森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

猫が教えてくれたこと

2021-04-16 | 動物
時間の経過とともに、やっと食べている物の味を感じるようになった(コロナじゃな
いです;)  

先週混乱の中で注文した生協の食品が、今週配達されたけど、必要な物が注文できて
なくて、全く憶えのない物が届いている(笑)
これからしばらくは以前より節約生活になるけど、食事だけはしっかりとらねばと思
う。

小太郎の医療費は治療期間こそ短かったものの、一日二度の通院を含め、中2・3日を
除いてほぼ毎日だったから、聴いていた以上に費用も嵩んだ。ただこれは覚悟して臨
んだことであり、助かるものなら破産したっていいという気持ちでいたww
でも小太郎は、もしかして私の懐具合を心配して、こんなに早く逝ってしまったのか
ななんて思ったり。

お尻トントンしてもらってご機嫌な時、私の顔をくすぐるように動かしていた細長い
シッポ。その骨はお星さまの形をしているのだと、火葬の時に教えていただいた☆
本当にきれいなお星さまの形だったし、骨格や歯、筋肉もしっかりしていて、ちゃん
と立派に成長した証拠ですと言われた。
 

担当の方も猫を飼っているということで、その言葉には私たちへの気遣いが感じられ
た。いつか、粉骨もこちらにお願いしようと思う。コタを土に返してあげたいから。
 

今まで脱走癖のあるコタのせいで、家族皆が心がけていたベランダに出る時の用心も
玄関の脱走防止の二重扉をきちんと閉めることも、もうしなくていいのに、皆つい閉
じたり気にしたり(笑)
使わなくなった小太郎の器も小太郎の使ったベッドもまだまだ片付けられずにいる。
 

コタが糖尿病と判って数日後、この冬中 福太郎が殆ど独占していた私のベッド脇に
小太郎が来て、じっと私の方を見て「み~ぃ」と小さな可愛い声で鳴いた。
いつもは「ん~~っ」という比較的低い特徴ある声だったので、そんな声は初めて耳
にした。 

抱き上げてそっと布団の中に入れたら、暫くはじっとしていたが、そのうちすごすご
と自分のベッドに戻っていった;;  あれは何を意味していたのだろう・・。

小太郎のことがあってから、高齢になった福太郎がトイレに行くたびにチェックして
しまう。今のところ正常でホッとする。 だけど、ほぼ一方のトイレしか使わないの
で、もう一個のトイレを片付けた方がいいのか、迷っている。頭数プラス一個が良い
らしいから。どちらにしろ、急に環境を変えるのだけは避けたいので、狭い我が家だ
けれど、しばらくはこのままで行こうと思う。



オシッコを飛ばす小太郎のためにトイレの中に設置したコの字型の囲い(プラダンで
作ってオシッコシートをクリップで留めたもの)も、一方だけ外して様子を見ていた
が、大丈夫そうなので今朝もう一つも外した。福はトイレに関しては特にデリケート
だから、何事も気づかれないように慎重に慎重に。小太郎から学んだ教訓でもある。

小太郎から学ばせてもらった教訓と言えば、私自身に関してもたくさんある。

① 食事はゆっくりと時間をかけて
  私は今でもやりたいことがたくさんあるので、その時間を作るために何事も急ぎ
  がち。録画した番組でさえ、ほぼ早送りとスキップで観る。だけど、ご飯だけは
  母が糖尿病だったから「ゆっくり」を心がけなきゃね。みゃー大工さんの仰るよ
  うなスローフードが理想だったのだから、これからは丁寧に作ってゆっくり戴く。
  仕事を辞め、一人と一匹の暮らしになった今こそ可能なのだと思う。

② 運動不足にならないよう心掛ける
  最近の小太郎は、以前より遊ばなくなっていた。保護した頃の動画を探して観て
  いたら、長女が「ダバード」を振り回して遊んでやっているのがあり、「これは
  可愛いわ~」と笑っている声が入っていた。本当にぴょんぴょんと、ウサギみた
  いに跳ねている。運動不足もイケなかったんだと思う。
  私の好きなことは、ほぼ一人でやれることばかりだから、家仕事も調べものも、
  絵も音楽や映画鑑賞も、やり始めたら長時間同じ姿勢でいることが多い。もっと
  アクティブにならねば。

③ 心配し過ぎない
  これは性分なので難しいけど、HSP気味のところがあるので努めて他のことに
  意識を向けるよう心掛けていたつもりだった。小太郎の病気が判って心配する娘
  にも「意識して口角を上げて、目の前のことだけに集中するといいよ」などと言
  ってたクセに、辛そうなコタを見てそれが段々難しくなった。

  母の病気が判った時に、姉妹でこれを合言葉にしていて、皆で協力し合ってあの
  心身ともに大変な時期を乗り切った。でも私たちは家に帰れば家族との暮らしが
  あり、仕事もあり、忙しさで気が紛れたが、入院まで同居して日々弱っていく母
  を看なければならなかったあの時の長姉の辛さが、今なら実感としてよくわかる。

  私が眠れないほど不安にならなければ、小太郎ももう少し平気でいたかもしれな
  いし、娘や姉には私まで心配されて、余計な負担をかけたと思う。難しいけど心
  して頑張る(あ、また頑張るとか言ってる;)。肩の力を抜くのが大事だよね。
  
小太郎が身をもって教えてくれたことを、しっかりと心に留めなければと思う。
加えて、私自身がこれまで生きてきて「強く思う」ことは、「死ぬまで続けられる趣
味を持つこと。心から楽しいと思うことをすること」これは誰にとっても「生きる支
え」になるのではないかと思う。人には「希望」が必要なのだ。

私にとっては「書くこと」もその一つかも。書くと、少しだけ癒される。
なので、読んでくださる方には申し訳ないけれど、当分面白くもないことをダラダラ
綴りますww
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