中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「生きる」を訪ねてーインドで生活する人たち(インド紀行 3)

2025年02月11日 10時26分00秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/02/12 に作成した記事であることを
               頭に入れてお読みください。)

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(インドで生活する人たち)
一日目は、フマユ―ン廟で、
インド人の用を足す話になってしまった。
二日目はデリーから汽車に乗って、パトナまで行く。
さらに西へ進めばカルカッタになり、
北へ乗り換えると、紅茶で有名なダージリンへ行く。
その先はネパールで、
ヒマラヤ山脈の山々が白い雪をかぶって待っている。

インドは元イギリス領で、
ガンディーがハンガーストライキをして、
独立を果たしたことで有名である。

そのイギリスが残したのが、
インド全土に広がる鉄道網だ。
聞くところによれば、このインドの広軌道の汽車は、
鉄道マニアにとって一度は乗ってみたい列車なのだ。
そんなことを知っていたボクは、
三等車に乗るということだったので、
すこし期待があった。


(鉄道の駅と停車中の列車)

一方で何年も前に読んだ、
インド鉄道旅行の紀行文が頭に残っていた。
つまりインドでは、列車の一番良い席は、
荷物を載せる網棚で、
降りる人を掻き分け乗り込み網棚の荷物を放り出して、
そこに陣取るのが特等席であるという記憶である。

インドの列車は、同じ三等車でも、
上等なほうから数えて三番目の三等と
上等なほうから数えて、六番目、9番目、
十二番目の三等があって、
その内のどの三等かすこぶる興味があった。

十二番目の三等だと、
席は、インド鉄道旅行の網棚がベストなのだが、
品の良い?
(この際そうゆうことにして置こう)同行者に、
カミさんがいるから席の確保が難しくなる。
ボクは生き馬の目を抜くほどすばしっこいが、
カミさんときたら、育ちが兄弟なしの一人娘で、
のんびり、おっとりしている。
子供のころは、親にあれこれ手助けして貰い、
結婚してからは、ボクにおんぶに抱っこしている。
人の波を掻き分け掻き分け、降りてくる人の頭を踏んづけて、
列車に乗り込むことなんてとてもおぼつかないのである。

でも、日本では一流の旅行社が企画したツアーだから、
12番目と言うことも無かろう。
悪くとも六番目の三等車には乗れると思った。
インドの列車は日本と違って、時間通りに発着することは無い。
それでも、時刻どおりに出発ホームにいなければならない。
間違って定刻に出発することもあるからだ。


(駅のホームへの道)

インドについて仕入れた知識の期待通り、
ホームは溢れるばかりの人の波で、
牛は歩いているし、乞食はいる、
物売りは人の波を掻き分けて移動する。
もちろん乗客もたくさん待っている。さすがに人糞はないが、
良く反芻して、良く消化された牛の糞は
ホームのあちこちにドロリと落ちている。
牛はインドでは神のお使いで大切にされ、

日本の徳川将軍綱吉の「生類憐みの令」も
かくやあらんと思われるほどで、

我が物顔に歩いている。
当然のことビーフをインド人は口にしない。

口にしないで思い出したが、
インドにはベジタリアンと言う人たちがいて、
肉食はしない人たちがいる。
ボク達12人のツアーのガイドさんがベジタリアンであった。
よくよく聞くと野菜ばかり食べて、
動物性のものは食べないというわけではなく、
卵や、チーズ牛乳など乳製品は食べるらしい。
ビーフは食べないのに牛乳やチーズは食べるというのも
なにやらいい加減で面白い。

脱線してしまったが、今回利用する列車の三等は、
上等のほうから数えて三番目であった。
すぐ隣のホームには、何番目の三等か知らないが、
三等車(Third Class)と書いた列車が止まっていたが、
この列車も網棚には荷物が載せてあったので、
一番下等の三等ではなかったが、
それでも、日本人から見れば、
難民が乗っているように思われたから、
相当下の等級であることは確かだった。

さて、その上等の三等寝台であるが、
日本の新幹線の向かい合った3人座席の背に
寝台が向かい合って三段あると思っていただきたい。
その脇に通路があり、その向こうの窓際に沿って、
下段中段上段の寝台が作ってある。
列車は広軌道のため、客車の幅がすこぶる広い。


(寝台車の中の様子/暗くて良く写らない)

ベッドはむき出しで、カーテンが在るわけでもない。
ビニールの寝台にシーツをかぶせ、
毛布にシーツをかけて。
体をくるんで寝る。
ベッドの幅は体の横に腕を置ける程度で、
とても寝返りは出来ない。
すこし体を動かすと下に落ちそうになる。

その列車に乗って13時間、デリーからパトナまで
長い距離であるが、移動した。
旅行二日目と言うこともあり、時差の関係でよく眠り、
13時間もただの一眠りで目的地に着いた。


(パトナの真夜中の駅でさえこの人ゴミ)

駅を出ると、早朝にもかかわらず圧倒的な人数の
人ごみが駅で待っている。
12人分の旅行バッグを駅から運ぶ
ポーターがガイドさんめがけて集まる。
ガイドとポーターが値段の交渉をするひと悶着があって、
ポーターは値段はいくらか知らないがしぶしぶ引き受ける。
十億の民は、仕事にありつければ幸せなほうである。
人は溢れて全員が仕事にありつけない。

日本では学生は仕事を選ばなければ、
アルバイト、パートで仕事にありつけるが、
インドでは、学生がアルバイトする余地はない。
そんな仕事がもしあれば、仕事にあぶれている人たちが、
とっくに仕事を奪っていくのだ。
学生が暇にあかせてするような仕事はないのである。


