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中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「生きる」を訪ねてーインドで生活する人たち(インド紀行 3)

2025年02月11日 10時26分00秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/02/12 に作成した記事であることを
               頭に入れてお読みください。)

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(インドで生活する人たち)
一日目は、フマユ―ン廟で、
インド人の用を足す話になってしまった。
二日目はデリーから汽車に乗って、パトナまで行く。
さらに西へ進めばカルカッタになり、
北へ乗り換えると、紅茶で有名なダージリンへ行く。
その先はネパールで、
ヒマラヤ山脈の山々が白い雪をかぶって待っている。

インドは元イギリス領で、
ガンディーがハンガーストライキをして、
独立を果たしたことで有名である。

そのイギリスが残したのが、
インド全土に広がる鉄道網だ。
聞くところによれば、このインドの広軌道の汽車は、
鉄道マニアにとって一度は乗ってみたい列車なのだ。
そんなことを知っていたボクは、
三等車に乗るということだったので、
すこし期待があった。


(鉄道の駅と停車中の列車)

一方で何年も前に読んだ、
インド鉄道旅行の紀行文が頭に残っていた。
つまりインドでは、列車の一番良い席は、
荷物を載せる網棚で、
降りる人を掻き分け乗り込み網棚の荷物を放り出して、
そこに陣取るのが特等席であるという記憶である。

インドの列車は、同じ三等車でも、
上等なほうから数えて三番目の三等と
上等なほうから数えて、六番目、9番目、
十二番目の三等があって、
その内のどの三等かすこぶる興味があった。

十二番目の三等だと、
席は、インド鉄道旅行の網棚がベストなのだが、
品の良い?
(この際そうゆうことにして置こう)同行者に、
カミさんがいるから席の確保が難しくなる。
ボクは生き馬の目を抜くほどすばしっこいが、
カミさんときたら、育ちが兄弟なしの一人娘で、
のんびり、おっとりしている。
子供のころは、親にあれこれ手助けして貰い、
結婚してからは、ボクにおんぶに抱っこしている。
人の波を掻き分け掻き分け、降りてくる人の頭を踏んづけて、
列車に乗り込むことなんてとてもおぼつかないのである。

でも、日本では一流の旅行社が企画したツアーだから、
12番目と言うことも無かろう。
悪くとも六番目の三等車には乗れると思った。
インドの列車は日本と違って、時間通りに発着することは無い。
それでも、時刻どおりに出発ホームにいなければならない。
間違って定刻に出発することもあるからだ。


(駅のホームへの道)

インドについて仕入れた知識の期待通り、
ホームは溢れるばかりの人の波で、
牛は歩いているし、乞食はいる、
物売りは人の波を掻き分けて移動する。
もちろん乗客もたくさん待っている。さすがに人糞はないが、
良く反芻して、良く消化された牛の糞は
ホームのあちこちにドロリと落ちている。
牛はインドでは神のお使いで大切にされ、

日本の徳川将軍綱吉の「生類憐みの令」も
かくやあらんと思われるほどで、

我が物顔に歩いている。
当然のことビーフをインド人は口にしない。

口にしないで思い出したが、
インドにはベジタリアンと言う人たちがいて、
肉食はしない人たちがいる。
ボク達12人のツアーのガイドさんがベジタリアンであった。
よくよく聞くと野菜ばかり食べて、
動物性のものは食べないというわけではなく、
卵や、チーズ牛乳など乳製品は食べるらしい。
ビーフは食べないのに牛乳やチーズは食べるというのも
なにやらいい加減で面白い。

脱線してしまったが、今回利用する列車の三等は、
上等のほうから数えて三番目であった。
すぐ隣のホームには、何番目の三等か知らないが、
三等車(Third Class)と書いた列車が止まっていたが、
この列車も網棚には荷物が載せてあったので、
一番下等の三等ではなかったが、
それでも、日本人から見れば、
難民が乗っているように思われたから、
相当下の等級であることは確かだった。

さて、その上等の三等寝台であるが、
日本の新幹線の向かい合った3人座席の背に
寝台が向かい合って三段あると思っていただきたい。
その脇に通路があり、その向こうの窓際に沿って、
下段中段上段の寝台が作ってある。
列車は広軌道のため、客車の幅がすこぶる広い。


(寝台車の中の様子/暗くて良く写らない)

ベッドはむき出しで、カーテンが在るわけでもない。
ビニールの寝台にシーツをかぶせ、
毛布にシーツをかけて。
体をくるんで寝る。
ベッドの幅は体の横に腕を置ける程度で、
とても寝返りは出来ない。
すこし体を動かすと下に落ちそうになる。

その列車に乗って13時間、デリーからパトナまで
長い距離であるが、移動した。
旅行二日目と言うこともあり、時差の関係でよく眠り、
13時間もただの一眠りで目的地に着いた。


(パトナの真夜中の駅でさえこの人ゴミ)

駅を出ると、早朝にもかかわらず圧倒的な人数の
人ごみが駅で待っている。
12人分の旅行バッグを駅から運ぶ
ポーターがガイドさんめがけて集まる。
ガイドとポーターが値段の交渉をするひと悶着があって、
ポーターは値段はいくらか知らないがしぶしぶ引き受ける。
十億の民は、仕事にありつければ幸せなほうである。
人は溢れて全員が仕事にありつけない。

