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黒いスーツ

2017-03-26 10:16:56 | 日記
大学卒業予定者が企業の面接に行く。男性も女性も黒いスーツで行くようだ。学校の卒業式も入社式も同じ姿であることが多いらしい。ただ、ウチの孫娘は和服に袴という恰好の卒業式だったようだ。これも女性一同揃って袴姿だったと思う。孫の出た明治学院大学は、それが昔からの伝統なのかどうか。とにかく、就職活動・卒業・入社式には黒いスーツが制服であるようだ。それをリクルートスーツと呼んでいる。

新入社員を募集する企業は黒スーツを着た若者をどう見るか。「またこの男も、この女も同じ服か」とは思わないのだろうか。「服装(身なり)も1つの個性」とは思わないのだろうか。「面接には自由な服装で来てください」と、なぜ言わないのだろうか。もちろん、統一されたような着衣でも、人それぞれの個性は出るという考え方は成り立つだろうし、もしかすると、却ってその方が個がよく見えるという面接担当者もいるはずだ。しかし、多くの場合は、着衣自由の面接の方が、どこか明朗な感じがする。若々しい感じがする。わざと突飛なスタイルでアピールしようとする人間もいるだろうが、それはそれでいいではないか。採用するかしないかは、それぞれの企業によって、その物差しがあるのだから。

昨年の春。藤沢の病院前で、家人が駐車場からクルマを出して来る間、道行く人を眺めていたら、黒スーツの女性の一団が通った。「新入社員の研修か何かの帰りだと思う」と、娘が言った。数は20人ほどだっただろうか。何か気持ちの悪い光景だった。黒スーツは、会社の制服ではなく、研修期間中のお決まりなのだろう。すべて大卒だとして、22歳の若い娘である。春である。どんな研修か知らないが、もっと明るく装いたいはずである。自分らしさを見せたいはずである。とにかく、黒衣の集団は気持ちが悪かった。

女子社員に限って言うと、昔はほとんどの会社で制服の上衣が与えられた。私のいた製造会社でも、銀行員も郵便局員もそうだった。上衣の下は自由だった。ブルーのワイシャツでも、ピンクのセーターでもよかった。「今度新しく入って来たマリちゃん、オシャレのセンスがいいじゃん」があった。もちろん、ブラックスーツの娘さんも研修が終われば、白いセーター姿になるのだろう。セーターの襟が制服の胸から見えるようになるだろう。しかし、あの黒の季節は長すぎないか。面接に始まって、それが何社もあって、やっと入社が決まって、それでもまだ黒、黒、黒は長すぎる。

判子

2017-03-26 10:08:11 | 日記
判子と印鑑は同じ意味の日本語であるかどうか。異なるところがあれば、それを記せ、という問題が或る企業の入社試験に出された。たしか出版社だったかと思う。正答率が5割程度だったので雑誌の記事になった。ハンコは人名、社名、職名などを彫った道具のことであり、それに朱肉をつけて紙などに押す。その押した印を印鑑と言う、ということを知らない大学新卒生が100人中50人いることになる。無知な若者が多いのか、それとも日本語というものがヤヤコシいのか。

日本経済新聞に、時々、「私の課長時代」なる記事が載る。それをまねて振り返ってみると、私は昭和40年代に中企業の購買課長だった。いすず自動車の一次下請の部品メーカーだった。購買だから、下請工場が相手である。下請から品物が送られて来る。まず品質管理課で検査がある。OKなら品質管理担当のA係長かB課長が伝票に判子を押す。品物は部品倉庫に入るから倉庫係が判子を押す。伝票は次に製造部に渡り、管理課進捗係長が印を押す。注文通りの数が入荷したかどうかの確認である。次が私の番だが、たいていは黙って押印する。品質管理・倉庫・製造管理の3人の印鑑があるのだ。昔の言葉で言う、盲判であるが、3つの印鑑を信用する。信用することが1つの仕事なのだ。それが当然だった。普通のことだった。

「知事の仕事って山ほどあるんですよ。1枚1枚の書類にハンコを押すヒマなんてありませんよ」とは、橋下徹氏の言であるが、その通りだと思う。ハンコを押す係の事務員がいるのだろうと思う。それでも裁可である。石原元東京都知事が百条委員会で裁可した自分に責任があると言っていた。中企業の課長程度の話ではない。判子の重みが違う。

玄関に宅配が来る。「ハンコ、要りますか?」と家人が訊き、「サインでも結構ですよ」と配達のお兄ちゃんが応える。声につられて、猫がソファから立ち上がって様子を見に行く。モンローウォークで見に行く。

笑顔

2017-03-22 09:05:08 | 日記
茨城の家は6軒集落にあって、我が家は向う3軒両隣の形の中央部にあった。南隣のY家が羨ましかった。8人家族である。主人は2つ離れた村の小学校の校長だった。6人いる子供のトップはシゲルさんで、私より3ツ年上だった。私が高校1年のときは高校を終えて大学受験に失敗し、町の郵便局で働いていた。私が祖母の遺品である銀のスプーンを売るときは、シゲルさんの力を借りた。身分証明である。次がヨシコで、私より1ツ下。登校のときや夜の映画によく行っていたので、学校で「あれは、お前の彼女か?」と冷やかされていたことは前に書いた。そのヨシコの4ツ下にカズコがいた。私が高校1年ならカズコは小学6年生である。性格の好い少女だった。いつも笑顔だった。16歳の私が思ったのが、「この子はきっと好いお嫁さんになる」だった。

