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風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

祈りの街 ルアンプラバン

2016年04月16日 23時32分02秒 | 旅行
4月12日、バスによる約8時間の山越えでルアンプラバン行きです。バスチケットは、シェンクアンの観光ガイド店で購入、宿泊GH(民宿)までトクトクが迎えに来てくれます。バスはターミナル出発8時30分ですので、7時半にGH 前でピックアップでした。


約2時間走り、最初のトイレ休憩地です。、女性は竹を編んだ囲いのある小屋で、男性は山の斜面に向かってデス!!




約1時間後、2回目の休憩地(Phou Khoun)。ここは、山岳地帯の交通要衝です。左に折れるとビエンチャン、直進するとルアンパバンです。
約1時間の食事・トイレ休憩、必要な設備は整っています!!
ここを出発すると5時間でルアンプラバン到着です。


   <4月13日 大晦日・ルアンパバンの早朝>



GHを朝6時に出て、近くの寺院前で托鉢僧列を見学。僧の行列通過後も、寺院に向かってお祈りをしている方も数人いました。この街は「祈り」の街です。
(この様な場では、フラッシュは使用しないことにしています)


        <市民の台所・朝市>









寺院裏通りの「朝市」は大晦日で、売り手も買い手も忙しそうでした。


       <水かけ祭りのスタート>





メインストリートの午後は、「水かけ祭り」が始まり、大人も子供も観光客も、「祈りの街」のお祭りに酔っています。


       <旧正月(4月14日)・ラオス人最大のお祭り>

この祈りの街は、キリスト教徒でも、仏教のもつ温かい「こころ」に染まります。


      <祝・元 日 パ レ ー ド>







午後1時から、少数民族・各種団体のパレード。


  <元日・パレード後のルアンプラバンは水びたし・慶びの爆発> 

   祭りのピカピカ「車上女神」サマに若い男性の「熱い水」が集中!!







 









    <アヤシイ「女神」クンも登場・人気爆発!!>






      < ルアンパバンからバンコクへ(4月15日)>
       (タイ航空 14時50分発 バンコク16時25分着)


GH前の通りにあるコーヒー店でモーニング。




コーヒーを飲みながら、道路に目をやると、「オドロキ」です。
昨日のパレード人気車がアリマシタ。この車に若人4~5人が乗ってダイニンキでした。
これを整備して走らした「エンジニア」にも、大感動です。


     <さようなら・ルアンパバン>

ルアンパバン空港・出発ゲート待合室。


離陸直後・空港ビル。


ルアンパバン空港からバンコクへ。

(全ページの写真は記事指定日に撮ったものです)



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石棺と爆弾の丘

2016年04月11日 21時36分20秒 | 旅行
ジャール平原には石棺が多数残存している場所が3箇所あります。今回は最大規模の、「サイト1」を歩いてきました。この加工された石には、いろいろな伝説がありますが、日本人研究者により、遺物から石棺であるとの判断が下されました。人間の行為には、どの時代でも「限界」は存在しないように思います。
良いことも悪いことも・・・(10日最後の歩き)




熱帯モンスーンの乾季はヨロヨロ・ヨタヨタの私にはカナリキツイ。しかし、ジャール平原に入り込んだ以上は、ここに足が向きます。木陰での腰おろしを繰り返しながら、フラフラ歩きデス。


これは、米軍の大型爆弾で出来たクレーターです。
この地域はベトナム国境に近く、ホーチミンルートの一部でもあったのでアメリカ軍の猛爆撃を受けました。




観光用の小道には両端に赤と白に塗られたレンガが埋めてあります。白と白の間は安全、赤側は不発弾や地雷の危険があります。注意せよ!!との標識です。

ベトナム戦争期間中、アメリカ軍がラオスに落とした爆弾は約300万トンと推定されています。当時のラオス人口は約300万人です。
ラオス人一人につき1トンの爆弾が落とされたのです。
落とした爆弾の約2割が不発弾となり、戦争が終わっても、ラオスの人々を苦しめています。

アメリカはこの爆撃を公式には認めず、謝罪も保障もシテイマセン。

わが国が中国で行った戦争による、中国人犠牲者は1000万人以上とも言われています。

国が行う戦争とは、この様なものです。

戦争行為にたいしては、国民の力で止めることが出来ます。

その力は平和教育から生まれます。真実を教えることが平和教育です!!

