日曜日の夕方である。
ゆきたんくは、自宅近くの江戸川土手に行った。
なぜ?
黄昏るためである。
張り詰めた感じの気持ちのガス抜きをするのである。
ちょっと寒くなってはきたが、行ってみる。
土手のサイクリングロードを走っている人の数も減った。
暖かい時に走るのだろうな。
そして西の空を見て黄昏る。
体の緊張がほぐれていく。
そして、風が寒く再び筋肉が緊張していく。
何をしてるんだか・・・
江戸川の土手はいいなぁ。
日曜日の夕方である。
ゆきたんくは、自宅近くの江戸川土手に行った。
なぜ?
黄昏るためである。
張り詰めた感じの気持ちのガス抜きをするのである。
ちょっと寒くなってはきたが、行ってみる。
土手のサイクリングロードを走っている人の数も減った。
暖かい時に走るのだろうな。
そして西の空を見て黄昏る。
体の緊張がほぐれていく。
そして、風が寒く再び筋肉が緊張していく。
何をしてるんだか・・・
江戸川の土手はいいなぁ。
今日は千鳥ヶ淵へ。
仕事の下見でたまたま見つけたのが2003年のこと。
ベンチがある。
そう思ったのだが、形が不自然だなと思って1枚写真を撮っておいたのだ。
後にそれが戦争遺跡で、高射砲の台座跡だったことを知る。
防衛のために、いろいろと考えていた当時のことを勉強せねばと思ったのはずっとあとのこと。
早くしないと、戦争遺跡がどんどん数を減らしていくことも考えなくてはならない。
ということで再訪した。
「千鳥ヶ淵さんぽみち」の一部として残っている台座。ありがたいことである。→ Map
北区立中央公園文化センターの裏を歩いていた。
金網に囲まれた施設があった。
水関係の施設だと思うがよく分からなかった。
その金網に囲まれた敷地内にこんなものが・・・
形はこどもの乗り物のような感じだが、何に使われていたものだろうか。
2021年1月1日。
ゆきたんくの義父の墓参りに行った帰りに、たまたま目にしたものがあった。
板橋区立加賀公園の近くを通った時のことである。
いかにも戦跡と言った風情の建物が目に入った。
奥方のりたんに5分時間をもらい、写真撮影に出かけた。
帰宅してから調べたら、「陸軍板橋火薬製造所跡」だということが分かった。
それから10か月後に再訪することができた。
かつての軍需施設がきれいな形で残っているのである。
取り壊されるか、残されるのかは戦跡好きとしては気になることである。
嬉しいことに、板橋区ではこのような計画があることが分かった。
板橋区史跡公園(仮称)基本構想(平成 29 年 8 月策定)
本計画に先立ち、旧東京第二陸軍造兵廠内火薬研究所等近代化遺産群調査団による
学術調査、史跡、近代化遺産としての評価、国史跡の指定に向けた意見具申といった
経過の中で、当地を史跡公園として保存、活用するための基本方針として策定された。
この基本構想では整備の前提となる考え方、基本コンセプト、基本方針が定められ
ており、本計画はこの構想を基に策定される。( 以下引用文 )
○前提となる考え方
近代化・産業遺産を保存・活用した都内初となる史跡公園を整備します
公園になれば、中に入ることができるだろう。 → Map
先日の投稿で思い出した。
大分県別府市の山地獄。
そこにある小さな動物園には、インドクジャク、日本猿、カバ、ラバ、温泉につかるカピパラ、ウサギなどこどもが楽しく感じる空間があった。
その中のカバさん。
名前は昭和の「昭」、平成の「平」で昭平くん。
近くに来ては、大きく口を開けて愛嬌を振りまいていた。
と思っていたら近くに餌が売っていて、それを欲しがっていたのだと後で分かる。
その後のニュースで、この半年後の2017年7月1日に熱中症で亡くなっていることが分かった。享年24歳であった。
再訪することがあれば会いたかったな。
ゆきたんくの隠れ家、「千菓進」。
今日も仕事帰りに寄った。
ママやマスターとざっかけない話をしながら、ちょっとした時を過ごす。
疲れがとれて行く。
この後は女房のお迎えがあるのだ。
でね、おまけにね・・・
小腹を満たすために「ドライカレー」をいただく。
先日の北区探訪のおり、寄ったところがある。
現在では、住人の倉庫に使われているのでは思う物件である。
かつては東京陸軍砲兵工廠の中で滝野川雷汞場(たきのがわらいこうば)として使われていた。
雷汞場については、戦跡に詳しい友達のサイトから引用をする。
リンクをクリックしてご覧ください。
街中にこのような戦争遺跡が残っている。
このようなものがいくつもあったのだろうが、壊されないでその姿を見れるのは戦跡好きにとってはたまらないものがある。
戦争が好きなのではない。
歴史の証人として、自治体が保存すべき貴重な資料だと思うのだ。
滝野川雷汞場跡 → Map
ゆきたんくの趣味の一つは旅行である。
この2年間は飛行機に乗って出かけるということはなかった。
コロナさんがね・・・
