実は私、高校卒業後に歯科助手として1年働き、その後は美容専門学校へ行っていた。
当時は、歯科助手に何の資格がなくてもなれる時代。
今でこそ、皆さん専門学校など出ておられるようだけど、
その頃はただのアルバイトも多かったもので、
履歴書を持って面接を受けるだけで、割と簡単に採用して貰えた。
この歯科勤め、専門学校へ進むための学費を貯めるためで、
私の人生で唯一、毎日決まった時間に出勤する仕事だったのだけれど、
大変に楽しくやりがいのある仕事でもあり、
受付業務を兼任していた私は、それこそ医院内を走り回って仕事をしていたものだ。
患者さんの「ありがとう」の言葉。
それが最高に嬉しかった、充実した日々。
そうやって1年間の歯科助手生活を経て、
私は貯蓄に励んだのだが、
実際は専門学校へ進むだけの金額には程遠く、
もうしばらくは歯科勤めを続けなければ、と考えていた。
だが、なんと有難い事に、当時付き合っていた年上の彼が
足りない分の学費を出してくれると言うので、
私はめでたく、19歳で美容学校に入学することが出来たのだ。
当時の私はヘアメイクの仕事をしたいと思っており、
そのためには美容師の資格も必要だと考え、進学したのだが.....。
努力だけでは、センスというものは磨けないと初めて知ったのもその頃だ。
「美的センスを必要とする仕事で成功する人は「魔法の手」を持っている」
それはその学校で担任の先生が教えてくれた事だが、
まさにそんな実例を私はすぐに目の当たりにすることになるのだ。
私の後ろの席には、踊りの先生を母に持つ青年が座っていたのだが、
彼の手がまさに魔法の手。
必死に努力をする不器用な子より、
入学当初からずば抜けていた彼のセンスは何をやっても光り、
先生も教える事など何もないほどの器用さで課題以上のものをこなし、
踊りの師匠を母に持っているのだから納得できなくもないが、
先生より上手に女生徒に着物を着付けては見事に帯を結びあげた。
また彼は授業終了後に別のメイク学校にも通っており、
私も何度かモデルを頼まれ、一緒に出かけていった。
もちろんそこでも、彼の実力はずば抜けていて、
先生も文句のつけようがないほどだったが.....。
今頃彼は何をしているのだろう。
噂ではフランスに渡ったと聞いたけれど。
そしてその、美容学校通い、
彼のメイクモデルを手伝った事こそが、私がモデル業界に足を突っ込む、
間接的なきっかけとなったのである。
同級生たちからの
「友人のヘアメイクさんが雑誌に出るのでモデルをしてあげて欲しい」
「知っているカメラマンが作品撮りのためのモデルを探している」
そんないくつかの頼まれ事が、私の人生を大きく変えた。
そう。
いつしか私は、そうやってカメラの前に立ったり、
見られたりすることに、とてつもない快感を覚えるようになったのである。
結局、美容学校卒業後。
ある、小さな美容室チェーンに就職した私は、
そこの社長に入って早々「君さえその気なら、店を数件任せてもいい」と、
暗に愛人になれと迫られ、すぐにそこを辞めた。
詳細はいつかまた書くが、バブル華やかなりし時代の話だ。
そして、撮られる快感を思い出し、
「私は誰かにメイクするよりされるほうが向いている。
今まではタダでモデルを引き受けてきたけど、これからは仕事にしよう」
と考えたのである。
それもまた短絡的な考えだったと今では思うが.....。
しかし、売れないモデルとはいえ、おかげで、色々な経験をさせてもらったし、
この仕事はおばあちゃんになってもボチボチ続けたいと思っているから、
そんな事に出会えた事を、私は天に感謝しなければならない。
そうだ!
人生何がどうなるかわからない。
その時「夢が破れた」と思っても、後々にはそれが幸いしたりする。
そしてこれからも.....
人生何がどうなるかわからない。
だから、楽しいのだ。