風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

自然のなかで

2015年08月25日 21時43分02秒 | 日記
谷間を流れる「やま水」と「やま空気」は最高!!

8月23日(日)・「鏡 吉原ふれあいの里」・夏季の名物「そうめん流し」を
楽しんできました。
ここは、四季を通じて、私の「50ccカブ」での散歩コースです。
渓流の水音・不純物を含まない山空気・神社の森・元気な子供達の声が
響いていた旧小学校跡・・・すべてが心身にやさしい。

この日は、子供達とその家族で超満員。お金で遊ぶ「街」とは一味違う、
自然のみの世界・目と心で遊ぶ世界。

ヨロヨロ・ヨタヨタの私は、永田町から流れてくる、汚れた「空気」を
吸い込み、「こころ」が重くなっていましたが元気回復です。


旧小学校からつづく、河内神社・狛犬の目は優しい。ここで遊ぶ
子供達を今も昔も「神様」の命を受け、確りと見守っています。


数年前までは残存していました。


今では駐車場です。子供達の「手の温もり」や「元気な声」が沁み込んでいた
「思い出」は消えました・・・この点は残念です。

「鏡 吉原ふれあいの里」は高知市中心部から約1時間です。
地域住民の「知恵と活動」で、素晴らしい自然公園になっています。
人口減による元気を失った「地域」のイイお手本です。
県や市は、このような場所・地域活動に資金援助をすべきです。!!

<おまけ>
   極北の自然公園・スウェーデン・アビスコ国立公園
ラップランドと呼ばれる、この地域は少数民族サーミの生活圏です。





ストックホルム空港で乗換えキルナまで飛行機。1泊して汽車でキルナ駅から
アビスコ駅まで1時間15分。
宿泊場所は写真の「アビスコツーリストステーション」のみです。
ここには、レストラン・売店(ハイキング用品・弁当・お土産)
・インフォメーション等があります。




このU字型の場所は、サーミの聖なる山・ラポーテンです。自然環境が厳重に
維持管理されています。
サーミの伝統文化を護っているのです。








自然公園内はキャンプ場もあり、それぞれの目的・体力に合う
「コース」が整備されています。

  ロフォーテン諸島(ノルウエー)

旅行者に人気の民宿・ロルブー(旧漁師小屋)。



汽車でアビスコ駅からナルビク駅(ノルウエー)へ。駅から徒歩約十分の
バスステーションからロフォーテン諸島のスボルヴァ―へ。
ここは、ノルウエーの人々にとって、こころの故郷、最も人気のある
ローカルです。

「海と山」以外は何もありません。まるで大海原(=大雲海)に
浮かぶ山岳地帯です。何日でも滞在したくなります。

帰途は飛行機でロフォーテン・スボルヴァ―~ボードー~オスロ(泊)
~(バンコク経由)~大阪。

コメント (3)
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真夏の一番暑い日

2015年08月17日 16時55分31秒 | 日記
8月15日は終戦の日です。無謀な戦争が終わった日です。

ヨロヨロ・ヨタヨタの私でも太平洋戦争については何も実態記憶はありません。
昭和20年代後半は小学生でした。
この年代は、親の兄弟や近所には、戦死者が多く、その悲しみを思い起こす
ような話題は避けていたと想います。
さらに、日本全国、焼け野原のなかで庶民は、今日を「生きる」ために、
汗まみれになっていたのです。

戦前の社会は、自由・平等・人権等の「新芽」が大地で育たないように
するための完璧なシステムが作り上げられていました。

子供教育では「国定教科書」の下で多様な知識の吸収を押さえ込み、
大人には「治安維持法」等で戦争反対の声や抵抗を抹殺していました。

(治安維持法・・・国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者、
         又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務二従事シタル者ハ、
         死刑又ハ無期若クハ八五年以上ノ懲役・・・昭和3年)

先日TVインタビューで有名・ノンフィクション作家が・・・日本人は戦前は
戦争に、戦後は経済活動に「一生懸命」であった・・・と話していました。

戦前でも多くの親は、息子の出兵に際しては、心の内では「生きて」
帰ることをのみを願い、悲しみの涙を流していたのです。
戦争に「一生懸命」は表向きです。!!

