風野真知雄の大江戸定年組シリーズの第7作目『神奥の山』を読んだ。隠居した旧友3人組には相談事がひきもきらない。退屈とは無縁の毎日だが、いまだに解けない謎がある。岡っ引きの鮫蔵は誰に腹を刺されたのか、市中にはびこる信仰集団「げむげむ」の仕業なのか。鮫蔵が生きていると聞いて蘭方医・寿庵に動揺が走る。寿庵はじつは「げむげむ」の教祖様だったのだ。「げむげむ」の問題が解決し、寿庵は自害し鮫蔵もまた旅に出る。旧友3人組の「初秋亭」の近くには彼らの妻たちが「早春工房」という作業場をつくり、3人は顔をしかめる。
ところで巻末に著者が「お気づきの方もおられたでしょうが、この物語に周五郎先生の教えとしてときおり登場した「苦しみながら働け……」うんぬんの文言は、山本周五郎の『青べか物語』の座右の銘として紹介されるストリンドベリイの言葉を引用したものです。なお、『青べか物語』では、このように訳されています。
苦しみつつ、
なおはたらけ、
安住を求めるな、
この世は巡礼である」
と書いている。『青べか物語』も過去に読んだことがあるが、この文章には気が付かなかった。軽い読み物のつもりで読んできたが、結構深い作品でもある。