戦争については、「近寄らず・協力せず・参加せず」・・・私の提案・非戦3原則。

明日(12日)は、8時半発の小型バスでシェンクアンからルアンパバンに行きます。
7~8時間を要します。山間部に点在する「集落」の風が心に沁みるように・・・
このルートの旅は、これが最後になると思っています・・・


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モンの山里

2016年04月11日 16時58分12秒 | 旅行
モンの村を歩く。サンデイマーケットの見学後、モンの里を歩きました(7時から9時)。この集落歩きは、今回で3度目です。
見た目程度ですが、少しずつ変化しています。例えば、以前は蛇口のある共用の洗濯場は1箇所でしたが、2箇所になっていました。パナボラアンテナも増えていました。
変わっていないのは、朝早くから子供達が屋外で元気に遊んでいることです。




多くの家庭でTVを見ています。多種多様な情報がながれ、村人の欲望を大きく刺激していると想いますが、家族の収入は増加しているようには思えません。




村でよく見かける、米軍の落とした大型不発爆弾、物置の柱や農具に加工・平和利用。




私が子供の頃は、野菜は自宅側の小さな畑で栽培、鶏も放し飼い。
貧しく質素な生活でしたが温かかった。子供の頃が思い出されます。

モン族の家屋は、窓がありません、家の外壁は板です。電気が入ったのは最近のことです。
炊事は家屋内の土間中央部に設置してある簡単な釜戸、燃料は薪です。数年前に農作作業用小道で村人を眺めていると、学生の娘さんが、家の中に入れてくれました。
大きい部屋が2室あり、1室は炊事・居間・両親の部屋、他の1室は兄妹の部屋でした。TVとリンゴ箱の様な机、教科書だけは写真に撮りましたが、その他はレンズを向けることが出来ませんでした。
薄暗くなると、夕食そして睡眠、日の出と共に朝食そして農作業。実にシンプルな日常生活。
急激な生活環境の変化・・・ただただ「幸せ」を祈るのみ!!
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ささやかな欲望

2016年04月11日 14時42分49秒 | 旅行
この地球上に人間として生を得ると「欲望」という病気との戦いです。この病気の「ウイルス」は歴史上、形や姿をかえて我々を支配しています。その発生源は、「食料の獲得=富の蓄積」です。これにより、多くの命が消えました。
この病に対抗する方法は、「憲法と教育」にあると思います。やわらかくて強い人間力を育てることです。

昨日(10日)、モン族の人々が多く集まる、Ban Nongphetの日曜市を歩いてきました。週1回のささやかな「夢」の世界です。


時計修理屋さん・小さな屋根つきの机が彼の世界です。








売り手の足元で運命を感知したのか、泣き声もでません。








「欲望」の風は、モンの山里にも深く・速く流れています。
買い物の人たちは、ピカピカのバイクで、連絡は指でコスル携帯で・・・。

地域の生活文化を押し潰し、家計の改善も無く、外国製品の洪水・・・心配です。
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ジャール平原より

2016年04月09日 19時30分21秒 | 旅行
9日・GH(民宿)オーナーの車でビエンチャンの空港まで送ってもらいました(有料・約600円)。
7時半ごろに到着、国内線ターミナルのコーヒー店は閉まっていましたので連絡通路を約5分歩いて国際線ターミナルでモーニングです。






< 今日(9日)はビエンチャンからシェンクアンに行きます >
シェンクアンはジャール平原の中心都市で、周辺はモン族の農村が点在しています。


国内線搭乗ゲート。






ラオス航空ビエンチャン発9時30分、シェンクアン着10時、30分間の飛行です。


飛行機からシェンクアン空港到着口までは、田舎の小道を散歩している様な感じです。
熱帯の風と空気が身体にまとわり着き、歓迎してくれます。





GHで宿泊手続きを終え、メインストリートを約5分歩き、レストランへ。この街に拠点を置き、爆弾や地雷を除去しているNGOが経営しているレストランです。(昼食の炒飯)
GH周辺を散歩し、その後オヒルネ、そしてPCを動かしています。
明日は早朝4時半出発、モン族の日曜市とモンの山里歩きデス・・・

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