風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

🐢カメ爺の ヨロヨロ 北海道車旅

2022年09月29日 16時21分16秒 | 旅行
***北海道 車旅***9月2日~22日
初秋の北海道 山野の風や空気を 目や心に沁みこませてみたい・・・  
「北海道旅」へ出発する数カ月前から ネットで比較的年配者の「北海道を車中泊で旅をしている方々」の記事に目を通していました
私も「車」で 北海道を ヨロヨロと周ることに決めました
9月2日・高知から舞鶴まで車で 約7時間
新日本海フェリー・舞鶴発:2日 23時50分⇒小樽着:3日 20時45分
日本海に沿って北上し サロベツ原野・納沙布岬・宗谷岬
オホーツク海沿岸を走り 知床半島
内陸部は 富良野・美瑛
大平洋沿岸は 襟裳岬(→小樽)
9月20日・小樽発:23時50分⇒舞鶴着:21日 20時45分
自宅着:22日 昼前
(旅計画は 上記程度です・宿泊は「道の駅」で車中泊・総じて自由で気ままな 旅です)


(瀬戸大橋 数分で本州へ・若いころは宇高連絡船で約1時間)

<舞鶴~小樽 船旅> 9月3日




<日本海・道の駅 おびら鰊番屋> 9月4日

(旧花田家番屋・ニシン漁の栄華にオドロキでした)


(海辺の道は バイクがオニアイです・9月4日)


(日本海に沿って稚内へ・赤い矢印で 厳しい冬の雪道が頭に浮かぶ・9月4日)


(兜沼・有料キャンプ場で車中泊・海の向こうに浮かぶ「利尻富士」・9月4日)

※9月5日・道の駅わっかないで車中泊→6日 利尻島へ
<利尻島・暴風雨でフエリーが欠航・6日7日 ホテルで2泊)





(野寒布岬・住民の生活領域に 野生のエゾシカ・これが本来の人間生活環境カナ・9月8日)


(日本最北の岬・国境の海です・9月8日)


(クッチャロ湖の落日・湖岸の温泉コテージで宿泊・9月8日)
  
<知床岬・・・知床5湖・知床峠・国後島>9月9日~11日・ホテル宿泊



(知床峠と羅臼岳)


(少し沖合に 太平洋戦争敗戦後 ロシアに占領されている「国後島」)


(道の駅 摩周温泉・ここで車中泊・9月13日)


(道の駅 阿寒丹頂の里・車中泊・9月14日)

<釧路湿原>9月15日

(釧路市立釧路湿原展望台・早朝の駐車場・小鹿にお乳を飲ましている母鹿・後ろ足右側が切断されています・多分「ワサ」にかかり 切断したと思います・強い母鹿です)


(釧路湿原)


(青い池・湖水にアルミニュウムが溶け込んむと 青色を吸収すとのことです・15日)

<麓郷・北の国から・五郎さんの「石の家」>



※原作 脚本 倉本聰 「北の国から」
私の子供時代は 太平洋戦争の敗戦で 社会経済は崩壊し 市民生活が苦しい時代でしたが・・・ 自分の遊び道具は自分で手作り・家族みんなが助け合う温かい家庭・若者は明日に「夢」を持てる時代でした
今のプラスチック文化と真逆の世の中でした・・・思い出しました

<道の駅 びえい「白金ビルケ」で車中泊・9月15日>







( 美 瑛 )



※9月16日 「道の駅 忠類」で車中泊・17日 襟裳岬に向かう

(ひろい昆布漁・海が荒れると 昆布が海岸に流れ着きます・その昆布をひろい収穫)


(襟裳岬・21歳? 友人と歩いていますが・・・記憶ナシです)

<9月17日・道の駅 ウトナイ湖・ここで車中泊>


(ウトナイ湖は ラムサール条約の登録湿地・多くの野鳥が羽を休める場所です)

<18日・台風の影響で「舞鶴」への船便が欠航となるようですので 小樽に直行>
 18日・19日は欠航・20日の便で舞鶴へ・22日昼前に自宅着でした


(小樽駅・頭の中は「小樽のひとよ」・・・周辺をヨロヨロ歩き・9月19日)


(小樽運河・9月19日)







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旅の思い出 「ベトナム 北部」・大雪の「天狗高原」・高知城

