風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

隠れた風景・海・旅の思い出 アンコール・ワット

2018年06月27日 17時24分55秒 | 日記
16日・新しく整備された有料キャンプ場に立ち寄ってみました。
以前のキャンプ場は「無料」で防波堤の外側にあり、潮風と波の音が 快適に五感に沁みてきた。
道路側には駐車場・水場・トイレがあり、大自然を味わうことが出来る快適なキャンプ場でした。
問題点は幕営スペースが狭かった。
今はキャンプ禁止となっています。

新キャンプ場近くの浜は、打ち上げられた多くのプラスチック等、ゴミの山でした。
今は時々清掃をしているようです。
(画像は新キャンプ場が出来る前の砂浜)


数日前の新聞記事・・・日本政府は「海洋プラスチック憲章」への署名を拒否した・・・これは、プラスチックゴミの削減には協力しないと国際社会に宣言したと同じです。
我々は、隠れた、表面に出ない問題には無関心です・・・

  * * * 海 * * *

私は天気が良いと「海」か「山」に心と目が向きます。
6月16~17日は、西の海=渭南海岸(柏島~竜串)を走ってきました。
何時ものルートですが、何度行っても、常に「潮風・海・空」は新鮮に感じます。

今回は、先ず、若い二人に大感動しことを報告します。
夕闇迫る、竜串爪白キャンプ場で会った、関西からのキャンプ人です。
自然が海が大好きな二人
海にチャレンジしています
海に潜り、モリで魚を突く
丁寧に料理し、美味しく食べる
もう存在しないと思っていた、自然を身体の芯から愛している若者でした。
それだけではアリマセン!!
父親から受け継いだキャンプ道具やフィルムカメラを大切に活用
やわらかく、温かい「こころ」を持った、礼儀正しい人物でした!!
(画像の二人です)



16日・昼弁当は柏島を見下ろす、旧道展望台で食べました。
昭和40年代、家族経営の小さな養殖網(コワリ)が湾内に広がっていました。
小学校や中学校から、子供たちの元気な声が聞こえていました。
今は企業的経営、大型養殖イケス、大型船での機械給餌。
小学校・中学校は存在しません・「時」の流れです・・・


この岩石海岸線が好きです。
沖は水平線、小さな漁港と集落。
それ以外には、何にもアリマセン。私は碧い空と海に「情景」を感じます。
また、無意識に水平線を見つめていることが多い・・・
この海の向こうの大陸で、私の大切な息子が生活しているので・・・




<この海域で江戸時代宝石サンゴが発見されました>




竜串・爪白キャンプ場の海岸・イカ釣りのシーズンです。
(防波堤先端の釣り人は、近くの主婦です)


(生餌を使った砂浜でのイカ釣り・足下が安全ですので午後9時過ぎまで頑張っていました)


16日の夕食・お気に入りの場所で・何時ものメニュー・全てエコノミー。


17日・モーニング・BGMは潮騒・これで最高!!


帰途、大岐の浜で休憩。
台風の影響で、うねりが大きい、それでもサーファーが。
遊泳は絶対禁止です!!




 *** 旅の思い出 アンコール・ワット ***

アンコール・ワットは12世紀前半に建立されたヒンズー教寺院です。
熱帯のジャングル地域に、造営された巨大な石造建築です。
私は大陸東岸のモンスーン稲作民の温かみ・優しさを覚えます。
壁面の女神像は、石工の「夢」や「思い出」が乗り移っている様に想えるからです。
<夜明けのアンコール・ワット>












アンコール・ワットの回廊で、暑さと疲労で、壁面に腰を降ろそうとして、「シリモチ」をついた私に心配そうな眼差しで、声をかけてくれました。


土産売りの学生バイト・衣類でしたので買いませんでしたが、若く知的な表情でカメラOKでした。

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正義???・四国カルスト・旅の思い出 カンボジア

2018年06月20日 08時55分26秒 | 日記
「正義」とは、私たちの日常生活を律している、最も大切な人の倫です。
数日前の米朝シンガポール会談は、北朝鮮の「核放棄」が主要議題でした。
俺たちの核保有は「イイノダ」・オマエラの「保有」はユルサン!!
どの角度から見ても、「正義」は存在しません。存在するのは「力」のみです。
ヨーロッパでのテロ犠牲者数は238人です。
アメリカ中心の有志連合によるシリア空爆の「民間人犠牲者数」は、この3年間で817人です。
人間の「命」を奪う、戦争行為には「正義」は存在しません。
(それ故、復讐が復讐を生みます)
わが国の脅威は、海岸線に林立する「原子力発電所」です。
「原発」数ケ所の攻撃で、日本消滅です。
戦争が出来ない国です。
平和外交・正義に徹することが「存在」の道です。