日本では学生は仕事を選ばなければ、
アルバイト、パートで仕事にありつけるが、
インドでは、学生がアルバイトする余地はない。
そんな仕事がもしあれば、仕事にあぶれている人たちが、
とっくに仕事を奪っていくのだ。
学生が暇にあかせてするような仕事はないのである。


(荷物運びの料金の折衝をするインドのガイドさん)

ボクは自分の旅行カバンを一つ持つのさえ大変なのに、
ポーターたちは軽々と三個も持って
(二個は頭の上一つは手にぶら下げて)
人の波の間をすいすい渡り歩いていく。
二個持つ人、三個持つ人で料金が違うのだろうか、
あるいは一緒なのだろうか?
仕事が売り手市場だから、
気の弱い人は三個でも同じ料金なのかもしれない。


(二つの荷物は頭上に一つは右手にあるポーター)

豊かな日本に育ってぶつぶつ文句ばかり言っている若者達を、
一度インドにポンと降ろして、
「一ヶ月生き延びてみよ」と言いたい。
そして生きることの大切さを実感して欲しいものである。

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出物腫れ物所嫌わず(インド紀行2)

2025年02月08日 19時02分11秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/02/04 の記事であることを頭に入れてお読みください。)

(出物はれ物、ところ嫌わず)
人は生きるために食べる。
食べれば出さなければならない。
その出物の話である。


(フマユーン廟)


(フマユーン廟2)

(フマユーン廟入り口)

初日はデリー観光である。フマユ―ン廟へ行った。
廟と言うからにはお墓である。
廟は広大な敷地に緑の芝生、南国の木が植えられており、
石造りの壁に囲まれ、石を組み立てた城を思わせる。
世界遺産のタージマハルといえば、
すぐ想像していただけると思うが、
その原型となった廟である。

フマユーン廟へ石段を登り中に入ると、
大理石造りの石棺が置いてある。
これはレプリカで本物は地下にあるという。
盗掘を恐れたのだ。


(レプリカの墓石1)

古代遺跡には、お墓のレプリカが多く、
本物は盗掘を恐れて別の場所にあるものが多い。
代表的なのがエジプトのピラミッドである。
クフ王のピラミッドの中には石棺があるが、
石棺に到達するまでの間に、迷路のように長い坂道があり、
玄室に入る直前には、
腰をかがめなければ通り抜けられない箇所がある。
腰をかがめているから、
活動が制限される。
動きが悪くなるすぐその先は落とし穴があり、
遥かな闇の先に、奈落の底が待っている。
その落とし穴をクリヤーして、
誰も入ることは出来ないような厳重な通路を抜けて、
やっと目的地に到達する。
しかしその先には、お墓のレプリカしかないのだ。
本物の王の墓は、瓦礫の山の下、王家の谷に並んでいる。


(レプリカの墓石2)

インドの王のお墓も同じくレプリカである。
フマユーン廟の出口の通路は、石が敷き詰めてあり、
両側は見事に手入れされた芝生が広がり、
その庭には転々と無憂樹が植えられていて、
インドの庭とはこんなに美しいものかと思わせる。
とても広い。

フマユーン廟の良く手入れされた芝生の端に
何人かのインド人がしゃがんでいるのを見た。
最初は何をしているのかと不思議に思った。
芝生の手入れをしているのか?
でも少しおかしい。
手が動いているわけでもなく、
通路を通る人を見渡す表情が得もいわれないのである。
恥ずかしそうで、情けなさそうで、
なんとも言えない表情である。

インドで公衆トイレを見かけることは無かった。
インド人の家にはトイレが無い(?)ように感ずる。
ホテルや大きなレストランはともかくトイレが見当たらない。

世界第二次大戦で敗戦直後の日本のようなものである。
野山がトイレである。
インド人の服装は男女を問わず上着のすそが、
ひざの上まであるものが多い。
しゃがんで用を足すとき、
上着が地面に垂れ下がり下半身が隠れるように出来ているが、
こんな格好をしているときは用を足しているときである。

男も女も同じしゃがんだ格好で大小の用を足す。
観光地であろうと、道路上であろうと、
ところ嫌わずである。

今回の旅は、観光地で有名なゴールデン・トライアングルでなく、
釈迦の一生を追う仏教遺跡を訪ねる旅であったので、
インド人の生活を良く見ることが出来る田舎を訪ねる旅であった。

田舎へ行けば行くほど、郊外レストランも無く、
ガソリンスタンドも無く、ドライブインも無く、
勿論公衆便所も無いので、トイレは止むを得ず、
「あおぞらトイレ」になる。

観光バスが通ってきた道路の右側が男性、
左側で女性が用を足す場所だ。
男性は道路わきで立ったまま用を足せばよいが、
女性はそうは行かない。
サトウキビ畑の向こう側まで行って、
道路側から見えないところで用を足すことになる。

(バスの通った道)

最初に書いたように、なんと言っても十億の民が居る国。
どこへ行っても人が居る。
ということは、どこもトイレであるから、
日本と違って、どこに落し物があるか分からない。
用を足してきたご婦人の靴に、
インド人の落し物がべったり着いてくる。


夜バスを走らせると、
ヘッドライトに浮かぶ道路脇にしゃがんだご婦人が
急いで裾を上げる姿が目に付く。
一リットルほどの水の入った容器を持っているので
何をしていたかが想像できる。
インド人はお尻を紙で後始末しないで、
一リットルの水をお尻に流し、
左手で洗い清めるのである。


(インドの市街地の喧騒)

トルコでもそうであった。
日中は道路より奥まった、
人から見えないところで用を足すが、
さすが夜には蛇なんかも居るので、
道路より奥には入れないから、
道路端で用を足す。