2021年03月04日 14時49分00秒 | 旅行
 
「時」の流れは速い・・・星空への旅は 近い私ですが 近頃 ブツブツと独り言を言ってます!! 
※「高級役人」様は 関連業者さんから 1人1回 7万円余の 「御食事接待」
「公僕」 頭には アリマセン 有るのは 「自己栄達」ノミ???
※ 大学入試シーズンです
大学入学平均年齢 日本:18.3歳・ドイツ:22歳・フィンランド:23.5歳
先進諸国では 高校卒業後 様々な経験を積み 時間をかけて 自分で 考え 進路を決定
日本は 教科書丸暗記 最短時間で 大学入学が「目的」 ??? 
※ 労働力不足・・・ベトナムやインドネシア等から 期間限定の若い労働者を雇っています
この 若者たちを「技能実習生」と 呼んでいます??? 

***ベトナム北部の歩き***2019年11月27日~12月12日
ここ数年 ベトナム北部の 少数民族地域を ヨロヨロと 歩いていますが・・・
私の脳裏に焼き付いている 昭和30年代(1955年~1964年)の少年時代 
田舎では 家族も地域住民も 温かい助け合いの生活でした
しかし 今 振り返ってみると「社会」は激動の時代でした
その時代と同じような 「空気」が 流れているような気がします

<「Viet Jet Air」を利用・LCCですので ハノイ往復 税込み4万円弱・私には 最適>


<「ミージンバスターミナル」>
ハノイで1泊 翌朝 ここから バスで 「ハジャン」へ・約6時間


<「寝台バス」・ハノイ⇔ハジャン間は 全て このタイプのバスです>


<ハジャン 郊外・タイ族集落の 民宿「Dong Que」に宿泊>


<私の部屋・窓には ガラスが入っていません・寒くて持参のダウンを着て寝ました>


<民宿「Dong Que」での夕食>


<タイ族集落の夜明け>


<タイ族は 米作農民です・タイ族の家屋>


<ハジャン郊外の「サンデェー マーケット」・売り手側に この民族(?)が多くいました>


<「ドンバン」>
「ハジャン」から小型乗り合いバスで移動
「ドンバン」で宿泊した「ラムタン ホテル」と「レセップション」
 



<ホテルの前から「サンデェー マーケット」・近在少数民族が出店>






<「マピレン峠」・ドンバンからバイクタクシーで 半日遊び>
石灰岩の中に暮らしがありました・山並みを超えると「中国」です




<ロロ族の「ルンクー村」>
「ドンバン」から この峠道を超えると 「ルンクー村」です(バイク タクシーで約2時間)




「小倉靖」さんは この村の 古民家を コーヒー店(Cuc Bac)に改装し
そこを拠点に 各地域の少数民族の「文化・生活・観光」などの 総合支援活動を 行っています




<ルンクー村・農家>

<冬季でしたので ヨロヨロ歩きの後は ここで手足を 暖めて 民宿へ>
こちらを向いている 「女性」は 「小倉さん」に 任されて コーヒー店を 運営しています


<ルンクー村・民宿「Lover LoLo Chai」 ここで宿泊>
「小倉」さんの紹介で 宿泊・経営者は ルンクー村の「村長」さんです


経営者の「村長さん」夫婦です・親切でやさしく お世話になりました


<ルンクー村から 「ドンバン」へ 引き返し この カプセル型ホテルに宿泊>
経営者は 「ラムタン ホテル」と同じです・共に 清潔 安全の ベストホテルです




<ハノイの街角(2泊して「関西空港」へ>




<フランス文化の影響か街角には オシャレなコーヒー店がアチコチに>



***大雪の四国カルスト 天狗高原***2月20~21日
数日前の冷え込みで 天狗高原は「大雪」!!
齢はとっていますが ハートは少年のままです
このニュースで  燃えた 「天狗」へ行こう 

 (摩耗した「スタットレス」・横スベリ・カラマイ ハンドルを握る手は「アセ」が・・・)


(車道登り中間点から見た「山里」は 冷蔵庫の中)


(放牧場 東入り口・この木に いつも挨拶 「来ましたよ・よろしく」・ヨロヨロ歩きスタート)








(今回も 独り歩き・雪道には 夜活動の「野ウサギ」の足跡)


