人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

出羽三山周遊97km体験記 後編

2023年06月21日 | 挑戦
*6月10.11日の出羽三山周遊97kmの冒険の記録です。
*様々なサポート、お力を得て安心・安全に実施しています。スリリングな気持ちをお楽しみいただけるように表現上オーバーに書いています。

月山から西へ8kmのところにある湯殿山神社。



残り30分程度の道に1時間半もかかるとは思いませんでした。

急に現れた長い梯子。



それを何度か降りることを繰り返し、目の前に立ちはだかる急斜面の雪。



道がない。

えっ。。。

GPSで方向を指し示すのは斜面の数十メートル下の方。

崖っぷちの局面に何だか笑みが出てきます。日本の三大修験道の一つがそう簡単に終わるはずありません。

ちょっとでもミスをしたら、あの世へ直行。

装備を整えて、気合いを入れて集中します。

道はないけれど、どこかにきっと道はあるはずです。

うっすらとか細く光る雪の斜面を慎重に慎重に歩き、数十メートル先の雪から飛び出した木に必死に掴まる。隙間から顔を出している木や竹を掴みながら、ゆっくりゆっくりと下っていきます。

これは人生史上一番集中しよう。

今までまあまあストイックに日々修行として鍛錬してきたのは、これを乗り越えるためなのかもしれない。

12時間動き続けてきた疲労は吹き飛び、身体中からエネルギーが漲ってきます。

木に捕まりながら立ち上がり下を覗き見ると

数十メートル下ったけれど、先はまだまだ長い。

山の中で立っている自分が天狗に思えてきました。

天狗とは山伏や行者や修験者が想い描く姿を表したものという一説もあります。

羽で空を飛び、木々をぴょんぴょん跳んでいけたら、この道も簡単に違いない。

よし、私も空を飛んでみよう!!

と思ったけど、そのままお空に行っちゃいそうなため思い止まることにしました。

汗だくになりながら、さらに数十メートルをなんとか下るとまた道がありません。

目の前にあるのは膝ぐらいの水深の急斜面の小川。雪解け水が集まり、川になり、斜面を流れています。

地図とGPSを確認すると指し示すのは小川。
今度は沢下りかと、横に生えている木々に捕まりながら慎重に慎重に冷たい水の中を下っていきます。

ジャブジャブと10分ほど歩き、足が冷え切るとようやく道が開け、100m先には車が見える。

助かった!!

と思いきや最後の難関が待っていました。

谷底は雪解け水が合わさり急流な川。
目の前は雪の急斜面。
一瞬途切れた集中とクタクタの身体。

つい数十分前を凌駕する、人生史上最大の難所でした。

「集中しろ!集中しろ!集中しろ!」
何度も何度も声を出し、もう一度集中を高めます。

微かに見えた光の雪道を少しずつ少しずつ慎重に慎重に進みました。

下はまだまだ谷底です。

今、私は死地に立っている。
ふと何かが私にやってきて、何か嫌な気配がします。

「いつ死んでもいいと思っているけど、そう簡単には死んでやらない。生きる場所を決めて生きてきたのだから、死に場所も自分で決める。ここは私の死に場所では断じてない!!」

大きな声で叫ぶと何かは遠ざかっていきました。

もう5メートル進めば私は助かる。
それでも、もうこれ以上進むのは正直難しくなってきた。

そこからの出来事は衝撃的でした。


湯殿山は「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の世界のようです。


ここで見たこと、体験したことは、その人だけのもの。


「生きているんじゃない!お前は生かされたんだ!!」


湯殿山は生まれかわりを祈る未来の山。

42歳になった翌日の私は、
一度死に、生まれ変わったのかもしれません。

湯殿山神社に着くと、目から汗が噴き出て、生かされている事に感謝の気持ちが溢れてきました。





その後、湯殿山参籠所という場所に泊まり、御神湯に浸かり、痛めた足をさすりながらもう1日だけ動いてくれるように必死に祈りました。大きく腫れて座る事もできない状態も、7時間後にはまた再び走れるようになっていました。





明朝4時に出発し、六十里越街道を走りました。膝ぐらいまである小川を渡るのも、道なき道をたまに進むのも、誰かに背中を押されているんじゃないかというほど快適に進みました。







ブナの木が大正生まれの先人達の伝言板として使われていることや、弘法大師が護摩祈祷を行った場所などを通過して、最後は13kmのアスファルトを走り鶴岡駅に戻ってきた。コースタイム15時間を8時間ほどで踏破。


























一年に一度のバースデーチャレンジ。
おかげ様で生まれ変わりの旅ができました。

生かされた事に感謝して、誰かの何かのお役に立てるように日々精進します。

長文を読んでくださった方、ありがとうございました🙏

おしまい。

PS 初日の最後で痛めたお尻は、あれから10日経っても腫れが引かず。傷を見た方は、病院に行けばと言ってくれますが、修験道で痛めたのにそれはちょっと違うかなと思いそのままに。初日の最後に起きたあの出来事は現実だったのか?痛くなるたびに考えます。導かれるようにしてやってきた出羽三山。その意味がちょっと分かりかけたような気がします。修験道は、やはり修験道でした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出羽三山周遊97km体験記 前編

