gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

2020-01-19 10:37:36 | 日記
中学校の1年生だったか2年生だった時に、叔母が町の小さなダンスホールに通い出した。叔母と言っても私の姉代わりであって、齢は8歳上だった。彼女は家でもダンスの練習を繰り返していて、私を練習相手にすることもあった。そのとき私は、女性の手というのは、これほど柔らかいものかと思った。叔母とは幼い頃からずっと一緒に暮らしていたが、そのことに気づいたのは初めてだった。私がオトナになりかけの年齢だったからだろうか。

高校1年になって、隣家に住む1ツ年下のY子とよく夜間映画に行ったりしていた。Y子の父は近くの村の小学校の校長だったが、「ヤボなら大丈夫だっぺ」と言ってくれていた。映画館への道の途中に近回りをするための、小さな崖のような場所があって、そこにさしかかると私が先に昇って、Y子の手を取って引っ張り上げるのが常だった。普通の道へ戻っても、「ヤボさんの手、あったかいね」とY子が言って、そのままで歩くことも多かった。

家人には二人の妹がいるが、下の方のK子も私の手が好きだった。前にも書いたが、家人とK子と私で、たとえば銀座通りを歩くとき、家人が一人で先行し、私とK子が1メートル背後からついて行く。K子は私のオーバーコートのポケットに右手を入れ、私の左手を握ったりしていた。義妹は「お義兄さんの手、気持ち良い」と言っていた。

孫娘とも、会うたびに握手をする。「ドンちゃんの手、スベスベ」と孫が言う。ま、ガサガサよりは良いだろう。孫は25歳。まだかわいらしい手だ。私の手は長女に受け継がれた。指の形も並びもソックリだ。長女の手は男性たちに人気があるだろうか。

1月12日

2020-01-19 10:28:43 | 日記
朝6時半にリャンピンがドアを叩く。トントンではなく、ゴソゴソと叩く。家人が立って行ってドアの隙間を広げると、イソイソと入って来る。リャンピンの朝の訪問は、時々は私のベッドの傍のこともあるのだが、今朝はピッタリと家人をマークする。サインは、「缶詰を出せ」だ。彼の主食はドライフードなのだが、それに魚肉の缶詰を混ぜると味が良くなる。つまり、サインは、朝食に旨いものを、ということなのだ。それは家人に頼むのがいちばん早いと、ちゃんと認識している。

NHK杯将棋、木村一基棋王 対 渡辺明三冠の藤井猛九段の解説が明快でおもしろかった。将棋の解説というのは先走り過ぎてもダメだし、ゆっくりしてもおもしろくない。藤井さんは渡辺さんの一手のミスを、もしかすると「これが敗着につながるか?と見通して、その通りになった。

昼食は冷やしそうめんで、久々に旨い。食後のアップルパイは娘のみやげで、これが上級品。中野リンゴがギッシリと詰まっていて、上品な甘みとシナモンの香り。大福や羊羹も美味だが、洋菓子にもよいのがある。

今日から大相撲初場所。注目は、朝乃山、貴景勝、御嶽海あたりか。家人が応援している遠藤は、前頭筆頭なので、初日から相手は鶴竜で、明日は白鵬と当たる。このところ、大関陣が不調で関脇に落ちたり、カド番に追い込まれたりと冴えない。

重田名人に治療中にアレコレの予想を訊く。「センバツまで生きられそうか?」「大丈夫、東京五輪も大丈夫」「そんな先までは考えない。センバツまででいい」といった具合。これがよく当たる。昨年の大相撲11月場所の時に、「初場所まで生きそうか?」「生きられますよ」が現実となって、今日がある。今朝の血圧は147-84。

私、僕、俺

2020-01-11 20:26:15 | 日記
「お父さんは、自分のことをワタシって言うんだよ」と、ボクちゃんが笑い顔になって家人に言ったそうだ。ボクちゃんは、父親が電話で誰かと話すのを聞いていたのだろう。そして、男性が自分を私と言うのがおかしかったのだ。ワタシは女性用語と思っていたのだ。3年ほど前の話である。

そのボクちゃんは今、小学2年生である。ボクちゃんは女の子だから、小学生になって自分をボクと言うのは変だと気づいた。代わりに、ワタシではなく、ウチと言うようになった。己をウチと称するのは関西に多いのだが、それが鎌倉の小学校で流行っているらしい。関西からの転校生がいて、みんながそれを真似するようになったのだろうか。関西語というのは標準語よりは伝染が早い。真似ているうちにすぐに自分のものになることが多い。

