A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

西海岸から「カンサスシティー行き」の特急に乗って・・・・

2007-06-25 | CONCORD
JAKE HANNA ‘S KANSAS CITY EXPRESS featuring Mary Ann McCall

JAKE HANNA。Concordの初期の看板スターだ。
HANNA/FONTANA BANDはあったが、21作目にして初めて自分の名前を冠したアルバムだ。それまでのConcordの半分位のアルバム位に顔を出しているが、リーダーアルバムは少ない。
基本的には、裏方のまとめ役なのかもしれない。
ちょうど、この頃(1976年)は、Supper Saxにも参加している。
このスーパーサックスを含め、日本には何回か来ているが、昨年も「富士通Concord Jazz Festivalで来日していた。もう70歳をとっくに過ぎているはずだ。
だんだん知っているプレーヤーがいなくなってしまう中、ベテランの元気な姿を見れると嬉しいものだ。
コンボよし、BIG BANDよし、Vocalのバックよしの良くスイングするオールマイティーのドラマーだ。

前作の2枚でConcordは今後何処へ行ってしまうのかと思ったが、これアルバムは「直球ど真ん中でもう一度勝負」といった感じだ。
オーナー&プロデューサーのJeffersonも、「これまでのConcordのセッションのベストだ」と言ったとか。
今回、一緒のメンバーは、トランペットのビルベリーとサックスのリッチーカムカ、ピアノのナットピアース。それにハナを加えた4人は、10年前はNew Yorkでハーフノートに出演していた仲間同士。その後、皆、西海岸に移ったそうだが、一緒にやるのはどうも久々だったらしい。でも、確かに呼吸はぴったり合っている。
ピアースとハナは、元々Woody Hermanのオーケストラでも一緒にやった仲
もう一人のメンバー、ベースはWest Coastの重鎮モンティーバドウィッグ。
まあ、みんな旧知の仲といったグループだ。

確かに、いいメンバーだ。このメンバー達はこれからしばらくConcordで活躍する。
それに今回の目玉は、VocalのMary Ann McCallが加わっている。
最近でこそConcordレーベルはボーカルで有名だが、このアルバムが実はVocal入りの初アルバムだ。

このアルバム辺りが、Concordの次のステップの展開へ向けて仕切り直しをした節目かもしれない。


最後の曲CASTLE ROCKは、スタジオ録音には珍しくハナ(?)の曲目紹介からスタートする。
ウディーハーマンバンドの54年の録音の曲。ピアースはこの時も参加している。HANNAも含めてハーマンの思い出もあるのであろう。
西海岸には、ケントンやハーマンのオーケストラ経験者が多い。

演奏は、どれもリラックスした、題名のようなカンサスシティーJAZZの4ビートの流れ。
ハーマンの思い出を超えて、カンサスシティー行きの特急に乗って、歴史を一気に30年近く巻き戻して古きカンサスシティーJAZZの世界にスリップした感覚を受ける。

Doggin’
Robbin’s Nest
Stompin’s at the Savoy
Handful of Stars
It’s Sand Man
That Old Feeling
(I’m)Just a Sittin’ and a Rockin’
Wrap your Trouble in Dreams
I Got it Bad and That ain’t Good
Castle Rock


Bill Bery (tp)
Richard Kamuca (ts)
Nat Pierce (p)
Monty Budwig (b)
Jake Hanna (ds)
Mary Ann McCall (Vol)

Recorded 1976 (CJ-22)
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本当にやりたいことを、自分の曲で、やりたいメンバーと一緒に・・・・

2007-05-15 | CONCORD
BARNEY plays KESSEL

何事であっても、本当にやりたいことを自分の好きなようにできることというのは、そうそう人生で数多く機会があるものではない。たとえ、それを実現するにしても、一人ではできないし。大抵の場合は仲間の協力、そして何らかの場の設定が必要だ。

プロのミュージシャンが「自分のやりたいこと」を演ってアルバムにしたいと思っても、プロデューサーの意見を無視できないし、メジャーレーベルだと、そもそもそれが売れるものかどうかが問題になる。
結局はやりたいことより、売れるものが優先されてしてしまうのが世の常である。

そこに、インディーズレーベルやマイナーレーベルの存在意義がでてくる。
Concordレーベルも、このアルバムでまだ9枚目。
その当時は、まだまだマイナーレーベルだった。
そこで、ある決断をする。
ミュージシャンの意向をより色濃く出したアルバム作りにチャレンジをした。

その主役は、Barney Kessel。
「何とか、自己表現をしてみたい。」
アルバムタイトルやジャケットの写真も、ケッセルのそんな気持ちがよく現れている。

すでに、Kesselは、Concord Jazz Festivalに“GREAT GUITARS”で登場していた。企画としては面白いグループだし、フェスティバルでも大喝采を浴びてはいたのだが。

チャーリーパーカーとの共演など、JAZZの歴史とともにプレーをしていたバーニーケッセルも、50年代の後半までは第一線で活躍をしていた。コンテンポラリーレーベルにPoll Winnersなど、有名なアルバムを何枚も残している。
60年代に入ると、スタジオミュージシャンとしての生活が中心になり、ジャズプレーヤーとしての活動は表には出なくなった。この頃は、誰でもそうであったのかもしれないが。

