拭おうとしても拭えない何かがあると、私は手作業に勤しむクセがある。
そうすると心が少しずつ「何か」から離れていく気がする。
集中している時にふと視線を感じて顔を上げると、じっとこちらを観ている福太郎。
最近あまり食欲がないので、ご飯の催促なら急がねばと、いそいそと腰を上げる私。
私はキジ猫の「顔」が好き。一見クールでシャイだけど、本当は甘えっこで可愛い。
画像のバックに映っているのは「モンローが死んだ日」という、「小池真理子」さんの
小説が原作のドラマ。
ちょっとミステリアスなストーリー運びに惹かれるし、何よりその映像美に惹きつけら
れて観ている。軽井沢の冬を、モノトーンやブルーグレーといった寒色系の色彩で表現し
ていて、その場所で静かな暮らしを営む鈴木京香演じる主人公も、年齢相応に美しい。
昨日放送の中で、草刈正雄演じる恋人の前に、彼女が一冊のノートを持ってきて静かに
読み始めるシーンが、心をざわつかせた。
「お母さんは私が幸せになることを許せないのだと、今日確信した。自分の思い通りにな
らないと気が済まなくて、私が楽しそうにしているといつも機嫌が悪い。そんなんだから
お父さんに捨てられるのよ。」
「酷いでしょう?」と彼女は言い、それが中学生の頃の自分の日記だと打ち明ける。
「母への怒りと不満を毎日日記に書き殴って。直接ケンカできるような人じゃなかったから
こうやってストレスを発散させていたんです。私、母の存在が苦痛でたまらなくて、母を殺
して自分も死ぬか、自殺して母の人間性を全否定して叩きのめすような遺書を残して一生苦
しめてやろうと、そんなことを考えていた時期もあるんです」と続けた。
このセリフに、いつか長女が私に「(私の)存在そのものが(自分を)追いつめる」と言った
あの言葉が不意によみがえる・・・。長女が家を出てからも、ずっと忘れることなく心の奥に
仕舞い込んでいたあの言葉。
あの頃の長女の言動や行動は、私を傷つけるのに十分すぎた。 少なくともそれまでは
二女が外食やショッピングが好きではなかったせいか、長女と二人でよく一緒にあちこち
出かけたし、私の腕に自分の腕をからめて歩く長女は、いつも私よりお喋りだった。
それが、突然。
私をそういう風に思う出来事が何だったのかと、私は自分を振り返っては、腑に落ちずに
茫然とした。 私は子供を自分の思い通りにしなかったつもりだし、気難しい長女には特に
言葉にも気をつけたつもりだった。けれど、あの時は何を言っても全てが長女の気に障った。
夫と別居するきっかけになった「DV」も、子供の前で見せてしまったのは「あの日」一度
だけだった。しかも、「あの日」長女だけはその現場に居なかったのだから・・・。
怒り易い夫との諍いを一度も子供の前で見せないことが、結婚生活に於ける私の唯一の
決心だった。大昔、父のしたことに母が度々泣く姿が、子供だった私の心に大きな影を落と
したからだった。
長女の言葉の中に何かヒントがあるのではと、あれこれ考えて考え過ぎて、何が何やらワケ
が分らず、生きていくのも嫌になったあの頃。そうしてようやく「もう捉われるのは止そう」
と思ったのは、まだそんなに過去の話ではなく・・。
あんなに眠れなかったのに、何一つ解決などしてなくて、今も私たちは分かり合えないまま
だけど、物理的に離れたことが、娘にも私にとっても良かったのだと思いたい。