 *** 四国カルスト  天狗高原・姫鶴平 ***(6月12~13日)

天気が良いとの予報がでると、「緑と山空気」に目と心が向きます。
「チカラ」で抑え込まれた様な街の生活から脱出です。
シンプルな私にとっては、「こころ」豊かな気分になります。
昼頃に天狗荘駐車場に到着、そして弁当・オヒルネ。
その後、姫鶴平(愛媛県側)に移動。
アッチ・コッチとヨロヨロ歩きです。
(画像の麓は津野山郷です)


ガスと強風で体感温度は冬の様でした。この時は、1人路肩に腰を降ろし、頬にあたる「山空気」を味わっていました。


サイクリングスタイルの若い女性が動画を撮っていました。
レンズの先を見ると、若い男性が彼女のいる場所に向かって坂道を自転車で・・・
若い時から、女性に話かけられたことも、私から話しかけたことも記憶にはアリマセン。
女性がマブシカッタ!!


神奈川からの日本一周途中の青年に会う。
(画像は彼のバイクとテント)

「山と星」の写真やさんが一周中の青年(右)と強風の中で楽しく言葉を交わしていました・・・
寒さはどこかへ、温かい空気が漂っていました。


日暮れが近い、やわらかい残照の中での山並みは、時間の経つのを忘れます。


(遠くの山並みは「大川嶺」)




(今夜もゴーカな夕食そして車中泊・オールエコノミー)


  < お ま け >  姫 鶴 荘

左下はキャンプ場水場・右上の建物が「姫鶴荘」(宿泊・土産・レストラン)


13日・高原の緑と朝空気のなかでモーニング。
愛用の腰掛に座ったままで、1時間余りボ~としていました。
その後、天狗高原(高知県側)に移動。


天狗高原・樹林のなかを歩いたり、立ち止まったりでした。
先ず、「オオヤマレンゲ」にあいさつ。
真っ白い、その姿が大好きです。
私もこの花の様な「こころ」でありたいと思っていますが・・・






バイケイソウ(薄暗い木々の下で)




 *** 旅の思い出 カンボジア トンレサップ湖 ***

私の旅は、目的地に直行しません。
乗り継ぎ・途中で宿泊・往復では乗り物を変えます。
シェムリアップ(アンコール・ワット)へは、片道・トンレサップ湖縦断の高速観光ボートを利用しています。

 < トンレサップ湖 風情 >

お年寄り夫婦の快適1LDK。


緑と水に囲まれた別荘風文化住宅。


通学はお母さんとボートで。


子供たちはボートの上で成長・茶色の日除けの中には「赤ちゃん」。

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自主独立・祈りの小道・旅の思い出 ミャンマー

2018年06月14日 20時19分47秒 | 日記
米大統領と北朝鮮の若き指導者とのシンガポール会談が新聞やTVニュースで大きく採り上げられています。
会談の中身は空洞で、2大スターの「舞台」アイサツの様に見えます。
わが国の代表は、舞台の下で、国民の「命」の問題を、米代表に「オネガイ」です。
ブラサガリです。
自主独立の政治行動は見当たりません!!
子供の頃から、遊びも学校生活も、全て、一族の「ウデ」にブラサガリ。
自主独立の「人間力」は育っていないように思います。

 *** 祈りの小道・五台山 竹林寺参道 ***(6月9日)

梅雨の中休み、新緑もえる竹林寺の参道・「祈りの小道」(私が勝手に呼んでいます)に立っていました。




日本列島が形成(約1万年前)された頃から、自然の「チカラ」に恐れおののき、湾頭の大きな岩や集落の背後に聳えたつ岩山に祈った。
これは、日本文化の源流点であり、生活の原点です。
今でも、人間である以上は、誰も内なる悲しみや苦しみを秘めています。
神仏に頭をたれ、手を合わすことにより、明日の「幸せ」に繋がり、又感謝の念を捧げるのです。

祈りの小道をあるく人々の背中は老若男女関係なく、温かくやわらかい。












小道の周辺は、霊気が漂い、祈り人を守っています。






山門を後にする際は一礼したり、手を合わす方が多い。
何よりも「背中」に感謝の「こころ」がみえました。


 *** 旅の思い出 ミャンマー *** (2009年・2010年)

軍部政権・戒厳令下での市民生活はどのような状態かな???
わが国では、戦前、昭和史の出来事でしたが、この国では現実です。
私の持っていた全悪軍事国家のイメージは雲散霧消!!
(軍国主義国家ではアリマセンでした)
ヤンゴンの市民生活は仏様への熱い信仰・お祈りから1日が始まります。
穏やかな空気が街に流れていました。

朝陽に輝く「シュエダゴォン・パヤー」・市民のお祈り。
(市民の圧倒的な信仰の対象となっている聖地・寺院)




