森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

動物と人間の命の重さ

2010-09-28 | 動物
「障害犬タローの毎日」
タローのことは本にもなっているので、知っている人も多いかな。
以前、こちらのブログでタローのことを記事にした後、携帯電話関連の記事に
タローの飼い主の先生がコメントを書き込んで下さったことがあった。

今、先生が入院なさっておられることは知っていたけれど
久しぶりにブログにお邪魔したら、「悲しいことがありました。」という
タイトルでこんな記事が。

タローに何かあったのではないことは幸いだったけど、
どういう事情があったにしろ、こんな形で信頼する飼い主に捨てられた
犬の気持ちを思うと、不憫でならない。

でも、もしかしてこの子は、治療費もままならなかったり
他の様々な事情で飼えなくなって、この病院なら・・と託されたのかも
しれないなどと思うと、「酷い」のひと言で簡単には片付けられない。

少し前に、あるブログで、「癌になり余命一月と告げられた中年女性が
入院までの間に、身の回りの様々な雑事を片付けながら、自分の代わりに
老犬で病気を抱えた手のかかる愛犬の世話を担ってくれる人を探すために奔走した。
けれども結局、短い期間では見つけられず、声を掛けられ悩んでいたブログ主さんの友人が
やっとその子を受け入れる決心をしたときには、既にその子は飼い主の手で安楽死
させられていて、飼い主も数日後に後を追うように入院先で亡くなった」という記事が載せられていた。

賛否が多く寄せられたのか、今探してもその記事はもう消されていたけれど、
私もそれを読んで、随分考えさせられた。
その子は飼い主だけに懐いていたらしく、誰かに託すだけでも
その子にとっては大きなストレスだったかもしれない。

それでも彼女に、もう少し頑張って担ってくれる人を探して欲しかったと
誰が言えただろう。
沢山の動物を飼っておられるブログ主さんは、自分が彼女の立場でも、
そうしただろうと結んでいた。
「自分が看取れる間に看取ってやりたい」と。

でも、もしその子が人を信じていて、新しい飼い主さんの元でも
幸せに暮らせる可能性があるなら、また違っていたかもしれない。
タローのブログのケースは、確かに無責任だったかもしれないが
それでも「命」を絶たずにいてくれたことが、せめてもの救いだった。

飼ってくれる人がいて、本当に良かった・・!




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