2023年06月21日 | 挑戦
*6月10.11日に敢行した冒険の記録です。

今回のコースは鶴岡駅が起点。



出羽三山を巡りたいと考えてまずは5ヶ月前に地図を購入。

地図とにらめっこをして、1泊2日で行けるコースはないかと考えて探した道。

道はあるけれど、ネットでの情報は少ないので、大まかなルートとポイントの通過目安時間だけざっくり決めて後は臨機応変に対応しようといういつもながらの作戦です。

最初に目指すは羽黒山神社。

約14kmのロードを2時間かけて移動して一息。







観光地のため自動販売機もあり水を数本購入。

東北の仏教文化の中心地であるだけに門から神社がいたるところにあります。持ってきた数十枚の御賽銭用の小銭も羽黒山で底をつきました。まさかこんなに御賽銭箱があるとは、、、









2446段の階段をササッと登り終えると標高414mの羽黒山神社があります。

1,400年以上前に天皇の皇子であった蜂子皇子が出家。その後羽黒山にたどり着き、修行の末羽黒山頂に社を創建したことが始まりと言われています。

ちなみに「羽黒山」は蜂子皇子が“羽の黒い鳥”に導かれてたどり着いたことから名付けられたとのこと。



さらには「修験道」とは、古来より山に入りそこで得た力で人々を助ける「山岳信仰」と「仏教」が組み合わさってできたものとされています。

つまりは山や木、滝などの自然崇拝と、仏様への偶像崇拝の両方の側面を併せ持つ、いわゆる“神仏習合”。

私の住んでいる四畳半の部屋にはなぜかビビッときて10年前に購入した仏壇の中に(世界を旅して見つけた)様々な神さまが並んでいるのは、型にはまらないおおらかな修験道を無意識に引き寄せていたのかもしれません。

そんな昔からある場所に想いを馳せている時間はなく、次なる目的地月山へ。

今回の行程は、地図とスマホのGPSと現地にある案内の3つをバランスよく駆使しながら向かいます。

東北自然歩道と呼ばれる道が途中から分からなくなり迷子。



迷った時にお坊さんが現れて、聞くと丁寧に教えてくれます。この日は3回ほどどちらに進むか悩んだのですが、不思議と誰かが居合わせて話しを聞いて次に導かれるように進んでいきました。

「道はあると言えばあるけれど、最近は誰も通ってないから荒れてますよ。倒木もありますよ。」







江戸時代には15万人もの人が歩いて参拝に通っていた道も、今は誰も通らず、知られていない存在。

「忘れ去られた道を歩いて風を通します。日々、鍛錬してあるから大丈夫です。」

帽子をとって頭を見せると、お坊さんは微笑みながら、
「あなたも修行中でしたか。お気をつけて。」

と見送られました。

葉っぱに覆われた道は足元がぐしょぐしょになるため、防水パンツとロングTシャツを着て進みます。

周囲の様子にも気を配りながら、
道なき道は強い気持ちが大切だ!

そんな気概も1時間程度で終わり、このままだと目的地への時間に全然間に合わないので、アスファルトの延々と続く登り坂へ変更。

荒れた道でびしょびしょになった靴下を乾かすためにサンダルに履き替え、ふやけた足の皮膚と濡れた衣類を歩きながら乾かします。



二手に分かれた道。

右に行くか?

左に行くか?

ちょうど地元の方がいて、現地情報をいただきました。ネットの情報とは違う生の情報があり、参考にさせてもらいながらも最終的には自分の判断で決断をします。

自分で選んだ道ならば、後でどうなろうと納得できるはず。

選んだ道はアスファルトの登り坂を18km。

ところどころに白い蝶がたくさん舞っている木々があることに気付きました。

白い蝶は何のメッセージなのか、
何かのサインだろうか?



いずれにしても何か縁起のよさそうな気がしますが、ゆっくりみる余裕はなく先を急ぎます。

過去の世を表す山と言われる月山。

延々と続く道。

ずっとしんどくて、ずっと苦しい。

私が今の私に変わる前はこんな感じだった気がする。

今となればその闇があったおかげさまと言えるけど、今そう思えるのも、それは単に運が良かっただけとも言える。

人生とはまったくもって不思議なものであると私は思う。

山頂が近くなるにつれて雪が積もり、アイゼンという鉄の爪みたいなストッパーを足裏につけて歩きます。











雪道はどれがルートかも分からないので、地図とGPSを頼りに進み、ようやく山頂へ。

孤独さと荒々しさを感じる誰もいない月山と月山神社。

山頂には月の形をした石が置いてありました。

今年は卯年。

古くから兎は月山神のお使い、月の精とされていたと伝えられ、卯年に参拝すると12年分の御利益があるとか。

ここが出羽三山の最高峰1984mで、ここからは下りが続きます。

遠くのスキー場から音楽と放送が流れてきて、楽しそうな雰囲気が伝わってきますが、それを横目に進みます。

19時到着予定でしたが、大峯奥駈道に比べたら全然余裕だし、この調子だと17時台にはつけるかもと思い始めた頃に、それは突然がやってきました。

つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする