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ある監督

2012-10-18 19:47:38 | 日記
中学2年のとき、学級だけの野球チームを作った。25人の男生徒中10余人が参加した。野球部員は午後の練習があるから除外され、つまりは、ヘボチームであるが、戦う相手も同レベルだ。 監督にはA君を選んだが、これは私の提案だった。A君は小柄であり非力であり、戦力にはなり得なかったが、野球には熱心で、『ベースボールマガジン』を愛読し、ヒイキである巨人の新聞記事を切り抜いたノートを作っていたり、もちろんルール(たとえば私にはよくわからないボークのことなど)にも詳しかった。 私の狙いは、A君が穏やかで優しい性格であることにあった。監督だから守備位置も打順も決めるわけで、そのとき必ず誰かは不服(不満)を思うわけだが、その誰かもA君に向かって、「なんで俺が8番なんだよ!」と文句は言えなかった。 前述のようにA君は細かい作業が得意だから、ヘボ野球とはいえ、スコアブックをつけているから、「おまえ、悪いけど、この5試合、28打数でヒットは5本なんだよなぁ」となって恥をかくだけだ。 そして最も大きいのが、穏やかで優しい彼の性格だった。そういうA君に怒ったりすれば、仲間から、あいつはAがおとなしいのにつけこんで威張るようなイヤなヤツだとみられるのがわかるからだ。 結局はAの監督業は大成功だった。 小・中学校での弱い者イジメが毎日のように報道されているが、そういうものを見聞きするとき、私はふとA君のことを思い出す。みんなが、弱者だった彼を中心にして野球を楽しんだ昔を思い出す。誰とケンカしても負けるであろうA君は、やがて大学の空手部に入って強者になったそうだ。

美少女

2012-10-18 10:05:58 | 日記
兵庫県芦屋の小学校の同級生だったA子は、俗に謂うお人形さんのような美少女だった。芦屋は六甲山から海に向けてなだらかなに広がる、坂の多い街であって、昔は北から順に阪急、省線、国道電車、阪神の4ツの鉄道が走っていたが、豪邸というか金満家の邸宅の多くは阪急線沿いにあって、A子の家も山の手にあった。お嬢さん育ちで下校時には女中さんが迎えに来ていた。当然のことながら、多くの男子生徒の関心はA子にあって、私も1年生のときは同じ教室だったのに、2年になるときのクラス替えで別の組になってしまったときはガッカリした。3年生の途中だったかと思うが、A子はどこか田舎の方へ引っ越した。まだ空襲は激しくなっていなかったが、A子の転居の理由は戦争にあっただろうと思う。 私は小学校1年生の時の集合写真を持っていないが、それがあればと、今でも残念だ。 茨城の中学の同級生だったB子は、切れ長の目、隆美な鼻、ひきしまった口許、色白の肌…とにかく、美少女の条件をそろえていた。私は高校2年になるときに上京したが、その後も茨城の何人かの友人とは手紙の往復があり、やがて高校3年生の夏頃、B子が俳優になると知らされ、ヨシ!と思った。当時、ニューフェイスという言葉があって、謂わば新人女優の第一歩えあり、B子の顔から考えて、松竹のニューフェイスだろうと予想したが、実際は違った。B子は確かに女優になったが、その行先は左翼系として名高いZ座という新劇集団だった。私はガッカリした。そして、私の落胆は悪い予感となって的中する。B子はやがて同じ劇団の男性と結婚し、すぐに離婚する。現在のことは多少差し障りがあるので省略するが、美少女必ずしも幸福を約束されず~の一例か。あるいは、花の命は短くて~なのか。