「ヤンゴン」から「バガン」には夜行バスを利用しました。
夜中に2回パスポート検査があり、少し軍事政権の「ニオイ」を感じた。
バガンは、仏塔の中に市民生活があり、空を見上げるような気分、安心安全で歩けます。
大量生産・大量消費とは無縁の素朴な日常生活です。
(私の少年時代、昭和30年前後と同じです)
旅人の移動は数人乗りの1頭立て「馬車」でした。
私も半日貸し切りで,数か所の仏塔巡りでした。








太陽が西に傾くと、エーヤワディ―川の岸辺で夕涼みです。

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夢・梅雨の晴れ間(瓶ケ森周辺)・旅の思い出 フエ

2018年06月06日 09時51分57秒 | 日記
人はみんな「夢」という旅の中にいます。
人生の悲しみや苦しみは、明日への「夢」があるから、耐え乗り越えることが出来ます。
「夢」が消滅すると、人の心は荒れ、自暴自棄となり、社会問題を引き起こします。
その代表的な例は、ロンドンやパリ等でテロに走る、アフリカやイスラム圏からの移民家族出身の「若者」です。
様々な差別のなかで、明日への生きる「夢」を失ったからです。

私たちの社会では「夢」を持てる「生活」が進行しているのでしょうか?
若者の多くが非正規雇用・低収入、「結婚」の夢さえ遠くの存在となっています。
加計・森友問題についての政府最高責任者の説明については、多くの市民は信用していません。
さらに、高級官僚の腐敗堕落。
このような状況は、細菌の空気伝染と同質で、目には見えませんが、大きな力となり「社会不安」を招くようにナリマス。
残り時間が後僅かとなった、ヨロヨロ老人でも心配です。

  *** よさこい峠~瓶ケ森歩き ***

四国地方は梅雨に入っていますが6月2~3日は「晴れ」の予報。
シラザ峠のブナの森や瓶ケ森を歩こう!!
同じ森・同じ斜面でも、自然の舞台はいつも新しい「山空気」で迎えてくれます。

よさこい峠近くの爺さん(=老木)に「おはよう」・新緑の元気が少し足りません。
私も他人の目には、ヨボヨボ老人に映ること間違いなしです。
似た者同士、「今日より明日に」で共にガンバロウと心でアイサツ!!


この兄弟も古いオツキアイ・二人とも片腕を失っていますが、スゴイ「力」を発しています。
その源泉は「仲良し兄弟」であるからです!!


シラザ峠・ブナの森。ここでは、毎回数分ですが樹下を彷徨っています。
季節の「自然アジ」が身体の芯に沁みてきます。
「こころ」がいつの間にか軽くなります。


路傍の宝石






残照に輝く瓶ケ森登山口近く・登山者の姿も消え、夕闇迫る山道での1人サンポは最高です。


クルマのウインドウに映った石鎚山系の落日にカメラを向けています。




瓶ケ森駐車場で「ゴウカ?」な夕食・そして「車中泊」。
(年金暮らしは、全て「エコノミー」・戦後の貧乏育ちですので苦にはなりません)



3日早朝・石鎚山を正面に瓶ヶ森斜面歩き。






ツマトリソウ(登山道斜面で)


小鳥たちの食事テーブル・(今朝はウンチが2個)


この頑丈な「根っ子」も気になります。お誕生は何年前ですか~


下山後の遅いモーニング。



 *** 旅の思い出 ベトナム フエ ***

1975年ベトナム戦争は終了した。
この戦争の分水嶺となったのが「フエ」の攻防です。
街は、両軍の兵士の血で染まり、勝敗なき激戦の場であったようです。
今、この街は世界からの観光客で華やいだ空気が流れています・・・
戦争は、人の「生」を奪います。これだけは許してはイケナイと思います。

1945年長崎の爆心地に立つ少年です。
背中の小さな子を、係りの大人が受け取り、焼却穴に入れました。
死んでいたのです。
目の前で燃え煙となってゆく姿を、見据えていた少年の唇には血が滲んでいたようです。
(アメリカ 報道写真家 ジョー・オダネル 「焼き場に立つ少年」)


沢田教一・ベトナムの戦場で、人間の「生」を撮り続けた写真家です。


フエ城・人気の観光地です。


新しく造られた観光用の「金印」・その背後の壁には無数の弾痕、誰も目を向けません。


この女性は、画像の点検を繰り返していました。彼女の「目と心」は、何を捉えていたのかと気になったので。


城外では、ベトナム旧正月を楽しんでいる若い女性たちが・・・
手には世界共通のスマホが・・・
戦争は「時」の流れと共に、青空の彼方に・・・
この地の戦争は、遠い遠い歴史の出来事となっています。

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