風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

鏡川・水辺の野鳥・ローカルの幸せ・Nordkapp

2017年07月26日 17時32分44秒 | 日記
鏡川の水辺
夕方、やさしい薄紅色の夏の斜光が水辺をつつむころ、川岸に立っています。
あの子供の頃の美しい流れや思い出はそこには存在しません。
「時」の流れは、岸辺の熊笹や大木を消し去り、今はセメントの護岸のみです。

この春は、カワセミが営巣し、毎日の「エサ」運びを数名で観察し、ヒナの巣立ちを楽しみにしていましたが、「アオダイショウ」と「増水」の犠牲となり、夢と消えました。

  < カ ワ セ ミ の 子 育 て >












(親鳥は子育ての苦労でやせ細ってしまいました)

鏡川の岸辺はセメントで固められていますので、カワセミが巣穴を掘ることが出来る「土」の場所はほとんどアリマセン!!
小鳥たちに優しい自然環境を配慮することが急がれます。

 *** 鏡 川 ・ 水 辺 の 野 鳥 ***


この水辺の木々は、小鳥たちの集会所・休憩所であり、散歩人と小鳥たちの交流場所でした。
昨年、伐採され、荒れた川岸となり、人間と野鳥の共生は消滅。

   < この小さな川の「モリ」で遊んでいた仲間たち > 

 (カワセミ)


 (アオジ)


 (ジョウビタキ・♂)


 (ジョウビタキ・♀)


 (モズ)

  * * * ロ ー カ ル の 幸 せ * * *

高知県の人口減少のスピードは全国最高の様です。
2015年の人口は73万人です。
県外からの移住者の呼び込みや生産性の向上がよく話題に上がっています。
極めてシンプルな方策で、効果がある様には思いません!!

フィンランドの首都ヘルシンキの人口は約60万人です。
地下鉄はアリマセン。市民の移動は、市電(チンチン電車)・バス・汽車です。
(高知と同じです)
郊外の集合住宅は3階程度の建物が多い様に思いました。
この国では大学は全て国立で無料です。

高知県民であれば、県立大学進学者は完全無料にします。
若い家族は、この条件を生かすために、移住をします。

ヘルシンキでは、若いデザイナーや弱小の経営者に開放しているフィスカルス芸術村があります。
工場跡・物置・車庫等が工房やショップや喫茶店となっています。
ここへはヘルシンキ中心部から汽車(約1時間)とバス(約30分)です。
交通の便はイイ様に思えませんが国内外から観光客が押し寄せています。

高知県内には廃校・廃園・工場跡地が多数存在します。それらを芸術家・デザイナー・若き起業家に開放し、日本を代表するような総合芸術村を数箇所育成する。




消滅寸前の集落や崩壊に瀕している家屋も研究所や休日の滞在場所として再生です。

  * * * N o r d k a p p * * *

ヨーロッパ北極圏・最北の岬・ノールカップは視界ゼロにちかかった。
これも旅の思い出としては最高です。
冷たい北極圏の霧と風の中で、この地の厳しい風土が身体の芯に浸みてきました・・・





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日本国憲法?・神社の杜・天狗高原・旅の思い出(アビスコ国立公園)

2017年07月19日 16時28分41秒 | 日記
明日の日本を背負う中高生に「憲法」を教えることが出来るのでしょうか??? 
憲法9条について:悪い奴が「刃物」で襲ってきたら、近くにある「木刀」でわが身を守る(=自衛)。
これは国でも同じです、だから自衛隊は憲法違反ではアリマセン!!

集団自衛権の行使を含む「安全保障関連法」では、戦争中のアメリカ軍に弾薬運びOKです。

これは他国の戦争に参加することです。自衛ではアリマセン!!

完全な憲法違反です。戦争が出来る国に変身です。
若い生徒に誠実に「憲法」を教えることは不可能デス。
ヨロヨロ低級老人の私でも心配です。

テロ等準備罪を含む「組織犯罪処罰法」、これまでは法に違反し悪いことをすると「犯罪」として 司法の裁きを受けてきたのです。
これからは「準備」したとの事で犯罪者として囚われの身とナリマス。
その底流には「密告」が大きな力を発揮します。
隣人・友人・意見を異にする人、お互いに疑心暗鬼です。
暗く恐ろしい、自由にものを言うことが出来ない、日常の到来です。

国民が国家権力の「暴走」により犠牲となることは繰り返してはイケマセン!!