(荷物運びの料金の折衝をするインドのガイドさん)

ボクは自分の旅行カバンを一つ持つのさえ大変なのに、
ポーターたちは軽々と三個も持って
(二個は頭の上一つは手にぶら下げて)
人の波の間をすいすい渡り歩いていく。
二個持つ人、三個持つ人で料金が違うのだろうか、
あるいは一緒なのだろうか?
仕事が売り手市場だから、
気の弱い人は三個でも同じ料金なのかもしれない。


(二つの荷物は頭上に一つは右手にあるポーター)

豊かな日本に育ってぶつぶつ文句ばかり言っている若者達を、
一度インドにポンと降ろして、
「一ヶ月生き延びてみよ」と言いたい。
そして生きることの大切さを実感して欲しいものである。

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出物腫れ物所嫌わず(インド紀行2)

2025年02月08日 19時02分11秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/02/04 の記事であることを頭に入れてお読みください。)

(出物はれ物、ところ嫌わず)
人は生きるために食べる。
食べれば出さなければならない。
その出物の話である。


(フマユーン廟)


(フマユーン廟2)

(フマユーン廟入り口)

初日はデリー観光である。フマユ―ン廟へ行った。
廟と言うからにはお墓である。
廟は広大な敷地に緑の芝生、南国の木が植えられており、
石造りの壁に囲まれ、石を組み立てた城を思わせる。
世界遺産のタージマハルといえば、
すぐ想像していただけると思うが、
その原型となった廟である。

フマユーン廟へ石段を登り中に入ると、
大理石造りの石棺が置いてある。
これはレプリカで本物は地下にあるという。
盗掘を恐れたのだ。


(レプリカの墓石1)

古代遺跡には、お墓のレプリカが多く、
本物は盗掘を恐れて別の場所にあるものが多い。
代表的なのがエジプトのピラミッドである。
クフ王のピラミッドの中には石棺があるが、
石棺に到達するまでの間に、迷路のように長い坂道があり、
玄室に入る直前には、
腰をかがめなければ通り抜けられない箇所がある。
腰をかがめているから、
活動が制限される。
動きが悪くなるすぐその先は落とし穴があり、
遥かな闇の先に、奈落の底が待っている。
その落とし穴をクリヤーして、
誰も入ることは出来ないような厳重な通路を抜けて、
やっと目的地に到達する。
しかしその先には、お墓のレプリカしかないのだ。
本物の王の墓は、瓦礫の山の下、王家の谷に並んでいる。


(レプリカの墓石2)

インドの王のお墓も同じくレプリカである。
フマユーン廟の出口の通路は、石が敷き詰めてあり、
両側は見事に手入れされた芝生が広がり、
その庭には転々と無憂樹が植えられていて、
インドの庭とはこんなに美しいものかと思わせる。
とても広い。

フマユーン廟の良く手入れされた芝生の端に
何人かのインド人がしゃがんでいるのを見た。
最初は何をしているのかと不思議に思った。
芝生の手入れをしているのか?
でも少しおかしい。
手が動いているわけでもなく、
通路を通る人を見渡す表情が得もいわれないのである。
恥ずかしそうで、情けなさそうで、
なんとも言えない表情である。

インドで公衆トイレを見かけることは無かった。
インド人の家にはトイレが無い(?)ように感ずる。
ホテルや大きなレストランはともかくトイレが見当たらない。

世界第二次大戦で敗戦直後の日本のようなものである。
野山がトイレである。
インド人の服装は男女を問わず上着のすそが、
ひざの上まであるものが多い。
しゃがんで用を足すとき、
上着が地面に垂れ下がり下半身が隠れるように出来ているが、
こんな格好をしているときは用を足しているときである。

男も女も同じしゃがんだ格好で大小の用を足す。
観光地であろうと、道路上であろうと、
ところ嫌わずである。

今回の旅は、観光地で有名なゴールデン・トライアングルでなく、
釈迦の一生を追う仏教遺跡を訪ねる旅であったので、
インド人の生活を良く見ることが出来る田舎を訪ねる旅であった。

田舎へ行けば行くほど、郊外レストランも無く、
ガソリンスタンドも無く、ドライブインも無く、
勿論公衆便所も無いので、トイレは止むを得ず、
「あおぞらトイレ」になる。

観光バスが通ってきた道路の右側が男性、
左側で女性が用を足す場所だ。
男性は道路わきで立ったまま用を足せばよいが、
女性はそうは行かない。
サトウキビ畑の向こう側まで行って、
道路側から見えないところで用を足すことになる。

(バスの通った道)

最初に書いたように、なんと言っても十億の民が居る国。
どこへ行っても人が居る。
ということは、どこもトイレであるから、
日本と違って、どこに落し物があるか分からない。
用を足してきたご婦人の靴に、
インド人の落し物がべったり着いてくる。


夜バスを走らせると、
ヘッドライトに浮かぶ道路脇にしゃがんだご婦人が
急いで裾を上げる姿が目に付く。
一リットルほどの水の入った容器を持っているので
何をしていたかが想像できる。
インド人はお尻を紙で後始末しないで、
一リットルの水をお尻に流し、
左手で洗い清めるのである。


(インドの市街地の喧騒)

トルコでもそうであった。
日中は道路より奥まった、
人から見えないところで用を足すが、
さすが夜には蛇なんかも居るので、
道路より奥には入れないから、
道路端で用を足す。