片付け不精なゆきたんくではあるが、旅行中に手に入れた物品についてはしっかりと管理したい人である。
その中で、5年間見つからないものがあった。
2016年の大分県別府の旅で手に入れたものである。
大分の旅では「地獄めぐり」をした。
そう、たくさんの地獄があるのだ。
全国的に有名なのは「血の池地獄」だろう。
全部で9つの地獄を周った。
そう、それだけ回るのであれば、周遊券的なものもある。
そう、確かに購入したはずである。
それが見つからないのである。
時間をかけて回った地獄の周遊券がこの5年間見つからないのであった。
「山地獄」という所には小さな動物園があって、かわいいカバさんがいたのも思い出した。
残念ながら旅行の翌年に亡くなってしまったが、印象深い思い出である。
で、見つかったのである。
全く関係のない仕事のフォルダに入っていたのである。
同時に別府で手に入れた資料も一緒にあったのである。
使わないものは捨てようと断捨離をしていた時である。
胸のつかえが取れて、嬉しかった。
ゆきたんくの旅行フォルダ大分県は空ではなくなった。
「別府地獄組合」発行の大人券。
今日は北区へお出かけ。
北区立中央公園文化センターである。
白亜の素敵な建物である。
かつては、「東京陸軍砲兵工廠十条鉄砲製造所」という軍需工場であった。
であれば、近くに陸軍境界標柱があるだろう。
ということで散策した。
3本見つけた。
塀の一部になっているものが2つ、状態の良いものが一つ。
現在は文化センターの周囲の土盛り部分がある所、普段人が通らない所に1本隠れていた。
「陸軍用地」と刻まれている。奥の白い建物が文化センターである → Map
先日の投稿で、旧川光倉庫跡の陸軍境界標柱について触れた。
その境界標柱から115mの場所に陸軍歩兵学校門柱があった。
随分と前から知ってはいたのだが、川光倉庫のこんなに近くにあるとは思わなかった。
煉瓦の上からコンクリートが塗られているが、劣化してはがれている。 → Map
軍都千葉にあった陸軍学校の正門跡だ。
しっかり遺していただけるとありがたい。
うん、友人に教えてもらった。
千住製絨所跡(日本羊毛工業発祥の地)
何が戦争と関係があるのかって?
この地にあった製絨所は明治21年(1888)に陸軍省管轄となった。
軍用被覆の製造所だったのだ。
戦後民間に払い下げられ、昭和37年、広大な敷地の一部は野球場「東京スタジアム」となり、人々に親しまれてきた。ちなみにゆきたんくがはじめて行った球場は東京スタジアムである。
煉瓦米。このように残してくれるのはありがたい。
さて、建物をはさんで反対側にも塀はあるという。
再訪だ。
いやぁ、何度も通った道だろ!
最近まであった川光倉庫。
旧陸軍の気球連隊格納庫だった。
戦争遺跡としては、現役の倉庫として稼働していたのでしばらくは残るものだと思っていた。
残念ながら、昨年9月に解体。
令和元年の台風で、屋根を破損したからだという。
そして川光倉庫が手放したことも大きい。
保存には費用がかかるものだが、貴重な建物だったと思う。
2018.09.23の川光倉庫。
2021.04.17の川光倉庫跡
寂しくなった。
大物がいなくなった。
それから5か月後。
川光倉庫の端から50mの所に陸軍境界標柱があることが分かった。
googlemapさんにはまだ倉庫は残っている。左上の青い吹き出し部分に陸軍境界標柱がある。
その標柱がこれだ。
こんな近くにあったことに気付かないなんて。
というより、予習不足だったのだ。
抜かれてしまったり、解体されたりする前にできるだけ取材するように努めようと思う。
答えられなかった。
それは、今日の月が朝から見えるかということ。
下弦の月で、朝は西の空にあって・・・
うーん。
後でしらべてみた。
アプリを使ってである。
「星座表」という名前のアプリだ。
太陽の近くで、新月に近い・・・ これは見えないなぁ。
ちなみにオレンジ色に輝いているのが太陽で、月は右中と右下の中間くらいにある。
職員玄関のところが少し賑やかだった。
ゆきたんくも飛んでいったが、うん、蛾だ。
周りにいた方々はどうしようということだった。
ゆきたんくは、優しくほうきで塵取りに乗せ、外に話してあげた。
触角が動いていて、怖かったな。
名前も分からない・・・
何度も行こうと思っていけなかった場所がある。
「塩とタバコの博物館」だ。
戦争遺跡探訪の移動中に見つけた。
「なんだ、こんなところにあるんだ。」
ということで寄った。
大きな岩塩である。
人間の体には欠かせない塩分、そしてそれを手に入れるための方法や歴史。
日本での塩産業。能登の塩釜に行ったことを思い出した。
できたての塩で、ゆでたジャガイモを食べたことを思い出した。
旨かったねぇ。
これはゆきたんく撮影、奥能登塩田村の塩釜。2015.08.04 → Map
たばこについては、また時間のある時に。