東北新幹線の、新青森への開業を控え、
TVでは盛んにCMが流れている。
年若い、新人と思しき駅員が、
『人を出身地で呼ぶ』上役に、
物思い、呟く.....
そして、私もこのCMを見るたび物思う。
あの『青森さん』は、今頃いったいどうしているだろう?
果たして幸せになっただろうか?
.....と。
私の母が、かつて別れる前の父と喧嘩を繰り返しては、
ふいに故郷へ帰ってしまうことがあったとは、
以前にも書いたことではあるが。
その際私や妹も、彼女のもとで一部過ごし.....
当時は隆盛だったキャバレーの寮にいたことは、
これもすでに書いたことである。
そして、そこではホステスがそれぞれ出身地で呼ばれ.....
私の母は『神奈川さん』と呼ばれ、
その仲良しは『青森さん』だったと。
そう書いたのだった。
.....おそらく。
彼女らは皆、一様に事情を抱え。
今のホステスとは比べものにならないほど、生々しく、
力強く、生きていたが。
女性の社会進出など、まだまだ限られていた時代のことだ。
子供を抱えた事情持ちの女が我が子を養ってゆくには、
人一倍の苦労があったはずで。
それはまだ幼かった私の目線にも、
彼女らの抱えているものの重さがわかるようだった。
そして.....
中でも、より一層、力強く生命力を放っていた『青森さん』は、
ホステスというよりは、
「気のいいおっかさん」といった様子だった気がするけれど。
何せ遠い記憶のことである。
もう確かなことは、何もわからない。
.....ただ、あのCM。
あのCMを見るたび、私があの寮での暮らしや、
『青森さん』を思い出すのは確かなことで、
あの逞しかった『青森さん』が、
今は幸せになっていればいいなぁと、心から思う。
残念ながら、『神奈川さん』であった私の母は、
自分で幸せを捨てるような生き方しか、してはいないけれど.....
そう。
『青森さん』だけでなく、
あの、閉店後のキャバレーのシャンデリアの下で、
私のお絵描きに目を細めてくれていたホステスさんたちが、
今は皆、幸せになってくれていればいいと、
そう願わずにはいられない。
今や、当時の彼女らの年齢を、遥かに越えてしまった、
女性の一人として.....。
『青森さん』には、確か、子供が一人いたはずであるが。
もしかすれば、今頃彼女は家族に囲まれ、
孫を抱いて、人生の実りに微笑んでいるだろうか。