それも町外れが一番多いことは誰にも想像できる。
ある時、町外れで用を足すことになった。
女性はガソリンスタンドにある
たった一つのトイレを使うことになったが、
男性は青空トイレとなった。
ボクは人生経験が長いから、
こんな時恥ずかしいという気持ちは無く、
出るものが出るのは、
当たり前と言う気持ちのほうが強いので、
バスから降りて二三歩の道端で用を済ます。


(路線バスの乗客たち)

ヘッドライトの明かりの中の方が
足元が良く見えて危険が無いからだ。
その代わり、用を足している姿を、
他人が見ようとすれば丸見えになる。
でも、80歳に手が届こうとするおっさんの、
用を足す姿を見るほど余裕のある人はいない。
自分のことで精一杯のはずである。
道端には雑草が生い茂っているが、
一歩前に進めば見られる心配は無いが、
決して一歩前に進んではならない。

80年近く生きていると、
こんな時、誰も見るわけが無いと平気でいられる。
しかし男性でも、すこし恥ずかしがり屋は、
少し離れたヘッドライトが届かない場所で、
しかも一歩前に進んで草むらの中で用を足す人も居る。
そんな人は、用を足す人の心理に沿って用を足すので
(つまりインド人も日本人も
恥ずかしいということは同じであるらしく、
同じ場所で同じ行動をするので)

足元に気付かず、インド人の落し物をいやと言うほど、
しっかり踏みつけてくることになる。
日中ご婦人方が経験してきたことを、
見ていれば分かりそうなのに、注意不足は仕方が無い。
生きていくものは、
生きるために食べなければならないし、
食べれば必ずその滓(かす)を出さなければならないのである。
いやはやこの旅は一体どういう事になるのだろうか?
先が思いやられる。

(ゴミから食べ物をあさる子共)

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インド旅行ー副題 生きるを訪ねて(インド紀行 1)

2025年02月06日 16時10分48秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/01/13 の旅行記事です)

(インド旅行)
生きるを訪ねてインドを旅してきました。
インディラ・ガンディー国際航空から外に出ると、人人人・・・・、
十億の民の視線を浴びました。
なんと沢山の人たちがいるのだろう、
夜でもありそのままホテルへ。

(インディラ・ガンディー空港)
(インディラ・ガンディー空港到着の日航機)

翌朝、テロ事件があったばかりのデリーを観光。
12人のツアー客に3倍ほどの物売りが殺到しました。
それもやや汚れたTシャツにサンダル履き。
加えてもっと汚れた衣装を身につけ、
裸足で、髪は汚れ、何か言いながら、
汚れた手を差し出す子供たちの群れ。

(汚れた手で物乞いをする子供)

何を言っているのかガイドさんに聞くと、
当たり前のことだがインドの言葉で
「おめぐみを!」 と言っているとの事。
これについては、観光客の自主にお任せしますと、
最初に念を押されていた。 

その他注意されていたのが、衛生上の問題。
コレラ、マラリア、下痢、発熱。
 旅行準備の注意書きにもあったが、飛行機が飛び立つ前に、
一人当たり50枚の消毒用のアルコール綿を旅行社から手渡されていた。
生水はもちろんのこと、生野菜のサラダ、皮をむいた果物、
アイスクリーム、フレッシュ牛乳、etc.
火を通さないものは絶対ダメ。

歯磨き、うがいも、購入したミネラルウォーターで、
それこそホテルのドアーから、トイレのドアー、
列車バスの乗り降りの取っ手まで、触れたら消毒をする。
もちろん食事前の手の消毒は言うまでも無い。
ツアー客の三分の二は旅行中に下痢症状を訴えると言う。

「おめぐみを」の声を無視していると、
猿の手のような汚い手で触ってきて注意を惹こうとする。
物売りはしつこく食い下がってくるが、
ガイドさんは同じインド人として仲間だから、
「向こうへ行け!!」
とは云えませんという。

イギリス領であったインドは、おおよそ誰もが英語を話せ、
理解できるというので、
「ノー!」と追い払ったつもりが、どんどん食い下がってくる。

嫌がらせメールと同じで、
一度反応を示すと、(見込みあり)で、
これでもか、これでもかと、
余計しつこく食い下がってくる。
無視するのが一番良いようである。

物売りはインド人に寄り付かない。
いや寄り付くのだが、誰にも分からないように拒否する。
腕を組んだまま、脇の下で、手のひらを左右に振る。
それを見て物売りは引き下がる。
物売りは、ダメをあらわす仕草の手のひらを振ると、
引き下がっていくが、物乞いの子供は引き下がらない。
やっぱりインド人にはねだらない。

持てるものは、貧しいものに
「おめぐみを」提供するのは当たり前の土地柄。
貧しいものは富める者から「おめぐみを」貰う権利がある国。

ボクがボールペンを胸のポケットに二本挿していると、
(お前は二本持っているが俺には無いからこれは俺のもの)と考える。

五体満足の乞食はまだしも、腰から下の自由が利かず、
体を手で引きずりながら移動する乞食が、
上を見上げて片手を差し出す姿、
大きな澄んだ目で物乞いをされて、
哀れに思わない人はいないに違いない。
こんな乞食の後ろには、五体満足の人が見張っている。
乞食は「おめぐみを」受けるやすぐに、
その管理者(?)に「おめぐみ」を渡している。
子供の乞食の近くには、
親が見張っていたりする。


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トイレ事情(生きるを訪ねてインド紀行)

