猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

それぞれの志

2005年09月16日 23時42分17秒 | お出かけ
撮影のため、スタジオのある板橋の駅に降り立った。

思えば、都内各地を、やれオーディションだ、撮影だ、と行ったり来たりしてきた私。
しかし板橋駅には初めて降り立つ。
何の予備知識もない土地に、いつもと同様、地図ひとつ持って足を踏み入れる瞬間.....。今では普通に繰り返される、そんな日常の一部。

が、改札を抜ける前に目を上げれば、「近藤勇 墓所」という看板が目に飛び込む。
私は驚いて、目を凝らした。

「近藤勇」
この、新撰組総長の名を知らない人など、日本中探してもそうはいないだろう。
昨年は「新撰組」が、三谷幸喜の脚本で大河ドラマにもなったから、この近藤勇が現代人にとっても、よりポピュラーに、身近に感じられる歴史上の人物の一人となったに違いない。また、男性にとっては、その生き様の鮮やかさ、骨太さが心を捉え離さないことでもあろう。
私とて、それはしかりで.....(男ではないけど・笑)

私は、その墓所が駅からほど近い場所にあるのを確認し、撮影を終えたら必ず参る事を決めて、スタジオへ向かった。

さて。私は冒頭で板橋に降り立つのは初めてと書いたが、板橋がこれほど、どこかしら江戸の風情を残した場所とは知らなかった(って言っても私は江戸時代を見たことないけど)。
いくつもの公園に茂る高い木々。縁日の名残。市場通り。
それに.....。細い路地を通りがかる、ラッパを吹いた、昔懐かしい豆腐売り。
ビル街を抜けるのとはまったく違う気分で仕事へ向かう心地よさ。
初対面のカメラマンとも会話が弾む。

「板橋って、近藤勇のお墓があるんですね。知らなかったからびっくりしました。でも帰りには絶対お参りしていきます」
「近藤勇のファンなの?」
「そういうわけでもないけど.....。なんか、日本人の血が騒ぐんです」
「.............?」

そんな会話をする間に、撮影はあっという間に終わり、私はお疲れ様を言うとその場を後にした。

駅前に出て、小さな、ほの暗い木陰にある墓所をそっとのぞく。
するとその最奥には、高く聳える墓碑があり、参道脇には、近藤の肖像を彫った石碑、近藤のと並んだ土方歳三、永倉新八の肖像画がある。
そして、墓碑に1番近い場所には、発起人となり、明治9年にそれを建立した永倉新八の墓も.....。
この永倉の墓碑は、近藤と土方を祭った墓碑の大改修をした昭和4年に建立され、永倉の遺言により、遺髪と遺骨の一部が納められているそうであるが、私が訪ねたときにもまだ火を点したままの線香が供えられており、小さな敷地ながら、訪れる人の多さを思わせる。
そして、一度は袂を別った永倉にまで強い思いを抱かせた、近藤、土方の、墓碑の前にも.....。
私は墓前に備え付けられた賽銭箱に、心ばかりの浄財を入れ、その下にある線香を手にすると、近藤、土方の墓碑、永倉の墓碑それぞれに供え、手をあわせてカメラを向ける非礼を詫びた。

正面には近藤と土方の名。横には110人もの隊士の名が彫られたその墓碑の下には、近藤の首から下が埋まっているという話だが、新撰組の話には常に諸説ついて回るものだから、真相はどうなのだか、きっと誰にもわからない。
けれど、そこだけぽっかりと不思議な静寂に満ちた、周囲とは確かに違う時間の流れを持つ墓所内には、確かに近藤勇に寄せる日本人の思いが、満ちていたように思う。
私は数枚の写真を撮ると、静寂の時に別れを告げた。

自宅最寄の駅に着けば、まだ出勤前のゴンザが重い荷物を持った私を気遣い、迎えに来てくれている。私は墓所に参った経緯を話し、ゴンザと手をつなぎ歩く。
行く先には、我が家の隣のお豆腐屋さんの奥さんが立っていて、我々はいつもそうするように元気に挨拶をする。
と、マンションエレベーターに乗ったゴンザがなぜかいきなりオネエ言葉になり、
「もう、私達、いつも本当に仲のいいこまどり姉妹だと思われているわね~」
などと言う。
私:「?」
「ああ、間違いだったわ。それを言うならおしどり夫婦よね~」
私:「......」
何のことはない。いつもどおり、ゴンザの一人ノリツッコミである。
私はいつもそうするように、苦笑して、玄関の鍵を開けた。
ドアの内側には、私の愛する時間が流れている。

私は、駆け寄る猫に話しかけながら、人を笑わせるゴンザの志もすごく素敵だな~、などと思いながら、志というのは、何にしても人の心を捉えるのだと、そう、密かに確信した。
コメント (4)
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