「おまえ、インディアンカレーって知ってるか?」、昼の休み時間に、教室でA君が声をかけてきた。 私が首を左右に振ると、「じゃあ、俺がおごってやるよ、旨いぞ」とA君が得意顔になった。 昭和27年、私は茨城の県立高校から都会の私立高校に編入学し、新しい友達もできたが、彼らに教わることばかりだった。ボウリング、映画、喫茶店、ラーメン屋・・・すべて彼らに頼っていた。 だからA君のインディアンカレーも、田舎から来た新人への、ひとつの誇らしいプレゼントだった。 カレーの店は青山にあったTで、インディアンの名のつきうそれは、いわばカレー炒飯で、たしかに美味だった。店のレジの横に店員とは異なる服装の少女がいて、A君が「あの子、美人だろう?ここの娘だ」と言った。美人といっても、中学生らしい年齢であり、私には何の興味もなかったが、A君はラブレターでも渡したことがあるのか、熱心に彼女の動作を凝視していた。 それから14年が経って、自動車部品メーカーのサラリーマンになっていた私は、下請け会社の若重役であるBさんとウマが合うというか、仕事以外でも親しい仲になり、酒も麻雀もゴルフも共にした。Bさんは青山学院大のOBであるので、あるとき、インティアンカレーの店Tのことを話してみると、話の展開とともに、世の中どこかでつながっていると知って、おもしろくなった。 あのとき私が見たT店の中学生の少女は、やがて青学に進み、しかも一時期はBさんと恋仲であったというのだ。 Bさんは私より3ツ年下で、同世代の青春を酒のツマミにできたが、特にA君のことを話すと大笑いになった。同時に思ったのが、世の中は狭いということであり、世の中おもしろいということだった。