2024年01月05日 17時51分05秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
日本に来る外国人は、和式トイレに入って、
いわゆる金隠しの上に座って用を足そうとする人がいるそうだ。

上野の谷中(地名:やなか)にある純日本風旅館の主人が語っていた。
この旅館は、日本風であることと、おもてなしの心に溢れた旅館として、
ネット上で欧米人の評判になった旅館である。

銭湯も和式のトイレも、欧米人から見れば変っているもののようだが、
日本を理解する上で、大切なものだそうだ。
湯船に入る前にすそを洗い身体にお湯を流すと聞くと、
途端に安心して湯船に浸かると言う。

欧米のトイレは椅子式で、日本もずいぶん洋式が増えた。
でも、この旅館は和式を洋式に替えることはないという。
勿論、畳に布団をべッドにするなんてことはしない。
隣の部屋との仕切りの襖も、これも壁に替えることはしない。
何故ならこの和式の魅力を感じて泊りに来る外国人が多いからだそうだ。


アジアのトイレ事情は日本人も驚くことが多い。
お隣の中国では、便器に金隠しは無く、
ドアを開けてどちらを向いてかがめばよいか解からない。
日本では、ドアを開いて奥に向って用を足すので、
中国でも同じと思って用を足すと、それは間違い。
中へ入って、ドアー側に向き直り用を足す。
外から外敵に襲われた時の用心だと言う。
ボクが旅行を始めた時の、中国ではドアーが無かった。
衆人の中では、大も小も、とても用は足せない。
一瞬であるが、前立腺肥大を疑った。


次がトルコ。

ここは椅子式の座って用を足す方式。
何が違うかと言うと、用を足した後の始末の仕方が違う。
日本では終わった後、トイレットペーパーでお尻を拭くが、 
トルコでは、紙は無く水道のホースがあり、
ホースをお尻に向けて水を流し、左手で洗う。

古い遺跡を訪ねて、そこに公衆トイレがあった。
ベンチのように長い椅子があり、
ポーランドのアウシュビッツの捕虜収容所のトイレのように、
お尻を乗せるところに丸い穴が幾つも開いている。
穴を覗くと、はるか下のほうに川の流れがあり、
そこへ用を足したものを落とす。
落としたものが水しぶきを上げても、お尻までは届かないほど深い。
川への落し物は、住んでいる魚の餌食(?)になるのだろうか?

用を足した後の始末であるが、座っている足元にせせらぎがあって、
せせらぎから左手で水を掬ってお尻を洗う、
そのように出来ていると、ガイドの方(妙齢な女性)の説明であった。

さて、ここで言う左手と言うのが大切なことで、
トルコ人は食べ物を絶対左手では持たないのである。


(作業に出かける前に座らせたアウシュビッツ強制収容所のトイレ)

(『反戦の願い』の「アウシュビッツ」を参照願います。)


次がインド。

インドではテレビ、冷蔵庫はあっても、トイレは無い。
そう最近のCNNニュースが、(2013.9.30)
「テレビや冷蔵庫はあってもトイレが無い、経済大国インドの現実」の中で、
(スマホは53%普及しているのに、トイレは46%ほど)と伝えている。

インドを旅したとき、トイレ休憩でバスが村はずれの道路上で停まった。
走ってきた道路を境にして、左側は女性、右側は男性のトイレだという。
見渡すと一面の畑で、サトウキビが植えてある。

男性は道路脇で立ちションで済むが、女性はそうは行かない。
止むを得ず、サトウキビ畑の奥で人が見えない所まで行って用を足す。

つまり、公衆便所は見つからない。
ホテルでもあれば心配ないが、それ以外はトイレを見つけることは不可能。
いや不可能ではない、地面があれば何処でもトイレだから、
地面は全て、どこもかしこもトイレと考えた方が良い。

夜道をバスで行くと、道路脇から一リットル缶を持った人が、
道路に上がってくるのに出会う。
用を足した人だ。
走っているうちに何人にも出会う。
なんと言っても人口13億人のお国である。

インドでは地上の何処にも人はいる。

(インドのトイレ事情については、
 「生きるを訪ねてインド紀行2」
 次回を ご期待ください。)

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ハワイの思い出ーハワイアン・ウエディング・ソング(Hawaiian Wedding Song)

2020年05月06日 17時15分26秒 | 海外旅行
(2015/8/1 )
暑い陽射しの中、PM13:00頃、家から散歩に出ました。

十メートルも歩かないうちにどっと汗が出て、引き返そうかと思ったほどでした。

今日も予想では猛暑日になりそうです。

日陰を選んで歩くのですが、家に帰るまでの一時間の内、

日差しの中は25%、十五分程度ですが、

家に帰ると汗で着ていたものが搾れるくらいになります。



その日は近所のスーパーの日陰でハワイアン・ミュージックのイベントがあり、

生演奏のベースギター、ウクレレが2人、エレキギターでハワイの音楽を奏で、

前には三名のダンサーが居て、フラダンスショウを見せていました。

ついハワイアンの音楽に聞きほれて、立ち止まりました。



思えば、結婚して七年目に良い仕事をしたと言うので、

会社からご褒美に「ハワイ旅行」に夫婦で参加の案内がありました。

ちょうど二人目の子供が二歳になったばかりで、

カミさんは行けなかったので、ボク一人で参加しました。

ボクを入れて総勢33人で、その他はみんなカミさん連れで、つまらなかった10日間の思い出。

これが最初のハワイ。



その後、二回目のハワイは、

第一次オイルショックのあと、省エネがどのように進んでいるかの調査に、

(調査は建前で、業績が良かった人7名のご褒美)

アメリカに一か月間の出張。2月から3月に掛けてでした。

シカゴ、ワシントン、ニューヨーク、カナダ、ナイヤガラ、ラスベガス、グランドキャニオン、テキサスのヒューストン、

ニューオルリーンズ、サンフランシスコ、ロサアンジェルス、最後にハワイから日本へ。

出張の仕事はその間、一週間程度。



三回目のハワイ。

勤続30周年のお祝いで夫婦そろって会社からの労(ねぎら)いで、

10日間のハワイ旅行、お小遣いに30万円付き、これは出張手当?