(「姫鶴平」は 雪の中・人の姿は アリマセン)


(雪道を 独り歩きの 私です)


(天狗高原スキー場の駐車場で「晩メシ」・その後 セラピーロード入り口の駐車場に移動→車中泊)


(セラピーロード入り口のベンチで 21日「朝メシ」・いつも同じですがトシヨリは これで十分です)


(21日午前中・自分の車に映っている 私です・お世話になっています よろしくお願いします)

***高知城・「梅花」は 終わりです・メジロは「ボケ」の蜜で 御食事***






 < お ま け・アオザイ姿のベトナム女性 >
ベトナムから3年間期限で 来日の若い労働者「コロナ」で
帰国できません 4年目です と言っていました
数名で「高知城・梅花」の見物に来ていました

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ベトナム ドンバンの山里を歩いて・今日の鏡川

2018年12月18日 20時29分08秒 | 旅行
 ***ドンバンの谷間で***
 不来方の  お城の草に寝転びて  空に吸われし十五の心   石川啄木

母親の優しい眼差し・・・友の言葉に心で泣いた・・・「少年のころの思い出」

ドンバンの山畑を歩いていると、「こころ」の底に眠っていた、決して消えることのない「少年の日々」が脳裏をかすめた。

ドンバンの谷間に流れる「空気」は生き抜いてきた「汗」のニオイが・・・
岩と岩の隙間を耕し、子供たちを育て、家族の幸せをつくった・・・
今は一家に一台のモーターバイクが 激動の時代です・・・










ほぼ全農家にバイクが 快適な走り 自由な交流 !!




畑には 換金用の 作物が 栽培されています


岩と岩の隙間が 生活の全てです

  *** 今日の鏡川 ***

今日は自宅から「50CCカブ」で約10分、何時もの場所より少し上流です。
川面を流れる冬の川風は冷たいが、レンズで追う水鳥の姿で身体の芯は熱くなる!!

<カワセミ>撮影:18日午後2時~3時・鏡川




<カイツブリ>撮影:18日午後2時~3時・鏡川


<セグロセキレイ>撮影:18日午後2時~3時・鏡川

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新しい時代の波・・・ルンクー村~大都市ハノイ

2018年12月14日 20時45分46秒 | 旅行
私たちの日常生活は、朝の新聞と共に届けられる「チラシ」やTVコマーシャル等に代表される、大量生産・大量消費の時代です。
このような生活は1945年以降数十年をかけて浸透しました。
その間に国民も消費経済生活に対抗できる「免疫性」を身に着けました。

今回歩いている「ハザン省」は急峻な山岳地帯であり、隣村までの山越は、1日かかる様な地理的条件でした。
近年まで「孤立生活・閉鎖社会」であったように想います。
それが一家に1台のモーターバイクの時代に突入です。
山越えも1時間弱です!!
緩やかで穏やかな生活は、急激に自由で開放的な生活へと激変進行しています・・・
冷静な生活判断・幸せな家族生活を願っています!!

  *** ルンクー村あるき ***
村人の生活は、私の子ども時代1955年前後と同じように想います。
私の記憶の底に眠っていた、両親を中心に家族が寄り添って生きた、あの頃と同じです。

<ルンクー村への道中>






<ルンクー村に流れる空気・・・里人の生活>

















この農家は、古民家コーヒー店「クックバック」の隣です。伝統の土壁と色です。小倉さんの影響であると想います。

 ※ この「ルンクー村あるき」を思い立ったのは「小倉靖」さんの存在です。
彼は村人(ロロ族)に伝統文化を維持保護することの大切さを説き、同時に、それを観光資源に生かし、生活向上を目指す様々な文化活動を行っています。

以下の画像は小倉さんの活動拠点・古民家を生かしたコーヒー店「クックバック」です。
(私が訪問した12月6日・多くのヨーロッパ系観光客が来店していました)