それも町外れが一番多いことは誰にも想像できる。
ある時、町外れで用を足すことになった。
女性はガソリンスタンドにある
たった一つのトイレを使うことになったが、
男性は青空トイレとなった。
ボクは人生経験が長いから、
こんな時恥ずかしいという気持ちは無く、
出るものが出るのは、
当たり前と言う気持ちのほうが強いので、
バスから降りて二三歩の道端で用を済ます。


(路線バスの乗客たち)

ヘッドライトの明かりの中の方が
足元が良く見えて危険が無いからだ。
その代わり、用を足している姿を、
他人が見ようとすれば丸見えになる。
でも、80歳に手が届こうとするおっさんの、
用を足す姿を見るほど余裕のある人はいない。
自分のことで精一杯のはずである。
道端には雑草が生い茂っているが、
一歩前に進めば見られる心配は無いが、
決して一歩前に進んではならない。

80年近く生きていると、
こんな時、誰も見るわけが無いと平気でいられる。
しかし男性でも、すこし恥ずかしがり屋は、
少し離れたヘッドライトが届かない場所で、
しかも一歩前に進んで草むらの中で用を足す人も居る。
そんな人は、用を足す人の心理に沿って用を足すので
(つまりインド人も日本人も
恥ずかしいということは同じであるらしく、
同じ場所で同じ行動をするので)

足元に気付かず、インド人の落し物をいやと言うほど、
しっかり踏みつけてくることになる。
日中ご婦人方が経験してきたことを、
見ていれば分かりそうなのに、注意不足は仕方が無い。
生きていくものは、
生きるために食べなければならないし、
食べれば必ずその滓(かす)を出さなければならないのである。
いやはやこの旅は一体どういう事になるのだろうか?
先が思いやられる。

(ゴミから食べ物をあさる子共)


インド旅行ー副題 生きるを訪ねて(インド紀行 1)

2025年02月06日 16時10分48秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/01/13 の旅行記事です)

(インド旅行)
生きるを訪ねてインドを旅してきました。
インディラ・ガンディー国際航空から外に出ると、人人人・・・・、
十億の民の視線を浴びました。
なんと沢山の人たちがいるのだろう、
夜でもありそのままホテルへ。

(インディラ・ガンディー空港)
(インディラ・ガンディー空港到着の日航機)

翌朝、テロ事件があったばかりのデリーを観光。
12人のツアー客に3倍ほどの物売りが殺到しました。
それもやや汚れたTシャツにサンダル履き。
加えてもっと汚れた衣装を身につけ、
裸足で、髪は汚れ、何か言いながら、
汚れた手を差し出す子供たちの群れ。

(汚れた手で物乞いをする子供)

何を言っているのかガイドさんに聞くと、
当たり前のことだがインドの言葉で
「おめぐみを!」 と言っているとの事。
これについては、観光客の自主にお任せしますと、
最初に念を押されていた。 

その他注意されていたのが、衛生上の問題。
コレラ、マラリア、下痢、発熱。
 旅行準備の注意書きにもあったが、飛行機が飛び立つ前に、
一人当たり50枚の消毒用のアルコール綿を旅行社から手渡されていた。
生水はもちろんのこと、生野菜のサラダ、皮をむいた果物、
アイスクリーム、フレッシュ牛乳、etc.
火を通さないものは絶対ダメ。

歯磨き、うがいも、購入したミネラルウォーターで、
それこそホテルのドアーから、トイレのドアー、
列車バスの乗り降りの取っ手まで、触れたら消毒をする。
もちろん食事前の手の消毒は言うまでも無い。
ツアー客の三分の二は旅行中に下痢症状を訴えると言う。

「おめぐみを」の声を無視していると、
猿の手のような汚い手で触ってきて注意を惹こうとする。
物売りはしつこく食い下がってくるが、
ガイドさんは同じインド人として仲間だから、
「向こうへ行け!!」
とは云えませんという。

イギリス領であったインドは、おおよそ誰もが英語を話せ、
理解できるというので、
「ノー!」と追い払ったつもりが、どんどん食い下がってくる。

嫌がらせメールと同じで、
一度反応を示すと、(見込みあり)で、
これでもか、これでもかと、
余計しつこく食い下がってくる。
無視するのが一番良いようである。

物売りはインド人に寄り付かない。
いや寄り付くのだが、誰にも分からないように拒否する。
腕を組んだまま、脇の下で、手のひらを左右に振る。
それを見て物売りは引き下がる。
物売りは、ダメをあらわす仕草の手のひらを振ると、
引き下がっていくが、物乞いの子供は引き下がらない。
やっぱりインド人にはねだらない。

持てるものは、貧しいものに
「おめぐみを」提供するのは当たり前の土地柄。
貧しいものは富める者から「おめぐみを」貰う権利がある国。

ボクがボールペンを胸のポケットに二本挿していると、
(お前は二本持っているが俺には無いからこれは俺のもの)と考える。

五体満足の乞食はまだしも、腰から下の自由が利かず、
体を手で引きずりながら移動する乞食が、
上を見上げて片手を差し出す姿、
大きな澄んだ目で物乞いをされて、
哀れに思わない人はいないに違いない。
こんな乞食の後ろには、五体満足の人が見張っている。
乞食は「おめぐみを」受けるやすぐに、
その管理者(?)に「おめぐみ」を渡している。
子供の乞食の近くには、
親が見張っていたりする。