ボクは通算ハワイ滞在30日。

思い出は、やはりカミさんと一緒の三回目が多い。


思い出1は、

ビュイックのリムジンの送迎で、翌日オアフ島一周観光。

途中、運転手さんの友達が経営しているパイナップル農園で休憩、

冷たいパイナップルを戴いて食べたパイナップルの美味しかったこと。

パイナップルをボクはそれまで缶詰でしか食べたことが無かったので、

こんなに美味しいものかと感激したこと。


思い出2は、

エルビス・プレスリーのブルーハワイで有名になったハナウマ・ベイ。

透き通る海に点々と見える青いサンゴ礁、群れ泳ぐ魚に、千切ったパンを自分の手から食べさせたこと。

海で遊んでいる間、一時間後には帰ってくるからとタクシーを待たせたこと。

どのように英語で話したか覚えていないが、英語を話すボクにカミさんが目を白黒させて驚いたこと。

こんな特技があったのかと思ったのか、変な英語を話していると思ったのか・・・。

それは知らない。


(ブルー・ハワイ)


思い出3は、

マウイ島のしだの洞窟を見学の時、二人で洞窟から出てきたら、出口でギターをかき鳴らし、

声高らかに、朗々と唄ってくれたハワイアンのウエディング・ソング。

サプライズと感動で、この時はチップ(御祝儀)をはずんんでしまった。


(思い出3)
(ハワイアン・ウエディング・ソング)


思い出4、

ハワイ島の火山で、さめて黒くなった岩の下に赤く流れる溶岩、

その黒い予熱のある岩の上に立たせてカミさんの写真を撮った事。


思い出5、

今までコーヒー豆は、茶色なものと思っていたし、

マメはえんどう豆のように莢(さや)の中にあるものと思っていたが、

マメは枝に並んでついていて、色も艶のある緑だったり赤い色だったりしたのには驚いた。



そして強烈な最後の思い出、

ハワイ島から飛行機でオアフ島に帰るに当たって、

ハワイ島の観光を終えて飛行場についたら、乗客が溢れていて、

それもどの顔もすごく緊張しているのに出会ったことだ。

どうしたのかと搭乗口に行くと、ボクたちが乗る飛行機の一つ前に離陸した飛行機に事故があって、

空の上で客席の屋根が飛んでしまった。

乗客はシートベルトをしていたので全員助かったが、

シートベルトをしていなかったCA(キャビンアテンダント)が上空で放り出された。

後に映画になったこの事故に、一つ間違えば乗っていたかもしれない。



こんなことを思い出しながら、暑いのに30分もハワイアンを聞き入ってしまった。

そしてもう一度、ハワイへ行きたくなった。

美味しいパイナップル、

太平洋戦争のきっかけになったパール・ハーバー、

香りの良いコナ・コーヒー、

サンセット・ディナー・クルーズ、

数えだしたらきりがない・・・。


しかし、体力面から希望は叶わないに違いない? 

だろうか・・・。


アロハオエ


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ブーメラン/オーストラリア 最終章(初めての海外旅行 最終章)

2017年03月04日 04時46分59秒 | 初めての海外旅行
Photo_2

(ブーメラン)

子供の頃、江戸川乱歩が書いた、シドニー、メルボルンを
舞台に妖怪が出てくる探偵小説を読んだ記憶がある。

ついこの間まで、オーストラリアの首都は、
メルボルンであると思い込んでいた。
メルボルン・オリンピックの所為だ。
ところが、シドニーでオリンピックが開催されるや、
なんだ 首都はシドニーだったかと考え直した。

そしてオーストラリアを旅するに当たって、
最初に着陸する空港がブリスベーンで、
ここが首都であることを知った。
地理に疎いボクの知識はこんなところである。

着陸したブリスベーンの街に入って、
すぐ朝食の時間になる。
一寸街に入ったら、川べりに出た。
はるか向こうに熱気球がいくつか空に浮かんで、
ゆっくりと進んでいる。
その川べりの東屋ですこし休憩しようと思ったら、
先客がいた。
ホームレスである。

文化の進んだ白人社会にホームレスがいるとは、
思いもよらなかった。
この時がアメリカ以外の国への、
初めての海外旅行であったので、
驚きは大きかった。
第一日本が世界第二位の経済大国であるなど考えもしなかったから、
白人社会のホームレスも予想外の出来事であった。
オーストラリアの旅はこんな出来事からスタートした。

オーストラリアは御承知の通り、羊の国でもあるので、
ツアーの中に農場見学、羊の毛刈りのショウも入っていた。
グリーン農場と思ったがここで昼食とブーメラン飛ばしと
羊飼いの羊の柵への追い込みショウが、
今日一日の予定になっていた。

