風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

自然が一番イイ

2013年02月27日 21時20分27秒 | 日記
この冬はメジロがわが家の庭に毎日、遊びに来てくれます。ミカン・リンゴ・バナナなどを日替わりメニューで昼食にサービスしています。
メジロの他にヒヨ・ウグイス・ジョウビタキもよく見かけます。見ていて飽きません。自然の仲間は「心と身体」には最良の栄養剤ですネ!


少し前、新聞の投書欄に、家のすぐ近くの川で「魚の泳ぐ姿が見えない・・・」(この場所は清流でした)。私の親しい漁師さんは「小魚がいなくなった」と先月、話していました。また、先日の新聞に「ウナギの稚魚が激減」という記事が載っていました。・・・これらは「自然環境」が人間の生活に押されて崩壊しつつあることを物語っています。・・・私達は狭い国土と繊細な自然環境のなかで生活しています。それ故、「世界の人々」から、最も自然環境を大切にし、「豊かで美しい国」であると言われるように成りたいものです。
人口減のこの国で、支払うことが出来ない「借金の山」を増やす事は「美しい日本」に成り得るのでしょうか?・・・ローガンメガネの「心配の山」は増えるばかり!


(おまけ)
昨年の12月23・24日大阪に用があり、行ってきました。24日・宿泊先を早朝に出発して、京都の祇園界隈を3時間くらい歩き、伊丹より午後の便で帰りました。久しぶりの京都で短時間の滞在でしたが、「日本のにおい」が身に染みました。「石と鋼鉄」では無く、木の伝統文化に!





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自身で良し悪しの判断

2013年02月16日 20時23分07秒 | 日記
私の旅は、「こころに合うところ」・「温かい風が流れているところ」と想った地方にフラフラと行き、歩くことです。往復の航空券を購入し、一応決めていた目的の地域を目ざしますが、途中で気に入ったところがあれば、追加です。要は、帰りの航空便に乗れたらイイのです。

NORWAYは海と山の国です。フィヨルドやその周辺の山々・そこに流れている「空気」が大好きです。とくに、お気に入りは「リーセフィヨルド」のプレーケストーレンです。二人の女性が腰をおろしている場所は、その下600メートル・1枚岩の大絶壁です。歩いている人や望遠鏡で対岸を見ている人は、絶壁より2メートルくらい手前です。この場所(プレーケストーレン)へは約2時間30分です。少し急傾斜の岩場もあり注意は必要ですが危険なルートではありません。
私がここに魅かれるのは、「自分で判断して自分に合ったやり方」で大断崖の空気や景観を味わうことが出来るからです。・・・大きな注意看板・鉄のクサリ等はアリマセン。
ところで、昨年の12月23~24日、大阪に用があり、某私鉄に乗車しました。駅を発車する度に「携帯電話・・・使用を控えて下さい」・・・その他数項目の車内放送が繰り返されていました。これらの放送はスサマジイ騒音でした。ケイタイの比ではありませんネ。
近頃の「御節介・過保護」の風潮が気になります。ナニゴトも自分で判断し・行動するのが1番です。老若男女関係ナク!
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椿 山 (つばやま)

2013年02月06日 20時24分33秒 | 日記
仁淀川町 椿山 へは今回で三度目です。1月24日は天気も良く積雪も無いようでしたので、自宅を朝8時に出発、近所のコンビニで弁当を買い池川には10時・椿山小学校跡の駐車場に10時半ごろ到着です。
椿山集落は平家の落人が拓いたと伝えられており、古くて長い歴史があります。しかし今日では数名しか居住していません。
私がこの集落に魅かれる理由は、雨戸は閉じてあり生活の気配は有りませんが、家々の庭や各家を結んでいる通路を歩いていると、私の小学校から高校卒業まで(昭和20年代後半~30年代)青春時代の情景が、この山村の澄んだ空気のなかで自然に気持ち良く甦るからです。父母を中心に「アセ」をながし、貧しいが「こころ」豊かであったあの頃が。

これは牛小屋です。多くの農家では牛が飼われており、農作業では大いに活躍していました。いわゆる家族の一員でした。


唐箕(とうみ)と針金の荷かご
唐箕は米の詰まった籾は下に落ち、ちりや中身のない籾は手動の扇風機で前方に吹き飛ばす農機具です。
針金の荷かごは田植えのときに、苗が多量の水を含んでいるのでこれに苗を入れ、天秤棒で肩に担ぎ運んでいた記憶があります。

雨戸は閉じられていますが燃料用の薪があり、その横に正月などに餅をついた「臼」があります。家と家の境にはブロック塀など無く、一つの家族ような「明るく・温かい」生活であったと想います。・・・おはよう・今日は正月の「モチ」つくぜよ・・・のような話し声が聞こえてきそうです。

母屋と通路はさんで風呂場がありました。一日の「ツカレ」には「フロ」が一番です。ピカピカの顔で家族みんなで夕食とっていたことでしょう。

椿山小学校跡
昭和30年は小学校生は32人、47年の閉校時は2人です。



このような状況の集落はわが国では珍しいことではありません。しかし、椿山のような、歴史や自然環境に恵まれ、使用可能な施設が残存している地域は地元の住民と話し合い、教育研修施設・保養・休養の村等に生かしては如何でしょうか。

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