猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

建物探訪。

2009年11月30日 16時41分38秒 | つぶやき

 

谷中周辺は素敵な建物でいっぱい。
こちら、パン屋さんに。

おせんべい屋さん。

 

街歩きの楽しみは、
人の生活が感じられる、古く美しい建築物に出会うことにもある。

建てる際に、主人の思い入れやこだわりをこめたのであろう商店や、
守られ続ける古い寺社。

木造の、少し傾いだ軒先、路地裏。

 

ここの塀は、明らかに敷地内の建物より古く。
これは一部だけ以前のを残したものかな?

内部は素敵な雑貨屋さん。

左の建物は、もう半壊してしまって。

 

一部だけ残された塀は、そこだけかつての空気をまとって。

大きいのより小さいのが、
行き当たりばったりの歩調には、しっくりとくる。

 

このなんとも懐かしいたたずまいは。

もう店先を塞いでしまったタバコ屋さん。

一見タイルに見えるけど、目を凝らしてみると、錆が!?
実はこれ、ブリキで出来ています。
すんごくリアルで驚きました。

 

多くが燃えてしまった東京の。

時間と合間を縫って。

出会えた偶然が、街歩きの楽しみ。

 

東大図書館は、窓からちらりとのぞく内部もため息ものの美しさ。

あちこち、こんな細かい装飾も。

おお、マンホールの蓋まで『東大』の文字が!

そして、この日、一番の衝撃はこの建物。
美しい木造の家の半分以上、およびプレハブ物置、または塀を、
銀色のペンキで塗りたくった不思議な...。
何か、電波でも傍受してるのか!?
せっかく美しい家なのに。

 


すれ違い。

2009年11月29日 10時15分06秒 | つぶやき

 

皆さん、もう飲まれましたか?

 

駅の改札前で、何をするともなく、ぼーっと立っていると。

さまざまな光景に行き当たる。

初めての.....
または数回目のデートの待ち合わせか。

顔を合わすなり、一瞬見つめあうものの、
すぐに照れくさそうに少し視線をはずし、
「こんにちは」なんて、妙に他人行儀な挨拶を交わす男女。

または、遠くからやってきたのであろう母親を、
「おみやげいっぱいありがとう!気をつけてね」と、
少し寂しげに見送る娘.....。

 

かさかさ、さみしげで、でもどこかあたたかい音。

 

妻に頼まれたのか、スーパーの買い物袋をいくつもぶら下げ、
家路を急ぐサラリーマン。

部活帰りか、大きなバッグを抱えた、
ジャージ姿の賑やかな学生たち。

小さい子供は母親の制止を振り切って走り.....

その向こうでは、金髪碧眼の彼と、黒い髪の彼女がハグをする。

.....多くの、違う人生を持った人々がすれ違う駅。

中には切ないすれ違いも、
または、あとで笑い話になるようなすれ違いもあるのだろうが。

帰る場所はどこか。

人はそれぞれ探している。

 

こういう人形、昔はよくありましたね。
台座の下を押すと、くしゅっと、崩おれるヤツ。
娯楽の少ない時代には、人は素朴なおもちゃで喜びました。
フリマで、ひとつ20円を、ゴンザが「プレゼント用に」と。

 

駅は出会いと別れの場。

.....そして、すれ違いの。

.....と。

そんなことをつらつら考えながら、私がそこで何をしていたかというと。

ただ、ドラクエ9の【すれ違い】待ちをしていただけだった(爆)

まったく、ムードも『思い』もあったモンじゃねぇな(笑)

(ゲームをしない人には何が何やらわからない話だし)

 


繋がった!

2009年11月28日 09時16分55秒 | お出かけ

 

連休二日目。
新撰組に縁の深い日野に行ったのは、何かの予兆だったのか?

翌日、連休三日目
何の脈略もなくふと思いついた、谷中歩きで...
偶然ばったり、永井尚志さんの墓所に行きあたりました。

 

連休二日目に高幡不動で新撰組を感じたと思ったら。

三日目は偶然、谷中で永井様の御墓に行きあたった不思議!

