gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

異国の丘

2018-04-05 09:05:01 | 日記
「きょうも暮れゆく異国の丘に 友よつらかろ せつなかろ 我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 還る日が来る 朝が来る」。昭和20年8月、日本は戦争に敗れ、多くの人たちがシベリアに抑留された。強制労働の日々を送った。厳寒の地である。栄養不足や過労による病死者も出た。そういうとき、この歌を誰かが唄い出した。誰が作ったのか、とにかく抑留者の中で、人から人へと伝わって唄われた。

そして昭和23年カ24年かシベリア帰りの男性が、これをNHKのど自慢で唄い、司会者の質問に答え、この歌の由来がニュースになる。作詞作曲は誰かということが当然に話題になり、複数の人間が、自分が作ったと名乗り出る。少し時間が経って、本当の作者がわかる。作ったのは吉田正さんだった。吉田さんのその語の活躍は、みなさんご存知の通りである。

昭和20年12月に兵庫県芦屋市から茨城県稲敷郡根本村(現在の稲敷市)に転居した。村は、現代用語でいう、ど田舎だった。私は9歳で、小学4年生だった。転校初日に村の中を流れる小川へ写生に行った。図画の時間だった。川辺に着くと、1人の男の子が「OH!COWAY!」と言った。これは、「おお、こわい!」であり、芦屋で言う「ああ、しんど」であるが、そのときはわからない。私は異国に来たと思った。大変なところに来たと思った。「えらいこっちゃ」であり「どないなるんやろ」であった。小川の周囲は少し高くなっていた。異国の丘だった。

コメントを投稿