おもしろいこと、愉しいこと、うれしいこと、冗談(すぐにバレるウソ)、滑稽なこと、何かのいたずら…そういった話をする前に人は笑顔になる。しかし、そうでもない話、ごく普通の話をするときでも口許に笑いのある人がいる。「あれ、元気そうね」と言うだけでも、顔がほころびる人がいる。基本的に性格が好い。ゆったりとしている。おっとりとしている。少女的である。好いお嫁さんになる女性である。私はそういう女性を3人見て来た。3人しか出会わなかった。その1人が、隣家のカズコちゃんであり、一人は自分の妹であり、もう一人は10年先輩の方で故人である。妹のことは自慢話として以前書いた。先輩女性のことは、ブログの材料に置いてある。

いろいろな笑顔がある。その中でも私は、ちょっとしたときに笑顔で話しかける女性が大好きだ。どうしてあれほど自然な笑いが出来るのだろうか。基本は性格の好さであることはわかる。でも、もう1つの何かがある。サムシングがある。それが私にはまだわかっていない。

記憶にない

2017-03-20 20:18:36 | 日記
「記憶にございません」が流行語になったのは、40年ほど前のロッキード事件の時であって、国会に証人喚問された小佐野賢治(国際興業社長)が、この言葉を繰り返したからだった。また、小佐野氏は「ございません」がよく似合った。禿げあがった頭、ギョロッとした目、やや肥り気味の体に似合っていた。

今日(20日)の百条委員会での石原慎太郎氏の答えにも、「部下に任せていたので、記憶にない」というのがあった。そのことは昨年の文藝春秋に掲載された「東京都からの質問に答える文章(我が真意)」を読んでわかっていた。石原氏の応答にウソはない。その通りなのだと思う。もちろんそのことを無責任とする考え方もあり、これまたその通りと言える。問題は、この(豊洲に関するもろもろの)ことに、どこまで関心をもち、どこまで熱心だったかということに尽きるのだ。私は読んでいないが、近刊の書に『石原慎太郎への弔辞』というのがあって、その広告には「彼の辞書には、責任という文字はない」とある。著者は佐高信さんである。この本に、その辺の事は、どう書かれているのだろうか。

先週の事が記憶にない。インフルエンザに襲われたのが自分自身なのに、記憶にない。娘にいろいろと言われるが思い出せない。木曜日に熱が高くなって病院に行ったのは確かである。点滴を受けたのも確かだ。では、医師とはどんな話をしたのか。男のドクターだとはわかっていたが、顔は憶えていない。あとはこの前書いた通りである。体温37度以上の私はモノを考えられなくなる。何事も面倒になる。どうでもいいや、となる。それでも勝手なもので、この苦しみだけはなんとか取り払ってくれ、と言っている。言葉にはなっていないだろうから、唸り声である。熱が下がった金曜日のこともよくわからない。「記憶にございません」の中で時間が過ぎた。時間が過ぎて行く。

大相撲

2017-03-19 19:44:17 | 日記
私の弟は日本一の大相撲グッズコレクターだった。いわば、個人の大相撲博物館である。幼い頃からの相撲ファンであって、大学を出てから一般企業に就職したが、やがて趣味の相撲を職業にした。何冊かの著作もあり、私のところへ送ってくれたりもしたが、熱心さが伝わって来た。誰のファンだったかはわからなかった。書かれたものの中に、いわゆるウラ話が少なかったことと、ユーモアが足りていないことが、弟の真面目さだった。

私が大相撲を知ったのは、もちろんラジオ時代だった。名前が好かったのが、横綱にまでなった照国だった。照国萬蔵が好い。マンゾウというのが好い。茨城に住んでいたから、地元出身の大内山も応援していた。アゴが伸びるという奇病があって、横綱には届かなかった。高校時代は学校で相撲の賭けが流行った。1日の取り組みの中から、5番を選んで勝敗を当てる方法で、相撲に詳しいM君が、どちらが勝つとも言えない5つの対戦を取り出した。M君は自分が選んだ5番に自分も賭けて、よく負けていた。賭けは学生食堂のカツライスだった。値段は120円である。現在の値にすると700円ほどだろうか。

相撲界は景気が好い。毎日、満員御礼の文字がテレビに映る。今場所の懸賞は、1,900本だそうで、1本は6万円。その半分が勝ち力士の取り分となる。競馬の騎手は賞金の5%だから、力士の方がワリがいい。好況だから、グッズの売れ行きも好いだろうし、お茶屋さんも儲かるだろう。本場所だけでなく、地方巡業も大入りなのではないか。とにかく、景気の好さそうな場所は、テレビで観るだけでも気分がいい。前に書いたが、まずは新横綱の稀勢の里が10日目まで無敗(悪くても1敗まで)で行くことだと思っている。そこが今場所の焦点だと思っている。遠地に旅立ってしまった弟も同じ考えだろうと思っている。