明>
町の中央に山があったことから、この地は中山と名付けられたということで、
その山腹にかつて堂宇を建立したのがこのお寺の始まりとか。
開基者は信心深い武将だった斉藤平兵衛右近という人。
戦乱の世を厭い、弓矢を捨て、この地で農耕を始めた右近さんですが、
今もこのお寺は農耕崇拝の仏様として信仰されているそうです。

 

自分達の暮らす地域にお寺が多いのは知っていても、
それがなぜなのか。
この子年観音の三十三所めぐりをするまで知らなかった我々ですが、
人間というのは、往々にして、
近くにあるものほど、注意して見ない傾向にあるのかもしれません。

 

そんな、戦乱の世を厭うた右近さんのお寺にあるのは、
近在から出征した兵士達を慰霊するための砲身。
弓を捨てた右近さんと、出征し帰らなかった兵士たちは、
今、どんな思いでこの砲身を見ているのでしょうか。

 

けれど、遠くへ旅行へ行って、大きなお寺を見るまでもなく、
私たちの暮らしの中には、小さな小さな名もなきお寺が密着していて.....

それは、特に信心深いわけでもない人間が大多数を占めながらも、
それでも寺社がそこにあり続ける私たちの国の、
不思議と美しさをあらわしているのかもしれません。

 

御朱印をいただいたあとは、こんなオリジナルのお煎餅もいただき、
再び出発!

 

.....それは、魂の帰る場所。

静かな水を見つめ、深い緑に心安らぎ、陽だまりと日陰に美しさを見る。

 

やってきたのは

三十一番【寶塔院】<開創年代不明>(約500年前)
新興住宅地の中にあるこのお寺。
弘法大師ゆかりの縁起を持ち、
伝説では承和年間(840年頃)に寶塔が建立されたとも言われているとか。

 

先ほど私は『名もなきお寺』と言いましたが、
それはメジャーな観光地図上のことで、
全国にはまだまだそんな、立派な名前を持った、
小さなお寺が無数に存在するのでしょう。

 

観音堂の中で御朱印を押して下さるおじさんに勧められ食べた(笑)
この懐かしい味は、黄粉飴と薄荷糖、生姜糖。
観音堂を出て、正式にお茶を勧めていただいた際に(笑)うかがうと、
これらは檀家さんの奥さんが手作りされたものだそうで、
「写真を撮らせて下さい」とお願いすると、
「ちょっと待って!新しいのを入れるから」と、中身を足してくださいました♪

 

二十三番のお寺でお話をうかがったとき、その方は言いました。

「300年も前にスポンサー制度があって、そうしてお経を作ったのもすごいけれど、
 今では再現できない技術もすごいけれど......
 300年それを守り続けた信者、檀家の方々もすごい。
 だからなおさらこのお経はありがたいのだ」と。

 

「あっ、雨降ってきた~!」
「じゃあ三十二番さんの前に、ケンタッキーでちゃあこのお土産を買って急ごう!」

 

お経の巻末にあるのは、スポンサーの名前だけでも、
そんな名もなき人々が、力を合わせて築き上げたのが『今』ならば.....

『名もなき者こそ』

 

自転車のハンドルにケンタッキーの袋をくくりつけたまま(笑)やってきたのは
三十二番【東観寺】<天平年中>(729~748年)
幾たびかの戦乱で荒廃、再興を繰り返したこちらは、室町時代に中興されたとか。
焼失した部分も多いものの、観音堂に祀られている観音様は鎌倉時代の作。
そういえばいくつかのお寺でも、長い歴史の中での焼失のお話をうかがいましたが、
どちらでもそのときのご住職がご本尊様を抱いて逃げたので、仏様は無事だった、
ということが多いようです。

 

お経を守る人がいて、
それを信じる人がいて。

信じるか信じないかはわからなくとも、感じる者がいて。

だからこそ成り立つお遍路の旅。

 

すごいなぁ。

 

中には、名もなき花とか、名もなき川とかいう言い方を好まない人もいるけれど、
私は好きです。

あなたも私も今は名前を持っているけれど、生まれたときには何も持たず、
いつかは、『名もなき人々』に数えられるのだから。

 

前にも書きましたが、我々は翌日。
三十三番まで行ったあと、またこのお寺に戻ってくることになります。
ここは結願の印を下さった、思い出深いお寺。

 

あるがままであることは、ときに素敵だから。

それでも私は私、だから.....

......いよいよ、最後のお寺に続きます。

 

王禅寺さんのワニさんが(←だからワニじゃなくって龍だって!)
「ま"~」だったとすると、この【東観寺】さんの鯉(?)さんは「ポェ~」(笑)
ホント、罰当たりですみません。

 

三十番 【長泉寺】 横浜市緑区中山町732
三十一番 【寶塔院】 横浜市緑区白山2-35-12
三十二番 【東観寺】 横浜市緑区東本郷1-21-1