イグノーベル賞というものがあるそうだ。まず人を笑わせ、それから考えさせる研究に贈られる賞でだという。2013年にそれを受賞した新見正則(オックスフォード大学医学博士)と塩野七生さんの対談が文藝春秋1月号に載っていておもしろかった。私が思ったのが、このイグノーベルの方だ。まず人を笑わせるというのが好い。人は笑えば頭が柔らかくなる。考えが広がる。興味が湧く。
この世にはいろいろな教室がある。小学校にも大学にもある。個人の家にだってピアノ教室があり、生け花教室があるい。そこには必ず、教える人と教わる人がいる。教える側の人はたいてい、先生と呼ばれる。世の中は先生だらけだ。その先生もいろいろだ。俗にダメ教師と呼ばれる輩もゴロゴロいる。誰だって昔の小中学校時代から思い出せば、ダメ教師は簡単に何人も数えられるはずだ。
あの人は授業が上手かったなぁと思い浮かぶ師も少しはいる。私にもいる。残念ながら、たくさんはいない。その数少ない師に共通するのが、授業への引き込み方に長じていたということだ。それが第一時限の授業であれば、まず「おはよう」から入る。次がちょっとした雑談だ。その日の朝のテレビのニュースの一つから選んでもいい。その雑談が上手い。生徒から笑いが起きる。イグノーベルの精神だ。そうやって教室の雰囲気を作っておいて、「さて、今日は25ページを開いて」と教科書に戻る。私語を交わす生徒はいない。教室は完全に、教える側のペースである。教員資格取得テストに、小雑談という1項を入れたらどうだろう。
この世にはいろいろな教室がある。小学校にも大学にもある。個人の家にだってピアノ教室があり、生け花教室があるい。そこには必ず、教える人と教わる人がいる。教える側の人はたいてい、先生と呼ばれる。世の中は先生だらけだ。その先生もいろいろだ。俗にダメ教師と呼ばれる輩もゴロゴロいる。誰だって昔の小中学校時代から思い出せば、ダメ教師は簡単に何人も数えられるはずだ。
あの人は授業が上手かったなぁと思い浮かぶ師も少しはいる。私にもいる。残念ながら、たくさんはいない。その数少ない師に共通するのが、授業への引き込み方に長じていたということだ。それが第一時限の授業であれば、まず「おはよう」から入る。次がちょっとした雑談だ。その日の朝のテレビのニュースの一つから選んでもいい。その雑談が上手い。生徒から笑いが起きる。イグノーベルの精神だ。そうやって教室の雰囲気を作っておいて、「さて、今日は25ページを開いて」と教科書に戻る。私語を交わす生徒はいない。教室は完全に、教える側のペースである。教員資格取得テストに、小雑談という1項を入れたらどうだろう。