トイレ事情(生きるを訪ねてインド紀行)

2024年01月05日 17時51分05秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
日本に来る外国人は、和式トイレに入って、
いわゆる金隠しの上に座って用を足そうとする人がいるそうだ。

上野の谷中(地名:やなか)にある純日本風旅館の主人が語っていた。
この旅館は、日本風であることと、おもてなしの心に溢れた旅館として、
ネット上で欧米人の評判になった旅館である。

銭湯も和式のトイレも、欧米人から見れば変っているもののようだが、
日本を理解する上で、大切なものだそうだ。
湯船に入る前にすそを洗い身体にお湯を流すと聞くと、
途端に安心して湯船に浸かると言う。

欧米のトイレは椅子式で、日本もずいぶん洋式が増えた。
でも、この旅館は和式を洋式に替えることはないという。
勿論、畳に布団をべッドにするなんてことはしない。
隣の部屋との仕切りの襖も、これも壁に替えることはしない。
何故ならこの和式の魅力を感じて泊りに来る外国人が多いからだそうだ。


アジアのトイレ事情は日本人も驚くことが多い。
お隣の中国では、便器に金隠しは無く、
ドアを開けてどちらを向いてかがめばよいか解からない。
日本では、ドアを開いて奥に向って用を足すので、
中国でも同じと思って用を足すと、それは間違い。
中へ入って、ドアー側に向き直り用を足す。
外から外敵に襲われた時の用心だと言う。
ボクが旅行を始めた時の、中国ではドアーが無かった。
衆人の中では、大も小も、とても用は足せない。
一瞬であるが、前立腺肥大を疑った。


次がトルコ。

ここは椅子式の座って用を足す方式。
何が違うかと言うと、用を足した後の始末の仕方が違う。
日本では終わった後、トイレットペーパーでお尻を拭くが、 
トルコでは、紙は無く水道のホースがあり、
ホースをお尻に向けて水を流し、左手で洗う。

古い遺跡を訪ねて、そこに公衆トイレがあった。
ベンチのように長い椅子があり、
ポーランドのアウシュビッツの捕虜収容所のトイレのように、
お尻を乗せるところに丸い穴が幾つも開いている。
穴を覗くと、はるか下のほうに川の流れがあり、
そこへ用を足したものを落とす。
落としたものが水しぶきを上げても、お尻までは届かないほど深い。
川への落し物は、住んでいる魚の餌食(?)になるのだろうか?

用を足した後の始末であるが、座っている足元にせせらぎがあって、
せせらぎから左手で水を掬ってお尻を洗う、
そのように出来ていると、ガイドの方(妙齢な女性)の説明であった。

さて、ここで言う左手と言うのが大切なことで、
トルコ人は食べ物を絶対左手では持たないのである。


(作業に出かける前に座らせたアウシュビッツ強制収容所のトイレ)

(『反戦の願い』の「アウシュビッツ」を参照願います。)


次がインド。

インドではテレビ、冷蔵庫はあっても、トイレは無い。
そう最近のCNNニュースが、(2013.9.30)
「テレビや冷蔵庫はあってもトイレが無い、経済大国インドの現実」の中で、
(スマホは53%普及しているのに、トイレは46%ほど)と伝えている。

インドを旅したとき、トイレ休憩でバスが村はずれの道路上で停まった。
走ってきた道路を境にして、左側は女性、右側は男性のトイレだという。
見渡すと一面の畑で、サトウキビが植えてある。

男性は道路脇で立ちションで済むが、女性はそうは行かない。
止むを得ず、サトウキビ畑の奥で人が見えない所まで行って用を足す。

つまり、公衆便所は見つからない。
ホテルでもあれば心配ないが、それ以外はトイレを見つけることは不可能。
いや不可能ではない、地面があれば何処でもトイレだから、
地面は全て、どこもかしこもトイレと考えた方が良い。

夜道をバスで行くと、道路脇から一リットル缶を持った人が、
道路に上がってくるのに出会う。
用を足した人だ。
走っているうちに何人にも出会う。
なんと言っても人口13億人のお国である。

インドでは地上の何処にも人はいる。

(インドのトイレ事情については、
 「生きるを訪ねてインド紀行2」
 次回を ご期待ください。)


物価とトイレの話(中国紀行 最終章)

2020年07月22日 20時08分11秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(竹林)
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(生活)
高速道路の両側には、モダンな三階建ての一戸建て
住居が並ぶのが目に付く。
農家の住居である。

前回訪問したときは、
毛沢東時代の古い五階建てのマンションが
沢山建っており、エレベーターはなく、
足ベーターで階段を登っていた。
日本でも五階建て以下はエレベーターを設置する
義務がないそうだから同じ状況である。
トイレは、水洗でなくおまるを使っていた。
用がすんだ後どのように処理していたのかは知らない。
今でこそ、観光客は西洋式の水洗トイレで用を足せるが、
少し前までは、ドアーもないトイレであったと友人から聞いた。
そんな時、回りの中国人が(日本人が用を足している)とばかりに
ワーッと集まって覗きに来たという。
なんだか、戦時中の日本における、
天皇がお手洗いに入ったと
びっくりしている様子に良く似ている。
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(蘇州ー運河の様子)

中国のトイレは、日本の和式便器に似ているが、
キン隠しがない。
だから、ドアーから入って奥を向いて用を足すのか、
あるいはドアー側を向いて用を足すのか、
どちらを向いて用を足すのか解らない。
和式では、ドアーを開けて奥を向いて用を足すが。

