山クジラの田舎暮らし

岩手県北の田舎に生息する「山クジラ」です。定年後の田舎暮らしや趣味の山行きのことなど、発信していきます。

台風の接近

2012-09-30 17:03:07 | 地域

 台風17号が接近している。午後3時頃、潮岬付近を通過し夕方には東海あたりに上陸するらしい。規模やコースが昨年の15号に類似しているというから心配である。昨年の台風15号では、洋野町内でも各地で川が氾濫し、床下浸水やら、田んぼの冠水、道路の崩壊とかなりの被害が出た。そうした事態にならないよう願っている。わが家は23日にウルチ米の刈り取り収穫は終わって、ワラ立てが残っているのと、モチ米がまだ刈り取っていない。23日以降は天候がすぐれず、よその田んぼでは刈り取り適期を過ぎても刈り取られていないところが多い。風が強く吹くと倒伏の可能性もあるので、台風が接近する中で必死に刈り取りをする姿が見られた。用事で種市方面に車を走らせ、海の様子をみたらうねりがあって、波が高くなっていた。明日の朝、台風17号は岩手にもっとも接近するそうで漁業被害が出ないよう祈っている(写真は、八木漁港の方面を見たところである、手前は八戸線の線路)。

 


『九戸戦始末記 北斗英雄伝(第一巻)』=早坂昇龍著

2012-09-29 08:24:11 | 読書

 23日に稲刈りを済ませてから天候が安定しない。昨日は、雨模様だったが本降りではないので農作業をしていた。午後3時頃から本気で降り始めたので、作業をやめ近くの大谷温泉で汗を流した。今日は朝から雨で、外での仕事はできないので「晴耕雨読」を決め込んだ。

 大野図書館で『九戸戦始末記 北斗英雄伝(第一巻)』を見つけてきたので、先日群馬行きの旅の途中に読んだ。作者は早坂昇龍(のぼる)氏だ。早坂氏は旧玉山村の生まれで、埼玉県在住。時代小説では昇龍、現代小説では「ノボル」を筆名としているとのことだ。第一巻に盛り込まれた7章は、盛岡を中心とする地方紙「盛岡タイムス」の平成20年4月から11月にかけて連載されたものである。舞台は、戦国末期の岩手県北部から青森県にかけての地域で、九戸城(二戸市福岡にあった宮野城)の城主・九戸政実と、三戸城の城主・南部信直の争いを中心に描かれている。この本での主人公は疾風という人物で、おそらく作者の作り出した架空の人物と思うが、アイヌの血の混じった主人公が縦横無尽の働きをする。この本の中では、南部信直が悪役で、九戸政実が英雄に描かれている。歴史的事実はどうだったのかはわからないが、物語としては面白いと思う。かつて二戸市に勤務し、九戸城跡や、一時南部家が移っていた福岡城の跡などを散策した経験を持つ私としては、描かれている情景に思いをはせながら読んだ。第二巻以降にも期待している。この本は「蒼龍社」より出版されているが、「電子図書で提供されており、図書館蔵書用として少数印刷・製本された」と断り書きがあった。なるほど、そういう時代かとも思う。


ワラ立て

2012-09-28 18:00:24 | 農作業

 今日は台風17号の影響なのか、朝から雨が降ったりやんだりの天気である。本来であればモチ米の刈り取りをし、「はせ」にかける作業をしたいのだが、時折ザーッと降ってくる雨で作業にかかれない。仕方ないので、モチの田のバインダー旋回部分の刈り取りをし、その分は「はせ」にかけたうえで、23日刈り取ったウルチ米の田の「ワラ立て」をした。最近はコンバインで収穫する際、ワラは切って田にすきこむところが増えている。稲作りを始めて2年ほどは爺様のやり方をみならって「切り」をしたが、代掻き後の浮きワラがすごい。そこで町内二ツ屋にある畜産農家と交渉し、ワラを提供する代わりに堆肥をいただくことになった。爺様はもともと学校の先生で農作業については色々問題点を感じてきたが、彼がやっている間は口を挟まないでいた。6年前、連れ合いが亡くなり稲作を突然放棄したので、後を受け継いだ。受け継いでから徐々に自分流にやり方を変え、3年前から牛の堆肥を入れ始めた。最初の年は堆肥の効果を見るため化学肥料を施さなかったが、見事に栄養不良の稲ができた。しかし、栄養不良のおかげで「おいしいコメ」と評判をとった。昨年は化学肥料も入れたが、除草がうまくいかず、客土した田が整地しきれず必ずしも良い出来ではなかった。今年は、堆肥を入れ始めて3年、有機肥料の効果が徐々に出てきているようで、稲がどっしりとしていてたくましく育った。ワラ立ても人手があれば早く終わることができるのだが、義妹は役場職員でいないし、妻はささやかな公職にあるため時間がとれないので、ただ一人ワラの束4個を集めて昨年のワラで作ったもので結束していく。ワラが足りなくなったにので、市販の「ワラ縄」を切って使った。おそらくこの「ワラ縄」も中国あたりからの輸入品だと思う。私が子供のころは、なんでも家でつくりそれを利用していた。流通経済の発達は一面、各地に受け継がれてきたこうした文化を消滅させる役割を果たしているのだと思う。