昼食を早めに食べ終えて、
農場に出ると数頭の犬が鎖に繋がれている。
いかにも精悍な面構えである。
こんな精悍な犬に吠え立てられたら、
羊も怖くて逃げ回るのも当たり前と思っていた。

犬よりもさらに精悍な面構えの、
羊飼いのお兄さんが、
革のジャンパーに皮のズボンをはいて、
手にはブーメランを持って、
幅広のカウボーイハットをかぶり出てきた。
近くに来ると背の高い手のひらの大きい、
そのカウボーイのごつごつした手の指には、
ごつい塊の銀の指輪が入っていた。

唇に指を当て口笛を吹くと、何処からともなく一団の羊が
音もなく近寄ってきた。
もう一度口笛を吹くと、羊たちの後ろで犬たちが大忙しで
駆けずり回っているのが見える。

次の笛で犬たちは伏せをした。
そこで羊飼いのお兄さんが説明をする。
口笛の吹き方で、伏せ、右回り、左回り、
と言うように、犬に命令をします。
犬に追いかけられる羊たちを、
必要な柵の中に追い込むためです。
牧童の口笛に従って、犬たちは右往左往する。
説明は英語だ。
カミサンに何をしゃべったか話してあげる。

ボクは当初、
犬たちは自らの考えで各々協力し合って、
柵へ羊を追い込むものと思っていた。
主人の意向を汲んで、
犬たちが勝手に動くはずは無く、
考えてみれば牧草地はいくつもあって、
牧草を食べつくすと次の牧草地へ移動するのであるから、
次は何処と犬たちに分るはずも無い。
それにしてもよく飼いならされた犬たちである。

一団の羊たちが柵に追い込まれると、ブーメランを飛ばす。
飛ばしたブーメランがまた自分の手元に戻ってくる。
これは移民したイギリス人が、
本国で飛ばし方を習ってきた訳ではない。
もとはというと、オーストラリアに居住していた先住民の
アボリジニが行っていたものである。

それを移民してきたイギリス人が習い覚えたものである。
早稲田大学の物理学教授の話によれば、
空体力学から簡単に解明出来るそうだが、
飛ばす物体の空気抵抗力、浮揚力を利用しているから、
吹いている風に向かって約45℃の角度で投げると、
物体は飛んでいって戻ってくるらしい。

その旅行の時期、ちょうどボクは、昔は40肩、50肩と言い、
今では栄養事情がよくなったのか、60歳頃になると起きる
肩の上げ下げさえ覚束ない痛みに耐えていた時期であった。

今では60肩。それがすこし良くなった時期であったが、
ブーメランくらいは飛ばせるものと思っていた。
「誰か、やって見ませんか?」と言われて、すぐ飛びついた。

しかし、肩の痛みは思ったほど好転していなくて、
残念ながらブーメランを飛ばすどころか
地面に叩きつけることになってしまった。
意気揚々と名乗り出て、
カミさんに良いところを見せようと思ったのに、
無残な姿を披露して、
みんなの失笑をかってしまったのは、
いかにも残念であった。

悔し紛れに、日本に帰ってから、
もう一度チャレンジするつもりで、
自分へのお土産にブーメランを買ってきたが、
ついに飛ばしたことも無く、今では本箱の上で埃を被っている。

(おわり)


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ロブスター・ディナー/オーストラリア 5(初めての海外旅行 9)

2017年02月25日 04時46分05秒 | 初めての海外旅行

(ロブスター・ディナー)
その夜は、ロブスター・ディナーと名づけた
旅行社御自慢のディナーが用意されていた。
料理で有名なフランスでは「オマールえび」と言い、
日本名では「ウミザリガニ」といい、
えびの仲間では最大級とされる。
ちなみに「イセエビ」はスパイ二ー・ロブスター(「棘のあるロブスター」)と言うらしい。

ボク自身はエビ・カニの類はあまり好きでない。
ボクに言わせれば、味も素っ気もないからである。
しかし生きているエビとカニを刺身で食べるのは好きだ。
食感がよいからである。

レストランに着くと、一つのテーブルに六組12名が着席する。
ウエイターの方が大皿に生きた海老を一匹乗せて、
六組の皆さんに見せた。
大きなロブスターである。
日本では、海老の大きなものと言えば「イセエビ」であるが、
この海老は実に大きい。背の部分に手を乗せてみたが、
手のひらを一杯に広げても背中を持ち上げることが出来ない。

両のハサミが動いているがこれだけでもカミさんの
手のひらくらいはある。
ボクは大きさにビックリしたが、カミさんは早く食べたいらしく、
もうにこにこしている。

皿が下げられ、12の山に分けられた12人分の刺身と共に
まだ動いている頭の部分が出て来た。
尻尾の部分だけで12人分ある。
ボクたち夫婦を除けば、
あとの五組はそれぞれ新婚さんである。
新婚で胸が一杯なのか、
生ものはお腹に悪いからなのか、
今夜のことが気に掛かっているのか、
新婚さんたちは誰も箸をつけない。
ボクは何十年か前の新婚旅行を思い出したが、
その話はいずれお話したいと思います。


ボクたち夫婦だけが醤油をつけて、
今思い出すとわさびがあったかどうか忘れたが、
オーストラリアのフルーティなワインと一緒に
自分たちの分は瞬く間に平らげた。
美味しいことこの上もない。
こんな美味しいものが他にあるだろうか?と思うくらい。

しかしあとの五組はまだ誰も箸をつけない。
こんな時、年を経た人生経験豊かなボクたちにかかってはたまらない。
皆さんにお尋ねして、残っている刺身を頂戴したが、
さすがに12人分は食べ切れなかった。
 
