エスパー妹に誘われて。
高幡不動で行われる、萬燈会(まんとうえ)に行ってきました。
世の中に宗教は数々あれど。
その多くの中で、偉い坊さんが、
傘をさしかけられて歩くという共通点は、面白いと思う。
今まで意識したことがなかったが、
この連休に、高幡不動の萬燈会に赴いて。
一番偉いと思われるお坊さんが、
厳かにも、そうして歩いている姿を見て、
「ああ、そういえば」と、TVで見た西洋の高僧たちも、
そのように歩いていたのではないかと思いだして。
まずは少し明るさが残るうちに着いて。
立派な山門をゴンザと見ているうちに妹&友人親子到着!
ここ、日野市はあの新撰組の土方歳三の生まれ故郷のため、
おみやげ屋さんの壁もこの通り。
なんでも、ギリシャでははじめ、
傘は祭礼の際に神の威光を表すものとして、
神像の上にかざしていたものだというが。
ヨーロッパでは富と権力の象徴だったのだそうで、
なるほど、この世の欲や何やらを捨てなければならないはずでありながら、
実はもっともそれにまみれていることの多い宗教というものと、
傘が縁深いのも、違う意味で興味深い気がする。
【真言宗智山派別格本山・高幡山明王院金剛寺】
中にはとっても大きな不動明王様がいらっしゃいます。
美しい衣を纏った、お坊さんの列に。
境内にたくさん置かれた燈篭。
または、フランスでは17世紀、
街中で2階から投げ捨てられる汚物を防ぐのに傘が必需品だったと聞けば。
高僧が街中を歩く機会があるかどうかはわからないけれど、
なるほど、頭から汚物をかぶってしまったのでは、
神の御威光も台無しであろうから、大きな傘が必要だったのかもと、
変な意味で納得したりもする。
移動されたお坊さんがたにくっついてホールに移動し、
ありがたいお経を聞き、その空間の不思議に身を任せる。
娯楽や刺激のない時代には、香の匂いや煙、薄暗さ、仏の姿、
あの、音楽にも等しい経の響き、絢爛な僧の衣がきっと、
トランス状態を呼び起こしただろうと。
その後、五重塔前に移動してまた儀式。
昔も今も、善男善女が集う。
インドではシンプルに、酷暑であるがゆえに、
貴族や高僧の日よけとして、使われたというのも。
傘とひとくちにいっても、国や文化が違えば、
それぞれ、いろいろな意味・役割を持つのが面白い。
ふと、気づいたひとつの点を、こうして追及してみることも。
ホールでお経を聞いた人は、出口でどなたかが願をかけて奉納された(?)
ろうそくを受け取り、それに火をともして、五重塔の周りに立てます。
(特別出演・エスパー妹)
500円払えば、願いを記した灯籠を流すことも。
(特別出演エスパー妹&友人息子)
風が強いので、ちょっと燃えすぎていた燈明(笑)
きれい、楽しい、面白い。
寒い、まぶしい、美しい。
...興味深い。
無宗教のものにも。
それでもそれは、魂を揺さぶって。
集ったのは全然関係のない他人同士。
でも、思いが集まるとそれは美しい。
駅へ続く参道も美しく。
五重塔の見える特等席でいただくお抹茶も美味い。
もちろん蒸したて饅頭も(笑)
『先生の点てて下さったお茶と饅頭』で300円は安いよね。