永井様といえば、大河ドラマの新撰組をご覧になっていた方ならご存知の、
佐藤B作さんが演じておられたお方だが。

こうしてドラマや漫画などを通じて、
それまで馴染みのなかった、歴史上の人物に、
親しみを感じるようになったことがあるという方も多いと思う。

 

荒川区【本行寺】
その奥まった一角、そのまた奥に、永井様のお墓はあります。

ちなみにこの周辺はどこを向いてもお寺だらけ...。
こちら、お寺変わって【経王寺】さんの山門には...。

今もこんな痕跡が残ります。

 

件の大河、【新撰組】も、その描き方、配役、解釈に、
賛否両論さまざまあったようではあるが。

それでもそれは、時代劇にはあまり興味のない若い人たちに、
チャンネルを合わせる機会を与えたという意味での功績は、
大きいのではないかと思う。

 

1868年。
経王寺では、上野戦争で敗走した彰義隊を匿ったため、
新政府軍の攻撃を受け、山門にこうして弾痕が残ったと。

 

まあ、ドラマなどのイメージで、「あっ、永井様の御墓だ!」と、
人々が自分の墓所へ立ち寄ることを、
永井様ご本人がどう思っておられるかはわからないが...(笑)

それでもこうして、何かをきっかけに、知り、
「なら、ちょっと立ち寄ってみよう」と行動に繋げ、
また、そこから知ろうとすることは悪くないことなのではないだろうか。

 

この日最後に立ち寄ったのは、その美しさが何か意外といえば意外。
納得といえば納得の...

【東京大学】

「何が?」と問われればよくわからないながら(笑)
「さすがだなぁ」と連発したくなる構内。

 

.....と。

新撰組、永井様と、偶然繋がった連休の話を書こうと、
ちょいと調べたら。

なんと、その永井様の養子の娘の孫(ややこしい?)は、
かの三島由紀夫なのだそうである。

繋がるって、おもしろい。

 

美しい建物群の一角では、ジョサイア・コンドルの像が、それを見守って。
彼は、今でいう東大工学部建築学科で教鞭をとった建築家で、
英国・ロンドンからやってきた、いわゆるお雇い外国人。
旧岩崎邸も、ニコライ堂も、彼の作。
美しい建物を多数残し、日本人の妻を娶り...
日本で生き、日本で人生を終えた人。

こちら、赤門は、旧加賀藩・前田家上屋敷の御守殿門。
1827年、13代藩主が、11代将軍家斉の娘・溶姫を迎えるときに作られたもの。

そういえば永井様と「繋がった」三島由紀夫は、
東京帝国大学卒なんだとか。
で、その三島の母親は、前田家と縁が深いと。
繋がる、繋がる~。

 


ゆうやけだんだん。

2009年11月27日 07時33分23秒 | つぶやき

 

連休三日目。
お天気がよかったので、谷中歩きをしてきました。

 

「子供の頃は、こういう感じの家に住んでいたのになぁ」

「今や、それを『あら懐かしい!』『今どき珍しい』と、
 写真に収める立場になったなんて」と、遠く振り返る。

記憶の中にある、その格子戸の木造平屋建ては、
住んでみれば、じめじめと薄暗く、
頭のおかしい祖父の思い出と入り混じって、
ひとつもいいことはなかったような気もするが。

はるか遠くなってみれば、
薄暗い庭の柿の木や、その足元にびっしりと生えたフキやみょうが、
一斗缶で熾した焚火、粗末な物置が、
なんともいえない郷愁を持って、鼻の奥を突く。

 

「くーだーさーいーなー」

お醤油の焦げたいい香り。
ぼりぼり、パリパリ、おいしい。

 

町角に響く豆腐屋さんのラッパも。

あの、器をもって買いに走らされた記憶と共に、
これほどまでに胸に迫るのは.....。

決して幸せではなかった私の子供時代にも、
やはり無邪気な何かが存在していたということか。

大人の誰しも、
短い間に、失ったものが多すぎて。

 

瓦と土を交互に重ねた築地(ついじ)塀。

 

居間が丸見えな駄菓子屋の店頭も、
そこでそばをすすりながら、
駄菓子を物色する子供の仕草をたしなめるおばさんの姿も。

ありふれていた、あの日々には。

切ないまでに帰りたい思いと、帰りたくない思いの、
二つが存在するのだろう。

 

谷中銀座のはずれにある...

夕やけだんだん。
TVなんかにも、よく登場しますね。

その足元では鞍馬天狗の紙芝居が。
じっと見入るのは、ほとんどが、かつて子供だった大人。

 

「清潔」で「便利」で「豊か」な暮らしを覚えた人々は、
ほんの束の間、その町に来て、あの日々を懐かしむ。

形の他には。

私たちの中で、何が変わったのだろう...?

 

谷中ぎんざは人でいっぱい!
出来たて惣菜を買い食いしたり、あちこちきょろきょろ、そぞろ歩いたり。

私たちも、ソースせんべいを買ってかじりながら。

くねくね、『へび道』をずんずん歩きます。
ときにのろのろ、きょろきょろ笑いあい、
ときにしっかり、きっぱり、前を向いて。

 


もみじ灯路と萬燈会...と傘。

2009年11月26日 07時28分34秒 | お出かけ

 

エスパー妹に誘われて。
高幡不動で行われる、萬燈会(まんとうえ)に行ってきました。

 

世の中に宗教は数々あれど。

その多くの中で、偉い坊さんが、
傘をさしかけられて歩くという共通点は、面白いと思う。

今まで意識したことがなかったが、
この連休に、高幡不動の萬燈会に赴いて。

一番偉いと思われるお坊さんが、
厳かにも、そうして歩いている姿を見て、
「ああ、そういえば」と、TVで見た西洋の高僧たちも、
そのように歩いていたのではないかと思いだして。

 

まずは少し明るさが残るうちに着いて。
立派な山門をゴンザと見ているうちに妹&友人親子到着!

ここ、日野市はあの新撰組の土方歳三の生まれ故郷のため、
おみやげ屋さんの壁もこの通り。

 

なんでも、ギリシャでははじめ、
傘は祭礼の際に神の威光を表すものとして、
神像の上にかざしていたものだというが。

ヨーロッパでは富と権力の象徴だったのだそうで、
なるほど、この世の欲や何やらを捨てなければならないはずでありながら、
実はもっともそれにまみれていることの多い宗教というものと、
傘が縁深いのも、違う意味で興味深い気がする。

 

【真言宗智山派別格本山・高幡山明王院金剛寺】
中にはとっても大きな不動明王様がいらっしゃいます。

美しい衣を纏った、お坊さんの列に。

境内にたくさん置かれた燈篭。

 

または、フランスでは17世紀、
街中で2階から投げ捨てられる汚物を防ぐのに傘が必需品だったと聞けば。

高僧が街中を歩く機会があるかどうかはわからないけれど、
なるほど、頭から汚物をかぶってしまったのでは、
神の御威光も台無しであろうから、大きな傘が必要だったのかもと、
変な意味で納得したりもする。

 

移動されたお坊さんがたにくっついてホールに移動し、
ありがたいお経を聞き、その空間の不思議に身を任せる。
娯楽や刺激のない時代には、香の匂いや煙、薄暗さ、仏の姿、
あの、音楽にも等しい経の響き、絢爛な僧の衣がきっと、
トランス状態を呼び起こしただろうと。

その後、五重塔前に移動してまた儀式。
昔も今も、善男善女が集う。

 

インドではシンプルに、酷暑であるがゆえに、
貴族や高僧の日よけとして、使われたというのも。

傘とひとくちにいっても、国や文化が違えば、
それぞれ、いろいろな意味・役割を持つのが面白い。

ふと、気づいたひとつの点を、こうして追及してみることも。

 

ホールでお経を聞いた人は、出口でどなたかが願をかけて奉納された(?)
ろうそくを受け取り、それに火をともして、五重塔の周りに立てます。
(特別出演・エスパー妹)

500円払えば、願いを記した灯籠を流すことも。
(特別出演エスパー妹&友人息子)

風が強いので、ちょっと燃えすぎていた燈明(笑)

 

きれい、楽しい、面白い。

寒い、まぶしい、美しい。

...興味深い。

無宗教のものにも。

それでもそれは、魂を揺さぶって。

 

集ったのは全然関係のない他人同士。
でも、思いが集まるとそれは美しい。

駅へ続く参道も美しく。

五重塔の見える特等席でいただくお抹茶も美味い。
もちろん蒸したて饅頭も(笑)
『先生の点てて下さったお茶と饅頭』で300円は安いよね。