そのケッセルが、再びJAZZをやり始めたのは60年代の後半。ヨーロッパに滞在し、ツアーを始めたのもこの頃だ。
そして、彼はConcordの活動に大きく影響される。フェスティバルにも常連として参加し、
Ellis と一緒に”GREAT GUITARS”を結成し、本格化にプレーを行っていた。

しかし、「本当に自分の好きなものを好きなようにやってみる」という意味では、まだ実現はしていなかった。

今回のアルバム作りでは、曲はすべてケッセルのオリジナル。
共演するプレーヤーも、すべてケッセルが選んだ。
それぞれに、プレーをした仲ではあったらしいが、このメンバーが一同に介して演奏するのは今回が始めてであったそうだ。

特に、サックスとフルートのハービースチュワード。Woody Hermanのメンバーで有名だったが、その後はもっぱらスタジオの仕事が中心。
Jazzアルバムの録音への参加は久々のことであったらしい。

さて肝心な演奏だが、一曲目をかけると全体の雰囲気が伝わってくる。
これまでの、Concordのアルバムとは少し趣が異なる。どらかというと、モダンスイングというか、中間派という感じの演奏が多かったが、これは完全に“今”風の音作り。
エレキベースやエレキピアノを多用し、8ビートやボサノバ風のラテンリズムも。
ケッセルも、スタジオワークをやっていた時は、POPのアルバム(ビーチボーイズやモンキーズのアルバムにも参加していたとか)や、テレビや映画の主題歌やサントラにも参加していたので、4ビートではなくても何の違和感もないが。

やはり、このアルバムで一番特徴的なのは、ハービースチュワードのソプラノとフルート。
「ナベサダ」が、ボサノバの後取り組んだサウンドの延長だ。昔の演奏とは大分違う。
フュージョンが進化していた時期ではあるが、あまりヘビーにはならず、軽く、明るく、美しいJAZZ。今風に言うと”SMOOTH JAZZ”の奔りのような演奏だ。

「ケッセルは、この頃こんなことをやってみたかったのか」ということを改めて認識した次第。

1. Sea Miner
2. For My Love
3. I’m On My Way
4. Here's That Sunny Day
5. Holiday Ii RIO
6. Down In The Swanp
7. Love Of My Life
8. Goi'g Through She Changes
9. Brazilian Beat

 Berney Kessel (g)
 Herbie Steward (reeds,fl)
 Vic Feldman (vib)
 Jimmy Rowles (p)
 Chck Domanico (b)
 Milt Holland (per)
 Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded early 1975

Originally Released on Concord CJ-9
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“DOWN HOME! ’A’ FLAT”

2007-05-14 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Jmmy Witherspoon at the MONTEREY

Woody Hermanオーケストラが熱演した第2回の1959年のモンタレージャズフェスティバル。
そのハーマンが出演した前日、西海岸のモンタレーでおなじみの霧が帯び状に漂いだし、初日の最後のステージが終ろうとしていた。

一瞬の静寂。
聴衆もステージがもう終わったのかなと思った瞬間、ステージにずんぐりとした威厳のある雰囲気の漂う男が現れると、ピアノを平手で2回叩いて、ピアノの椅子についていたアールハインズに“DOWN HOME! ’A’ FLAT”と叫んだ。
マイクロフォンをわし掴みにすると、6000人の聴衆を相手にブルースのレッスンを開始した。

ハインズのピアノトリオに、トランペットのロイエルドリッジ、テナーのコールマンホーキンズにベンウェブスター、トローンボーンのアービーグリーン、そして、クラリネットを手にしたウディーハーマンも舞台にあがって準備万端整っていた。
歌いだしたのは、「こてこて」のブルース歌手、Jimmy Witherspoon。
周りのざわめき、掛け声が妙にリアルに聞こえる。
舞台は完全に「ブルース」の世界に包まれ、同じJAZZとはいっても一味違う雰囲気が漂う。

その時まで何のリハーサルもなし。そしてプログラムも決まっていなかった。
始まる前に、ウィザースプーンは、「どうする?」と聞かれた。
彼は答えた、「気にするなよ。ベンとはいつもこんな調子でやっているし。アールはスイングするピアノだよ・・」と。

結局、このバンドが演奏を始めるのには、“DOWN HOME! ’A’ FLAT”だけが必要だったということだ。

JAZZの究極の楽しみ、オールスターでのジャムセッション。
それも、飾りっ気のない“ブルース”で。

ドラムには、ハーマンオーケストラに客演していたMel Lewisが座っていた。
スタンケントンオーケストラで長くプレーし、このときはロスに居を構えてスタジオミュージシャン生活。このブルースセッションには、少し場違いな感じがしないでもないが。
色々なセッションは経験していると思うが、こんなセッションは珍しかっただろう。

翌年Mel Lewisはロスを離れてニューヨークに向かう。Quincyがヨーロッパに旅立ったのに合わせるように。
ハーマンのオーケストラにウィザースプーンのステージ。このモンタレーでの演奏と経験が何か彼を思い立たせる原因になったのかもしれない。
もし、メルがニューヨークに行かなければ、サド・メルのオーケストラは生まれなかったのだ。

59年のマイナーレーベルの録音だが、妙に生々しいライブの音が印象的だ。
ライナーノーツには、録音機材を含めて詳細は録音データが記載されている。
レーベル名は「Hifi Jazz」。こんなレーベルもあったのだ。

LPからステレオの時代に、よい音へのこだわりが進化した頃だ。
おかげで、今でもこの時代の演奏を素晴らしい音で聞くことができる。
技術の進化とそれを使いこなして、その時代のJAZZを残してくれた先達に感謝しなければならない。

No Rollin’ Blues
Good Rockin’ Tonight
Big Fine Girl
Ain’t Nobody’s Business
When I Been Drinkin’

Jimmy Witherspoon (vol)
Roy Eldridge (tp)
Coleman Hawkins (ts)
Ben Webster (ts)
Urbie Green (tb)
Woody Herman(cl)
Earl Hines (p)
Vernon Alley (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded Live at the Monterey Jazz Festival, October 2,1959
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偽者は本物を越えられるか・・・?

2007-05-07 | MY FAVORITE ALBUM
The Stereophonic Sound Of WOODY HERMAN by THE MENBERS of the Woody Herman Orchestra

いつの世にも、そして何の世界でも「本物と偽者」論議は形を変えて続いている。
昨今のデジタル時代。偽者の中心はコピー問題、それを利用した「海賊版」話が中心となっている。
デジタルの世界は、コピーといっても中身はまったく同じだから、これまでのアナログ時代の偽者話とは、ひとつ性格を異にする事象なのかもしれない。
ところが、アナログの世界はどこまで精緻に真似ても本物とは違うもの。絵の真贋判定にしても偽札の世界にしても、本物と偽者の見分けがつくので、あくまでも経済がなりたっている。
これが本物とまったく同じものをアナログの世界でも作れるようになってしまうと、デジタルと同じ運命。
今の世界の経済原則そのものが崩れ去ってしまうかも・・・・・・。
いつの日か、そんな時が訪れるかもしれないが。

さて、JAZZの世界はせいぜい偽者といっても、ある有名プレーヤーや演奏の影響を受けて、そっくりに真似るところからのスタート。これもコピーとよく言うが。
これは偽者というよりは、偉大な演奏の影響を受けて育っていく過程。あまり、目くじらをたてて偽者論議の対象になるようなことではない。
特に、BIG BANDの世界では、アマチュアバンドの大部分が有名オーケストラのスコアをプレーするところからスタートする。
なかなか本物を越えるようなプレーにはいたらないし、本物を越えることはありえない。

Woody Hermanも永年バンドを維持していたが、ファーストハードから始まり、メンバーは時代とともに次々と変わっていった。
オーケストラの運営は、なかなか名プレーヤーをレギュラーメンバーとして雇い続けるのは経済的にも難しい。だから昔からオーケストラのツアーメンバーには、給料の安い若手ミュージシャンが集められ、彼らにとっては次のステージへの登竜門でもあってお互い切磋琢磨していた。

その昔、ハンプトンオーケストラに若くして参加したクインシーやクリフォードブラウンの給料は17ドルだったそうだ。今とは貨幣価値が違うとはいえ、薄給であったことは間違いない。

1959年のモンタレーへの出演。晴れの舞台にハーマンはレギュラーのツアーメンバーではなくオールスターメンバーで臨んだ。これもいつものレギュラーとは違うが、リーダーの意思も通じているひとつの「本物」の演奏だ。

ここに一枚のBIG BANDのアルバムがある。
メンバーは、有名なスタジオミュージシャン。ほとんどは、かっては有名オーケストラにも在籍していた名プレーヤーばかり。偽者ではない、「本物」のプレーヤーばかりだ。
選んだ曲は、Woody Hermanの有名曲とスコア。
そこに、リーダーのWoody Hermanの姿はまったく無い。
代役を務めるのは、クラリネットのジョンラポータ。
ほかのメンバーは、AL COHNを筆頭に一流のスタジオミュージシャンばかり。もちろんハーマンオーケストラのOBもたくさんいる。
演奏は、もちろん素晴らしい。下手をしたら、若手中心のツアーバンドよりも、年季の入った音を出しているかもしれない。
よく、リーダーが亡くなってから他のメンバーがバンドを引き継ぐことはあるが、存命中に、このようにまったく違うコピー版を作ってしまうとは恐れ入ったものだ。
このアルバムのシリーズは、ずらりと有名プレーヤーを集めて、有名バンドの曲を演奏しているらしい。他には持ち合わせていないが、どこかで見つけたら聴いてみたい。

はたして、このバンドは「偽者」なのだろうか?
「偽者」と片付けるには、出来がよい。中身的には、リーダーがいなくとも、このバンドも、もうひとつの「本物のハーマンオーケストラ」であることは間違い無いし。
きっと、ハーマンがこの演奏を聴いたらこのメンバーでツアーに出たいというかもしれない。

FOUR BROTHERS
BLUE FLAME
WILD ROOT
BIJOU
BLOWIN UP A STORM
WOODCHOPPERES BALL
NORTHWEST PASSAGE
APPLE HONEY
GOOSEY GANDER

John La Porte (cl,as)
Al Cohn,Joe Romano,Don Lamphere(ts)
Marty Flax (bs)
Danny Stiles,Berney Glow,Hal posey,Al Forte,Willie Thomas,Alvin Stewart (tp)
Frank Rehak ,Bill Byres ,Wayne Andre,Charley Henry(tb)
Eddie Costa (vib)
Bill Potts(p)
Jack Six(b)
Jim Cambell (ds)
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‘59年QUINCYがやっと自分のレギュラーBANDを立ち上げる、その前に・・・

2007-05-05 | MY FAVORITE ALBUM
THE BIRTH OF A BAND / QUINCY JONES

QUINCYにとっても、大きな転機となる一枚。
自分にとっても、BIG BAND好きになったきっかけになった一枚だ。
このアルバムをはじめて聴いたのは、このタイトル曲が、確か「イソノてるお」がやっていたラジオのJazz番組のテーマソングだったのがきっかけだった。

たぶん、後にサドメルを作った、サドジョーンズにとっても同じ気持ちだったのではないかと勝手に想像する。新しい時代の流れをうまく取り込み、シンプルで、きれいなアレンジ、木管やミュートのモダンな使い方が新しいBIG BANDの誕生を感じさせる。
ソロを大事にしたアレンジ、アンサンブルからソロが自然に湧き出るような全体の組み立て方が素晴らしい。
クインシーのこの作風が、サドジョーンズのアレンジにも引き継がれているような気がする。

有名なアルバムなので内容の紹介はさておき、自分の頭の中の整理を兼ねてQuincyの当時の状況を思い起こしてみると。

1958年19ヶ月にわたるヨーロッパから帰国した、QUINYはいよいよ自分のBANDを立ち上げることを決心する。しかし、レギュラーバンド、それもフルバンド編成を立ち上げるのはそう生易しいことではない。素人ながらに想像はつく。
その辺りのクインシー自身の心境を語った当時の雑誌記事が紹介されている。
一端を引用してみよう。

「バンドを結成したいと考えた主な理由のひとつは、優れたミュージシャンがレコーディングで集まるたびに、繰り返し味わされる残念な思いと欲求不満であった。こんなにいいメンバーが、そこにみんな揃っているのに。もしたった一ヶ月でも一緒に演奏できたらどんな素晴らしいことが起こるか目に見えているのに、その場限りで終わってしまうことなのである。」
これは、プレヤーのみならず、我々聴く側のJazzファンにとっても同じ思いである。

「よい、ミュージシャンを集めるには、最低2,3ヶ月の仕事があること、それがなければ声もかけられない、家を離れた長いツアーは家族の理解も必要だし。そもそもビッグバンド自体が多く存在しなくなっている中で、ビッグバンドでの演奏経験を持つミュージシャンを探すことすら難しい。」
当時の、ビッグバンド事情は、やはりそうであったのか。

「さらに重要なことは、ミュージシャンとしてのクリエーティビティーだけでなく、人間としても一人前である必要がある。この2つは不思議と両立しないことが多いが、自分のバンドのメンバーには協調性や社会性も心構えとして持ってほしい・・。麻薬をやっているなどは問題外。」
 BIG BANDはチームワークが重要。個性派が幅を利かすJazzの世界でも、BIG BANDは例外だろう。というよりは、誰にも愛されるクインシーは、自分と音楽を一緒にやるメンバーを自分も大事にして同じ価値観でプレーしたかったのだろう。

それに、実際にツアーが始まれば、レパートリーの充実、アレンジのバリエーション、仕事のブッキング、そして、給与の支払い・・・・と毎日の実務が。
バンドリーダーの苦労は並大抵ではないことがよく分かる。

Quincyは、このような自分の理想のBANDを編成する準備を進めながら、このアルバムを作った。
そのタイトルも「バンドの誕生」。
そのものズバリである。

最初のセッションは。年の明けた2月のタキシードジャンクション。
これは、小手調べといったところだろう。日本では、あのムードテナーで有名なサムテーラーがソロで参加している。

どのセッションを見ても、まさにオールスターメンバー。
ベイシーをはじめとして、色々なバンドで活躍してきた百戦錬磨の面々である。
レギュラーメンバー選びのオーディションと言う訳ではないと思うが、このセッションに参加したジェロームリチャードソンや、フィルウッズ、クラークテリーはそのまま中核となって翌年のあのヨーロッパツアーへ参加することになった。

このような経緯の中でのアルバム。「QUINCYのバンドの誕生」となった記念すべき一枚だ。

ちなみに、このアルバムのライナーノーツは、カウントベイシー。
皆が、新しいBANDが生まれるのを楽しみにしていた様子がよく分かる。
最後に、ベイシーが「このバンドのピアノの席が空いていたら、自分が参加したいとも」
まんざらお世辞とも思えない、Newバンド誕生への賛辞である。

この年の秋、Woody Hermanのオールスターバンドがモンタレーに出演していた頃、Quincyはバンドのメンバーの人選も最終段階を迎え、翌年のヨーロッパツアーに向けてのリハーサルに励んでいた。

●Tuxedo Junction

Harry "Sweets" Edison, Ernie Royal, Clark Terry, Joe Wilder (tp)
Billy Byers, Jimmy Cleveland, Urbie Green, Tom Mitchell (tb)
Jerome Richardson (fl, as, ts) Phil Woods (as) Budd Johnson, Sam "The Man" Taylor (ts)
Danny Bank (bars)
Moe Wechsler (p) Kenny Burrell (g)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (d)

Quincy Jones (arr, cond)
Fine Recording, NYC, February 9 & 10, 1959

●Moanin'
●Happy Faces

Harry "Sweets" Edison, Ernie Royal, Clark Terry, Joe Wilder (tp)
Jimmy Cleveland, Urbie Green, Quentin Jackson, Melba Liston (tb)
Julius Watkins (frh) Frank Wess, Phil Woods (as) Benny Golson, Jerome Richardson (ts)
Danny Bank (bars)
Patti Bown (p)
Kenny Burrell (g)
Milt Hinton (b)
Charlie Persip (d)
Quincy Jones (arr, cond)

Fine Recording, NYC, May 26, 1959

●Along Came Betty
●I Remember Clifford
●Whisper Not
●The Gypsy
●Tickle-Toe

Joe Newman (tp) Zoot Sims (ts) Sahib Shihab (bars) Sam Woodyard (d) replaces Edison, Richardson, Bank, Persip

Fine Recording, NYC, May 27 & 28, 1959

●A Change Of Pace
●The Birth Of A Band

Harry "Sweets" Edison (tp) Jerome Richardson (ts) Les Spann (g) Don Lamond (d) replaces Terry, Golson, Burrell, Woodyard

Fine Recording, NYC, June 16, 1959
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東の舞台がNewportなら、西の舞台Montereyでも熱い演奏が・・・・・・

2007-05-02 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
WOODY HERMAN’S BIG NEW HERD AT THE MONTEREY JAZZ FESTIVAL

50年代の後半、ベイシーやエリントンなどの老舗のオーケストラはNewportのひのき舞台で完全復活。大喝采を浴びていた。白人オーケストラの多くがダンスバンドとなっていった中で、Woody Hermanは元気にモダンbig band Jazzにチャレンジしていた。

場所は、東海岸のNewportではなく、西海岸のMonterey Jazz Festival。
50年代も最後の年、1959年のステージに登場している。
このフェスティバルの音楽プロデューサーは、当時MJQのリーダーでもあったJohn Lewis。この年は、開催期間中ワークショップオーケストラとしてWoody Hermanオーケストラに様々なソロイストにサンスランシスコシンフォニーのメンバーなどを加えた特別編成のオーケストラが出演した。
いつものレギュラーバンドではないので、出演したミュージシャンも、ハードなリハーサルに明け暮れたそうだ。

ハーマンのオーケストラ自体も、豪華ゲストを加えた特別編成の「Swinging Festival Herd」で舞台に臨んだ。
Bill Chaseなどのレギュラーメンバーに加えて、Zoot Simsなど古巣に戻ったOB、さらに各セクションに当時の西海岸のべストと言えるメンバーを加えたオールスター編成だ。

ドラムには、サド・メルの一方のリーダーMel Lewisが座る。
彼の経歴からすると、Woody Hermanオーケストラにどこかで在籍してもおかしくなかったのだが、それまでハーマンのバンドに加わったことはなく、これが始めての参加だったらしい。
リーダーのWoody Hermanも、このままのメンバーでツアーに出たいと洩らしたほどの、豪華キャストのライブステージだ。

十八番のFour Brothersからスタートするが、アンサンブルといいソロといい、ハーマンオーケストラのこの時期のベストプレーだろう。
このモンタレーだけの演奏に終わってしまったのは残念である。
モンタレーの特徴の近くの飛行場の飛来する飛行機の音も、プレーヤーにとっては雑音だったかも知れないが、ライブの臨場感の効果音と捕らえれば歴史的な記録でもある。
もっとも軍用機は、フェスティバル開催中は飛行を遠慮したそうだが。

この年、1959年は、ヨーロッパから帰ったQuincy Jonesが素晴らしいオーケストラを率いて、5月に「The birth of a band」を録音して活動を本格化した年。ハーマンのオーケストラとは異なり短命ではあったが、このバンドもサドメルにつながる歴史の1ページには欠かせない。
新しいBigBandの胎動を感じさせる1959年だった。

Scoobie Doobie
Four Brothers
Like Some Blues Man
Monterey Apple Tree
The Magpie
Skylark

Conte Candoli, Bill Chase, Frank Huggins, Ray Linn, Al Porcino (tp)
Urbie Green, Bill Smiley, Si Zentner (tb)
Woody Herman (cl)
Don Lanphere (as, ts) Richie Kamuca, Bill Perkins, Zoot Sims (ts)
Med Flory (bars)
Victor Feldman (p, vib)
Charlie Byrd (g)
Monte Budwig (b)
Mel Lewis (d)

'Monterey Jazz Festival', Monterey, CA, October 3, 1959


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1967年、WOODY HERMANのオーケストラも元気にやっていた

2007-03-27 | MY FAVORITE ALBUM
WOODY LIVE EAST AND WEST / WOODY HERMAN AND THE SWINGIN' HERD

レギュラーのBIGBANDと言えば、ベイシーにエリントンが両横綱。
次にくるのは、やはりWOODY HERMANであろう。

ファーストハードといわれた、第一期のオーケストラが活躍したのが40年代の半ば。
スタンゲッツやズートシムスをすえた黄金のサックスセクションが有名なセカンドハードが47年。
そしてモダンなサウンドを売りにした50年代のサードハードと、途中途切れることなくバンドを続けてきたのは両横綱以外他にはないだろう。

60年代になって低迷が続くBIG BANDの世界で活躍を続けたのは立派の一言。
これはメンバーに若手を起用して昔からの十八番の演奏に加え、時代の流れに合わせて常に新しいレパートリー、演奏スタイルも加えていったからであろう。

70年代に入ってからもロックの流れもうまく取り入れ、晩年まで元気に演奏を続けていた。今も、ハーマンの意志を次いでThundering herdオーケストラは今でも存続してそのサウンドを引き継いでいる。

新しい、サドメルとかピアソン、そしてバディーリッチなどのBIG BANDが生まれてレコードデビューしたのが1966~7年。
この年、HERMANオーケストラも元気に全米をツアーしている。
このアルバムは、そのツアーの様子を西海岸と東海岸のライブ演奏から1枚のアルバムにしたもの。それで、LIVE EAST AND WESTのタイトルがついている。
両方でメンバーはほとんど違うが、演奏はどちらも素晴らしい。
やはりオーケストラはライブが俄然楽しくていい。

一曲目からピアノのロングソロが延々続くが、徐々にウォーミングアップされてから、フルバンドが炸裂する。最初の曲としては最高。
ライブならではの、合いの手や掛け声が入る雰囲気もいい感じだ。
続く、お馴染みのI REMENBER CLIFFORDは当然トランペットをフィーチャーするが。ここはダスコ ゴイコビッチ。彼自身のアレンジだ。これがまたなかなかいい。
この曲は、色々なバンドで色々なプレーヤーが主役になっているが聞き較べも面白いかも。

お馴染みの、FOUR BROTHERSは、テーマソングのようなもの。
様々な時代の色々な演奏があるが、ハーマンはやはりこれが出ないと終われない。
テーマソングではないが、エリントンのTAKE THE A TRAINやベイシーのONE O’CLOCK JUMPのようなものだろう。

この頃、ハーマンのバンドは、まだロック系のアレンジはまだやっていない。
反対にファーストハードの時代を思い起こさせる、「PREACHER」は、HERMANのクラリネットが登場。バラードの「MAKE SOMEONE HAPPY」では、アルトに持ち替えていつもの「ねちっこい」プレーを。
ハーマンのプレー自体にはあまり共感を覚えないが、これも一度は出てこないと、やはりハーマンオーケストラではないかもしれない。

やはり、HAERMANも、他にはない「ONLY ONE」のオーケストラだ。

TOMORROW’S BLUES TODAY (1)
I REMEMBER CLLIFORD (2)
COUSINS (1)
FOUR BROTHERS (1)
FREE AGAIN (1)
THE PREACHER (2)
MAKE SOMEONE HAPPY (1)
WALTZ FOR A HUNG-UP BALLET MISTRESS (2)

BIG BANDはメンバーを見るのも楽しみのひとつ。
録音が後のWESTのメンバーは、Sal NisticoやBill Chaseのように、以前からのレギュラーメンバーが多い。ピアノはNat pierceが座っている。
EASTのメンバーは、New Yorkのメンバーで編成されたものなのかもしれない。Steve Marcus、Bill Watrousの名前が目に付く。

<SESSION 1>
Woody Herman (cl,as)
Al Gibbons, Bob Pierson(flute),Steve Marcus,(ts)
Joe Temperley (bs)
Lloyd Michaels, Lynn Bivaino, Dick Ruedebusch, Bill Byrne, John Crews (tp)
Jim Foy, Mel Wanzo, Bill Watrous (tb)
Mike Alterman (b)
Ron Zito (ds)
Recorded on March 25, 1967 “Riverboat Room ,New York City”

<SESSION2>
Woody Herman(cl,as,ss)
Gary Klein, Sal Nistico, Andy McGhee(ts)
Tom Anastas (bs)
Bill Chase, Gerry Lamy, Bob Shew, Don Rader, Dusko Goykovich (tp)
Don Doane, Frank Tesinsky, Henry Southhall (tb)
Nat Pierce (p)
Tony Leonardi (b)
Ron Zito (ds)
Recorded on June 29,1967 “Basin Street West”
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サドメルオーケストラの大番頭がJAZZ ROCKに挑戦したものの・・・・

2007-03-21 | MY FAVORITE ALBUM
GROOVE MERCHANT / JEROME RICHARDSON

サドメルのオーケストラが誕生した1967年。その頃、ジャズとロックの融合のひとつの形としてブラスロックなるものが誕生した。有名なChicagoやBSTは、この頃結成されている。

ジャズのミュージシャンでも、このジャンルに飛び込んでいった者もいる。チェイスのBILL CHASEなどもその一人であろう。WOODY HERMANのオーケストラでハイノートを出していた。ジャズの世界で頑張っていたそのWOODY HERMAN、あるいはBUDDY RICH、そしてMAYNARD FERGUSONも、ロックの影響を受けた演奏をやるようになっていた。

そして、サドメルのオーケストラも。

サドメルの創設期のリードセクションの親分格JEROME RICHARDSONも、その時期にブラスロックに負けじと、得意のサックスとフルートで、JAZZ ROCKのアルバムを残している。

サドメルの演奏でも有名なGROOVE MERCHANTがアルバムのタイトル曲だ。
実は、この曲の作曲はジェロームリチャードソン自身だ。サドメルのオーケストラでも、CENTRALPARK NORTH に納められているファンキーな曲だ。
サドメルはメンバーの曲やアレンジも多いが、リチャードソンの曲は他にあまり記憶がない。でも、覚えやすいメロディーの好きな曲のひとつだ。

蛇足ながら、SOLID STATEレーベルの創始者のSONNY LESTERも、その後GROOVE MERCHANT というレーベルを作っている。

この好きな曲のGROOVE MERCHANTが入っているので、このアルバムを聴き直してみた。しかし、確かにジャズロックの奔りかもしれないが、内容的にはいまひとつ頂けない。
アレンジはBENNY GOLSON、バックのミュージシャンも、GRADY TATE やERIC GALEといった一流どころが揃っているのに何かが欠けている。
せっかくサドメルのサックスセクションをリードしていたRICHARDSONのソプラノやフルートを全面的にフィーチャーしていながら、良さが浮かび上がってこない。
同じ時期に録音された、WESの「A DAY IN THE LIFE」のアルバムの完成度からすると、雲泥の差である。当時のヒット曲の、JAZZ ROCK演奏集的な薄っぺらな仕上がりであることは否めない。
これは、プロデューサーの違いやレーベルのポリシーだけでもないだろう。
RICHARDSONは、セッションワークの第一人者であって、あまり自分で前面には出ないほうがいいのかもしれない。

GROOVE MERCHANT
TO SIR,WITH LOVE
GIMMIE SIGN
NO MATTER WHAT SHAPE
GIRL YOU’LL BE A WOMAN SOON
KNOCK ON WOOD
ODE TO BILLIE JOE
SUNNY
WHERE IS LOVE
UP.UP AND AWAY

Jerome Richardson (fl,ts,ss)
Eugene E.Young, Joseph Newman (tp,flh)
Alan Raph (btb)
Ernest W.Hayes(p)
Buddy Lucas (bs,harmonica)
Eric Gale, Carl Lynch(g)
Charles W. Rainey(b)
Warren Smith(per)
Grady Tate(ds)

Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 8, 1967
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MANNY ALBAM AND THE JAZZ GREATS OF OUR TIME VOL.2

2006-12-28 | MY FAVORITE ALBUM
サックスとかクリスマス音楽をテーマにしばらく聴いたが、1958年前後のJAZZにまた戻ってみることにした。
JAZZを聴き始めた頃、この時期の演奏はどちらかというとWEST派のレコードを買うことが多かった。
ブルーノートの有名アルバムはほとんど買わなかった。JAZZ喫茶で良く聞いたせいもあるので買わなかったというのか正解かも。

WOODY HERMANのオーケストラにもスコアを提供していたマニーアルバムは、後年はテレビや映画音楽の世界でも活躍したが、このアルバムはWEST COAST派のメンバーを集めたオーケストラ演奏。
メンバーにもWOODY HERMANで活躍したメンバーも多い。
いかにもWEST COAST派のサウンド。複雑なアレンジというよりは、ソロを生かすための軽快なバックだ。

A面がマニーアルバムのオリジナル。B面がスタンダード曲中心。
JIVE AND FIVEは作曲したハリーエディソンが自らプレーするが、ベイシー楽団での演奏も有名だ。比較するとバンドカラーが出てやはり違うもの。
これが一番お気に入り。

INTERWOVEN
AFTETHOUGHTS
SWEET’S-BREAD
JIVE AT FIVE
THUNDER BURT
HOW LONG HAS THIS BEEN GOING ON
IT’S DE-LOVELY

ARRANGED BY MANNY ALBAM

CONTE)CANDOLI (tp)
JACK SHELDON (tp)
HARRY EDISON (tp)
STU WILLIAMSON (vtb)
HERB GELLER (as)
RICHIE KAMUCA(ts)
MED FROLY(ts)
BILL HOLMAN(ts)
CHARLIE MARIANO(as,bs,ts)
LOU LEVY (p)
RED MICHELL(B)
SHELLY MANN(ds)

Recorded on August 14-16,1957

ポールアンカのダイアナの流行った頃。
コメント (4)
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WOODY HERMAN : 1964

2006-12-27 | MY FAVORITE ALBUM
クリスマスも終わって一段落。
忘年会シーズンも終盤、いよいよ年末の追い込み。
今日は最後の忘年会がドタキャン。久々に友人と会う予定であったが。何となく締めが決まらず後味が悪く帰宅。

クリスマスアルバムは来年またこの時期に聞くとして、また一人連想の続きを。
今日取り出してきたのは、WOODY HERMAN。
先日、サックスを続けて聞いていたときに、フルバンドでのサックスのバトルが聞きたくなり思い出したのがこの一枚。

ハーマンのオーケストラは、エリントンやベイシーの大御所と較べると少し地味だが、中身の演奏は、多少荒っぽいがアンサンブルもソロも元気はつらつ。
メンバーを見ると、中堅どころの名プレーヤーがずらりと並んでいる。
リズム隊は、NAT PIERCEのピアノとJAKE HANNAのドラムで安泰。
ブラスアンサンブルも光っていると思ったら、後にブラスロックでデビューしたチェイスのリーダー、ハイノートのBILL CHASEHが引っ張っている。

そしてサックスセクションの、SAL NISTICOとCARMEN LEGGIOがAL&ZOOT張りのテナーバトルを繰り広げる。

これを聞けるのが、冒頭のHALLELUJAH TIME。
お気に入りの一曲だ。

この録音の頃の演奏の映像がYOUTUBEに載っている。
最高です。まずはご覧下さい。



HALLELUJAH TIME
DEEP PURPLE
JAZZ HOOT
A TAST OF HANEY
SATIN DOLL
AFTER YOU’VE GONE
THE SYRUT
MY WISH
COUSINS

Woody Herman (cl ,as)
Bill Chase, Billy Hunt, Paul Fontaine, Gerald Lamy, Danny Nolan(tp)
Phil Wilson, Henry Southall, Kenny Wenzel (tb)
Sal Nistico,Carmen Leggio,John Stevens(ts)
Nick Brignola(bs)
Nat Pierce(p)
Chuck Andrus(b)
Jake Hanna(ds)

