「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」
子供の頃は夕焼けと言えば、良い子はみんな家路についたものだという記憶がある。学校が終わって、帰宅するや否やランドセルを放り投げ、行き先も告げずに遊びに行ったものだ。もっともその頃は親たちも、どこへ遊びに行ったかは察しがついていて、余計な心配をしなかった時代だった。親同士の連携が強かったので、嘘をついてもすぐばれるし、その後の怖かったこと。だめなものはだめと、親たちは絶対に譲らなかったことを覚えている。
随分窮屈に感じた時もあったが、反対に小さなことには目くじらは立てなかった。
ゆきたんくが小学校2年生の時だったと思う。夕焼け小焼けで、帰宅した時、親父が
「いつまで遊んでいるんだよ。お父さん風呂行っちゃったぞ。」
行っちゃったぞというのは、当時は銭湯にお世話になっていたからである。確か大人が30円、子供が15円だったかなぁ。風呂上りに飲ませてもらうことのあるフルーツ牛乳の方が高かった気がする。まぁ、自分では6時ごろに帰宅したつもりが7時を過ぎていたのである。
とにかく外で遊んでいて、そう記憶ではいつもの遊び場にブルドーザーがあった。そのブルドーザーのキャタピラに乗ったり、いくつか飛び出ている玉の着いた操作用のシャフトなどもいじっていたと思う。随分のどかな時代である。帰宅したゆきたんくの体には泥と機械油の混じった汚れが着いていたのだと思う。
「母さん、もう1回風呂に行ってくる。」
安いこともあっただろう。親父はゆきたんくを連れて、もう一度風呂に行ったのだ。
「時間はまもらなきゃだめだぞ」、「心配をかけるんじゃない」、「夕焼けでも時刻が遅いときがあるんだ」などいろいろなことを言われたと思う。風呂で体を洗ってもらい、髭剃りでもみ上げを揃えてくれた。普段自営業で忙しかった親父のスキンシップの時間だったのだろうなぁ。いまだに覚えているのだからね。
風呂から上がり、牛乳を飲ませてくれる。火照った体には冷たい飲み物はご馳走である。親父と乾杯なんてしてさ、懐かしいなあ。それから銭湯の脱衣場の外には池があって鯉が何匹もウジャウジャ泳いでいた。それを眺めて体を冷まし、着替えて家に帰ったなあ。
家ではお袋が帰宅にあわせて食事を作ってくれていたのだろう。すぐにご飯になった。一人っ子のゆきたんくが両親と一緒の食事。とても温かな空間だった。
その両親も鬼籍に入り、ゆきたんくとは思い出の中でのみ会うことができる。
今となっては宝物の毎日だったなあ。
夕焼けを見るたびに、友達とブルドーザーで遊び、7時近くに帰宅した夜のことを思い出す。
江戸川土手で夕焼けを浴びるワンチャン
あの頃は学区域に5軒ぐらいあって、今日はここ、明日はあそこなんてなんてやってました。
風呂から上がれば駄菓子屋行ったり、また遊んだりするので、帰ってくる頃は夏は汗まみれ、冬は湯冷めして帰ってきたような…。
祖父と父親のコウバへ邪魔しに行って、その後親子三代で銭湯に行ったこともありましたっけ。真夏の土曜日のオレンジ色の夕方と石けんの匂いが、未だ頭ン中で結びついています。
せっかく風呂に入ったのに、入る前よりも汚れている日もありました(笑)
親子三代とはうらやましい。
その銭湯も姿を消しつつありますね。