ガイドさんに聞いてみると、
中国では、ドアー側を向いて用を足すそうである。
その昔、ドアーのないトイレの名残りで
その習慣が付いているのであろうか。
そのせいか、中国の公衆トイレは、
入り口のドアーの鍵がかからないトイレが多かったが、
用を足している最中に前面から覗かれても陰部を見せない、
あるいは用を足している無防備な状態で、
後ろから襲われないためなのかも知れない。

中国人はつい最近まで
前面ドアーがないトイレを使用していたから平気であるが
(もっともいつも鍵をしないボクも平気であるが)
通常の日本人は気になるところではある。
田舎へ行けば隣りとの仕切りのないトイレもあるようだが、
ボクはこのトイレにまだ出くわしていない。

しかし、生活は大都市と田舎とはそれなりの格差があるようだ。
北京上海など大都会では、電気も煌々とついているが、
一歩田舎に入ると、電柱すらなく、
電気のない家庭が沢山ある。
これはインドでもアフリカでも同じであった。

それに比べると日本はお金持ちの国に見えるに違いない。
どんな田舎に行っても、
電灯がついていないところはないからだ。

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(長江)
日本ではどんなに貧乏でも、
アジア地域に出て行けば、豊かな生活が出来る。
日本では、老後を年金では生活に足りない額でも、
アジア地域では、お金持ちの生活が出来るという。

たとえば、広大な敷地に一軒家を借りて、
ドライバー二名、ハウスキーパー二名を雇って、
タイでは、一ヶ月22万円の生活費ですむという。
東京の生活費の80%で、カナダ、ニュージーランド、
オーストラリアの生活ができる。
また、友人がスペインへ移住して12年経つが、
年金で十分まかなっている。
市長さんあげて大歓迎とのことだ。

中国では、大都市で生活しても、
東京の生活費の20%もあれば、十分やっていける。
いや、豊かな生活が出来ること請け合いだ。
ただ、発展のスピードが生半可ではないから、
生活水準があっという間に変わって、
こんなはずではなかったと後悔する日が来ることは、
意外に早いかもしれない。
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(いたるところで行われる太極拳)

定年になって昨年で10年になるが、53カ国を旅して、
物価が高いと感じたのは、
シンガポールぐらいのものだから、
東京で豊かな生活をしている人たちは、
ロンドンだろうと、パリだろうと十分生活できる。

物価高の点では日本は他の国に負けることはない。

(2002年の紀行)



京劇(中国紀行 7)

2020年07月22日 20時07分23秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(京劇)

北京滞在中、京劇を見るチャンスに恵まれた。
恵まれたとはいえ、
中国語は(さようなら、一から十までの数、有難う、水、)しか知らない。
中国語が解らなければ、
京劇を見ても、ただの踊りくらいにしか思えないに違いない。
それにしても、折角のチャンスだから、
見てみようということになって、劇場に行った。

その昔、ニューヨークのブロードウエイで見た、
ミュージカル「Dancing」も歌の意味はさっぱり解からず、
結局は踊り?(どうも言葉がふるい。
この際は、ダンスというべきか)を観たという結果になった。
ボクは劇場まで徒歩で行ったが、劇場の入り口では、

運転手つきのリンカーンやキャディラックの
超豪華車のしかもリムジンで乗り付ける、
金持ちの姿を垣間見ることが出来た。
それも一台や二台ではない。
次から次へと車はやってきて、運転手は車を止めるや、
急いで降りて、後ろのドア―を開ける。
車から降りてくるレディは、ふわふわの毛皮のストールに、
殆ど胸の開いたドレスに身を包んでいる。
女性は若くて、背が高く、
白人だから当然だが、色が透き通るように白い。
ハイヒールがとてもよく似合う。

これまた、背の高い素敵な男性が、
ビシッとスーツを着込んで、女性をエスコートして行く。
この光景は、ボクには映画に出てくる一シーンにしか思えなかった。

夕方18時頃から始まるので、
ボクはサンドウィッチを持って、
劇場の中で食べればよいと思っていたが、
とてもそんな雰囲気ではない。
結局サンドイッチは何も手をつけずホテルまで持って帰り、
ホテルでビールと一緒にカミさんと寂しく食べた。
しかし、あのリムジンで来た人たちは、
きっと二人で高級レストランに行き、
これまた高級ワインかシャンペンで乾杯して、
食事をしたのだろうと想像される。

さて、北京の京劇の方は、PM8:00頃の開演。
席に着くとイヤ・ホーンを沢山持った人が来て、
流暢な日本語で京劇の解説をしながら、
セリフを日本語に同時通訳してお聞かせできます。
金額は忘れたが○○元(記憶では500円ほど)であるという。

その他に、舞台の袖に字幕スーパーが英語と中国語で表示されるという。
カミさんはイヤ・ホーンを借り、
ボクは英語なら何とか解ると、何もなしで見ることにした。

京劇は「項羽と虞美人が、別れるくだりで、
四面楚歌の場面」であった。
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」
海音寺潮五郎「中国英傑伝」
陳瞬臣「中国の歴史1~7巻」「小説十八史略1~6巻」
を読破しての中国旅行であったので、
このシーンは頭の中に入っていて、解りやすかった。

英語の字幕スーパーも、分かり易かったが、
中国語も漢字で表記されるから、
漢字を知っている日本人には意味が汲み取れる。

四面楚歌のシーンは有名である。
城を敵の楚軍に包囲され、
包囲網を切り開いて単身逃げ延びようとする項羽は、
虞美人を如何したら良いか、思い悩むシーンだ。

「虞よ、虞よ、汝を如何せん!」と。

(京劇1)


