中学校の1年生だったか2年生だった時に、叔母が町の小さなダンスホールに通い出した。叔母と言っても私の姉代わりであって、齢は8歳上だった。彼女は家でもダンスの練習を繰り返していて、私を練習相手にすることもあった。そのとき私は、女性の手というのは、これほど柔らかいものかと思った。叔母とは幼い頃からずっと一緒に暮らしていたが、そのことに気づいたのは初めてだった。私がオトナになりかけの年齢だったからだろうか。
高校1年になって、隣家に住む1ツ年下のY子とよく夜間映画に行ったりしていた。Y子の父は近くの村の小学校の校長だったが、「ヤボなら大丈夫だっぺ」と言ってくれていた。映画館への道の途中に近回りをするための、小さな崖のような場所があって、そこにさしかかると私が先に昇って、Y子の手を取って引っ張り上げるのが常だった。普通の道へ戻っても、「ヤボさんの手、あったかいね」とY子が言って、そのままで歩くことも多かった。
家人には二人の妹がいるが、下の方のK子も私の手が好きだった。前にも書いたが、家人とK子と私で、たとえば銀座通りを歩くとき、家人が一人で先行し、私とK子が1メートル背後からついて行く。K子は私のオーバーコートのポケットに右手を入れ、私の左手を握ったりしていた。義妹は「お義兄さんの手、気持ち良い」と言っていた。
孫娘とも、会うたびに握手をする。「ドンちゃんの手、スベスベ」と孫が言う。ま、ガサガサよりは良いだろう。孫は25歳。まだかわいらしい手だ。私の手は長女に受け継がれた。指の形も並びもソックリだ。長女の手は男性たちに人気があるだろうか。
高校1年になって、隣家に住む1ツ年下のY子とよく夜間映画に行ったりしていた。Y子の父は近くの村の小学校の校長だったが、「ヤボなら大丈夫だっぺ」と言ってくれていた。映画館への道の途中に近回りをするための、小さな崖のような場所があって、そこにさしかかると私が先に昇って、Y子の手を取って引っ張り上げるのが常だった。普通の道へ戻っても、「ヤボさんの手、あったかいね」とY子が言って、そのままで歩くことも多かった。
家人には二人の妹がいるが、下の方のK子も私の手が好きだった。前にも書いたが、家人とK子と私で、たとえば銀座通りを歩くとき、家人が一人で先行し、私とK子が1メートル背後からついて行く。K子は私のオーバーコートのポケットに右手を入れ、私の左手を握ったりしていた。義妹は「お義兄さんの手、気持ち良い」と言っていた。
孫娘とも、会うたびに握手をする。「ドンちゃんの手、スベスベ」と孫が言う。ま、ガサガサよりは良いだろう。孫は25歳。まだかわいらしい手だ。私の手は長女に受け継がれた。指の形も並びもソックリだ。長女の手は男性たちに人気があるだろうか。