私は9歳から16歳になるまで茨城で育った。学校にも近所にも、<僕>という言葉は存在しなかった。教師に対しても<俺>を使った。「山田、おまえ、宿題は?」と教師に訊かれ、「オレ、忘れちゃった」となる。大人でも<僕>を使うのは少ない。私は社会人になってから多くの東北人と付き合うようになるが、岩手、山形、秋田あたりの出身からも<僕>を聞いたことはほとんどない。

私は、<私><僕><俺>を使い分けて生きて来た。もう1つ、<自分>というのがあって、これも使い勝手がいい。会社で上司から何かを尋ねられたときなど、「自分には、××の方が良いと感じられますが」などと用いる。これは、テレビのコメンテーターがよく使う、「私は個人的には・・・」なんていうのよりは、なめらかな気がする。

理系頭脳人間

2020-01-11 18:58:03 | 日記
人間を、理科系・文科系に分類するのは間違いだと思っている。たとえば、渡辺淳一さんはドクターであり、同時に小説家でもある。渡辺さんはどちらに属する人物なのか。私が思うのは、この世には、理系頭脳の人と、そうでない人がいるということである。渡辺さんは理系頭脳の人であり、文才にも長けているのである。

人間の生活の基本は、衣食住である。1枚のシャツ、1きれのパン、1本の柱、これすべて理系頭脳によってつくられたものである。パンの素は小麦である。その小麦から粉を採る。その粉を練って生地を作り、更に焼く、といった工程を考えたのは、理系頭脳である。非理系には考えつかない。すべての人間は、理系頭脳のおかげで生きているのだ。

では、非理系人は何をしているのか。理系頭脳が作った機械で作られたパンを食べるだけでなく、それを売って金儲けをする。どうすればパンが売れるかを考える。色や形、味付けを工夫する。命名も大事だ。メロンの色や味や香りは無くても、メロンパンとネーミングする。

プラスチックを材料にV字形の骨組を作る。V字の先端の片方を小さな長方形のスプーン状にする。もう一方は平のままでよい。サイズは握り鮨を真似る。スプーンの方に酢飯を入れ、平の方にマグロの切り身を乗せてVの字を閉じる。握り鮨の完成である。鮨ロボットの成功である。というのが非理系人間の私の考えたことだ。チコちゃんなら、「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」!と笑うだろうが、非理系の頭の中なんて、その程度のものだ。繰りかえす。すべての人は理系頭脳人間のおかげで生きている。

川柳 五・七・五

2020-01-06 17:30:20 | 日記
「ドラマでは 切れた電話に 語りかけ」という線る湯が新聞か雑誌に載った。誰の作品だったかは憶えていない。20年か30年前のことである。私は、「これは根岸の里だ」と思った。「根岸の里」のことは前にも紹介した。「根岸の里の侘び住まい」という七・五を使えば、はじめの五文字を考えるだけで1句が出来上がる。今日あたりなら、七草粥がいい。「初粥や 根岸の里の 侘び住まい」で形になる。「ドラマでは・・・」も似ている。私はすぐに「ドラマでは すぐに空車が やって来る」と作って新聞に投稿した。これは半分は盗作だが採用された。あと2つか3つ出来たが忘れた。

50歳からの10年か15年ぐらいは、朝のトイレの中で川柳を考えていた。新聞を読みながらのことが多かった。新聞にはテレビ番組のページがある。西村京太郎、森村誠一、和久俊三のサスペンスなどが目につく。日本製のサスペンスは必ず最後にはワルが捕まる。主役のスター刑事が説教する。場所はなぜか海岸、海の見える崖の上、川のほとりが多い。「今日もまた 水辺で終わる サスペンス」もトイレの中で出来た。新聞投稿の面白さは、少なくとも10万人の人達に読んでもらえるのではないかという点にある。

いまなら、ゴーン被告の脱走劇が絶好のネタだろう。終わりの5文字は「金次第」でイケる。しかし、「地獄の沙汰も」に変わる7文字が出て来ない。そこが出れば頭の5文字も出るのだが…84歳の老脳ではダメだ。