 <ドンバン~ハザン~ハノイ・帰り道>12月8日~9日
8日・ドンバンは朝から冷たい雨でした。予定を早めて、午前中の便で「ハザン」へ出発。

8日・ドンバンでのモーニング・フォー


休憩・昼食のためのドライブイン


同じバスの乗客が美味しそうに食べていたので、私も指をさして注文

 ハザンからハノイへの寝台バス


元の予定はドンバンを午後の遅い便で出発・ハザンで夜行寝台バスに乗り・9日朝ハノイ着でした。
  ※ 危 険 ・反 省
雨の中、予定変更 午後5時発のハノイ行きに乗り、午後11時ハノイ着でした。
ホテルも予約していません!!
ハノイのバスターミナルで下車した場所からホテルのカンバンが見えたので、そのホテルに宿泊。
(無謀・危険・大反省です)

     ハノイ 歩き(2泊)

ハノイは雰囲気のあるコーヒー店が多い・ここでモーニング


「ドンスワンマーケット」・「アメ横」の雰囲気です・戦後の貧乏時代育ちは これがイイのです


マーケット隣接の通路・「春巻き屋」さん


天秤棒の「カニ屋」さん


通路奥の食堂で昼食・若き日 東京時代 駅周辺の食堂を思い出す

※11日 朝6時発の中国航空・北京行きを予約してあったので空港内ホテルに移動(10日夕方)

11日 ハノイ空港出国完了・出発ゲートで3時間待っていますが、飛行機が来ません!!
その後12時40分発と掲示板に・6時間余の待ちです。ツカレマシタ・・・
 (画像は10日夜 ハノイ空港 出発フロアーです)








11日・6時間遅れでハノイ ノイバイ空港を出発。
夕暮れ北京空港に到着。
羽田行きの便はアリマセン。
中国航空が準備してくれたホテルに宿泊。
12日・8時半発の羽田行きのチケットが支給され搭乗、羽田乗り換え、
高知には夕方帰りました!!

中国航空機がハノイ空港に6時間遅れで到着・この飛行機で北京へ


この方たちは全員中国航空乗務員です・ミンナ待っていたのですネェ~


ハノイ・ノイバイ空港出発


ハノイ上空


チケット中央に「0535」の数字・これはBoarding Timeです
それが12時40分となりました・朝食が遅い昼食となりました



夕暮れ迫るペキン上空


ペキン空港着陸直前
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黄葉の東京・北京経由ハノイ・ハジャン省あるき

2018年12月07日 12時35分36秒 | 旅行
私は小学生の頃から「みちくさ」病を持っており、この歳になっても病状は進行しています・・・
12月1日から2泊・東京でした。
黄葉は大都市に良くニアッテイマス!!
北東アジアの晩秋に輝く黄金色です!!














 ***北京で「みちくさ」・ハノイへ***
12月3日・羽田8時30分発北京行き・北京で10時間の待ち時間を選び・北京のシブヤと言われている「王府井」(=ワンフーチン)彷徨です。
ここでは「屋台」通りを見つけ、歩いてみました!!
北京の雑踏は「超安全」、いたる所に警察官(=公安)が立っていますので・・・




東京の空はキレイ


北京の空は重い


ワンフーチン(エアポートエクスプレスと地下鉄を乗り継ぎ到着)

 <気になった屋台の串屋サン>私は写真だけでした




北京4日・01:25発・ハノイ着04:30
入国後バスセンターにタクシーで直行・「ハザン」へ出発


ハザン行きのバスは「寝台車」でした・6時間ですが「バクスイ」・元気回復

<4日・午後2時頃からハザン市内をサンポ>

ベトナムを感じる橋でした


ベトナムに似合っているバイク


「焼きいも」のニオイがプゥ~ン・左の赤いイスに座り食べました

 < 最終目的地 「ドンバン」 到着 >
5日・朝5時発の小型乗り合いバスでドンバンに向かう。
乗客は超満員 それだけではアリマセン!! 宅配荷物を通路と屋根に満載。

私の座席は このバイクの横 補助席 これで約6時間でした

11時頃 ドンバン到着・予約をしてくれていた「ラムタンホテル」で少し休憩・
午後2時ごろから「マピレン峠」歩き

このホテルは この地域で原住民支援のための文化活動をしている
「小倉靖」さんが予約してくれました


美人で優しい物腰の女性支配人に迎えられ、「ツカレ」は即消滅


私の部屋




ホテルの数メートル先はマーケット


 < ここからは「マピレン峠」です >



















仲良し3人娘・腰にはオソロイの「鎌」・楽しそうに「オシャベリ」
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