風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

銀の森・銀の道

2016年11月28日 16時02分58秒 | 日記
季節の流れに私はヨワイ・・・
学校が終ると夕暮れちかくまで神社の広場で遊び、夏季は川で水泳。
全て「友」の輪のなかで「自然」のなかで「時間」が流れていました。
私の地上での「生」は残すところ後僅かとなっていますが、最近の電子機器には「目」や「心」は親しみを持ってくれません。
自分の「力」で自然と共に生き抜いた「あの時代」が身体の中で現役です・・・
「スマホ」を親友とする今の子供たちの「明日」は想定不可能デス。


11月25・26日は瓶ケ森でした(車泊)。今年最後の歩きです。
(自動車道は積雪のため12月になると閉鎖・翌年の3月雪解けで開門)
霧氷を期待しての山行き、最高の「銀の森」・「銀の道」に出会いました!!





何時ものルート、長沢ダム湖からよさこい峠です。
ダム湖では最後の秋色が待っていてくれました。
峠近くから長沢谷筋を見守る「古老」(=古木)は手や腕に昨夜の雪を纏い、かすれ声で「おはよう」です。


   < 銀 の 道 >





不純物を一切含まない、銀の山空気で「こころ」のどこかに刺さっていた「トゲ」も消滅。


   < 銀 の 森 >





森の舞台では役者さんが銀のレース・銀のドレス・銀のネックレスで輝いています。


 ( 子 持 ち 権 現 )


 ( 四 国 山 地 南 斜 面 )


 ( 瓶 ケ 森 )






 ( 石 鎚 山・霧氷の輝きに酔いしれました )

25日の車泊は冷え込みがキツク時々目が覚め、その度に満天の星を眺める。しかし、身体の芯は温かかった。
(画像は全て25日に撮ったものです)

 
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寒く冷たい風

2016年11月23日 21時06分38秒 | 日記
私たちの日常は「明日の幸せ」に向かう活力を持っているのでしょうか・・・
横浜市でのいじめ問題に対する小学校管理職や市教育委員会の不適切な対応が新聞やTVニュースに取り上げられています。

新聞記者の取材申し込みに対して校長は取材の窓口は「市教委」ですので・・・
副校長は「個人情報につながる可能性」があるので・・・

直接児童を担当する現場の長には問題解決の権限も能力もアリマセン。
(国民主権主義や地方自治の原則が社会に根付いていませんので)

すべて「教科書」は文科省の認可が必要であり、強力な中央統制です。
日本全国学校の「長」は県や市による任命制です。
(一般教員は選ぶことも意見を述べることも出来ません)

その結果、学校管理職は当然、「御上」にとって好ましいと思われる「処置」をとる事となり、いじめ問題や子供たちの悩みには「目」が向きません!!

この様な中央統制型教育システムに根本問題があります。

全国学力テストは点数獲得競争です。塾の隆盛は選別格差社会の原点です。
その延長線上は派遣社員に代表される非正規雇用の増大。
若者の「明日」は夢がナク、暗く寂しい・・・幸せはハルカ彼方です。

  < 五 台 山 竹 林 寺 ・ 牧 野 植 物 園 >




竹林寺の秋です。日本人老若男女の参拝客も多く、中国からの若い観光客も見かけました。
一般市民の姿を直に目にする事は両国の理解・友好の増進となり、良い流れのように思います。


牧野植物園の中庭。少し疲れたので足を止め、水面に目をやると、秋の深まりが・・・

   < お ま け >



私の大好きな「よさこい峠・瓶ケ森」へ行く途中の長沢ダム湖です。ダム湖を撮っている私の背後には「廃屋」があり、元気で目の澄んだ子供の姿が脳裏に浮かびます。しかし、声がしない水面は決して帰ることが出来ない「時」の流れを教えてくれます。

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長沢の黄葉里道

2016年11月16日 14時50分35秒 | 日記
秋の長沢谷筋に舞う黄葉はやわらかく・温かく目から心にしみてきます。紅葉からは成熟を感じ、「黄葉」は若さを感じるので、こちらが大のお気に入りです。
元気を失った谷筋の集落をこの時季、優しい黄葉の風が包んでいます。
(市内➡いの➡仁淀川・右岸➡本川(左折・石鎚公園線)➡長沢➡よさこい峠➡瓶ケ森➡旧寒風山トンネル➡高知)

 

11月14日・今日の天気予報は雨、自宅を早朝6時に出発。長沢ダム湖に到着した頃は霧雨でした。谷筋の黄葉は晴天の日より、少し泣いている様な朝の空気がお似合いです。優しく瞼に入ってきますので・・・





人が消えた集落。しかし、この黄色の「空気」の中では、里人の温もりのある「話し声」が聞こえてくる様な気になります。





よさこい峠近くの老大木、冬準備完了です。新緑のころ、お互いに元気であれば、またお会いしましょう。



この四国山地・南斜面山並みの向こうは、太平洋です。私が生まれ育ち生きてきた「土佐」です。



シラザ峠の森です。この森の秋色は一度たりとも同じモノに出会ったことはアリマセン。
天気の良い日は、森歩き、昼食、お昼寝、大のお気に入り場所です。(カーブの先には広い駐車場と大木、夏季はその木陰で・・・)

