伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

弾薬庫・・・

2015-12-30 23:35:06 | 戦争遺跡

千葉県松戸市相模台。

かつて兵隊のエリートである工兵を育成した日本で唯一の学校、陸軍工兵学校があった場所である。

そこの舌状台地と呼ばれる場所に弾薬庫があった。

現在の松戸拘置所である。

拘置所の写真は使用できないので掲載しない。

さて、かつての松戸市岩瀬を中心とした航空写真である。


 


1936年当時の岩瀬辺り

出展は国土地理院ホームページ
 (http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)



工兵学校部分拡大。 黒線で囲った部分が舌状台地


 更に上写真の舌状台地の先端部分を拡大する。

弾薬庫を中心に周囲には高く土が盛られている。

万が一爆発等があった時に、方向を上に逃がすためである。

写真が小さめだが、これ以上拡大すると写真がボケる。

これでもアプリでシャープネス効果をかけたのである。


 

工兵学校弾薬庫


 

 現在でも、このようなものは残されている。

場所は明記しないが、現在の日本の航空写真からみつけてきたものだ。


 

倉庫の周囲を高い土の壁が囲んでいる。

これは念をいれてラーメンマーク型(失礼呼び名が分からないので)である


 さて、疑問が一つ。

ゆきたんくは、工兵学校の弾薬庫へ弾薬を南側にあるスロープを使って運んだと思っている。

ただ、一番上の写真には、そのようなものは写っていない。

もっとも、その辺りはこの写真でも現在でも樹木があるので写真での検証はできない。

鉄道第二連隊は軌道を敷く訓練をするための演習線であり、松戸と津田沼の高低のある土地を弾薬を載せて走らせたとも思えない。

まして、指定された訓練距離を得るためにくねくねと曲がりくねった軌道敷である。途中で万が一爆発が起こったら周辺住民(当時はどれくらの密度かは調べていないが)が巻き添えを喰らうだろう。

それは工兵学校の土地の真ん中を通る道を使っても同様のことである。

かといって、スロープで弾薬が転がることを考えると・・・

来年の課題の一つにしておこうと思う。 

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2 コメント

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はじめまして (germina)
2016-04-20 22:21:37
はじめまして、弾薬庫のスロープに関する記事を興味深く読ませていただきました。
私は岩瀬住民ですが、拘置所の裏のスロープは頻繁に通っています。松戸拘置所は昭和21年に建てられ、その後昭和55年に今の建物になったそうです。古い方にきくと昭和30年代にはスロープを通っていたそうですので、昭和20年の終戦後すぐころから、地元の人間は通行していたのかもしれません。
一般的に、公園でない国有地、まして拘置所のような土地内を民間人が通れるようにしていることは、非常に珍しいことです。これは、万が一転倒してケガをしたとかいうことになると国が管理責任を問われる可能性があるためですが、このスロープは、かなり昔から民間人も通れていたということからすれば、昭和21年に拘置所が建てられる前から存在していたのでは…と考えられます。元々弾薬庫に至るスロープがあり、戦後、陸軍用地が解除されてすぐに地元住民が通るようになり、拘置所建設の際も、スロープは地元のために残したという可能性も考えられます。
このスロープの上には拘置所職員宿舎がありますが、職員のためにスロープを作ったとしても駅とは逆方向にわざわざスロープを作る意味があるとも思えません。
余談ですが、子供のころ拘置所裏の立入禁止場所で陸軍用地標石を見た記憶があります。大人になった今は入り込む勇気もありませんが、隠された標石はまだあるかもしれません。
これからも、松戸の戦争遺跡記事を楽しみにしています。長文、失礼いたしました。
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ご丁寧にありがとうございます。 (ゆきたんく)
2016-04-29 23:29:05
どうも、germina様はじめまして。「スロープは地元のために残したという可能性」ですね。
私は松戸の住人になって20年が経ちますが、このスロープがしばらくの間通行禁止になったことを記憶しています。補強工事をしていたのでしょうか。「子供のころ拘置所裏の立入禁止場所で陸軍用地標石を見た記憶があります。」も興味深い話です。何故なら、スロープ下のミラーの下に教会標柱があるからです。陸軍用地と民間人の土地の境を示す境界標柱がスロープの上と下にあるというのはどのように土地が区分けされていたかということを考えさせられるからです。
「これからも、松戸の戦争遺跡記事を楽しみにしています。」は励みになります。どうもありがとうございます。実は拙サイト「幸たんく(ゆきたんく)http://yukitank.2.pro.tok2.com/」の管理者であります。その子ページとして「勲侘記由(くんたきゆ)http://yukitank.2.pro.tok2.com/32kuntakiyu/01kuntakiyu.htm」という戦争遺跡サイトを作っています。現在更新はしておらず、「幸たんく」に統合する予定です。よろしかったらご覧ください。
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