数年前のローカル新聞記事より
12歳くらいの時に「本当のお母さんは何所にいますか」と聞いた・・・
養母と一緒に暮らすようになってからの約6年間、実の母のことを忘れることはなかった・・・
夜、一人の部屋に入ると、「お母さん、日本に帰ったかな、まだ瀋陽市にいるかな、生きているかな」・・・

 * * * 神 社 の 杜 ・ ア オ バ ズ ク * * *

梅雨の晴れ間、ここ、神社の杜の旅人「アオバズク」に再会すのが楽しみです。
市内の中心部、鏡川に沿って細長い神社の杜があります。
大きな木々に覆われた街のジャングルです。
ここをお気に入りの夏のホームにした「アオバズク」は毎年ここで子育て、終えると静かに旅に出ます。




友人からヒナが巣立ちしているとの連絡がありましたので、翌日(14日)、いつもの場所に直行。
父親は定位置でヒナと巣穴を見守っていました。
ヒナは2羽、巣立ちしていましたが1羽と顔出しのアイサツでした。






15日・今朝は3羽になっていました。幼い子供たちは、下のヨタヨタ老人に興味を持ち、何やら話をしているようでした。世の乱気流に洗われる前の「瞳」はキラキラと輝いています。
幼い子供たちの純粋な「眼差し」はみんな同じ。
(友人の連絡によると、16日は4羽になっていましたが、17日には全ファミリー、姿を消していましたとのことです)

* * * 四 国 カ ル ス ト ・ 天 狗 高 原 * * *

私は、自然の山空気・山風のなかで生き抜いている「草花」に魅かれます。
この時季、高原の草原で輝く、ヒメユリ・ササユリ・ハンカイソウは大のお気に入りです。
16日・午前9時自宅を出発、昼前には天狗高原に到着。






2時間くらい草原を歩きました。ヒメユリは見当たりませんでしたがササユリが最盛期でした。
やわらかい薄ピンクのこの花は大人の日本女性の様に想えます。






ハンカイソウと放牧場。黄金花と牛さんのイイ舞台です。




トンボやチョウも高原ではノビノビ、いつの間にか「身心」の湿りが消えていました。


高知県側の散歩道=セラピーロード、小径に敷き詰められた木くずは足だけでなく、こころも軽くしてくれます。






ヤマアジサイ・セラピーロードの微笑みです。


夕食のオニギリとカップラーメンを食べながら、南の山並みに目をやると、やわらかい夕暮れ。
駐車場東端重機車庫の西側に車を止め、車中泊。
(この場所は、強力な夏の朝陽照射が少し遅れるので)

 *** 旅の思い出 ・SWEDEN Abisko 国立公園 ***

自然が厳重に管理され、この地域の先住民族サーミの伝統文化も尊重、安心安全の国立公園です。


(アビスコ公園駅)




(公園内の案内板)


(サーミの聖なる山・ラポーテン)


(宿泊・食事・土産・衣類等が揃う公園内唯一の施設)

<往路> 関西空港➡バンコク(深夜便)➡ストックホルム(早朝着)➡キールナ(1泊)(汽車)➡アビスコ

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山里の生活・鏡川・瓶ヶ森車道

2017年07月12日 20時23分50秒 | 日記
私は四国山地の南斜面(高知県側)をよく歩いています。
昭和40年代(1965年~1974年)は各谷筋に小学校もあり、子供の元気な声が響いていました。

高度経済成長と共に、里人は現金収入の可能な地域、中学や高校に近い地域へと生活の場を移してゆき、今や山里は崩壊消滅に瀕しています。

ローカル新聞で「移住者」を呼び込み、元気を取り戻そうとの記事を時々目にします。
移住者に、先ず市内の中心地に滞在していただき、地方の生活文化を経験・理解したうえで、移住してもらうとのことです。

私はこのような方策には疑問を持っています。
中央でも地方でも「街生活」には大きな差は存在しません。

1日も早く、移住地に入り、中心道路から自宅までの距離・道路状態、保育園・小学中学への通学方法、高校の所在地等を自分の目で足で確かめ、納得の上で本格移住を決定すべきです。

小学・中学までは市町村の送迎バスによる通学が多いようです。
高校や大学は個人の志望で進学です。
莫大な費用が待ち受けています。
移住者個人の努力では不可能です。
国や県は地域の実情に応じた文教政策、特に全教育費の公費補助が必要です!!

 * * * 鏡 川 ・ ア ユ つ り * * *

雲が薄くなると、愛用の50CCバイクで鏡川ダム上流域を、自宅から往復約90分のサンポです。
梅雨時期、ダム下流域は川水が濁っている日が多い。
ダムより上流は、雨が上がると比較的早くサラサラの清流となります。
「川風と山空気」で心身をサラスと少し元気回復です。


(画像の上半分はダムからの水・下半分はダムの無い支流からの水)







  *** 土小屋(石鎚山登山口)から瓶ケ森の斜面歩き ***

7月11日・正午の天気予報では今日も明日も「曇り」でした。
昼食後、車にカメラや寝袋などを積み込み、PM2時に自宅出発。
目的は「ヤマアジサイ」です。
梅雨の山斜面で小さな純な目でそっと話しかけてくれる様な姿が大好きです。











 ( ふ ろ く ・ シ モ ツ ケ ソ ウ )



