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ボケ?

2021-05-08 17:01:52 | 日記
夕食の途中で急に家人が立ち上がって、急いでテレビの前へ行った。立ち上がりついでに、私の目の前の皿の上からピーナッツと柿の種をつまんで口の中に放り込んだ。食卓にはまだ酒も料理も残っている。テレビの前といっても、食堂と居間はつながっているから、ほんの数メートルの先でしかない。それでもいきなり食事を中断して移動すると、何事かと思う。家人はテレビの画面に見入っている。私は視線で探ってみたが、たいしたニュースはやっていない。はっきりとはわからないが、何かサバのような魚をアルミホイルに包んでいるような絵だ。突発のニュースなら、誰か著名人の訃報とかどこかの大事故などだろうが、そうではない。家人に声をかけそうになって、やめた。ふと、これはヤバイものかと思ったのだ。瞬間的にボケを疑った。そもそも食事中に慌てて席を立つというのが異常である。だから、達人は何か理由を行ってから動くものである。家人は、無言だった。無言で立って、ピーナッツをつまんでテレビの前に急いだのだ。いよいよボケがきたのかと思うのが普通だろう。あいにく、娘はまだ帰っていなかった。

家人は少しの間テレビを見て戻って来た。無言で椅子に座って、呑みかけのワインのソーダ割に手を伸ばした。食事が住んで、渡しの薬の時間になった。薬は7種類あるから、それがきちんと揃えられるか、私は何かボケのテストを見る気持ちになっていた。薬は間違いなくそろえられた。これは3日前の話だ。以後、家人には何の異常行動もない。会話も普通だ。となると、あの行動は何だったのだろうか。いや、私だって、知らぬ間にボケか、それに近い言動があるのではないか。そんな気がしてきた。

コマカいことが・・・

2021-05-08 16:54:38 | 日記
テレビの人気ドラマ『相棒』で、主人公の杉下右京刑事が、<コマカいことが気になるのが僕の悪いところ>と口癖のように言うが、これは誰にでもあることではないだろうか。もちろん、私にもあって、そのひとつが言葉遣いだ。

「私は、個人的にはそう思います」とは、テレビのワイドショーで、コメンテーターが毎日のように言っているが、<私は>と言った時点ですでに<個人>だ。個人の反対は<団体>だ。その人物がたとえば或る政党に属していたとしても、<私は>と切り出せば、政党の意見とは離れるだろう。それに、<私は、個人的には>ってそもそも何だろう?

昭和の時代に、<正反対>と言っていたものを、平成の頃から<真逆>と言うようになったが、言葉の音からして、前者の方がはるかに美しいと思う。<マギャク>は耳障りも悪い。この前は、昭和の名アナウンサーだった徳光和夫さんまでが<真反対>なんて言っていた。真逆よりはナンボかマシか。

相変わらず、<ゼロゼロ>がjはやっている。050-0102・・・をゼロゴォゼロ、ゼロイチゼロニィと発音する。どうして0をレイと読まないのだろうか。英語と日本語の混合にもなっている。わざわざ混ぜ合わせなくても0をレイと発音するだけで、たとえば女性なら、口元がキリリと引き締まって見える。美人に見える。

<ら抜き>言葉はすっかり一般化した。こうなると(ら抜きでない)普通の言葉を話すだけで、カッコよく見える。<食べれる><着れる>を、<食べられる><着られる>とアタリマエの日本語を使うだけでスマートに見える。頭がよく見える。ウソだと思ったら試してみるといい。

缶詰

2021-05-08 16:47:36 | 日記
肉が無くなる・・・という噂が流れた。敗戦前の話ではなく、開戦前のことだ。理由は、肉類は兵隊さん用に多く使われるからといったようなものだったと思う。反対の言葉もあった。デマに騙されるな、肉の業者が値段をつり上げるために噂を流しているのだ、というもので、それが政府の声明だったかどうかは私にはわからない。言うまでもなく、噂は真実となった。

わが家でも買い溜めをした。対象は肉の缶詰であって、コンビーフと牛肉の大和煮が納戸に積まれた。前にも書いたが、私のイタズラが過ぎると祖母は私を納戸に押し込めることがあった。某日、また私は祖母の怒りにふれて納戸に入れられた。その仕置に多少馴れて来ていたのか、私は納戸の内部をゆっくりと観察した。当然に缶詰の山が目に入った。コンビーフも大和煮も大好きだった。めったに食卓には出てこないが、味は知っていた。そのうち私は大和煮の1缶を手に握っていてた。それを納戸のドアの上半部にある曇りガラスにめがけて投げつけた。以後、私が納戸に入れられることはなかった。

次女は、身体によい食品の話をよくする。中のひとつに、サバの缶詰があって、家人がサバ缶飯なるものを作った。いわゆる炊き込みご飯であるが、食べる前に私は、それなら缶詰をおかずにして白飯を食べる方がマシだと思った。炊き込みだと、味付けは缶詰の汁になるだろうから、何かギトギトしたイヤな味になるだろうと予想した。しかし結果は違った。意外に旨いのだ。私は米飯を1碗食べることは滅多にないが、サバ缶飯は昼食に1碗食べた。これで、身体がよくなると思ったが、一度だけではそうはいかないのだろう。今日も腰は痛い。

繁華街

2021-05-08 16:38:33 | 日記
このコロナ危機の中、GWの各地の人出は・・・というように、あちこちの繁華街がテレビで紹介される。東京なら銀座4丁目の角、渋谷のスクランブル交差点、新宿駅近くなどが映される。どこも私の記憶とは違う。当然のことであって、東京の中心街なんか、もう何十年も行っていないのだ。

世田谷に長く住んでいたこともあって、学生時代からずっと渋谷がホームグラウンドだった。道玄坂の右側に小さな路地があって、恋文横丁と呼ばれていた。進駐軍の米兵と恋仲になった女性がいる。米兵が帰国してしまって、うまく連絡する方法がない。その米兵あての恋文を代筆するオジサンがいた。そこから名付けられた、入り組んだ道だった。それを登り詰める少し前に<頂好(テンハウ)>という、中国人夫婦が営む小料理店があって、その店で呑むパイカルが私の酒を強くしたことは前に書いた。

銀座は家人が好きだった。結婚前の家人は茨城に住んでいて、東京でのデートの待ち合わせ場所は、たいていは渋谷だったが、時々それが有楽町駅になった。フランク永井さんが唄った『有楽町で逢いましょう』が大ヒットした頃である。この歌の第2章に<ああ、小雨に煙るデパートよ>とあるが、これは関西から東京銀座へ進出して来た阪急百貨店のことだった。家人は銀座は、ただ歩くだけでも満足するようなところがあった。私の銀座は、六大学野球の慶早戦で、慶應が勝ったときにみんなでビールを呑みに行く場所だった。サラリーマン時代には下請会社の若社長で青学OBのMさんによく案内された。Mさんは、私の何倍も東京をよく知っていた。

繰り返すが、現在の東京を全く知らない。それでもテレビのニュースで路上呑みとやらを見るとガッカリする。しかし、一方でそうなるだろうなぁとも思う。