ウエイターの方が残りを下げに来て、
「この頭と足と手をこれから茹でて持ってきますので、
しばらくお待ちください」と言った。

その後、同席の皆さんに新婚旅行か?
どちらから来たのか?
恋愛結婚か?
お見合い結婚か?などなど、
ねほりはほり聞いているうちに、
頭の部分が茹で上がってきた。

新婚さんの皆さんは殆ど手を出さない。
ボクとカミさんが両の剪部分を採って食べたが、
カミさんの握りこぶしほどの大きさの剪みはさすがに食べ出があった。

ボクの人差し指ほどの太さの海老の足を、
一本づづ取って、皮を剥いてやって、
新婚さんに手渡して、
「美味しいから食べてごらん」と無理やり食べさせた。

すこし食べて、元気を出して、二人だけの静かな夜を
迎えて欲しいからだ。
余計なことだが・・・

それにしても、大きければ大味だと言うのに、
あんなに大きかったのに、
ロブスターの美味しかったこと、
未だに忘れることが出来ない。

世界遺産なんて、くそ食らえ!!

このロブスターだけのために、
もう一度、オーストラリアに行きたいものである。


(つづく)



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南十字星/オーストラリア 4(初めての海外旅行 8)

2017年02月18日 04時45分13秒 | 初めての海外旅行
Scrux21

(南十字星)
サザ―ンクロス=Southern Cross
英語はやはりこの方が分りやすい。
「南十字星」のことだ。
昔から日本では外国語に憧れがあるのか、
外国語の使いたがり屋が多い。

サザーンクロスが気になって、
同名のゴルフ場に行ったことがある。
今でもあるかどうか知らないが、伊豆にあった。
ごく普通のゴルフ場であったことを覚えている。

北半球にいる日本人にとって、
「南十字星」は憧れの星座である。
南半球に行ったら何が何でも見てこないと、
話にも何もならない。
しかし期待が大きすぎると、がっかりしてしまうことが多い。

代表的な例が東尋坊。
(その地方の方には、申し訳ありませんが)
写真やテレビ画面で見ると、
すごい断崖絶壁がえんえんと続くように見える。
しかし行ってみると、断崖絶壁はほんの一部しかない。
ツアーには、永平寺がつき物になっているから、
こちらの古刹で我慢することになる。
修行する坊さんの姿、立ち居振る舞い、
毎日の生活などなど興味尽きない。

観光地にはこうしたところが結構ある。
今まで旅して(沢山したわけではないが)案内パンフレットや
ガイドブックを読んで期待して、旅をして、
期待通りであったところは、
カナダとスイス、カンボジアのアンコールワット、
エジプトのピラミッドであった。

南十字星に戻る。
人家が少なく、電灯の光が少ないオーストラリアの星空は、
プラネタリュウムを見ているように、星が瞬いている。
当たり前のことだ。

ガイドさんに聞いたら、すぐに教えてくれた。
ホテルに帰るために乗るバスの横で。

何でバスが出てくるかと言うと、
ガイドさんが指差して教えてくれた。
「真上に見える星がそうです」という。
「どれですか」観光客が集まってきた。
「なんですか?」
「いえ、南十字星がどれだか教えてもらっているのです」
とボク。
「バスの屋根の端にある星を南十字星といいます」
「線を引くと台形に見えるあの四つの星?」とボク。
「そうです縦(たて)横(よこ)に線を引くと
クロスに見えるでしょう」
ボクの想像では、星座そのものは、もっと大きなもので、
輝きも素晴らしいものを予想していたのに、
バスの屋根の端に懸かる四つの貧弱な星。
Cruxnikko1
(南十字星はどれでしょうか?)

バスがなかったら、探すのに時間にして十分以上
かかったに違いない。
手をかざしてみると、なんと手のひらに入るくらいの大きさ。
ボクに言わせれば「なーんだ、あんな小さなものか」
感動も何もありはしない。

カミさんにも教えたが、
どれだどれだと、なかなか分かってもらえない。
そんな星座。
教えてもらわないで、憧れのままにしておいて貰った方が、
よほどロマンティックであった気がする。

(つづく)



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ペンギン・パレード/オーストラリア 3(初めての海外旅行 7)

2017年02月11日 04時44分01秒 | 初めての海外旅行
Lrg_122261241

(ペンギン.パレード)

カミさんに急かされて、ペンギンパレードを見に行く。

海岸近くの潅木が密生している場所へ着く。
日本の湿原に在るような板でできた通路があり、
その木道を通って砂浜に出た。

沢山の観光客が波打ち際から
20メートルほど離れたところに蹲っている。
ここでペンギンのパレードが見られると言う。
ボクの好奇心が先ほどからうずうずしている。

どうしてこの海岸でペンギンがパレードするのだろうか?
疑問はこの一点にある。
アナウンスでペンギンが来てもフラッシュをたいて
写真を撮らないで下さい。と放送が繰り返されている。
周りを見ると観光客は殆どが日本人ばかり。
しかも若くて可愛いカップルばかり。
ボクたちのような年配者は殆ど見かけない。

フラッシュと一緒になぜ写真を撮ったらダメなのか、と考えているうちに、
続いてアナウンスがある。
「フラッシュでペンギンが失明する恐れがありますので、
絶対にフラッシュを焚いて写真を撮らないで下さい。」
なるほどとボクも納得する。

