(一里塚跡の碑)
(大津宿)
2012年3月29日 快晴。気温18℃の予想。
日本橋を出てから48日目である。
JR瀬田駅近くのコンビニでおにぎりをいつものように二個調達して、
昨日の「一里塚跡」の石碑がある信号まで行き、右折する。
この「一里塚跡」について大津市教育委員会の説明、
ボクにとって最初の大津市の説明板がある。
「一里塚跡」、
(一里塚は、徳川幕府が旅人の目じるしに、
江戸の日本橋を基点として、
東海・東山・北陸の三道に一里ごとに設けた塚です。
ここにあった一里塚は、東海道の大津と草津の間に位置するもので、
大きな松の木が植えられた塚でしたが、
東海・東山・北陸の三道に一里ごとに設けた塚です。
ここにあった一里塚は、東海道の大津と草津の間に位置するもので、
大きな松の木が植えられた塚でしたが、
惜しくも明治末期に取り除かれました。
その場所は旧道と広い市道の交差しているこの地点に当たります。
現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています。)
(大津市教育委員会)とある。
昨日「いちりやまばし」を渡ったときに、
「一里山」というから「一里塚」に近いと思ったボクの想像は、
当っていたことが解る。
しかし、案内板の後では、誰も信用してもらえそうにも無い。
旧中山道を歩いてきて、やっと地域の感覚が分かるようになってきた、
と思わざるをえない。大津は中山道69次とした場合、
最後の宿場になり、この歩きが終わりそうになった今では、
(よくできました)と言えるものではない。
旧東海道はこれから京都まで、道路は非常に複雑になっている、
案内書を見る限り、複雑である。
間違えないよう、慎重に歩く必要がある。
一里塚の碑を右折した所に、新しい「道標」がある。
その「道標」には、「祈安全火車往来」とあり、
図の下には「江戸日本橋迄で百二十里余り」、
上に矢印で「三条大橋迄で五里余り」と、
書いてある。 まだ、20km余りあるという事だ。
(一里塚の碑を右折した所にある真新しい「道標」)
道路を旧東海道に沿って歩くと、道路は下り坂になっており、
特に目立った建物も無いが、しばらくして(大江四丁目)の信号に出る。
なお、道は下り坂になっている。
道なりに進むと今度は上りになり、
また下りになっていく。
(下り坂の街道)
(大江四丁目の信号、この先は下り坂)
(次は上り道)
(下り坂)
その内に段違いの交叉点に出るが、
ここには(旧東海道左折)の案内看板があるので、左折する。
次に出た交差点は直進する。少し行くと左に地蔵堂があり、
右に(南無〇〇〇〇〇)の髭文字の石塔があり、お堂が建っている。
その間を抜けて直進する。
次にT字路が横向きになった交叉点に出る。
ここも直進する。
(段違いの交差点、旧東街道左折の案内がある)
(次の交差点は直進)
(写真中央の川の右、道路左の地蔵堂)
(髭文字の題目塔のある阿弥陀堂を右に見て)
(T字路の信号も直進)
つぎはY字路に出るが、ここは右からご夫婦が出てきたのでお尋ねする。
この辺りからは、(瀬田の唐橋に行くのですが)とお尋ねすれば、
意味が通じる。
(旧東海道は右方向です)と回答がある。
右方向へ折れるとき、左側に案内板があるのに気づく。
「旧東海道」と案内はそうなっている。
この案内板がこの後ずいぶん役に立った。
その後も民家が続く旧東海道を進んでいく。
大きなケヤキの木があったり、桧山のバス停があったりして、
街中へ入ったのか大きな交叉点に出て突き当たる。
(先のY字路は右折、左角に旧東海道の案内看板がある。)
(旧東海道の案内)
(左のケヤキ)
(「桧山」のバス停)
(突き当たりの大きな交差点)
通りに出ると、道路向こうに(左旧東海道)の案内がある。
ここにある案内は(左旧東海道)(右旧東海道)の二つの案内があって、
左右どちらへ行けばよいのか迷う。
案内書の地図では、左が正しいが、矢倉立場のように(急がば回れ)で、
右に行った方が正解なのかここでわからなくなる。
通りがかりの叔母さんにお聞きすると、
左折が正解で案内看板にある右折を取ると、
かなり大回りになるとの回答であった。
土地の人にはどの道をとっても、
瀬田の唐橋に抜けることができるのだろうが、
旧東海道を行くには、
行かなければならない道順というものがある。
(左右どちらでも取れる東海道の矢印の案内、ここは左折する)
聞き終わって、左折しようとすると、
その場所は旧道と広い市道の交差しているこの地点に当たります。
現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています。)
(大津市教育委員会)とある。
昨日「いちりやまばし」を渡ったときに、
「一里山」というから「一里塚」に近いと思ったボクの想像は、
当っていたことが解る。
しかし、案内板の後では、誰も信用してもらえそうにも無い。
旧中山道を歩いてきて、やっと地域の感覚が分かるようになってきた、
と思わざるをえない。大津は中山道69次とした場合、
最後の宿場になり、この歩きが終わりそうになった今では、
(よくできました)と言えるものではない。
旧東海道はこれから京都まで、道路は非常に複雑になっている、
案内書を見る限り、複雑である。
間違えないよう、慎重に歩く必要がある。
一里塚の碑を右折した所に、新しい「道標」がある。
