叔父の妻だった和子さんの旧姓は山田だった。子供の頃は自分の名前がイヤで仕方がなかったと言っていた。小学校の算数の教科書に「山田和子さんの家から近くのバス停までは250メートルある。バス停から銀行までは300メートル・・・」といったように、自分の名が出てきたりして、そのたびに恥ずかしい思いをしたという。そいえば、私も小学校時代に、「山田一郎君の家から・・・」なんていう書き方が教科書にあったのを憶えている。日本には、山田さんも和子さんもたくさんいる。
和の文字を<かず>という名前以外にあるだろうか。<わ>と読むのは、平和、講和、和睦、温和、和風・・・といくつもあるが、<かず>は思い浮かばない。山口瞳さんは<和>を<かず>と読むのは難しい読みだと書いている。
若い頃(50歳まで)は和食が好きだった。パンより飯、である。パンはどこか菓子みたいな感じを持っていた。我が家では、朝食はパンと決めていたのは祖父だけだった。ついでに、卵は半熟だった。ほかの家族はごはんに目玉焼きだった。
30、40代のころに和服を着ていたことがある。むろん家の中だけである。安物のウール地で家人が布地を買ってきて、当時住んでいた公団住宅の近所の人が縫ってくれた。会社から帰って和服に着替えると体が軽くなるような気がした。肩の凝りがとれる感じがあった。長続きしなかったのは、私の身体捌きが下手だったからだ。座ると前がはだけてしまう。麻雀には不向きだ。
酒は30歳頃からウィスキー好みになった。現在も毎晩、スコッチの水割りだ。ツマミは柿ピー、冷ややっこ、煮物など和物がよい。月に一度ぐらい日本酒のぬるカンをもらう。これも旨いが。
和の文字を<かず>という名前以外にあるだろうか。<わ>と読むのは、平和、講和、和睦、温和、和風・・・といくつもあるが、<かず>は思い浮かばない。山口瞳さんは<和>を<かず>と読むのは難しい読みだと書いている。
若い頃(50歳まで)は和食が好きだった。パンより飯、である。パンはどこか菓子みたいな感じを持っていた。我が家では、朝食はパンと決めていたのは祖父だけだった。ついでに、卵は半熟だった。ほかの家族はごはんに目玉焼きだった。
30、40代のころに和服を着ていたことがある。むろん家の中だけである。安物のウール地で家人が布地を買ってきて、当時住んでいた公団住宅の近所の人が縫ってくれた。会社から帰って和服に着替えると体が軽くなるような気がした。肩の凝りがとれる感じがあった。長続きしなかったのは、私の身体捌きが下手だったからだ。座ると前がはだけてしまう。麻雀には不向きだ。
酒は30歳頃からウィスキー好みになった。現在も毎晩、スコッチの水割りだ。ツマミは柿ピー、冷ややっこ、煮物など和物がよい。月に一度ぐらい日本酒のぬるカンをもらう。これも旨いが。