虞美人は、自分が足手まといになってはならぬと、
自殺をする。

「自殺する」を「自刎する」と本には書いてある。
日本の武士が自殺する方法は「切腹」であるが、
その方法は知っているが、「自刎」の方法は知らない。

刀を両手にささげ、首をその刀の上に落とすと、
首が切れたらしい。

(京劇2)


カミさんのイヤ・ホーンが途中で聞こえなくなったという。
良くしたもので、手を上げると、
先ほどイヤ・ホーンを貸した、お兄ちゃんが飛んで来て、
チェックすると聞こえるようになった。

京劇の演技そのものは、
多分「歌舞伎」のようなものと表現するのが、
一番早そうであるが、
残念ながら「歌舞伎」は見たことがない。

一度だけ猿之助の「スーパーカブキ」なるものを見たが、
これはサーカスみたいなものである。
古典芸能で見たことがあるのは「能」。
ボクがたとえることが出来るのはこの「能」のようです。
というのが正しそうである。

それにしても食事の後であったから、
ニューヨークのように食事の心配をしないで、
リラックスして見られたせいか、
ボクにはとてもよい印象に残った。
(京劇3)


北京で上海雑技団ならぬ北京雑技団の公演も観たが、
いつかまたの機会にお話したいと思います。

これは2004年北京を訪ねた折の話です。

お茶ー近くて遠い国(中国紀行 6)

2020年07月22日 20時03分49秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(お茶)
何度も書いるが、ぼくの頭の中によほど印象に残っているのであろう。
パール・バックの「大地」、英文では{Good Earth}、
これを大学一年の夏休みに、
初めて原書に手をつけて読んだので、すこぶる強烈に記憶に残っている。
それは物語の出だしが、大層印象的であることも手伝っている。

その物語の冒頭は、
貧農の主人公が朝暗いうちに起きだして、お湯を沸かし、
家の奥から流れて来る父親の咳を聞きながら、
お茶を入れるシーンである。

「コンコン」と咳き込む咳の音を英語では
「cough cough」と表現するとか、
お茶を入れるシーンでは、
カールしたお茶の葉が器の中で、
柔らかく開いていく記述に、
中国ではお茶の葉を茶碗に入れてお茶を飲み、
お茶の葉も食べるのだなあ、
とか新しい発見をしたものである。

今年(2006)三度目の中国を訪れて、
茶碗の中に直接入れたお茶の葉が、
お湯を注ぐと開いていくさまを観察できたが、
この時初めてパール・バックの「大地」にある、
お茶の著述を体感した。

このお茶は江沢民氏から、
エリザベス英女王に送られたといういわく付のもので、
本来緑茶は、いったん蒸したお茶の葉を素手で揉み、
乾燥させたものであるが、
このお茶は摘んだものを、
そのまま緑色が変わらぬ程度に焙烙(ほうろく)で炒ったものである。
お茶屋さんに入ると、このお茶を炒る匂いが充満していて、
ほうじ茶を思い出させるが、
暑い日には私たち見学者を爽快な気分にさせてくれる。

一番茶、二番茶とお茶の入れ方など聞きながら、
入ったお茶をいただくのであるが、
長年胸中に温めていた中国茶への憧れからか、
とてもおいしくお茶をいただいた。
これは中国でのお茶を売るためのデモンストレーションで
あることがわかっている人たちは、
「一番茶、三缶で一万円!」といわれても、
誰も返事をしないし、素知らぬ振りである。
売り手もなれているとみえ、
三缶がやがて四缶になり、5缶になって、
さらに二番茶が一缶オマケについて一万円になる頃、
本当に買いたい人が
「オマケを二番茶でなく一番茶にしてくれません?」と言う。
売り手は困った顔をするが、
やがて折れる。
見学者十数人の中で、
一人でも商談が成立すればOKと全員が腰を上げる。
こんな光景が旅行中に何度かあるのは、
疲れる。

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さて、この銘茶の生産地には、お茶の博物館があり、
その横にお茶畑がある。
一番茶とは、春になり最初に出た芽を摘んだものが一番茶であり、
一番茶を摘んだ後に出るお茶の芽を炒ったものが
二番茶になるという説明である。
一番茶、全部で六缶にしてもらって、
一万円で買ってお茶を帰国後落ち着いてから飲んでみると、
お茶に湯を注ぐと、日本茶ではお湯がグリーン色に変色し、
お茶の香ばしいかおりが広がるが、
このお茶は香りこそすれ、
お湯に色は付かない。
全くの白湯である。

飲んでみれば日本茶と変わりなく、
おいしい。
しかしなんとなく物足りないのは、
食べ物飲み物を目で食べてしまう
習慣が付いているからであろうか?
その事情を説明しながら、お土産として子供たちや、
知り合いに配った。
茶碗に残ったお茶の葉は、
お召し上がりくださいというのも付け加えた。
その後、お茶の緑色が出ないことに不満を感じて、
このお茶の葉を細かく砕いて粉にし、
抹茶のように、一匙茶碗に入れてみると、
緑茶になり、味も豊かで、
ますますおいしく感じた。

こうして、長年抱いていたお茶の葉を食べる
「茶の湯?」に大満足、
イギリスのエリザベス女王に、
このお茶の入れ方を教えて差し上げたいものである。

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上海ー発展のスピード(中国旅行 5)