よさこい峠から土小屋までの斜面、車を止めては歩きの繰り返しです。
土小屋駐車場へは午後7時に到着、5~6台駐車していました。
この天気だと、新しく登って来る車はないであろうと思い、今夜はこの駐車場で車泊。
12日・7時に目が覚める。モーニングは何時ものメニュー、コーヒーとバターパンです。

8時ごろから本格的な山雨になったが瓶ケ森方向に出発。
時々車を止めて、雨のなかサンポ。


( 子 持 ち 権 現 )


私は、雨が少し足元を濡らす程度の山歩きもお気に入りです。
雨やガスの中をヨロヨロ歩き、山風のなかで、突然視界が開け稜線や木々が目に入って来る。
この私だけの世界が好きです。
(写真は全て11日午後・12日午前中に撮ったものです)
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国民主権・佐賀山分校・旅の思い出

2017年07月06日 14時01分37秒 | 日記
国民主権は根を張っていた!!
安倍首相の政治は国民主権・民主主義を無視し、議会で「数の力」を振り回すのみの幼稚で低質な内容です。
東京都民は、これを許さなかった。

「こころ」の中は曇りガラス状でありましたがこの「モヤモヤ」を都民の手が拭きとってくれました。

安倍首相は選挙応援で反対勢力に感情むき出しの言葉を放っています!!

内閣総理大臣は、多様な国民をやわらかい風呂敷で包み、「平和と幸せ」の社会に導くのが仕事です!!

反対勢力にキバをむき出して威嚇し、「危険」なニオイがすると、お仲間の背後に身を隠す。
都民は知っていたのです!!


  * * * 佐賀山分校と爽やかな出会い * * *

梶ガ森の初登山は社会人となった昭和41年です。この年に数回登ったと記憶しています。
「国鉄豊永駅」から数分の登り口から佐賀山の集落を経て山頂へと向かう、約4時間の登りでした。
このコースは、当時自動車道は無く2メートル弱の小径でした。
最初の20分は急な坂道で、佐賀山集落辺りで平坦となり、身体が山に馴染んできました。

佐賀山の小学校分校とその向かいにあった小さな雑貨店が記憶の底に残っていました。
私の小中高は市内の大規模校でしたので、分校は「二十四の瞳」の世界でした!!

約1年前に女性の登山愛好家HPで佐賀山集落の写真に出会い、「思い出」の風景が蘇りました。








(画像は分教場校庭跡、・児童数は昭和30年18人・35年18人・40年22人・44年12人・45年閉校・1年生から4年生まで分教場・現在は公民館)

7月2日・梅雨の中休み天気良好、自宅を早朝5時に出発、佐賀山集落には7時前に到着。
狭くて急な道の運転で少し疲れたので山畑の石垣に腰を下ろし休憩。

7時になったので、立ち上がり、斜面後方に良く手入れされた道があったので、登ってゆくと立派な農家でした。
中から話し声がしたので、「分教場」の場所を教えてもらいたくて声をかけました。

庭に出てきた女性は、優しくやわらかい目と声で「ツイテキテ」・・・
ゴムサンダルのままで、その家の裏手、草ボウボウの道らしきところに案内してくれました。
ここが昔の道です。私も毎日ここを通り、学校に通いました。
それどころか、朝露で足を濡らしながら、分教場まで連れて行ってくれました。

学校を卒業すると、大阪で働いていましたが今は福岡に住んでいます。
母が高齢ですので、佐賀山に帰っています。
子供の頃は、この校庭が広いと思っていました。
先生夫婦が自費で自転車を買ってくれ、荷物運搬用のケーブルて、学校まで運んでくれました。
この校庭で練習して乗れるようになりました。

突然、庭先に現われた私を、足を濡らしながら、ヘビのいそうな危険な道を案内。
久しく忘れていた、山空気の様な純な人の優しさに触れ、こころが熱くなりました。
ありがとうございます!!

車道ですれ違った土地人が今日は「山開き」ですと声をかけてくれたので、梶ガ森山頂に向かいました。




予期せぬ出会いに感動!! 山開き式典は定福寺長老・釣井龍光老師が執り行っていました。
若い時からの知り合いで、数十年ぶりの再会でした。
画像の下の方に見える「梶ガ森山荘」は閉鎖中ですが7月末から再開するようです。
山開き式典に参列していた新しい経営者から直接聞きました。
今日は本当に良い1日でした!!




日本の山里は高齢者が農業の担い手です。
土地人の手と汗で、何百年もかけて、拓き維持されてきた山畑が荒れ消えつつあります。

梶ガ森の麓に広がる水田は画像の様に「元気」でホットしました!!
しかし、見かけた「軽トラ」は「オトシヨリシール」ばかり、心配です!!

 *** 旅の思い出 小鳥・サパ(ベトナム)の旧正月 ***


(ハノイの店先)


(おまけ・ハノイ果物店のアイドル)






  ( ラオス・ジャール平原 )

   < サパの旧正月・みんな元気!! >
正月の晴れ着は出身地域により異なっています。伝統文化が生きています。





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