その「道標」には、「祈安全火車往来」とあり、
図の下には「江戸日本橋迄で百二十里余り」、
上に矢印で「三条大橋迄で五里余り」と、
書いてある。 まだ、20km余りあるという事だ。
(一里塚の碑を右折した所にある真新しい「道標」)
道路を旧東海道に沿って歩くと、道路は下り坂になっており、
特に目立った建物も無いが、しばらくして(大江四丁目)の信号に出る。
なお、道は下り坂になっている。
道なりに進むと今度は上りになり、
また下りになっていく。
(下り坂の街道)
(大江四丁目の信号、この先は下り坂)
(次は上り道)
(下り坂)
その内に段違いの交叉点に出るが、
ここには(旧東海道左折)の案内看板があるので、左折する。
次に出た交差点は直進する。少し行くと左に地蔵堂があり、
右に(南無〇〇〇〇〇)の髭文字の石塔があり、お堂が建っている。
その間を抜けて直進する。
次にT字路が横向きになった交叉点に出る。
ここも直進する。
(段違いの交差点、旧東街道左折の案内がある)
(次の交差点は直進)
(写真中央の川の右、道路左の地蔵堂)
(髭文字の題目塔のある阿弥陀堂を右に見て)
(T字路の信号も直進)
つぎはY字路に出るが、ここは右からご夫婦が出てきたのでお尋ねする。
この辺りからは、(瀬田の唐橋に行くのですが)とお尋ねすれば、
意味が通じる。
(旧東海道は右方向です)と回答がある。
右方向へ折れるとき、左側に案内板があるのに気づく。
「旧東海道」と案内はそうなっている。
この案内板がこの後ずいぶん役に立った。
その後も民家が続く旧東海道を進んでいく。
大きなケヤキの木があったり、桧山のバス停があったりして、
街中へ入ったのか大きな交叉点に出て突き当たる。
(先のY字路は右折、左角に旧東海道の案内看板がある。)
(旧東海道の案内)
(左のケヤキ)
(「桧山」のバス停)
(突き当たりの大きな交差点)
通りに出ると、道路向こうに(左旧東海道)の案内がある。
ここにある案内は(左旧東海道)(右旧東海道)の二つの案内があって、
左右どちらへ行けばよいのか迷う。
案内書の地図では、左が正しいが、矢倉立場のように(急がば回れ)で、
右に行った方が正解なのかここでわからなくなる。
通りがかりの叔母さんにお聞きすると、
左折が正解で案内看板にある右折を取ると、
かなり大回りになるとの回答であった。
土地の人にはどの道をとっても、
瀬田の唐橋に抜けることができるのだろうが、
旧東海道を行くには、
行かなければならない道順というものがある。
(左右どちらでも取れる東海道の矢印の案内、ここは左折する)
聞き終わって、左折しようとすると、
左側に案内看板が地図入りで建っている。
地図で確認すると図は、左折するようになっている。
左折するとすぐ信号があり、左向こう側にこんもりとした森が見え、
手前に川が流れ、土手はお城のような石垣が組んである。
森は「建部大社末社 檜山神社」とある。
(案内地図も左折している)
(左折してすぐの信号)
(信号向こうの城壁があるような森)
(直進すると「桧山神社である事がわかる。)
この道を直進する。右に正法寺があり、道路真ん中に石材店があり、
石造りの猫が戯れている石像があり、その手前の門に「左旧東海道」、
「右瀬田の唐橋」と刻まれている。
左の道路を取るとすぐ突き当たり、
左を見ると左手に「近江国一ノ宮 建部大社」があり、
地図で確認すると図は、左折するようになっている。
左折するとすぐ信号があり、左向こう側にこんもりとした森が見え、
手前に川が流れ、土手はお城のような石垣が組んである。
森は「建部大社末社 檜山神社」とある。
(案内地図も左折している)
(左折してすぐの信号)
(信号向こうの城壁があるような森)
(直進すると「桧山神社である事がわかる。)
この道を直進する。右に正法寺があり、道路真ん中に石材店があり、
石造りの猫が戯れている石像があり、その手前の門に「左旧東海道」、
「右瀬田の唐橋」と刻まれている。
左の道路を取るとすぐ突き当たり、
左を見ると左手に「近江国一ノ宮 建部大社」があり、
右は瀬田の唐橋へ行く道路である。
よく見ると旧東海道の案内地図もある。
瀬田の唐橋まで、後30メートルとある。
右折して、直進すると瀬田の唐橋にでる。
(正法寺)
(道路の中の感じの石材店)
(「左旧東街道」「右瀬田の唐橋」の両案内の間は見ない事)
(突き当たりの左に「建部大社」が見える。)
(建部大社)
(案内地図)
(右折して直進する)
唐橋は丁度修理中で、欄干の外側に養生シートが掛けられている。
橋を渡る人には擬宝珠は勿論、橋の全容を見ることが出来る。
橋の左たもとに常夜灯がある。
(瀬田の唐橋の東のたもと)
(瀬田の唐橋のたもとに常夜灯がある。)
よく見ると旧東海道の案内地図もある。
瀬田の唐橋まで、後30メートルとある。
右折して、直進すると瀬田の唐橋にでる。
(正法寺)
(道路の中の感じの石材店)
(「左旧東街道」「右瀬田の唐橋」の両案内の間は見ない事)
(突き当たりの左に「建部大社」が見える。)
(建部大社)
(案内地図)
(右折して直進する)
唐橋は丁度修理中で、欄干の外側に養生シートが掛けられている。
橋を渡る人には擬宝珠は勿論、橋の全容を見ることが出来る。
橋の左たもとに常夜灯がある。
(瀬田の唐橋の東のたもと)
(瀬田の唐橋のたもとに常夜灯がある。)