瓶ケ森駐車場は夕方が近づくにつれて、雨風が強くなり、視界ゼロ。車内で「活字とウタネ」の繰り返し。
(車泊・この様な時間の流れも好きです)・(以上の画像は11月14日撮影)







15日・午前8時ごろ、旧寒風山トンネル右折、最後の黄葉坂道を通過。
高知への国道、晩秋の森を背に季節外れの「さくら」がお見送り、アリガトウ!!
(以上の画像は11月15日撮影)


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戦国時代の夢・インレー湖

2016年11月11日 21時02分03秒 | 日記
東京に7日~9日まで滞在していました。9日はフリーで上野の森でも歩こうと思っていましたが、飛行機に空席がなく、予定変更で13時15分の便で帰ってきました。
東京の高層ビル・大量輸送の電車等を見ていると、一極集中型首都の脆さを再認識です。この様な巨大都市は特に戦争には弱く、市民生活の安定と幸せは「平和」こそが唯一の道であると思います。

   < 羽 田 空 港 >



日の丸マークの政府専用機を初めて見ました。祈・幸せを運ぶ「憲法9条・専用機」でありますように!!







  < 戦 国 大 名 ・ 夢 の 跡 >

11日・午後3時半ごろ、戦国大名・四国の覇者(1585年) 長宗我部元親の居城=岡豊城址を歩いてきました。


(城より東方)


(城より西方)



中世の「山城」です。城の背後は山斜面で当時は軍勢の通行不可、城前方直下は国分川。自然の地形(標高97メートル)を最大限に生かした、実に合理的な城です。
短時間の歩きでしたが戦国大名の「知」と「夢」に改めて感動しました。

  < 旅 の 思 い 出 ・  イ ン レ ー 湖 >

ミャンマー・インレー湖(2010年3月)歩き。3日間の滞在。宿泊していたGH(ゲストハウス=民宿)近くの貸自転車店で自転車を借り、湖岸の集落徘徊と観光船でインレー湖めぐり。





(インレー湖は水深が浅く、魚を見つけると網を落とし、逃げ遅れた網の中の魚をモリで突く漁法です。獲物は持参の小さなカゴに入れていました。冷蔵庫はありませんので、家族で1日に食べる量だけの漁です。)




(薪市場で売れ残った「薪」を背に山手の村へ帰っています。)


(農民は家族全員で農作業、子供もお手伝い。日本の農村も1960年頃までは同じでした。)

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風通しの悪い場所・太平洋の向こう

2016年11月06日 12時58分30秒 | 日記
明日の社会を背負う子供達の「教育環境」は風通しの悪い閉鎖社会となっています。
東日本大震災の津波で犠牲になった児童23人の父母が損害賠償を求める裁判は父母側の勝訴となった。

私はこの裁判の本質は「教育裁判」であると思います。

「風通しの悪い」閉鎖教育環境が大きな犠牲を生んだのです。
各学校では一般教員に対する校長・教頭の監視監督が徹底し、教育の場は上意下達機関となっています。
日常的に「自由な空気」の下での教員発言や教育活動等は瀕死の状況です。

大津波の接近に際して、児童の中から「山へ」逃げようとの声も消滅です!!
教員の中には、胸のうちでは「山へ」はあったと想像できます!!

多くの教育現場では、上の「御意見」に従うのみの管理職が多く、その場に必要な、自主判断が出来ない環境になっています!! 
(校舎は市のハザードマップの浸水予測区域外にあったので・・・)

1つの例・・・夏休みについて
教員も生徒と同じような自由時間が保障されるべきです。
教員は自由な「旅や歩き」等を通じて「歴史」や現状の「実社会」を身体に吸収し、それを教育活動に生かすことが必要です。

ところが、上からの研修会・講習会に出席、終了し学校に帰ると校長に「復命書」の作成・提出。

教育環境は窒息状態で「自由で元気」な教室は昔話となっています。
一人一人の個性に応じた教育、人間力を伸ばす教育は発見困難です。

  < 山 里 サ ン ポ >

私が生まれ・育ち・働き・生きている、高知県は森林面積83・4%、日本1です。
可住地面積は16.4%です。
市内中心部からバイクで30~50分で過疎の山里です。






道路は狭くカーブも多く危険です、スーパーやコンビニも無く生活は不便、雨戸が閉まっている家屋の多くは老人夫婦が暮らす農家、入口への小道や庭がススキで埋まっているのは廃屋。


山里の現状は日本全国共通です。
日本は山地が73%です。
この地理的条件を新しい視点で「生かす」方策については政治は「ゼロ」です。
11月4日・衆院TPP特別委でTPP批准案の強行採決!!
(誰かさんが言ってました・・・美しい日本を取り戻そう・・・空虚で意味不明)
日本列島の荒廃は増殖、その先はバランスを失い沈没です。

  < 太 平 洋 の 向 こ う >

長男が生まれ育った自宅へ11月1日・8年ぶりに帰ってきました。
そして11月5日、早朝6時半自宅出発・空港へ長男を送る。
(羽田発10時50分の便に乗り継ぎ、22時40分アメリカ着、24時に彼の自宅に帰ったとの連絡がありました)






長男は20数年のアメリカ暮らしですが、部屋を出入りする姿を見ていると、子供のころが思い出され、こころの中は涙です。
空港からは海岸線を通り、車を止めて海を眺めての帰宅です。
この太平洋の向こうで「元気で幸せ」に暮らしてくれと祈る・・・
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