Recorded November 20,22 and 23, 1963
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SOUNDS OF THE GREAT BANDS VOL.2 / GREN GRAY

2006-09-14 | MY FAVORITE ALBUM
技術の進化が大きく文化を変えることがある。映画やテレビが生み出した映像文化は、今の時代に無くてはならないもの。明らかに新たな文化を生み出している。
そこまで大きな変化ではなくとも、技術の発展が文化の質に大きく影響を与えることがある。

レコードの歴史は、78回転のSPレコードの時代が第一期の黄金期とすると、LPレコードによるHIFI録音、そしてSTEREOへ。アナログの時代の究極の音の追及に向かう。
この時代の良い録音は、今の時代でも十分に通用するクオリティーだ。
まさに単なる“音”の記録から、“音”を楽しむことのできる道具として進化して、ジャケットデザインと共にレコード文化を築き上げた。

SP時代とLP時代では基本的な仕組みの構造は同じでも音質は格段に違う。
BIG BAND JAZZやSWING JAZZの流行った1930年代、40年代は残念ながらSPの時代。その時代の演奏は、古きよき時代のSPサウンドで残されてはいるが。
この時代の、本当のサウンドはどのようなものであったかのか、興味が沸く。

このGLENGRAY AND THE CASA LOMA ORCHESTRAは、スイング時代のビッグバンドの演奏を、オリジナルのアレンジを生かした演奏で人気を集めた。
そして50年代になってから、HIFI録音で再現して、改めて人気を博した。
レコード文化の創出の功労者でもある。

一曲目に軽快にスタートするBLUES ON PARADEは、WOODY HERMANの初期のテーマ曲。
NHKFMのジャズ番組のテーマ曲として使われていた曲。(ひょっとして今でもやっているのかな?)
我々世代のJAZZファンは誰でも一度は聞いたことがあると思う。
やはり、この曲は脳裏に刻み込まれているのか大のお気に入りだ。

その後も、有名バンドの十八番の曲が続く名曲集だ。
ELLINGTONのアルバムが自己のバンドカラーにすべてアレンジしているのに対して、このアルバムはオリジナルのイメージを残している。

BLUES ON PARADE
MOTEN SWING
STUDY IN BROWN
HUCKLEBERRY DUCK
JUMPIN’ AT THE WOODSIDE
BOOGIE WOOGIE
IN THE MOOD
EL RANCHO GRANDE
STAR DREAMS
THE PRISONER’S SONG
TIPPIN’ IN
SOUTH RANPART STREET PARADE

GLEN GRAY AND THE CASA LOMA ORCHESTRA
Recorded in 1958
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WILL BIG BANDS EVER COME BACK? / DUKE ELLINGTON

2006-09-04 | MY FAVORITE ALBUM
ビッグバンドの歴史はダンスバンド。もっぱら踊ることが目的で演奏を聴くのは二の次だったらしい。
そのうちに、演奏に耳を傾けるファンも徐々に増える。
すると、プレーヤーも、いい演奏を聴いてもらうために一生懸命練習した。
今まで聞けなかったような素晴らしい演奏をすると、ダンスをするよりも演奏を聴くファンが増えていく。
そして、「演奏を聴かせることを主としたBIG BANDが数多く現れた」ということだそうだ。

第2次世界大戦後、このアルバムのタイトルの、「BIG BANDは再来するか?」ということがよく話題になったらしい。
しかし、その問いに対しては、残念ながらスイング時代のようなBIG BAND全盛期が、今日までの間に再来したという話しは聞いたことがない。

この、アルバムはDUKE ELLINGTONオーケストラが、有名BIG BANDの十八番の曲を演奏したもの。有名バンドの有名な曲はどうしてもオリジナルのイメージに引っ張られやすいが、ここはさすがエリントン楽団。
すべてエリントンサウンドに料理している。

メンバーもこの時期は充実していた時。
重鎮、ジョニーホッジスを筆頭に、クーティーウィリアムス、レイナンス、ポールゴンザルベスなどが随所にソロを繰り広げる。

このアルバムは、どの曲も名演でお気に入りを選ぶのも難しい。
カウントベーシーのテーマソングの「One O’Clock Jump」をエリントン風にやっているのも面白いし、ベニーグッドマンの「Good-Bye」をホッジスのアルトで迫るのが最高だ。

ジャケットのデザインもお気に入り。

1. Erskine Hawkins's "Tuxedo Junction"
2. Glen Gray's "Smoke Rings"
3. Stan Kenton's   "Artistry In Rhythm"
4. Wayne King's   "The Waltz You Saved For Me"
5. Woody Herman's   "Woodchopper's Ball"
6. Les Brown's   "Sentimental Journey"
7. Louis Armstrong's "When It's Sleepy Time Down South"
8. Count Basie's   "One O'Clock Jump"
9. Benny Goodman's  "Good-Bye"
10. Fred Waring's   "Sleep, Sleep, Sleep"
11. Paul Whiteman's "Rhapsody In Blue"
12. Duke Ellington's "Don't Get Around Much Anymore"

 DUKE ELLINGTON ORCHESTRA

 Recorded in 1962
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