老若男女一度だけの「命」です。他の「力」で失うことは許せません。

戦争にツナガルあらゆる「法」や「組織」は認めてはイケマセン。!!

<ふろく>
私の住んでいるローカルでは、交通不便な「山里や海辺の里」は
急激な人口減で消滅の危機に瀕しています。
新しい発想の下で、活用する「道」を探りましょう。


ノルウエー・ガイランゲルフィヨルド入り口の集落です。
絶壁のような斜面では、大型の家畜は飼えないので「ヤギ」に
頼っていたようです。




今日では、急斜面での居住は許されていないようです。(ガイランゲルフィヨルド)


日常生活では過酷な自然条件ですが、風光明媚で世界的な観光地と
なっています。(ガイランゲルフィヨルド)


フィヨルドに点在する集落の陸上交通は極めて不便です。
買い物や友達訪問等は小さなボートです。冬季は寒く、天候は急激に変化します。
それでも、フェリーボートから眺める家並みは「生活」の温もりが感じられます。
(アウランフィヨルド)


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幸せ・・・戦争のない世の中

2015年08月05日 10時59分54秒 | 日記
ローカル新聞の記事より

「戦前は戦争に反対したり平和を願ったりしただけで拷問の末
殺された人が多かった。
ところが不思議なことに終戦になっても、加害者の政治家、
役人や警察官の誰一人被害者に対して謝罪したということは
聞かなかったし・・・罪を問われることも・・・なかった」

ここに述べられている内容は、わが国の「本質」を良く語っています。

太平洋戦争・兵士の死者数は約240万人。
その内、7割は餓死。
さらに、海外に放置され、野ざらしになっている遺骨約113万柱。

多くの青年兵士の夢や結婚、子供の成長等を国家がモギトッタのです。
この事実に対して、わが国は戦争責任(=戦争犯罪者)の追求をしていません。

わが国では「国民主権」の経験は極めて乏しい様に思います。
江戸幕府を倒し、維新政府誕生。そして「大日本帝国憲法」の成立。
この憲法は、一握りの「藩閥」勢力により、作成され、藩閥勢力が
政治独占を狙ったものです。 国民不在です。!!
(参考:フランス革命の理念・・・自由・平等・博愛)

日本国憲法・・・1946年11月3日・公布。
敗戦の大混乱のなかで、誕生です。国民が考える社会状況ではありません。

敗戦後、70年です。国民主権の下で、知恵をだし・一人一人が輪の中に入り・
国民の力で「再考」する必要があるように思います。

戦後とは即「幸せ」ではアリマセン・・・

先週、写真家 大石 芳野さんのラオス・レポートに目が止まりました。
その内容は、不発弾に苦しむ現地の人々です。
ベトナム戦争中、米軍がラオスに投下した爆弾は約200万トンです。
その内、約30%が不発弾となり、今でも犠牲者がでています。

私はラオス・ジャール平原・中心シェンクワンは数回歩いています。
大石さんのレポートを実感しています。




関西空港から朝便でバンコクに飛びます。午後4~5時に到着。バンコクの
ホアランポーン駅近辺をブラブラ、そして夜行寝台でラオス・ビエンチャン早朝着。
(夜行寝台が取れない場合は駅外・左側の道路に面したツーリストでバスチケット
購入・快適なフルリクライン)そして、「トクトク」で空港へ移動。
約1時間の飛行でシェンクワン着です。




シェンクアンの中心通りで目にしたものです。戦争が身近に生きています。




モン族の里です。毎日の野菜を豚や鶏からまもるために足を付けた爆弾の殻畑。
大型爆弾の殻が、物置小屋の柱にも利用されています。
この地域の里人に多くの戦争犠牲が出たことが、容易に想像できます。

(ふろく)
身体が溶けるような「灼熱」の毎日です!!
8月1~2日、天狗高原・車泊。
高原の「山空気」と「星空」で身体をサラシ、ツカレを浄化してきました。
ヨロヨロ・ヨタヨタの私、少し元気回復です。








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