陽は殆ど落ちていて、今まで群れを成していたカモメも
姿を消した。

すると海の波に乗って、
白い魚なのか鳥なのか見分けのつかない物体が浮き上がってきて、
うねっている波に乗っている。
やがて波が砂浜に打ち寄せると同時に、
その生き物は砂浜に立ち上がった。

ペンギンである。

写真を撮ってはいけないといわれると、
この貴重な一瞬をカメラに収めたいと思うのは、
カメラを持つものの共通の思いなのだ。
今のカメラは、光が不足すると
自動的にフラッシュを焚くように出来ており、
暗くてもフラッシュを焚かない設定ができるようになっているが、
暗くてその設定がままならないので、
ボクはシャッターをきるのを諦めていた。

すると誰かがシャッターをきったのであろう、
フラッシュが光った。
すると係員が飛んできてカメラの所有者に文句を言っている。
英語だから何を言っているのかわからないが、
注意をしていることだけは、口調でわかる。
当然のことだ。ペンギンが失明でもしたら、このイベントは
永久に中止させられることは明らかだ。
それほど自然を大切にする国だからである。

その一例に、
飛行機から降りて入国する前に、
入国申請書に、今までに日本で農業に従事していたか?
と質問があるくらいだ。
どうしてこんな質問があるのかというと、
靴や衣服に日本の雑草の種などがついており、
それがオーストラリアに落ちて、
オーストラリアの自然を変えることを恐れているからだと言う。

入国審査の窓口についても、
食べ物の持込みについてチェックされる。
持ち込む人と持ち込まない人は、
審査窓口が違っていたように思う。

その昔、イギリス人が移住してきた時、
虫が異常に多かったので、
天敵としての蛙を、イギリスから持ち込んだ。
するとこの蛙が瞬く間に異常繁殖して、
オーストラリア全土に広がり、
生態系を替えたことが悔やまれての措置である。
いまだに蛙は繁殖が続いているらしい。

話がそれたが、ペンギンは次から次へとやってきて、
時には群れを成して、
波打ち際に立ち、列を組んで右側の方へ歩いていく。
右側とは、先ほど注意をした係員がいる
方向へである。

そのあと何処へ行くのか?

しばらくして、ペンギンが砂浜へ来なくなってしまった。
辺りは月明かりで思ったより明るい。
ガイドさんの帰宅の掛け声で、
みんな一斉に立ち上がりペンギンパレードは終わる。
木製の板道を歩きながら、脇を覗いてみると、
何か蠢くものがいる。
暗闇に目を凝らすと、先ほどのペンギンたちである。
思い思いに毛づくろいをしている。

木道の脇のブッシュは、ペンギンたちの棲家である。
彼らが海で餌を取り、巣に戻ってくるところを、
人間様が大勢で見に来ているのだ。
立って歩く珍しい鳥、ペンギンの行動だから見世物になる。
これがカラスの行動だとしたら、
何人の人が見に来るのだろうか?
頭の中で笑ってしまった。

旅はこれだから楽しい!

帰り道で、南十字星がどれなのか教えてもらった。

(つづく)

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有袋類=お腹に袋を持った動物ーオーストラリア 2(初めての海外旅行 6)

2017年02月04日 04時42分55秒 | 初めての海外旅行
(有袋類=お腹に袋を持った動物)
哺乳類の中で有袋類といえば、
最初に頭に浮かぶのが
カンガルー。
0004
(交尾しているカンガルー)

オーストラリアでは、放し飼いになっているといえば、
人間が飼っているようであるが、そうではなく野生なのだ。

夜、高速道路に出てきて、車とぶつかる。
体重は何十キロとあるから、衝突した自動車は大破するし、
時には搭乗者が大怪我をするだけでなく、
搭乗者が命を落としかねない。

そこでグリルガード(ラジエーターグリルの前、
フロントバンパーの上につける)が発明され、
取り付けられることになった。
日本では装飾品として取り付けられるが、
オーストラリアでは実用品であり、
命を守るための必需品でもある。

有袋類で有名な動物の第二は、コアラ。
最も有名なのが パンダ。
これは中国に住む。

コアラがカンガルーと基本的に異なるのが、お腹の袋の付き方。
カンガルーの袋は上が(親の胸の方が)開いている。
しかし、コアラは下のほうが(親の胸の方は閉じており、
両足の付け根の方が)開いている。
どうして下向きに付いているのだろうか?
Relay1
(コアラ)

ここからが本題。
コアラはユーカリを食べて生活している。
ところがユーカリは毒性があって、
親のコアラはその毒性を口にしても、
お腹の中で解毒消化している。

ところが、生まれたばかりの赤ちゃんコアラは、
体内に解毒作用をする器官がないか消化酵素が無いか
いずれにしろ解毒消化出来ないという。
成獣になって、ユーカリの毒素を解毒出来るようになるらしい。

それでは、
「食事をするとき子供のコアラはどうするのか?」というと、
親コアラが採って毒性を消化したユーカリを食べて大きくなる。

つまり、親コアラが食事のユーカリを食べ毒性を
消化して排泄する。
その排泄物を食べるという。
お腹の袋が逆さまに付いている理由がよく理解できる。

子のコアラは親のお腹にある袋の中で大きくなる。
親が食べて、消毒したユーカリを排泄する排泄物の出口から
子供は食事をして大きくなるというのだ。

だから、カンガルーと違って、お腹の袋の出入り口が
逆さまについており、
子のコアラが食事を採りやすいように出来ているのだ。

自然の摂理とはいえ、神様は細かいところに気を配って、
お創りになったものだ。

(つづく)


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