2020年07月22日 20時00分10秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
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(上海)
(発展のスピード)
二回目に中国を訪ねたのは北京、2003年12月4日のことである。
始めて中国を訪問してから二年後、
高速道路は完備して車の量も
日本と変わりないくらいに多い。
夕方のラッシュアワーの混雑ぶりは、
二年前に香港、しんせん、中山、広州を訪ねた時から比べれば、
倍以上に膨らんでいることが良く解る。
もっとも北京は中国の首都であることを考えれば当たり前
といわれるかもしれない。
(園内のところどころで演奏される楽器3)

話を戻すと、三度目の中国では、その発展スピードに驚嘆する。
住宅は高層ビルが林立し、
車は道路が狭いではないかといわんばかりの渋滞である。
その住宅には建設前から注文が殺到し、
値段は釣りあがるばかりである。
道路を走る車も同じだ。自家用車を持ちたい人が多くて、
車の販売店は車を供給することは出来ても、
ナンバーをつけることが出来ない。
自動車を登録するナンバープレートの製作が間に合わず、
ナンバープレート待ちが続出している状況だ。

販売店における自動車の売り上げ計上システムは、
自動車が登録されて、「一台計上」することが出来る仕組みだから、
自動車販売店はナンバープレート確保が仕事になってしまう。
どんなに車が売れても、ナンバープレートがなく、
登録が出来なければ、売り上げ計上が出来ず、
販売したことにならないからだ。
それよりも、なによりも車を走らせることが出来ない。


それほど車の量は増えている。混雑はそれも大都市の
上海だけではない。田舎に延びる幹線道路はどこまでも
車が途切れることはなく、走行車線を走る観光バスは、絶えず
後続の追越しをかける車に注意が必要なほどである。
中国の経済発展は恐ろしい。二三年先に中国に行けば、
もっと驚く事態になっているに違いない。

あるいは、予測の付かない原因で、驚異の経済発展が,
どこかでつまずいて、不況の真っ只中にいるのかもしれない。

浮動票ではなく、選ばれた優れた政治家が舵取りをして、
不況に突入する前に、
上手に方向転換しているかもしれない。




香港・マカオー遠い歴史を訪ねて(中国紀行 4)

2020年07月22日 19時57分30秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
香港・マカオの1(ワン)、2(ツウ)、3(すり)

前年の2001年12月に白血病、
多発性骨髄腫の治療で
7ヶ月間入院生活を終え、
外国旅行がしたいばかりに、
退院後は衰えた体力回復に、
散歩を少しずつ強化した。
最初は1キロメートルから初め、2キロに増やし、3キロにと
1年後には10キロ歩けるようになり、
疲れも感じなくなってきた。

入院中に抗がん剤の副作用を抑える薬物の副作用で、
糖尿病が悪化し、
糖尿病を悪化させないため、
散歩は欠かすことが出来ない毎日の日課であった。

一心に体を鍛えた甲斐あって、
一年がかりで体力も整い、
さて、東欧のポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーを
訪問しようと、計画を立てたところ、
主治医から待ったが掛かった。

いかに体力が整ったとはいえ、
行き先がすこし遠方過ぎるという。
そこで白羽の矢が当たったのが、
中国の香港マカオ。
ここなら近い。しかも五泊六日で約六万円と旅費も安い。
病み上がり後の旅行にはちょうどよいと
医師の了解を得たのが、
中国訪問の最初であった。

マルコ・ポーロのミニ東方見聞録よろしく出発した。
友人から雑踏の中の香港での注意など聴いて出かけた。
素晴らしい夜景と市街地の雑踏は、
「すり」が横行するところではあるが、
必ず行ってくるように。

交差点で信号を待つときは、
一番前で待ってはならない。
後ろからちょっと押され、
車道へはみ出すところを、親切な中国人が、
危ないと抱きかかえてくれる。
後ろを向いてその親切に対して、
たった一つ覚えた中国語で「謝謝(しぇしぇ)」とお礼を言う。
中国人はにこやかに挨拶をして、
雑踏にまぎれる。

ふと気が付いて、懐に手をやると見事に財布を盗られている。
この手口を{ワン・ツー・スリー}と言うのだ。
友人がやられた例を細かく教えてくれた。

なんでワン・ツー・スリーかと言うと、
ワンは交差点で押す人、
ツーは、それを抱きかかえて掏りを働く人、
それがスリー(すり)の手口だから、
「ワン・ツー・スリー(すり)」というと教えてくれた。

彼が香港へ行ったのは、
香港が中国に返還される前の話であった。

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(街角)

ボクが訪ねた香港は、中国返還後五年が経過していた。
友人が注意したような香港の雑踏はなく、
人通りもまばらな市街地に変わり果てていた。
「ワン、ツー、スリー(すり)」なんて出ようもない寂れようで、
商店の看板だけが異様に歩道にはみ出しているのが印象に残った。

同じ国なのに、中国人の香港入国は、
税関を通過しなければならない。
香港へ入ろうとする中国人は膨大な数で、
税関検査レーンが沢山あるが、
そこに並ぶ中国人も並大抵な数ではない。
観光に来た外国人が、中国人と一緒に税関を通るには、
半日は費やさなければならないほどの人の列である。
そのため外国人は外国人だけの特別レーンがあって、
そこを通り抜ける。
こんな時、平和で治安のよい日本からの来客は、
ほとんどノーチェックで通過できる。
信用とは恐ろしいものである。
この通関事務所に入る前の道路から事務所内、
そして事務所から出た後が、
日本人が置き引き、すりに最も狙われやすい場所のようである。
ガイドさんからたびたびの注意があった。