山クジラ「はやぶさ」に乗る

2012-09-27 06:17:44 | 旅行

 26日、群馬県高崎市箕郷にいる2番目の兄の義父の葬儀に出席のため、群馬へ出かけることになった。当初前泊も考えたのだが、「ウルチ」の稲刈りが終わったばかりで、これから「モチ」の刈り取り、「はせ」かけもあり、刈り取り後の稲わらの始末も終えていないので、2日間をそのためについやすわけにもいかない。そこで時刻表を調べると、八戸までいって6:34発の「はやぶさ」に乗れば、8:58大宮、9:58高崎となり、タクシーを使えば、11:00の開式に間に合うことがわかり、東京にいる姉2人に連絡をとって大宮で同じ列車(「マックスとき」)に乗ってもらい、高崎駅から箕郷(平成の大合併で高崎市に吸収された)までタクシーを走らせた。関東平野ではまだほとんど稲刈りはされていない。右に赤城、左に榛名を眺めながら、「故郷の山に向かって言うことなし」とうたわれたことを思い出した。葬儀の進行は「ところ変われば」で、箕郷では告別式の後、出棺となり火葬場に向かう。初七日法要はその後なのである。火葬場が「高崎市斎場」であったこともあって、そこから高崎駅にタクシーで向かい、大宮に出て4:22初の「はやて」で八戸に向かい19:00着。久しぶりに故郷の人々、姉、兄らとあってきたが、彼らも感じるらしく「岩手の人になってしまったね」という感じがした。ところで、東北新幹線が青森まで全通し「はやぶさ」という特急が走っていることは知っていたが、普段は二戸駅から乗るので「はやぶさ」が止まらないこともあって、「はやて」だけに乗っていたが、盛岡、仙台に止まるとあとは大宮、終点東京ということで「さすがに早い」の一言につきる。来月は、24日に伊香保温泉「如心の里『響き野』」を会場に中学校の同窓会が開かれ、ぜひ出席したいと思っているので、またまた群馬への旅となり予定である。

 


米出し

2012-09-24 18:14:07 | 農作業

 落雷で故障したウィンドウズ7のパソコンの代わりが来て、ようやくブログの環境も改善された。XPに比べるとやはり早くて気持ちいいですね。さて、今日の当地は雨模様で、乾燥機から乾燥した米を取り出す「米出し」には不適切な環境だった。今日、明日は稲刈りは出来そうもないので、「無理して出さなくても良い」と乾燥を受け持つOさんは言うが、こちらの日程が詰まっており、その上作業中に兄の義父が死去したという情報が入り、26日の葬儀とのことだ。無理にでも出さないとならない状況である。午後2時から作業にかかり、まず乾燥機から米を袋に移す。昨年よりだいぶ多い。持参した袋が足らなくなってOさんから借りる有様となった。そして雨の切れ間をぬって軽トラで家に運び、土蔵に積み上げた。明らかに昨年より多い。いつもの通りでも1年に消費できるのは縁故米を入れても半分なのに、これでは3分の2ほど余ってしまう。Oさんに相談すると、業者が来たら教えてやるから売れば良いとのことだ。明日は、土蔵を占領している袋を減らすためにに、「せいろ」(米の貯蔵庫)に入れる作業をしなければならない。