「あの~、オクジョウはどちらでしょうか?」、幼い坊やの手を引いた和服姿の上品な老婦人に声をかけられた。昼間の横須賀線の中、たしか会社の仕事で東京へ向かってきたときだったと思う。 私の頭の中に「屋上」という2文字がくるくると回る。 むろん電車にも屋根の上はあるけれど・・・と、そのとき突然坊やが泣き出し、半ズボンの裾から液体が流れおちた。 泣く子をなだめながら、老婦人がその場を逃げるように立ち去り、私はオクジョウの意味を考え、かなり時間が経ってから、それが御不浄(ごふじょう)であることに気づいた。 戦前戦中まで、祖母がトイレのことをそう呼んでいたのを思い出したからだった。 家の中で御不浄と言うのは祖母だけで、祖父は「はばかり」、叔父や叔母は「手洗い、お手洗い」だったと思う。 小学校の5年生になって茨城に住むようになってからは、周囲は「便所、お便所」になったが、祖父は「はばかり」、叔母は「お手洗い」を続けていた。 戦後に輸入された言葉の中で最も優れた便利な語は、トイレ(Toilet)ではないだろうか。 この言葉は音が軽いから、ちょっと着飾った女性でも「おトイレ」と小声で言えば、そこそこの品は保たれてしまうだろう。 御不浄は、すでに死語であるが、いい日本語だったと思う。 40年目のあのときの貴婦人は天国に旅立たれただろうが、オモラシ坊やは壮年になっている。 もちろん彼が用を足すのは、御不浄ではなくトイレであるだろう。