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(マカオの馬祖閣)

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(アヘン戦争で残った?マカオの天主堂の壁)

一昔前までは、海外ブランドの免税品を買う、
買い物ツアーが多かった香港マカオも、
偽者ブランドが出回り、
また粗悪品で悩まされたニュースを良く知っている昨今の旅行者は、
物売りをからかうことはあっても購入する人はいない。

歩いていても、レストランでも物売りは付いて回るが、
初めから偽ブランドですといって売るケースも散見された。
そんな偽ブランドは、極端に安価で、
フェンディやセリーヌ、グッチやシャネルなど
ボクは良く知らないが、
聴くところによると正価の10%程度の価格であるようだ。
本物と見分けが付かないような商品を、

「ハイ!偽ブランド品よ!」

とお土産にするのも一手かもしれない。




一人っ子政策(中国紀行 3)

2020年07月22日 19時52分06秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(北京の一人っ子政策)

’02年11月中山、広州、深せん、香港、マカオと、
マルコ・ポーロのミニ東方見聞録よろしく旅をして、
返還五年後の香港の衰退と
中国の発展の激しさを知りました。

以前ニュースで見た香港は、
雑踏で身動きできないほどの混雑を予想していた。
また、香港変換の年に訪れた友人の話でも、
人ごみでスリにはくれぐれも注意するよう言われてきた。
けれども、12月も半ばになるというのに、
香港の街は、人影もまばらでスリに注意どころか、すれ違う人もいない。

夜、一番繁華街という地域でもクリスマスが近いというのに、
イルミネーションも寂しく瞬いているという感じであった。

ガイドさんが言う。返還前は、世界の金融市場ということで、
とても賑やかでしたが、今はその面影も見えませんね、と。

その後中国の広州に入ったが、
広州は北京に次ぐ中国の三大都市と言われるほど発展した様子が、
ありありと判る発展振りで、
イルミネーションも香港より派手にきらめいていた。

中国では、「食は広州にあり」といわれるほど、
光州の料理(広東料理)は美味しいとされている。
広州に一泊した夜、中国でも有名なレストランに案内された。
中央に池があり、その周りを建物が囲んでおり、
池とその建物の間に廊下があり、
建物の壁には、今までこのレストランを
訪れた著名人の写真が並んでいた。

日本人では、総理大臣、アメリカの大統領、中国の主席、
映画や劇団の日本人を含む有名俳優の顔が、
これでもかこれでもかと写真入で、
来館年月日と共に張り出してあった。

食事の内容は、味付けが実に淡白で、
どの国の人の舌にも合いそうであったが、
特に美味しいとは感じなかった。

その折、お手洗いに立ち、
お手洗いまで延々と狭い裏廊下を通っていった記憶の方が鮮明である。
何故かというと、その裏廊下の左右に、中華独特の食材が、
生きたまま檻の中や水槽の中に蠢いていたからである。

その一例は、鶏、ウサギ、鴨、蛇、
蛙、鳩、鯰、豚の頭、
ヤギらしい獣の胴体、名も知らぬ獣、
きっとサーズで噂のハクビシンもいたに違いない。

水槽には、海老をはじめ鯉、うなぎ、
名前のわからない魚がうようよ泳いでいた。

その間を通り抜けお手洗いに行ったが、
食後であったからよかったものの、食前であったら、
食欲が減退してしまいそうな食材の山であった。

その一年後の、’03年11月末に北京を訪ね、
僅か一年でさらに発展している中国を見て驚きました。
ボクは中国の戸籍法を調べたわけではありませんので、
確かかどうか判りませんが、
一人っ子政策について、
ガイドさんより聞いた話を綴りますことを、
あらかじめお断りしておきます。

その折、5歳の子を持つ母のガイドさんが、
中国の一人っ子政策について、次のように語っていました。
「中国の一人っ子政策の所為で、
子供ひとりの場合は500元の報奨金+毎月10元の養育費が、
子供18歳まで受けられる。
一人っ子政策のため、子供は父親姓を名乗り、
籍は母親籍に入れる。
さもないと女性が二人目三人目を産んでいるかどうか、
一人っ子かどうか判別できないかららしい。
中国はもともと夫婦別姓だそうだ。
男の籍では、同じ母から、
A男が子供一人、
B男が子供一人、となり、
一人っ子が何人でも出来て、人口減にはならない。

女の籍に入れれば、A男の子供一人、
B男の子二人目、C男の子三人目、
と何人産んだかはっきりする」と、いっていました。

しかし、二人目からは給料の3-10倍の(どういう計算かわからない)
相当重い罰金が科せられるとのこと。
それでも、夫および妻が一人っ子の場合は、
二人目が許されるとのことだ。

この場合、人口増が無いからだ。
二人目からは、相当重い罰金を払うことになるため、
届出をしない。
そうした(日本で言えば)無宿人が何人いるかわからないという。
こんな子は学校にも行けないから、教育も無く、
無法に陥るのが目に見えている。

日本に不法入国をしようとする中国人は、
きっとこんな人達ではないだろうか?

考えれば、二人目以降の人たちは、
なんと不幸なのだろう!

それに比べれば、日本人ほど平和で幸せな環境の中にいる人たちも、
少ないのではなかろうか!
日本人として生まれた幸せを、喜ばずにはいられない。